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「第八話 ユリ武伝 ~海棲の刺客~」
21章
しおりを挟む「ふ~ん、里美さん、最後の『エデン』、使う気ないんだ・・・」
真夏の照りつける陽射しを満身に浴びながら、藤木七菜江は両手を突き上げて伸びをする。痛めた脇腹がピリピリと痺れるが、それ以上に空調の効いた室内で窓越しに浴びる日光は心地良かった。
五十嵐邸の2階に与えられた、七菜江専用の個室。ひとりで使うには広すぎる感のある部屋には、この家の居候ふたりが揃っていた。
ショートカットが活発そうな印象を与える少女は窓際に立ち、茶髪のセミロングが鮮やかな少女はベッド脇の椅子に座っている。
夏休み真っ只中の暑い昼下がり。
本来なら、ギラつく太陽のもと、部活動のハンドボールに汗を流しているはずの少女が、快適である邸宅内に留まっているのにはワケがあった。
文字通り、人間離れした回復力を誇る『エデン』の寄生者たち。そのなかでもずば抜けたタフネスの持ち主である七菜江をしても、3桁を数える体重の怪物たちに圧殺された肉体のダメージは、簡単には拭い切れなかった。根っからのスポーツ少女は眼を離すとすぐにぴょこぴょこ動いているが、凄惨な拷問を受けた爪跡は奥深い。あまり自覚のない本人を、半ば強制的にベッドに縛り付けておくのが、今の桜宮桃子の役割であった。
ベッドの隣に位置する丸椅子に腰掛け、ショリショリとりんごの皮を剥いている美貌の少女は、さらりとした口調で応える。
「まあね。一応、口ではそう言ってたけどねぇ」
「一応・・・って?」
「んと・・・・・・あは、できた♪」
親友の質問には答えず、桃子は完成したばかりの、うさぎの形をしたりんごをフォークに刺して七菜江に見せる。
「どう? かわいくない?」
大きな瞳を弓なりにして、美少女は輝くような笑顔を浮かべる。
どんな男でも骨抜きにされるであろう、天使の笑顔。自ら発光していると勘違いしそうなほど、桃子の会心の笑顔は眩しい。惜しむらくは、見せた相手が同性であることだった。
スタスタと桃子の鼻先にまで歩み寄った七菜江は、憮然とした様子を隠しもせずに、パクン!とうさぎさんを一飲みにする。
「ああ?! なにすんのよォ!」
「にゃにって、あたひに食べさへるために剥いたんれしょ?!」
「やっとうまくできたのにィ! 今度『たけのこ園』のみんなに見せてあげようと思って練習してたんだよォ!」
『たけのこ園』とは、知能障害のある児童を集めた施設のことで、福祉の道を目指している桃子が、夏休みを利用して通っているバイト先であった。バイトとはいっても、ボランティアに近い扱いのため、報酬はごくわずかであったが、そこに目的はない桃子は喜んで通っている。週に3日いくそのバイトの日以外は、こうして七菜江の看病というか、監視をするのが彼女の夏休みの日課となっていた。
「んなことより、一応ってどういうことなの? おひえてよ」
まだ口の中をもごもごさせている猫顔の少女に、口を尖らせつつもエスパー少女は言う。
「べつに。ただなんとなく、ホントにそう思ってるかな? って思っただけ」
「嘘かもしれない、ってこと?」
超能力を持つこの少女が、やたらと勘が鋭いことを七菜江は知っている。
「あくまで勘だよ。エリちゃんに『エデン』を寄生させたくない、って気持ちはわかるし、そこはホントなんだろうけど・・・なんか引っ掛かるんだよねぇ」
昨夜遅く、作戦室で交わした桃子と五十嵐里美との会話が、いまのふたりの話題の中心であった。
西条エリに『エデン』を渡さない理由を、ファントムガールのリーダーである里美は、不幸にしたくないから、と言った。
そしてもうひとつ。もう誰にも『エデン』を寄生させるつもりはない、と。
その場は納得した姿勢を見せた桃子だが、彼女の心のどこかに引っ掛かった棘がある。
里美の言葉を飲み込もうとするのを、チクチクと突き刺さって阻害する棘。小魚の骨のごとく咽喉の奥に刺さった棘は、一夜明けた今日、さらに痛みを増して、ズキズキと桃子の脳に存在を訴えてくる。
「なんか他にも、エリちゃんをファントムガールにさせない理由があるような気がするんだよね。もう誰にも『エデン』を寄生させない、っていうのも、なんかね・・・」
「・・・モモはそのとき、その・・・吼介先輩のことも・・・聞いたんだよね?」
恐る恐るといった様子で、ショートカットの少女は尋ねる。りんごを頬張っていたときの明るさは霧散し、真剣なこわばりがチャーミングな容貌いっぱいに広がっていた。
「ううん。直接は聞いてないよ。それとなくは仄めかしたけど」
「やっぱり里美さん、最後の『エデン』を吼介先輩に渡すつもりは・・・ないのかな・・・?」
5人目の仲間である桃子が戦列に加わって以来、それとなく気になっていることがあった。
特に意識してはいなかったが、澱のように胸の奥底に沈んでいる不確かな疑問。七菜江だけではない、恐らく他のメンバーも、なんとなく気になっていたに違いない疑問の念。
五十嵐家が所有する最後の『エデン』。
その活用法について、里美がなにも言わなくなった。仲間を増やすことができる、重要な切り札であるはずなのに。
大量に『エデン』を保有している久慈らに対して、五十嵐家、ひいては日本政府が手中にしている謎の宇宙生命体は、あとたったひとつしかないのだ。
戦闘能力に優れ、正のエネルギーを強く持つ者を味方に引き入れるのは、人類の未来を背負うといっても過言ではない巨大な闘いの勝敗を左右する重要事項であることは、疑う余地のないことだった。一刻もはやく、最後の戦士を見つけることは、リーダーである里美の大切な役目であるはずなのだ。
それが5人の少女戦士が揃って以来、話題のかけらにすら昇らなくなった。いや、正しくは、『エデン』が残りひとつになって以来というべきか。
確かに『エデン』を寄生するのは、あまりに大きな代償を必要とする。戦力が揃ったと判断した里美が、これ以上の“犠牲者”を増やさぬよう、最後の『エデン』を封印したというのもわからぬではない。
だが、生まれ持った使命に従い、己の人生全てをこの闘いに捧げている里美が、輝かしい未来が待っているはずの4人の少女を、断腸の思いで巻き込んだ里美が、本当にそのような理由で切り札の行使を放棄するだろうか。
五十嵐里美が『エデン』をとっておくのには、きっと他の理由がある。
そう、例えば。
最後の『エデン』を、最強と呼ばれる格闘獣のためにとってあると考えても、決しておかしくはないだろう。
「・・・ねえ、モモ、正直に言って欲しいんだけど・・・」
神妙な顔つきになった元気少女が、真っ直ぐな瞳を桃子に突き刺す。
可憐でいて、どこか哀しげな顔。
美貌という言葉がこれほどまでに似合う者はいまいエスパー少女は、普段は快活な友が見せる別の顔に、不覚にもドキリとしてしまう。
「里美さんの反応を見たとき、どう思った?」
「ど、どうって?」
「ホントに吼介先輩に、『エデン』を渡すつもりはないと思う?」
桃子の厚めの唇が、キュッと強めに閉じられる。
押し黙るとつめたく感じられるのは、桃子の美貌がいかに整っているかの証明だった。エスパー少女の頭のなかで、さまざまな思いが高速で回転していた。七菜江につられるように、桃子の顔もまた、真剣な光を帯びていく。
「わかんないよ・・・あたしのは、単なる勘だから・・・」
「その勘が聞きたいの」
里美の冷静な状況判断よりも、夕子の合理的な思考よりも、時として、桃子の直感の方が何倍も正解に近いことがあるのを、七菜江は知っている。
しばしの沈黙の後、大人の芳醇さすら漂わせる赤い唇を、桃子はゆっくり動かした。
「正直にいうと、里美さんは多分、吼介に『エデン』を」
「想像で気持ちを判断されるのは、あまり嬉しくないな」
突然沸いた3つ目の声に、虚を突かれた桃子の台詞は途切れた。
ビクンと肩を震わせたふたりの少女が、風切る素早さで、丸い瞳を部屋の扉に向ける。
いつの間に、入ってきたのか。
閉じられた入り口の前、軽く腕を胸の前で組んだ五十嵐里美が、苦笑とも取れる表情を浮かべて立っている。
「さ、里美さん・・・」
「ゴメンね、ナナちゃん。ノックもせずに入ってしまって」
すす・・・と固まった少女ふたりに、この家の令嬢は歩み寄る。
話に夢中になり、里美が入室するのに気付かなかった・・・わけがない。七菜江も桃子も、未熟とはいえ『エデン』を宿した戦士なのだ。気配には人一倍敏感であり、多少なりとも音がするドアの開閉を聞き逃すとは思えない。
故意に気配を消して、入ってきたのだ。
現代くノ一の頭領ともいうべき里美にとれば、侵入の類は得意中の得意分野。だが、それを仲間に対しても平然としてしまうのが、ファントムガールのリーダーの底深さを知らせる。
思惑通りに桃子の口を閉じさせるのに成功した里美は、すかさず次なる言葉を紡いだ。
「どうやら本当のことを言った方がいいみたいね。妙な勘繰りをされないためにも」
「え・・・?」
「エリちゃんをファントムガールにしないのは、ユリちゃんに頼まれているからよ」
明かされる真実に、七菜江と桃子の瞳がさらに大きく見開かれる。
「エリちゃんはユリちゃんを闘わせないためにファントムガールになりたがっているけど、逆にユリちゃんはエリちゃんを闘わせたくないと思っている。あのふたりらしい話でしょ」
一見当たり前で、姉妹愛に溢れた西条姉妹にはもっともな話。
だが、しばしの沈黙の後、ある疑問に気付いたのは、ショートカットのアスリート少女であった。
「でも・・・“許可”を出せるのはエリちゃんだけだから、『エデン』がなくても襲われる可能性は高いんでしょ? だったら、エリちゃんをファントムガールにした方が、安全なんじゃないのかな・・・」
「あ、そうか。結局闘いに巻き込まれちゃうんだから、エリちゃんのことを考えたら、『エデン』をあげた方がいいかもしんない」
不安そうな七菜江と同調する桃子。
変身少女たちのなかでも、直感で動くタイプのふたりに、里美は静かな口調で西条ユリの想いを説明する。
「エリちゃんがファントムガールになりたがってるのは、普段本気を出せないユリちゃんに闘って欲しくないため、ということは知ってるわね?」
コクリと美少女ふたりは同時に頷く。
「だったら、もしエリちゃんがファントムガールになったら、危険な闘いに向うよう、妹に“許可”を出すと思う?」
「・・・出さないと思う」
「ユリちゃんはお姉さんが本当は“許可”を出したくないことを知っているのよ。エリちゃんがファントムガールになりたがるのは、ユリちゃんの代わりに闘うつもりだから。もし『エデン』を寄生したなら、二度とユリちゃんに“許可”は出さないでしょう。たとえ・・・自分が闘いで命を落とすことがあっても、妹だけは生き残るように」
大切で、大好きな妹だから。
そして、想気流柔術の正統な後継者だから。
「そのお姉さんの想いを悟っているから、ユリちゃんは『エデン』をエリちゃんには渡したくないの。自分の身代わりになって欲しくないから」
できる限り淡々とした口調で、五十嵐里美は双子の武道姉妹が秘めた想いを話す。
互いを愛し、互いを守ろうとする姉妹。
宇宙から落下した『エデン』が巣食うという偶然が、妹を選んだ現状がある以上、もうひとりの少女を敢えて不幸にする必要がどこにあるというのか。
哀しく美しい、武道姉妹の物語。
たまらずに切なげな表情を露わにする純粋な少女たちに、悲しみを断ち切るように強い口調で里美は言った。
「だから、エリちゃんには『エデン』は寄生させない。もうこれ以上、あのコたちが不幸になる必要は、ないの」
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