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「第七話 七菜江死闘 ~重爆の肉弾~」
18章
しおりを挟む虫の鳴き声が聞こえてくる。
東京などの都市部と違い、まだ周囲に自然が多く残っているこの地方では、この季節にはちょっとした草むらなどから騒々しくも涼しげなコーラスが流れてくるのは当たり前の光景だった。
夜の校庭。この地方随一のスポーツ校であり、不良校でもある大東亜附属高校の正門をくぐった霧澤夕子は、広大な黒土の上でひとり風に吹かれている。
滝のように浴びせられる虫の合唱は、喧騒と呼んでも差し支えない程度のものだったが、夕子には今立っている場所が、不気味なまでに静まり返って感じられた。理由は簡単、他に誰もいないからだ。昼の賑やかさとは打って変わった表情を見せる夜の学校に、戸惑いともいうべき警戒心が高まっていることを夕子は自覚する。
静かだ。そして暗い。吸い込まれそうなほど。
だが、この闇のヴェールに覆い隠されたような敷地のどこかに、傷付き倒れた藤木七菜江の姿があるのは、間違いないことなのだ。
遠目ではあるが肉眼で灰色と茶色の肉鞠を目撃し、無事に桃子を運び終わったあとで見た五十嵐家のモニターで、サリエルとビキエルの姿をじっくりと確認した夕子は、ファントムガール・ナナを葬った敵の正体が、大東亜附属高校ハンド部のエース、カズマイヤー姉妹であることを確信していた。トランスフォームを解除した七菜江を、3人の男たちが連れ去ったまでを政府が管理する衛星は捉えている。彼らのアジトともいうべき場所で、瀕死の七菜江が拷問を受けていることは想像に難くない。一体、どこに連れていかれたのか・・・? 久慈のような金持ちの子息でもない限り、ひとりの少女を監禁できる空間を確保するのは、決して容易い作業ではない。さらに、敵は複数であることを考えれば、相当広い場所に連れていかれ、多勢によるリンチを受けている可能性が高かった。カズマイヤー姉妹が用意できる広い場所・・・明晰な頭脳を持つ少女が出した答えはひとつだった。
鮮やかな赤髪の少女は、銀色に輝く首輪にそっと手を添える。
彼女の体調を送信すると同時に、マザーコンピューターからのデータを受信できる小型発信機は、ちょっとオシャレなアクセサリーに見えなくもなかった。その存在は激しく癪に障るものでありながら、いざという時に頼りになるのが、サイボーグ少女にとってはジレンマだった。
政府が極秘裏に飛ばした情報衛星は、遥か上空からにも関わらず、人物の判別ができるまでに詳細な地上の様子を捉えることができる。ただ、夕子に送られてくるものは、データ容量の都合上、せいぜい人物の存在が確認できる程度のものまでが限界だった。また、一度に確認できる範囲は狭いため、今回や以前里美が捕まったときのように、探索をする場合には必ずしも有効ではないのも、夕子にとっては歯痒いところだった。
ピピ・・・
かすかな電子音が、銀の首輪の内側で鳴る。
コンピューターにアクセスしてから約2分、ようやく大東亜附属高校、全ての敷地の調査が終わる。
「ここは・・・プールね」
夕子の脳内に浮びあがった、デジタル的な平面地図。
プールと思しき場所に、この時期、この時間に、あまりに不自然な数の人間が集合していることを、機械少女は突きとめた。
黒土がめり込む。
黒の半袖Tシャツにクリーム色のスカートを合わせた格好のサイボーグ少女は、グラウンドの土を蹴って、闇に沈んだスポーツ校のプールへと走り出していた。
「こいつ・・・なんてシブトイんだ・・・」
茫然とした呟きが口から洩れ出ていることに、巨肉姉妹の姉・サリーは気付いていなかった。
視線の先にあるびしょ濡れの美少女。
ところどころに血を滲ませ、グラグラと揺れるスポーツ少女が、破壊の嵐に晒され、精魂尽きたはずの肉体を立ち上がらせている。
開きっぱなしの唇は吐血で朱色に艶かしく光り、透けた制服の上に屹立した乳首がふたつ浮きあがっている。ムッチリと引き締まった脚はガクガクと震え、内股で50kgに満たない体重を支えるのがやっとだった。性の蹂躙により、このあどけなさが残る少女の官能の炎が燃え盛っているのは確実だった。一方で丸みを帯びた芸術的な肢体は完膚なきまでに叩き潰され、指一本で押すだけで瓦解するほど弱っているはずだった。
肉体も精神も、崩壊寸前まで嬲られ尽くした、敗北の少女戦士・藤木七菜江。
惨めで、哀れですらあるはずの目障りな宿敵は、サリーの認知し得ない不思議な力で、奇跡的な現象を起こして立ち上がっている。
なぜだ? どうして?
不屈の闘志なのか、アスリートの底力なのか、本当に奇跡なのか・・・これほどの凄惨なリンチを受けながら、尚屈しない小柄な少女に対し、サリーは恐怖に似た感情が芽生えてきたことをほのかに感じていた。そしてもうひとつ、尊敬ともいうべき感情も。双子の妹の胸にも、それは去来しているであろう。恐らくは無自覚のまま、ふるふるとかぶりを振っているビッキーの丸い顔は、暑さのせいではない汗でびっしょりと覆われているが、ぎょろりとした双眸には幼女のような輝きがわずかながら灯っている。
「ここは私ひとりでいいわ。サリー、ビッキー、下がってなさい」
高慢を音にしたような口調で、柴崎香が命じる。
七菜江にプライドを踏み躙られた、美しき容貌を持つ女子高生には、憎悪の視線しか窺えなかった。あくまで抵抗してくる後輩の姿が、復讐鬼と化した彼女の苛立ちを倍増させる。立っているだけでやっとの七菜江を、真正面から打ち破り生意気な心を砕け散らせる・・・少女戦士の徹底的な破壊を目指す般若は、この場合もっとも効果的な“七菜江殺し”を悟っていた。
このガキを殺すのは簡単だ。
だが、もはや嬲り殺す必要はない。いま、一番やるべきことは、この私には敵わないということを叩きこむこと。どこか心の奥で、正々堂々と闘えば勝てると勘違いしてるのに違いない小娘を、決して私には勝てないことを教えて、奈落の底に突き落としてやること。
そのときこそ、ひまわりのような天使は絶望に打ちひしがれ、真の敗北を迎えるのだ。
年不相応の色香を纏う、魅惑の鬼女の右手が奇妙な形に変形する。肘から先が瓢箪のようになり、鋭い銀の針が飛び出る。己の勝利を寸分も疑わぬ香の美貌は、戦慄するほど禍禍しく歪んだ。完璧なる美の造形と、恩讐に満ちた悪意とが混同して生み出された悪の華が、必殺の暴風を撒き散らす。
くる。
壮絶な笑顔を刻んだまま、復讐の悪鬼が一歩を踏みだす。
右足、左足、右足・・・
その一歩、一歩を見詰めながら、ガクガクと震える身体を抱きしめ、七菜江は己に迫る殺意を待ち受ける。
待つしかなかった。自らの命と引き換えにしてでも、香を倒す覚悟を決めた無垢なる天使。だが、死を賭してまで手に入れた反撃の力は、たった一撃分しかない。歩くことすらままならぬ美少女は、敵が近付いてくるのを待つしかないのだ。
“も・・・う・・・・・・どうなっても・・・・・・い・・・い・・・・・・た・・・だ・・・・・・一発でも・・・・・・”
己の運命を悟った七菜江は、悲壮な決意を固めて、人生最期の敵となるであろう先輩に、渾身の一撃を狙っていた。今の七菜江に許されたのは、それが限度だ。
たった一発・・・一撃で敵を倒すには。
満足な思考も許されぬまでに蹂躙された被虐天使の脳裏に、それだけ鮮やかに工藤吼介との会話が蘇ってくる。
“顔面しかねえな”
常に泰然とした男臭い顔は言った。
“オレくらいの打撃力があるならともかく、普通は一撃で倒すには、顔を狙うしかない。警戒されてても、な”
狂った笑顔が、立ちすくんだ天使の目前に立つ。
一瞬の、静寂。
プールサイドに涼しい風が吹き通る。
ゴクリ、と生唾を飲む双子。
瓢箪の先に生えた針が、暗い照明灯を反射して動くのが見える。
動けないはずの少女戦士の右足が、霞む。
風が唸る。命を賭けて放ったハイキックが、凶悪な笑みを浮かべた美貌へと襲いかかる。
なんのフェイントもない、単調な一撃。
しかしながら、抜群の運動能力を誇る少女の、全力の一撃。
当たればK.O.は免れない神速の上段蹴りが、聖少女の全てを乗せて、復讐鬼の顔面に迫る。
「ッッ!!」
よけた。
柴崎香はよけていた。
高い鼻梁の先をかすめた右足が、わずかに上半身を反らした香の顔面を通りすぎていく。
蹂躙により、真の力を封じられた七菜江。
『エデン』により、身体能力をあげた香。
十分に顔を狙ってくることが予想できた状況。
それら全ての要因が重なり合って、正義のヒロイン命懸けの一打を、卑劣な悪の華がよける無慈悲を生む。
「アーッハッハッ! 死ねッッ!! 七菜江ッッ!!!」
ハイキックの勢い余って背中を見せるショートカットに、右腕の針を光らせた般若が踏み込む。
完全に振り返ってしまった無防備な少女の背中が、香の破壊欲を滾らせる。
その柔らかな肉に、毒針を突き立ててやる――
血走った瞳が、暗黒の嗜虐心に輝く。
生意気で忌々しい後輩の最期。毒を存分に打ち込み、血を吐き散らしながら苦痛に絶命する七菜江の無惨な姿を看取る・・・夢見たシーンを間近に控え、香の心は歓喜する。
その時、見た。
視界の隅、下方から“なにか”が撥ねあがってくるのを、香は見た。
左足。
七菜江の左足。
後ろ廻し蹴りというより、ソバット。ローリング・ソバットの要領で、回転する超少女の左足が撥ねあがってくる。
フェイント。右のハイキックはフェイント。
瀕死のアスリート少女が仕掛けた罠に嵌ったことに気付き、乗り出した体を後退させようとする香。だが、一度前に向かった肉体を、慣性の法則を無視して動かすには、七菜江の追撃はあまりに速すぎた。
「~~~ッッッ!!!」
ドボオオオンンンッッッ!!!
砲撃のごとき炸裂音が、プールサイドを駆け巡る。
垂直に浮きあがった香の華奢な肉体は、海老のように丸まった姿勢のまま硬い大地に落下する。
七菜江の命を賭けた一撃は、ものの見事に悪鬼と化した女子高生の鳩尾に突き刺さっていた。
足の動きで、最も力を出せる動きはなにか?
蹴りあげる動きでも、振り回す動きでもない。常に立ち、歩く人間の足が、もっとも自然に鍛えられている動き、それは“踏む”という動きに他ならない。
その“踏む”力を最大限に生かした打撃技、それがソバットである。
回転力を利用して振り回すのではない。回転力を加えつつ、“踏む”ように足を突き出すのだ。
顔面以外の場所でも、一撃で敵を倒せる必殺技。非力な女子供でも、強大な相手に力で対抗できる、唯一といっていい技を、七菜江は最期の技に選んだのだ。
健気な少女は、自らがこの地で処刑されることを悟っていた。
どんなにがんばっても・・・どう足掻いても・・・この窮地を脱出できる力も方法も皆無であった。
たとえ香を倒したところで、残り5人を相手にどうすることもできない。そして、その香ですら、KOできても素手で滅することなどできはしない。
己の死をも省みず、最期の抵抗を試みた七菜江だが、その結末が犬死であることも悟っていたのだ。
ただせめて・・・せめて一矢を報いたい。
正義の使者としてか、ひとりの少女としてか、儚い意地だけで立ちあがってきた守護天使は、己を陥れた悪女への一撃に、もっとも苦痛を与える技を選んだのだ。
意識を刈り取る頭部への打撃と違い、地獄の悶痛を与え続ける腹部への打撃は、被爆者を数日間に渡って壮絶な苦しみに沈める。吐き気、悪寒、内臓の軋む苦痛・・・呼吸すら満足にできぬ生き地獄が、全身を絡め取るのだ。
「あたし・・・・・・・の・・・・・・・何十分の・・・・・・1かの・・・痛み・・・・・・少しは・・・・・・思い・・・知れ・・・・・・・・・・」
とっくに腹部を破壊され、さらにこね回されていた七菜江が、ガクリと両膝を折る。
限界は、来た。
全身を脱力させ、ぐったりとその場にしゃがみこんだ超少女に、もはや一片の体力も残されてはいなかった。
背中を丸め、腕も頭も垂れ下がらせた、無垢なる天使。
ぼんやりと灯る虚ろな瞳には、目の前で倒れ伏す、ウェーブのかかった長い髪を映している。
倒れこむふたりの美少女に気圧されたのか。
周囲を囲む5人の傍観者たちは、声を発することなく茫然とこの光景を眺めて立ち尽くしている。だが、まもなく正気に戻った彼女らは、処刑すべき相手である七菜江を捕らえて、最後のトドメを刺すだろう。正義の少女には、それがわかっていた。今はただ、静かに“その時”を待つだけだった。
「・・・・・・ッッ!!!」
空気がざわめく。
このプールサイドに、驚愕を飛び越えた衝撃が走るのは、何度目のことだろうか。
だが、今度ショックに声を失ったのは、先程奇跡の復活を見せた、七菜江の方だった。
柴崎香が立ち上がっている。
口元から深紅の粘液を垂れ流し、腹部を左手で押さえながらも、狂った笑顔を咲き乱して、復讐の女子高生は立ち上がっていた。
その美貌は真っ青に変色し、夥しい汗が胸元まで濡れ光っている。明らかに、七菜江の一撃は効いていた。それなのに香は、笑みを浮かべて動けぬ七菜江を見下ろしている。
「・・・あ・・・・・・アア・・・・・・」
半濁した瞳を、超少女は見開いていた。
香の肉体を打ち抜いた一打、その確かな足応えが、少女にソバットの威力を教えていた。内臓は間違いなく潰れているはず。それなのに、地獄の悶痛に耐えて香が立ちあがってくるのは・・・
“あたし・・・への・・・・・・・恨み・・・・・・・”
巨大で、深遠な、七菜江への憎悪。
尋常ならざる憎しみの怒涛をまともに浴び、身も心も疲弊しきった純粋少女の闘志が吹き消されていく。
“あ・・・たし・・・・・・こんなに・・・・・・憎まれて・・・たんだ・・・・・・・・この・・・ひとに・・・・・・・勝てるわけ・・・・・・・ない・・・・・・・・”
絶望する少女の顔面に、立ち上がった般若の下段蹴りが吸い込まれる。
グシャリ! という肉の潰れる音を残して、失神した七菜江の肢体は大の字に仰向けになる。
「アーッハッハッハッハッ!! アーッハッハッハッハッ!!」
復讐者の狂った哄笑が、プールサイドに響き渡る。
仰向けに倒れる敗北天使を、踏む、踏む、踏む。
顔面を踏み、豊かな胸の丘陵を踏み、潰れた腹部を踏み・・・しっちゃかめっちゃかに、全ての肉片を踏み潰す勢いで踏みまくる。
顔面を染めた血飛沫が、少女の肢体を、コンクリートの床を、香の足の裏を、鮮やかな赤で汚していく。
悲鳴をあげることすらなくなった幼き天使の指先が、ビクビクと痙攣して、少女の破滅を知らせる。
「どうだアッッ、七菜江ッッ!!! どうだアアッッッ!!!」
ピクリとも動かなくなった少女のショートカットを鷲掴み、鼻血と吐血とで真っ赤に染まった可憐な顔を、復讐の悪鬼は引き摺り起こす。
ヌラヌラと、己の血で濡れ光る、キュートな容貌。
眉をひそめ、形のいい唇をパクパクと開閉させる七菜江の顔は・・・・・・
勝気で純粋な少女戦士の顔ではなく、許しを乞う敗北者のそれであった。
柴崎香の「七菜江抹殺計画」は、こうして完成の時を迎えた―――
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