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「第六話 里美秘抄 ~野望の影~」
15章
しおりを挟む黒塗りのセダンカーが、高速道路を降りてから20分が経っている。
時刻はすでに11時を回っていた。都会では宵の口といえる時間帯も、地方都市ではほとんどの店が灯りを消す、真夜中に分類される。日中はそれなりに賑やかなはずの通りも、今ではコンビニか牛丼やの看板が目につくぐらいのものだ。
東京から休むことなく走り続けている車の中は、静まり返っていた。それは別段、珍しいことではない。必要がないから喋らない。ただそれだけのことだった。
運転手以外に、後部座席にふたり。
40代半ばと思しき眼鏡の男と、一回りほど若い逞しい体つきの男。
目的地に向かって、3人の男を乗せた車は、夜道を滑るように走っていく。
何度か目的地に行ったことがある運転手は、近道を通るため、中心地を離れるコースを選択する。
店の明かりがさらにぐっと減少する。
機械の部品を作っているという、この付近で一番大きな敷地を持つ工場を横に見ながら、震動の少なさが自慢の車は進んでいく。
パン! かすかな破裂音が聞こえる。
水の上を滑るように走っていた車が、急にバランスを失う。
慌ててブレーキを踏む運転手。長年の経験で培ったハンドル捌きで、車は事故を起こすことなく停車していた。
「すいません。パンクしたみたいです」
頭部が禿げあがった運転手は、そそくさと車を降りる。後部座席に座る彼の雇い主が、多忙を極めるのはいつものことだったが、今日は突然こんなところまで行くよう命令されたため、早く任務を終わらせたい気持ちは、通常以上だった。まったくついてない・・・口の中でごちながら、操縦が不自由になった左の前輪を調べる。
工場の白い壁が、ずっと続く長い道。
ポツンポツンと立っている街灯のほかには、光も人影もない淋しい光景の中で、夏の虫たちの鳴き声だけが騒々しい。この辺りにはまだ自然が残っているようだ。
「遅いですね」
若い男が呟く。隣の男の秘書という立場である彼は、目的地まで迫りながら、遅々として進まぬ作業に苛立ちを感じているようだった。車を降りた彼は、タイヤの近くでうずくまったまま動かぬ運転手の元に近寄る。
「おい、直せないのか?」
ポンと肩を叩く。
硬直した運転手の身体が、そのままゴロリと横に転がる。
禿げた頭の半分を抉り取られていた運転手は、絶命していた。
「――こッ! これは・・・」
ボンッッ! という爆発音。
セダンカーの窓に、大量の鮮血がぶちまけられる。
闇から飛来した凶器によって、秘書の頭部は粉砕され、車を汚す結果となった。
首から上を無くした死体が断末魔に震え、数秒後仰向けに倒れていく。
目撃者のいない路地で、あっという間に行われた惨劇。
ひとり残された眼鏡の男が、険しい表情を刻んだまま、後部座席で微動だにしない。
コンコンと、車の窓をノックする音。
低いトーンの男の声が、車中に語りかけてくる。
「出てきてもらおうか」
眼鏡の男は、黙って指示に従った。
銀縁の眼鏡と七三に分けた髪は、生真面目な印象を与えるが、眼光の鋭さと尖った顎は鷹のようだ。180cm近い身長も、この年代ならかなりの高さといえる。痩せてはいるが、スーツの上からでも引き締まった肉体が包まれているのがわかるほど、精悍さが溢れ出ている。
「菱井銀行頭取、五十嵐蓮城で間違いないな」
車を降りた経済界の大物は、襲撃者と顔を会わせる。
意外なことに、ふたりの部下を殺した賊は、口髭が印象的な顔を隠すことすらせずに、堂々と目の前に姿を現していた。あるいはそれは自信の表れなのかもしれない。
「ひとつ忠告をしておく」
蓮城の声は、威厳に溢れたものだった。並みの財界人ではない、生まれ持った強者の資質ともいうべき力感が、風貌から、佇まいから、豪風となって叩きつけてくる。対峙する黒づくめの賊の背に、冷たいものが落ちてゆく。
(なるほど、これがあの里美の父親、五十嵐蓮城か)
一方で賊の中で、歓喜にも近い感情が沸きたってもいた。
「金目当てなら、全くの徒労だ。我が社員の内に、私の命と引き換えに金を出す者など皆無だ。そう教育してあるからな。人質が私以外の者でも同様だ」
「誘拐など、面倒なことはせん。オレが興味あるのは、頭取ではなく、御庭番頭領である五十嵐蓮城だ」
黒い襲撃者が、黄色の巻紙を開いて鷹の眼光を持つ男に見せつける。
そこには里美が次期頭領の座を譲る内容と、彼女の血で押された拇印が刻まれていた。
「伊達宗元というのか」
「そうだ」
「五十嵐に代わって現代忍者の頂点に立つのが望みか」
「貴様を殺してな」
「里美を殺したというのもお前だな」
「そう言えば、必ず貴様はここに戻ってくると思っていた。今は里美が主人になっている、五十嵐家の本宅があるこの街にな。だが、殺したのは嘘ではないぞ」
「そうか」
「哀しまないのか」
「草の者が、随分甘いことをいう」
蓮城の声に澱みはまるで感じられない。
娘を惨殺した怨敵が、目の前にいるというのに、怒りも哀しみも微塵も感じさせない。忍者の頂点に立つ男の精神力に気圧されると同時に、“本物”と会えた喜びが伊達宗元の細胞に溢れていく。
この男を。
この男を殺せば、オレが忍者の頂点だ。
つい数日前まで、夢にさえ見なかった大いなる野望が、あの「闇豹」と出会ったことをきっかけに叶えられようとしている。
3つの『エデン』をくれるよう頼んだ時は、さすがに嫌な顔をされたが、契約通り五十嵐里美を葬ったのだから、満足してくれるに違いない。
五十嵐蓮城がどれほどの実力を持っているかは知らないが、『エデン』の寄生者である里美を、あれほど容易く始末できたのだ。普通の人間である蓮城が、今の伊達より強いとは思えない。
「愚かな男だ、伊達宗元」
黒い妄想にふける暗殺者の脳を、冷ややかな声が現実に戻す。
「くくく・・・ほざけ」
「第一に、お前は致命的なミスを犯している」
「なんだと?」
「現五十嵐家の当主は、私ではない」
衝撃が、反逆の忍者の意識を反転させる。
「そしてあともうひとつ、まだ気付かないのか?」
「な、なにィッ?!」
「里美が本気ならば、お前はもう3度は死んでいるぞ」
ドクンッッッ!!!
氷の手に心臓を鷲掴まれる心地に、伊達宗元は振り返る。
工場の建物、その屋上。
黄金に輝く満月を背後に、優雅な風を纏った芸術的なシルエットが浮ぶ。
広がる絹の髪、彫像のようなプロポーション、波打つ青いセーラー服。そして・・・神秘的なまでの超美貌。
「い、五十嵐・・・里美」
哀愁か憤怒か。
いや、そういった単純な言葉では説明できない感情を、瞳に宿した令嬢戦士が、神々しいまでの月をバックに反逆者を睥睨している。
蒼い炎。
戦慄するまでに美しい里美の、瞳に燃える蒼き炎が、少女を抹殺したと思い込んでいる伊達を圧倒している。
「相変わらず甘いな、里美。不意を打てば、お前の存在に気付かぬこの男を、死すら気付かせぬまま葬れたろうに。敵に情けをかけるとは」
「それは違います、お父様」
いつもなら、虫の音よりも心安らぐ里美の声に、伊達は冷たい意志を聞き取っていた。
「反逆者、伊達宗元には恐怖と屈辱の中で死を与えることで、罪を償わせます。宗家に歯向かった、愚かな罪を」
「き、貴様ッッ!! なぜ生きているのだアッッ?!!」
咆哮する暗黒忍者。四方堂亜梨沙が、里美の身代わりとなって死んでいった事実を知らない彼は、始末したはずの美少女くノ一の復活に激しく動揺する。確かに八つ裂きにしたのに・・・あれだけ切り刻んでも死ななかったというのか? いや、そんなわけはない。『エデン』の保有者であろうが、あの傷で生きていけるわけがない。何人もの人間を闇に葬ってきた伊達には、少女を貫き刺した忍刀の手応えがはっきりと残っている。
「里美よ、安藤からはお前が死んだという報告を受けたが」
「敵を欺く前に、味方を欺きました」
「だが、この男に遅れを取ったのは事実のようだな」
「申し訳ありません。仕置きを受ける覚悟はできています」
「この男に勝てるか」
「勝ちます」
まばたきひとつせず、父は風の中の娘を見詰める。生きていた娘への喜びも、闘いに赴こうとする心配も、頼もしい佇まいへの感心も、表面にまるで現すことなく。
「ならば、子供のケンカに親はしゃしゃり出ぬようにしよう」
黒い雷鳴と、白い竜巻が同時に天地を揺るがす。
郊外の機械部品工場に、巨大な女神と暗黒忍者は現れた。
銀色の守護天使・ファントムガールと、茶色の肌に黒い甲冑を装着したトカゲ忍者・クサカゲの死闘、第2ラウンドのゴングが、住宅もまばらな街の外れで高らかに鳴らされたのだ。
「なめるなッ、ファントムガール! 生きていたなら、また地獄に落とすまでよ!」
黒い頭巾の中で、深紅の双眸が不気味に輝く。
前回の闘いで圧勝している相手。最終奥義・曼朱紗華により、ファントムガールは自ら敗北を認めてしまったほど、完膚なきまでクサカゲに叩きのめされている。なのに、暗黒忍者の心には、勝者の余裕が露ほどにもなかった。むしろあるのは不安。
“なぜだ、なぜ生きている・・・? しかもあれほど痛めつけられたというのに、なぜまた闘いを挑む?”
崖の上での場面を、知らず思い返す野望の忍者。
刀の感覚、絶望した里美の顔。崖下に落ちていった少女の死体を見たわけではないが、あの傷で生きられるわけがないのだ。だが、ファントムガールに変身した以上、目の前にいるのは間違いなく本物の五十嵐里美。
「むッ?!」
ファントムガールが、いない。
思考に気を取られたクサカゲの虚を突いて、銀色の天使が動いたのだ。ただでさえ、そのスピードは反逆者を凌駕している。一瞬の隙を突かれ、完全に敵の姿を見失ったクサカゲは、慌しくキョロキョロと周囲を見回す。
いない。
見えない。
存在の残滓はそこかしこに残っている。逃げたり、巨大化を解除したわけではない。確かに近くにいるのはわかる。
だが、“気”を消失させたくノ一戦士の居場所を、動揺する暗黒忍者は捕らえることができない。それはむしろ、クサカゲが得意とする戦法だった。
「お、おのれッ!! どこだッ?! どこにいるファントムガールッ?!!」
己の得意技を仕掛けられ、甲冑忍者の動揺はますます大きくなる。みっともないまでに慌てふためくクサカゲ。興奮するほど集中力は失い、気配を探ろうと焦るほど敵を見失っていく。そんな精神構造など、とっくに承知しているはずなのに、闘う前から動転していた暗黒忍者は、自らの手でどんどん深みに嵌っていく。
「そこかッ?!」
漆黒の鎖を、工場建物のひとつに飛ばすクサカゲ。
紙細工のように容易く砕けるコンクリートのビルは、そこに何者も隠れていなかったことを甲冑をした巨大トカゲに教える。
ギリ・・・頭巾の奥で歯を噛む音が洩れる。
その背後に立つのは、白銀の棍棒を構えた銀の女神。
「うッ!」
突然聞こえた呻き声に、甲冑忍者は振り返る。
漆黒の鎖を首に巻きつけたファントムガールが、予想だにしない別方向から飛んできた鎖の呪縛に、もがき苦しんでいる。
宗次に助けられたか。
全くファントムガールを見失っていたクサカゲ・伊達宗元は、同じ姿をした弟の援護を密かに思う。
今、里美と対峙している長兄の宗元は、確かに動揺しているが、常に近くに身を潜め、影となって援護するふたりの弟宗次と宗三は、直接里美と相対していないため、冷静さを保っていた。背後を取られた宗元を救ったのは、死角から飛ばした弟の鎖だ。
これこそが、伊達宗元の強さの秘密。
ひとりに見せながら、身を隠しつつ3人で標的を葬る。気配を消すことに長けた伊達3兄弟にとって、この戦法は実に効果的といえた。
分身の術のからくりも、そうと知れば子供だましのような単純さだが、動揺する敵にはまず気付かれない。気付くころには、息の根は止まっていた。
そう、現実には3vs1の闘い。
いくら里美が謎の復活を遂げようと、何度闘いを挑もうと、このオレたちに勝てるわけがないのだ。
だが・・・弟の助けがなければ、間違いなくファントム・クラブで頭を粉砕されていたことを思うと、戦慄が背筋を駆け登る。
「貴様ッ!!」
背後を取られていた怒りと恐怖が、クサカゲを反射的に攻撃させる。振り返ると同時に、黒い鎖を胸のエナジークリスタルに飛ばす暗黒忍者。
重々しい打撃音を響かせ、鎖はクラブに弾き飛ばされていた。
攻撃が未遂に終わるや、首に巻きついた鎖が外れ、戻っていく。
「ハチの巣にしてくれるわ!」
両手を振る甲冑忍者。無数の手裏剣が銀の女神に迫る。
さらに、手裏剣の嵐が背後から。
左の側面からも。
ファントムガールの肉体が、ミンチになると思われるほどの大量の手裏剣が、三方向からうねりをあげて飛来する。
避難場所は、ない。
凶器のシャワーに囲まれた女神の手には、クラブではなく、白い帯が握られていた。
「ファントム・リボン!」
右腕を上空に伸ばし、自分を軸にして聖なるリボンを高速回転させる。白い螺旋が少女戦士を包み、光のヴェールが一瞬にして完成する。
カカカカカカカカカカカンンンンン・・・
高速回転する防護壁が、必殺の意志を乗せた飛び道具を全て弾き飛ばしていく。手裏剣程度の攻撃力では、リボンのバリアを突破するのは百発、二百発浴びせたところで到底無理だ。
手裏剣の雨が止む。
リボンの端を左手で掴んだファントムガールが、回転を止めて身構える。
甲冑の忍者の姿はなかった。
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