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「第七話 七菜江死闘 ~重爆の肉弾~」
20章
しおりを挟むドゴオオオオオオオオンンンンンッッッ!!!!!
地球の爆発する轟音に、その場の全員の心臓は飛びあがった。
いや、違う。地球が爆発したのではない。
あまりに猛々しく、あまりに豪快で、あまりに荘厳なその破壊音は、母なる地球が爆発したのではなく、プールと更衣室とを繋ぐ出入り口の扉が吹き飛ばされた音だった。
砕け散った木片が闇夜を裂いて飛んでいく。あるものはプールに落ちて水音を発し、そしてあるものは・・・50mプールの反対側にある金網に当たって、ガチャリと鳴った。
「ッッッ!!!!」
メキョ
いる。
無くなった扉の向こうに、誰かいる。
完成間近のこの処刑場に、侵入しようとする誰かがいる。
メキョッ! メキメキメキッ! ミシミシッ! ミチミチビキビキビキッッ!!
「な・・・んだ・・・・・・この音・・・は・・・?・・・」
誰かが呟く。
誰でもよかった。関係なかった。ただ、大事なことは――
“闇の向こうに、最悪の事態が待っている”
「なんだア――ッッ、てめえはァァ――ッッ!!!」
元野球部のコージが、金髪を振り乱して特攻する。金属バットを振り上げ、必殺の意志を込めて、闇に佇む何者かに襲いかかる。勇気ある突撃――いや、そうではない。強大な闘気に飲み込まれた臆病者が、恐怖に克てずに動いてしまったのだ。
ゴオオオオッッッ!!!
突風が、駆け抜ける。
金網の「潰れ死ぬ」音に、一同は振り返った。
ひしゃげた金網に、金色の頭と二本の足の裏とが生えていた。
腹から真っ二つに折れ曲がったコージの身体が、杭のようにロケットとなって金網に突き刺さっていると知れるには、しばしの時間を必要とした。
「~~~ッッッ!!!!」
戦慄が、処刑者たちを包む。
コージの惨状が原因ではなかった。どうでもよかった。関係なかった。それより、大事なことは――
今の一瞬で、10mは距離を詰めた侵入者が、その正体を月夜の下に現したことだった。
「工藤・・・吼介・・・・・・」
白のTシャツに、デニムのパンツ。
ラフな格好に身を包んだ、最強の筋肉獣が、蹂躙の限りが尽くされた処刑場に降臨したのだ。
「ひいィィッッ?!!」
憐れですらある悲鳴を漏らしたのは、狂気に飲まれたはずの柴崎香であった。
視線が、合ってしまった。
その瞬間、あれほど嬉々として水中に沈めていた聖少女の顔を、無意識に香はあげてしまっていた。なにかを言われたわけでも、睨みつけられたわけでもないのに。あげなければ殺される、そう思ったわけですらない。香の無意識下の意識が、必死の救いを求めて自然に行ったとしか思えぬ動き。
デカイ。
巨体であることも、凄まじい筋肉の持ち主であることも知っていたが、これほどまでに巨大で、研ぎ澄まされた肉体であったろうか?
違う。いつもとは違う。
この男は、「変身」している。
Tシャツの上からハッキリわかる筋量、瘤が膨れ上がったような背中、筋繊維が一本一本見える腕。ダイヤモンドで造られた、超合金のようなこの肉体は、明らかに普段見せる肉体ではない。言うなれば・・・
ひとを、瞬殺できる肉体
「ひいィッッ・・・ひッ・・・ひッ・・・・・・」
美貌を歪ませた復讐鬼が後退する。ぐったりと横たわる被虐の天使すら、その意識の外であった。
表面上、角張った男臭い顔は、淡々として見える。
だが、香にはわかる。
その瞳に燃える、獰猛な怒りの炎が。
触れただけで焼滅される、猛け狂う地獄の業火が。
「柴崎香・・・お前でよかった」
「なッ・・・?!!・・・・・・」
「七菜江を襲った相手が、お前でよかった」
「ひいィッッ?!! な、なにを言って・・・」
「七菜江を泣かせた時点で、お前は滅ぼされる運命だった」
―――コ・ワ・サ・レ・ル―――
「こいつを倒せェェ――ッッ!!! お前ら、この男を殺すんだァァッッ――ッッ!!!」
気違いじみた香の絶叫が、すくみあがった男たちを突進させる。
元水泳部のユータが、自慢のナイフを月光に光らせる。
コージや、元柔道部の倉田が東亜大附属の生徒であるのに対し、このユータだけは聖愛学院の生徒であった。
今回、県大会に出掛けている水泳部の留守中に、この聖愛学院のプールに忍び込めたのは、彼による功績が大きい。七菜江の仲間が東亜大に向かうことを予測し、裏をかいたこの作戦に、霧澤夕子は見事に引っ掛かったわけだが、よもやこの男が登場してくるとは・・・
なぜ、この男はこの場所に七菜江がいることを知っていたのか?
そんな疑問を思う暇なく、圧倒的な強者の風が叩きつけてくる。
内通者がいたのでは・・・頭の片隅に、そんな思いがわずかにこびりついている。
「ウオオオオオオ――ッッッ!!!」
雄叫びが、自然にパンチパーマから溢れ出た。
ユータはこの中で、もっとも実力的に劣っていた。だからこそ、工藤吼介の真の恐怖を測れずにいた。無謀な突撃者は、煌かせたナイフを、筋肉獣の左足に突き立てる。
ズブリ
いともたやすく、ナイフは突っ立った鎧武者の左足に突き刺さった。
鮮血が噴き出る。そう、依然として包帯が巻かれたままの負傷箇所を、パンチパーマの元水泳部は、躊躇することなく狙ったのだ。敵の弱点を責めるのは、当然のこと――そう教えられて育った彼は、当たり前のことを当たり前にやったにすぎない。
「え・・・?!」
かつて経験したことのない感情が、ユータの全身を覆い包む。
ナイフが、抜けない。
その驚愕の事実より、身に迫った破滅の予感こそが、不可思議な感情の正体だとは、彼は気付くことができなかった。
ボンッッッ!!!
その音は、ドラム缶が破裂したとでも形容するのが、一番適切であるかのような音だった。
真上から振り落とされた鉄拳により、ユータの頭部は胴体に埋まっていた。
首が生えるべき場所に、パンチパーマを生やした奇妙な人間は、ビクビクと震えながらゆっくりと倒れていった。
「せええええいいいッッッ!!!」
一瞬の刹那の後に、倉田の巨体はナイフが刺さったままの破壊神の懐に飛び込んでいた。
なぜそんな無謀ができたのか、倉田自身にもわからない。
ただ、確実に言えるのは、倉田が吼介を倒すチャンスがあるとするならば、間違いなくここしかない、というベストのタイミングで彼が突っ込んだことだった。
元柔道部のスキンヘッドがここぞで頼った技、それはやはり柔道の技で、彼が最も得意とした内股であった。
股間に右足が滑り込む。技がかかればこちらのものだった。上向きの力に対抗するのは、人間の身体の構造上難しい。浮きあがる衝動に、どんな怪力の持ち主も、堪えることなどできはしない。
・・・そんな倉田の常識は、この時点をもって、木っ端微塵に粉砕された。
技は完璧に決まっているのに。
1cm、いや、もしかすると、1mmとして、最強の鎧武者は揺るぎもしていない。
「ばッッッ・・・」
化け物だ。
この男は人間ではない、化け物だ。
恐怖に駆られた倉田の視界が、グルリと大回転する。
傍目から見ていると、それはまるで魔術だった。
必死の形相を浮べて全力を振り絞っている大男とは対照的に、倉田の襟首を右手で掴んだ格闘獣は、ビニル人形でも投げるような軽やかさで、2m近い巨体を宙に舞わせた。まるでそこに重力は存在しないかのように。氷に滑った人間が、勢いよく転ぶような感じ。まっ逆さまになった巨体は、脳天から大地に落ちていく。一瞬なにが起きたかわからなかった倉田が、柔術の技によって投げ飛ばされたと悟った瞬間、スキンヘッドはコンクリートのプールサイドに激突した。
脳が揺れる。視界が歪む。
「ゆ、許して・・・許してくださいィィ・・・」
これが闘いであるならば、事実上その一撃で勝負は決していた。
100kgを越える全体重が、頭と首にかかったのだ。いくら倉田が柔道で受け身に慣れているといえ、ほとんど垂直に落とされたのではたまらない。軽い脳震盪を起こした身体以上に、心は震えあがっていた。恐怖を隠せないふたつの眼、そこに映るグニャリと曲がった世界に、逆三角形の鋼の肉体を持つ男が立っている。淡々とした表情の奥に隠された修羅の形相に、倉田は心底からの嘆願をしていた。
「あいつの痛みは、こんなものじゃすまない」
ベッギイイイイイッッ!!
ふらつく足にローキックが飛んだとは、倉田にわかるはずもなかった。
わかったのは、己の足が無くなったということ。
筋肉の薄い関節の部分、ちょうど膝の曲がるところに、ナタよりも鋭く、ハンマーよりも重く、鋼鉄よりも硬い右のローキックが打ち込まれ、骨も靭帯もまとめて裁断したのだ。そのあまりに強大な威力は、二本の足をまるごと折った。吼介の右の一撃で、両足の膝を粉砕された禿げ頭の巨体は、その場に崩れ落ちて膝立ちになる。
「ぎゃあああああッッ――ッッ!!! 痛ええええッッ――ッッッ!!! 痛ええよォォォッッッ!!!」
激痛と恐怖に、七菜江をさんざん蹂躙して楽しんでいた大男は、幼児のように泣き叫ぶ。修羅と化した戦闘士に、慈悲の心などあろうわけがなかった。
喚く顎を鷲掴む。
右の拳を引いた破壊神は、バズーカの照準を、泣き崩れたスキンヘッドの顔に合わせる。
この至近距離から、骨ごと粉砕されるのは確実な豪打を、よりによって顔面に撃ち込もうというのか。
「ひえええええッッ~~~ッッ!!! やめてぐでえええッッ!!! た、たずげでぐれええええッッッ!!!」
膝立ち状態の倉田の股間が、みるみるうちに濡れそぼっていく。大男は失禁していた。
工藤吼介のパンチを顔面にもらう。そこから連想されるのは、「死」以外に有り得ない。
ただ、鼻が潰れるか、顔に穴が開くか、脳みそをぶちまけるか、首が千切れ飛ぶか・・・どの程度の損傷ですむかが変わるだけだ。
「殺しは、しない。てめえには、それ以上の恐怖を味わってもらう」
ゴオオオオオッッッ!!!!
台詞の終了と同時に、迫撃砲並の右ストレートが、固定された倉田の顔面にへと飛ぶ。
豪風が涙と涎でグショグショになった顔を打つ。
パン! 甲高い炸裂音が、夜のプールにこだまする。
「あひぇッッ・・・ひゅえええ・・・ぎひいいッッ・・・・・・」
硬質化して黒光りする拳は、泣き崩れた顔面の鼻先で止まっていた。
寸止め。
先の破音は、猛打により巻き起こった風が叩きつけられた音だった。
「あひッ、あひいいいッッ・・・ヒイイッッ・・・ヒイイイッッ~~・・・」
ガクガクとスキンヘッドが縦に揺れる。
防波堤が壊れたように、涙と鼻水が凄まじい勢いで溢れ出る。見開いた眼は、なにも映してはいない。剥き出した黄色い歯の間からは、蟹を思わせるアブクが、留まることなくゴボゴボと噴き出す。足元にできた水溜りからは、夏の夜風に乗って、アンモニアの異臭が漂い始めた。
倉田は発狂していた。
「夢の中で、永遠に死の恐怖に脅えてろ。それがてめえへの罰だ」
濁った倉田の網膜に刻み込まれた映像。
迫る死神の右拳。
確実な死に際し細胞も意識も震えあがり凍えあがる、人生最悪最期の経験を、倉田は記憶の中で繰り返し繰り返し・・・未来永劫繰り返し・・・その50年以上の余生を、恐怖と絶望のみに取り憑かれて生きることを、余儀なくされたのであった。
人間一体を“破壊”した究極の肉体が周囲を見遣る。
狂気に縁取られた美貌の復讐者と、巨大風船のごときハーフの双子は、幻のように忽然と姿を消していた。
闇に閉ざされたマンモス校、聖愛学院の巨大な正門を、ひょこひょこと左足を引き摺りながら、ひとつの人影が潜り抜ける。
月の光に浮びあがる、極厚の肉の壁。女性の脚より太い腕には、ズタズタに破れた制服に血を滲ませた、憔悴しきった少女の肢体が抱えられている。ダラリと垂れ落ちた傷だらけの腕が、死んだように眠る少女が受けた、過酷な拷問の凄まじさを物語る。
夏の熱気を裂いて、一陣の夜風が頬を打つ。
血臭を漂わせながら、瀕死の少女を抱いた筋肉の小山が、ひとけのない夜道を歩いていく。
「あれほど言ったのに、手を出したわね」
行く先を遮るように、ひとりの女が道路の真ん中に立っている。
夜目にも鮮やかな赤いスーツ。腰までの長い黒髪。天才彫刻家が生み出した、美神のマスク。闇の瘴気を我が物とし、色香のテイストを付け加えたような妖艶な魔女・片倉響子は、欠点ひとつない完璧なる美貌を凍りつかせ、無感情な声を投げ掛けた。両手を腰に当てて佇む姿は、高慢であり、不満げであり、どこかエロティックであった。
「よく、言う。じゃあ、ここを教えたのはなぜだ?」
足を止めた工藤吼介は、落ちついた口調で問い返した。
「試したのよ」
「試す?」
「あなたがそのコを、どれだけ大切に想っているかをね」
「こいつが死んだら、困るのはお前も同じだろ?」
涼しげな風が吹き抜ける。
妖艶な魔女と、究極の魔人の間に、静かな時が流れていく。
「けど、さすがのタフなそのコも、今回ばかりはダメかもね」
「・・・」
「見たでしょ、どれだけ痛めつけられたか? あそこまで徹底的にやられて、果たして復活できるやら・・・」
「消えろ」
瞬時にして、緊張の空気が世界を覆った。
「今すぐ消えろ。警告は、以上だ」
ゴクリ、という生唾を嚥下する音が、やけに大きく蒸し暑い夜に響く。
冷酷ともいうべき無表情だった女教師の額には、暑さのせいではない汗が、生々しく浮び上がる。
数歩、後ろに下がった深紅のスーツは、くるりと踵を返すと、無言のまま、闇の奥に溶けこんでいった。
妖艶にして危険な薔薇の気配が、完全に消え去ったことを確認して、吼介は胸で眠る、血のこびりついた美少女の顔を覗き込む。
「蘇れ、七菜江」
少女離れした肉感的な肢体を抱く腕に、力を込める。若い弾力が、セーラーの上から伝わってくる。
意識を失っている少女に、囁くように男は独白を続けた。
「知っていたさ。お前が青いファントムガールであることは。初めて現れた時から。あの女に教えられなくても」
返事をするわけがない少女の柔らかな頬に、男は硬い頬を摺り寄せた。
「だってオレは・・・ずっとお前を見てたんだぜ」
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