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「第八話 ユリ武伝 ~海棲の刺客~」
8章
しおりを挟むノースリーブのタートルネックは白く、妹に負けない短さのマイクロミニは、白と緑色のチェックだった。双子らしく、姉妹の衣装にはどこか共通点がある。
体型も顔も雰囲気も・・・今しがた葬った少女柔術家にそっくりの少女。あえて違いを見つけるならば、髪形が束ねておらず、セミロングのストレートであることと、唇の右下に黒子があることぐらいか。天才柔術家・西条ユリの姉・エリは、外見上、涼しい顔をして一直線に囚われた妹に向って進む。
姉と妹。双子の姉妹。そっくりなふたりの、最大の違いは、このあとすぐに明らかになる。
「お前が・・・西条エリか。なるほど、確かにそっくりだ」
兵頭の口ぶりは、明らかにエリを知っている口調であった。
「・・・お・・・ねえ・・・・・・・・・ちゃん・・・・・・」
「ユリ、ひどいじゃない。黙って出ていくなんて・・・私はお父さんに、あなたの世話役を頼まれてるのよ。ユリになにかあったら、私が怒られちゃうわ」
壊し屋・葛原修司との闘いで重傷を負ったエリだが、五十嵐家のサポートにより、最高レベルの医療処置を施され、常人の3倍近いスピードで復活を果たしていた。
とはいえ、本調子ではないエリは、合宿では専ら留守番などの裏方に徹し、練習自体には参加していなかった。恒例の海での遊びも、エリはひとりで宿泊施設にいたため、その存在はほとんど知られていなかったのだ。だが、今回、兼子らの要望でユリひとりを残すと決まったとき、父の剛史は万が一に備えて、世話役に指名したエリも残していったのだ。
なにしろ、ユリ本来の戦闘力を引き出せるのは、世界中で西条エリただひとりなのだから。
「あなたが・・・兵頭さん、ですね・・・」
内気な少女の声は、妹同様、可愛らしさに溢れていた。
ユリを踏み躙ったまま、冷酷な「皇帝」はニヤリと笑う。残り5人となった配下の男たちが、あっという間にセミロングの少女を取り囲む。
「ユリの仇は・・・取らせてもらいます・・・」
「フフン、バカめ。貴様が妹より弱いことは知っている。姉妹まとめて生け捕ってやろう・・・やれ!」
総帥の合図で、一斉に5人の男たちが、救出に現れた新たな獲物に襲いかかる。
襲撃者の手が少女に触れた瞬間、風が巻き起こる。妹・ユリを襲ったときと、全く同じ光景が再度繰り返される。
だが、その結果は、ユリのときとはまるで違うものだった。
「ぎゃひいいィィィッッ?!!」
最初に飛びかかった男は、脳天から真っ逆さまに落とされて、一撃にして昏倒する。
次なる襲撃者が、勢いに乗ってパンチを放つ。
手首を掴んだと見えたエリは、そのまま男の脇をくぐり抜ける。流れるような美しい交錯。
ゴキッ! ボキイッッ! グキグキッ!!
想気流の関節技は、その一瞬のうちに完成を見せていた。
手首、肘、肩。身体全体を移動させる力を利用し、エリは敵の関節を一気に外してしまっていた。痛みに叫ぶ男は、やがて許容外の激痛に失神しておとなしくなる。
次期想気流の後継者であるユリが、20分かかってひとりも仕留められなかった男たちを、エリは一瞬にしてふたりも葬ってしまった。
なぜならエリは、ユリとは違い、出すべき力を出せるから。
「私より・・・確かにユリの方が強いです・・・・・・でも」
「こ・・・この女・・・・・・やれッ! 何をビビッている、やるんだ!」
「あなたたちは・・・私で十分です」
襲いかかる3人の男たちが、次々と宙を舞う。
想気流柔術・西条剛史の娘、エリ。
幼少より鍛えられたその腕は、総合格闘技を少々習った程度の街のチンピラの手に負えるものではなかった。
「エリ姉ちゃん!」
5人目の男を後頭部から落とし、気絶させた瞬間、妹の切迫した叫びが姉の耳に届く。
反射的に身を逸らせた鼻先を、硬質化した拳が掠める。巻き起こった風で、セミロングがなびく。
猛り狂った兵頭英悟の豪腕ラッシュ。
突然現れた邪魔者に、敵意を剥き出した異形の拳が、今までの相手とは段違いの速度と破壊力を伴って、若き達人に迫る。それまで苦もなくパンチを打つ手首を捕えていたエリが、唸る風に脅えるように、ただ逃げるのが精一杯だ。
「エ・・・リ・・・逃げ・・・て・・・・・・そのひとは・・・普通じゃない!」
拘束を解かれたユリが、胸と脇腹を押さえながら呻く。
散々蹂躙されたユリだからこそ、兵頭英悟の力の正体に気付き始めていた。そして、その予想が正しければ、兵頭の相手はユリがしなければならなかった。たとえ現状が、姉の方が自分より強くても。
「!!」
猛攻に下がり続けていたエリの背後に、壁が迫る。追い詰められた、セミロングの少女。
破壊の拳がアニメの美少女を彷彿とさせる容貌に吸い込まれる。
”間に―――あった!”
愛くるしいマスクを破壊すると見えた拳は、手応えなく少女の残像をすり抜けていた。
最小限の動きでストレートをかわしたエリの右手が、凶悪な拳に絡みつく。それまでの攻撃から、軌道と速度を学習したエリの逆襲。
ゴキンッ! ゴキッ! ベキベキィッッ!!
右腕の関節を一気に外され、激痛で飛びあがった兵頭の四角い肉体が、垂直に頭から落ちていく。
落雷に似た轟音が、ジム内を駆け抜ける。
完璧な手応えを残して、悪虐の限りを尽くした「皇帝」は、一撃で白いマットに沈み、大の字になって分厚い肉体を晒す。
「・・・ふぅ」
己が倒した恐怖の支配者をチラリと一瞥し、西条エリは妹へと振り返る。うつ伏せ状態で上半身を起こした、同じ顔の妹は、不安そうな瞳でこちらを眺めていた。
「・・・ユリ」
大切な妹を安心させるためか、窮地を脱した安堵からか。初めて姉は、爽やかとも儚げとも映る笑顔をかけがえのない妹に見せる。
「エリ・・・姉ちゃん・・・・・・」
「大丈夫? あまり心配、させないで・・・」
「そのひとは・・・『エデン』の寄生者よ!」
失神したはずの兵頭が、エリの背後に立っている。
凶悪な殺気。戦慄を察知した柔術少女が、飛燕の速度で振り返る。
一足、遅かった。確かに関節を外したはずの右腕のフックが、弧を描いて華奢なボディに突き刺さる。
肉に杭が打ち込まれる、荒々しい轟音。
「ぐはああああアアアああアアッッッ?!!!」
横から内臓を抉られ、大量の涎をぶちまけるエリ。身体の中央まで腕が埋まってしまったかのような剛打は、明らかに人間の枠を越えている。
苦悶に歪む柔術少女の顔面に、左のストレートが発射される。
首を捻って、打撃の威力を逃がすエリ。だが、達人ならではの神懸り的技術も、大砲並の一撃の前にはちゃちな小細工に過ぎない。
壮絶な打撃音を引き連れながら、口腔から鮮血を噴き出したエリの細身は、矢のようにジムの空中を一直線に飛んでいく。
赤い飛沫をマットに降り散らしながら、4mほどを飛んだ姉の身体が、ゴロゴロと転がって妹が這う近くでようやく止まる。
「お姉ちゃん!!」
泣き声に似た、ユリの叫びを振り千切るように、エリの白い肢体はすっくと立ちあがっていた。
右腕で左脇腹を押さえ、左手で唇の端を流れる深紅の線を拭う。愛玩動物のような瞳は、鋭さを伴って、不敵に笑う凶悪な支配者へと向けられている。
セミロングの白い妖精は、美しくすらある絶妙な構えを再度取る。
かよわき一輪の華を思わせた少女の闘志は、いささかも衰えてはいなかった。
「エリ姉ちゃん!! やめて! そのひとはミュータントなのよ。普通の人間では勝てないわ!」
柔らかいマットの上とはいえ、脳天から落とされても、瞬時に立ちあがってくる兵頭の姿を、ユリは見ていた。そして、己の手で、外れた関節を元通りに入れてしまうのも。
そのタフネス、痛みへの耐性は、明らかに人間の範疇を越えている。守備力だけではない、一撃で肉体を滅ぼしてしまいそうな打撃力も。ユリが知る限り、この超人的能力の秘密は、ある宇宙生物の力を借りたと考えるのが、もっとも適切な答えであった。
「フフン・・・よくぞ見破ったな、西条ユリ。いや・・・」
歯を剥き出して微笑む兵頭英悟の眼が、緑色に光る。
「ファントムガール・ユリア」
美少女姉妹の愛くるしいマスクに、一様に衝撃の色が浮ぶ。
トップシークレット中のシークレット、裏で繋がっている防衛庁の幹部ですら、その正体を知る者はわずかだというのに、伊豆という限られた地域でお山の大将を気取っているこの男が、なぜこの重大な秘密を知っているのか?!
もっといえば、関東地方近郊でファントムガールが現れたことすらないのだ。恐らく、実物のユリアを見たことがないであろう兵頭英悟が、関東では落ちた形跡がない「エデン」を有し、さらにユリの正体を知っているとなると・・・あまりに危険な香がする。
「な・・・なぜそれを・・・?」
状況から、ハッタリをかましているのではないことは確実であった。誤魔化す必要性を感じなかったユリは、すんなりと己の正体を認めて逆に尋ねる。
「それは・・・地獄に落ちる貴様には、どうでもいいことだ!」
兵頭の四角い肉体が、超低空姿勢で、いまだマットに這ったままのユリに突撃する。
地上10cmほどの高度を維持して弾丸となって突っ込んでいく総合格闘家。地面すれすれで滑走していくその突撃は、脅威的な腹筋と背筋に支えられた、異能者のタックルだった。10mの距離を、四角い弾丸が2秒で縮める。
「妹には・・・手を出させません!」
ユリの目前まで迫った肉の弾丸は、不意に方向転換して宙を一回転する。
一体、どんな魔術か。横から手を出したエリが突進する兵頭に触れるや、見えないジェットコースターの線路に沿うように、悪の「皇帝」は空を旋回する。
「想気流柔術奥義・青嵐!!」
グオオオオオオッッッ!!!
体重90kg近い分厚い肉体が、華奢な少女の手によって、空中で独楽のようにぐるぐると回転する。
まるで、旋風。竜巻。
万有引力の法則から除外されているのか。ゴツイ肉体は細身の少女によってねずみ花火の勢いで旋回し、十分な加速度をつけられたうえで後頭部からマットに叩きつけられる。
衝撃で、エリの足元が揺らぐ。
完璧な手応えが、エリの白魚の指には伝わってきていた。
物心ついた折から、大人たちに混ざって柔術の稽古に明け暮れた美少女の経験が、敵は二度と立ち上がってこないと囁く。もろに延髄を打ち、兵頭は吐き気と眩暈に溺れているはずだった。人間の生体構造からして、鋼の筋肉に覆われていようが、無尽蔵の体力を秘めていようが、それは避けられない事態なのだ。
「エデン」の融合者といえ、不死身ではない。大の字でぶっ倒れた「皇帝」は、虚ろな視線をさまよわせてピクリとも動かず横臥する。
「エリ・・・・・・」
脇腹と胸を押さえたまま、絵に描いたような美少女はゆっくりと立ちあがる。構えを解かない姉に向ってよろよろと近付いたユリは、眉根を寄せた複雑な表情を見せている。
「来ないで、ユリ。このひとは・・・また立ちあがってくるわ」
試合ならば、明らかに勝負がついた状況。
だが、ユリの正体を知る、油断ならない総合格闘技からの刺客が、いまだ致命傷を負ってはおらず、戦意も失ってはいないことは双子の姉妹ともに悟っていた。しかし、倒れている相手に攻撃することは、ふたりが知る想気流の理念には反する。父の剛史ならば平気で顔を踏みつけたかもしれぬが、少女であるふたりに父はそのような教えをしなかった。
“立ちあがってくる敵は、また投げればよい”
教えを遵守する少女柔術家は、支配欲に囚われた化け物に対しても、あくまで武道の心で迎え撃つ。
「エリ姉ちゃん、私に・・・私に“許可”をだして! このひとは私が相手する」
「・・・ううん。私が闘うわ」
「ダメだよ! 『エデン』の寄生者が普通でないのは、エリもよく知ってるでしょう?! しかもユリアの正体を知ってるんだよ。私を狙ったのは、絶対になにか裏があるんだよ!」
「ユリ、見くびらないでよね。今のあなたよりは、私の方が強い自信はある。たまには姉らしいことさせてよ」
桜色の唇を、セミロングの少女は少し歪ませる。爽やかな笑顔になるはずだったが、びっしょりと浮いた汗がエリの真実を妹に教えていた。
兵頭に食らった一撃。
脇腹を抉った豪打が、毅然とした立ち姿を披露する少女を、壮絶な激痛で絡めとっている。
エリの体調は完全に戻っている。壊し屋葛原に粉砕されたアバラも、元通りになっているのは間違いない。
だが、地獄の記憶が柔術少女を苦しめているのだ。
蛇とのキメラ・ミュータントである葛原は、執拗かつ無慈悲にエリの肉体を文字通りミンチ寸前まで破壊し尽くした。砕かれた肋骨は内臓に突き刺さり、細い腰は千切れそうなまでに捻られた。失神も許されぬ悶絶苦に、エリは肉体も精神も廃人にされかけたのだ。
兵頭の破壊の拳は、一発で柔術少女に悪夢を思い出させるには十分だった。
姉妹のダメージは傍目から見る分には明らかに違いがある。しかし、颯爽と見えるエリの肉体も、決して万全ではないのだ。
「そのひとのタックルは、普通じゃかわせないよ! お願い、エリ! 私に“許可”をだして!」
内気で双子の姉以外には喋るのも苦手な武道少女が、必死の思いを露わに叫ぶ。
葛原との闘いのあと、後悔の爪跡はむしろユリの方に残っていた。妹を守るため、姉は無謀な闘いを挑み、散ったのだ。かけがえのない姉妹を「エデン」寄生者との闘いに二度と巻き込まぬよう、若き達人は肉体のダメージも省みず矢面に立とうとする。
しかし、肉親を想う気持ちは、姉も妹に引けを取らない。
「満足に構えも取れないひとを、闘わせるわけないでしょう」
ピクリ
横たわる巨体の指が動く。
互いをかばおうとする姉妹の目前で、ゆっくりと「皇帝」兵頭英悟の分厚い肉体が立ちあがる。真っ直ぐに正面を見据えた垂れがちな眼に、憤怒の青い炎が燃えあがっている。危険で獰猛な、猛獣の眼光。
破壊を悦び、支配を生き甲斐とする「エデン」寄生者の復活。
やはり奥義を持ってしても、強靭な「エデン」融合者を葬るには至らなかったのだ。怒りに震える肉体が、姉妹抹殺への決意を秘めて振り返る。
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