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「第六話 里美秘抄 ~野望の影~」
14章
しおりを挟む「ぐああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
のけぞるくノ一戦士。左眼を押さえながら、もんどりうって漆黒の忍者から距離を取る。
「あああああッッ―――ッッッ!!! 眼がアッッ!! 眼があああッッッ―――ッッ!!!」
吹き矢というより串。3分の1ほど埋まった竹製の棘を一気に引き抜く。押さえた指の間から、ドクドクと真っ赤な血の糸が垂れ流れる。
「フハハハハ! 光を失ったか、五十嵐里美!」
激痛に悶絶する少女に、休む間もなく追撃が加えられる。うねりをあげて飛来する暗黒の鎖。捕獲せんとする邪悪な蛇を、それでも少女忍者は身を捻ってかわし続ける。
“きょ、距離感が掴めないッ!!”
片目を失ったハンデが、小さな背中に重くのしかかる。射程距離を外そうと、制服姿のくノ一は、大きくジャンプした。
その白い首に、背後から飛んできた、漆黒の鎖が巻きつく。
「ぐえええッッ?!!」
“なッ、なんでこんな方向から鎖が?!!”
伊達の不可思議な術に、翻弄される少女忍者。
鎖が完全に動きを封じてしまう前に、縄抜けの術で黒い束縛から逃れる。咳込む美少女は、片膝をついて大地に着地した。
憂いを含んだ切れ長の右眼に、忍刀をギラつかせて突進してくる黒い影が映る。
左眼を灼く痛みも忘れ、苦無を構えるくノ一戦士。
衝撃が、少女を奈落に突き落としたのは、その時だった。
不意に背後に湧いた気配。
羽交い締めに捕らえられた少女が、バンザイの格好で無防備な姿を晒す。
ドズウウウウウッッッ!!!
鋭い刀が、少女の鳩尾中央を貫き刺す。
ゴボリッッ・・・桜色の唇から吐かれた鮮血が、ニヤつく伊達の顔にビチャビチャと降りかかる。
ビクビクと震えながら、五十嵐里美の美しい顔が、ゆっくりと背後の拘束者を振り返る。
「なッッ?!!!」
「くくく・・・そろそろ我々の秘密に気付いてきたかな?」
背後から羽交い締めにした男、彼の顔もまた、伊達宗元のものだった。
目を見開く少女を突き飛ばす。ふらふらとつんのめるくノ一を、前方にいた暗殺者が、抱き締めて捕獲する。
「はくううううッッッ!!!」
ズブリ、という生々しい刺突音。
2本目の忍刀が、白いカッターの背中から腹部に向かって突き抜けている。
滝となって溢れる血潮が、少女の下半身を真っ赤に染め上げていく。ガクガクと揺れる華奢な身体が、両膝をついて崩れる。
「お・・・お・・・お前たち・・・は・・・・・・」
「ハハハハハ! ようやくわかったようだな! だがもう遅い」
ふたりの伊達宗元が、2本の刀を埋めたままの美少女を、両側から抱え起こす。
瀕死の少女の白く濁った視界の中で、茂みを割って新たな人影が崖の上に現れた。
「こっちが正解だったか、五十嵐里美」
かすかに肩を上下させて、3人目の伊達宗元は、下流から戻ってきたところだった。
「ご苦労だったな、宗次、宗三」
「なあに。護衛のいない半死人など、敵ではなかったわ」
黒に覆われた野望の忍者が、忍刀を右手に歩を進める。左眼を失い、血の華を咲かせた哀れなくノ一が、怒りを込めた右眼で睨む中、暗黒忍者は瀕死の少女の鼻先に立った。
「そういうことだ。我らは三つ子の3兄弟」
「これが分身の術のからくりよ」
「だが、我らの秘密を知った者は」
女性らしい肢体を貫通していた2本の刀が、それぞれの主によって引き抜かれる。
赤い噴水が、少女戦士の腹部から2条、勢い良く放出される。
大きく仰け反る血まみれの美少女。
「死あるのみ」
ドスウウウッッッ!! ブシュウウウウッッッ!! バシュウウウッッッ!!
3本の刀が、制服の左胸を、右胸を、鳩尾を、貫き刺す。
少女を捕らえていた拘束が、解き放たれる。
「さらばだ、五十嵐里美」
刀を生やした深紅の美少女が、グラグラとふらつきながら後退していく。
それはくノ一の最期の意地だったのか。
血の糸を引きながら、少女の肢体は崖下へと落ちていった。
伊達3兄弟が遥か下の渓流を覗き込んだとき、すでに里美の姿はなかった。
ただ、絵の具を落としたように、水流に引かれた朱線が一本。
「手間どらせおって」
「これで五十嵐里美の始末はついた」
「よし、行くぞ。あとは現頭領の首をもらうだけだ」
なんの感慨も感じられぬセリフを残して、三人の暗黒忍者が消え去る。
そのまま二度と、彼らの血の染みついた身体が、忍者の故郷に現れることはなかった。
伊賀の山奥には、なにもなかったようにトンビの鳴き声だけが、のどかにこだましていた。
“私・・・なんとか生きてるみたい・・・”
ボロボロの忍び衣装に身を包んだ少女が目を覚ましたのは、白い岩が無数に転がる川岸であった。
河の流れが急激なカーブを描いているため、運良くそこに打ち上げられたのだろう。滝に落下して以降の記憶が途絶えていた少女の胸に、生還の実感がじっくりと湧きあがってくる。
あの追い詰められた崖の上で、ふたりの少女が話した通りの展開だった。
伊達宗元が途中まで追ってきていることには気付いていたが、四方堂亜梨沙の姿を認めるや、元の崖に戻っていったようだった。暗殺者の追っ手がなくなったあとは、自然との闘いだったが・・・神は少女に、まだ生きることを許可したらしい。
疲弊しきった身体を、河原の岩に横臥して休める。照りつける夏の太陽と、水面を横切る涼しい風が、少女に生命の息吹を吹き込むようだ。
その瞬間、全身を巡る血はざわめいた。
上流から、物体が流れてきている。
チラチラと見える白や緑が、亜梨沙の学校の制服であると悟った時、少女の身体は渓流の中に飛び込んでいた。
物体には違和感があった。あってはならない違和感。だが、どう見てもそうとしか思えない違和感に、体力を枯らしたはずの少女の身体は無我夢中で動いていた。
物体を抱える。それは人間だった。
違和感を与えていたものの正体を確認し、悪夢の的中に激しく揺れながらも、元の川岸にまで泳ぎつく。
ハア、ハアと荒い息が続く。
ようやく息が整ったとき、少女の胸に渦巻くあらゆる感情の嵐が、マグマとなって爆発した。
「いやああああああああッッッ―――――ッッッッ!!!!」
渓流を流れてきた四方堂亜梨沙の身体には、3本の忍刀が突き刺さっていた。
いや、突き刺さるという表現は正確ではないかもしれない。切っ先は背中を突き抜け、完全に貫通してしまっているのだから。
激流に流される間に、五十嵐里美に偽装したメイクはすっかり取れてしまい、勝気な亜梨沙の素顔に戻っている。だが、血の気を失った顔は死人のごとく蒼白で、唇は紫色に変色している。
黒の忍び衣装に身を包んだ少女も、同じように里美の素顔に戻っていた。小柄の少女を強く抱き締めながら、狂ったように里美は絶叫した。
「亜梨沙アアアッッ―――ッッ!!!! しっかりしてえェェッッッ!!! 亜梨沙アアアッッ~~~ッッ!!!!」
紫の唇が震える。
うっすらと開く右目。閉じたままの左目からは、朱色の混じった液体が垂れ流れている。長い睫毛の奥に光る右目には、まだ生命の光芒が蛍火のように宿っている。
かすかに動く口が、吐息のようなか細い声を絞り出す。
「・・・・・・だ・・・・・・だて・・・・・・は・・・・・・3・・・・きょう・・・・・・・だい・・・・・・」
「わかった! わかったからもうしゃべらないで!」
恐らく、この作戦を考えた時から、亜梨沙は死を覚悟していたのだろう。
四方堂亜梨沙が、宗家の護衛という重大な任務をひとりで任された理由。その理由を裏付ける彼女独自の秘術、それは類稀な偽装忍術だった。
特殊なメーキャップ技術で、自分はもちろん、他人の顔も全くの別人に変えてしまう。
亜梨沙本人に限っていえば、若干の体格すらも、骨格をいじることで変化させ得るほど、変装技術は極まっていた。
すでに瀕死状態の里美を、激流に飛び込ませるのは大きな賭けであったが、「万能丸」の効果と里美自身の底力に託したいちかばちかの勝負だった。一方で、伊達宗元の追撃は、自ら囮になることで阻止しようとしたのだ。
結果的に亜梨沙の作戦は成功したといえるのだろう。だが、その代償に彼女は己の命を、この山河に囲まれた地で枯らそうとしている。
「・・・な・・・・・・な・・・ななな・・・泣か・・・ない・・・・・・や・・・・・・やく・・・・・・そ・・・・・・く・・・・・・・」
「わかってる、泣かない! だから亜梨沙も、約束通り死んだらダメよ!」
覗き込む里美の瞳から、みるみる透明な雫が溢れ、真っ白な少女の頬に降り落ちる。
命の灯火を振り絞り、見事役目を果たした小柄なくノ一が、想いの丈を、掠れゆく最期の言葉に乗せる。
「・・・・・・こ・・・ここ・・・れ・・・・・・・が・・・・・・・・ア・・・アア・・・アリ・・・・・・サ・・・・・・の・・・・・・・・し・・・しし・・・・・・ししし・・・・しめ・・・・・い・・・・・・」
腕にかかる少女の重さが急に増す。
ついに吐息は音が出なくなり、少女忍者最期の言葉を、唇の形が物語る。
「あ」・・・・・・「な」・・・・・・「た」・・・・・・「で」・・・・・・
「いやああああああッッッ~~~~ッッッ!!!! 亜梨沙アアアアッッッ~~~~ッッッ!!!!」
「よ」
「か」
「っ」
「た」
ガクンと、少女の頭が垂れる。
右目に浮ぶ光芒は、虚無に包まれていた。
「~~~~~~~ッッッッ!!!!」
人里離れた山河の地に、五十嵐里美の慟哭が、轟いた。
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