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「第六話 里美秘抄 ~野望の影~」

9章

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 「わがまま言うな、か」
 
 頭の中で繰り返される四方堂亜梨沙の言葉を、里美は知らず呟いていた。
 亜梨沙がいう意味は、よくわかっているつもりだった。仲間の力を借りず、ひとりで闘いたいというのは、どう理由付けしようとしたところで、わがままであることには違いない。まして、万全には程遠い体調であるのだから、護衛役の亜梨沙としては堪ったものではないだろう。
 だが、ここで誰かに頼ってしまったら、なんのためにここに来たのかがわからくなる。頼りたくはなかった。頼ってはいけなかった。誰にも。ひとりで闘い切る、強い自分にならなければならなかった。
 
 左頬が、まだヒリヒリと痛む。もっと痛むところが胸のあたりにある。
 なぜこんな気持ちにならなければいけないのだろう?
 なぜ亜梨沙に叱られねばならなかったのだろう?
 なぜこんな辛い想いをしなければならないのだろう?
 私は間違っているの? 間違ってても、皆が幸せになれるんならいいんじゃないの? このやり方じゃ幸せになれないの? どうすればいいの? 頼って生きていくの? わがままじゃダメなの? みんなの気持ちを背負わなくちゃいけないの? 逃げちゃダメなの? ひとりで闘っちゃいけないの? どうすればいいの? どうすればいいの!
 
 「貴様・・・」
 
 「要は・・・私が強ければいいのよ! 亜梨沙を、みんなを、心配させないように。守ってもらわなくてもいいように!」
 
 凛とした美少女の声が、暗黒の森に響き渡る。
 人が通る道の絶えた山奥の、さらに奥。地図にさえ載ってないような大自然の中で、焚き火の炎が、対峙するふたつの影法師を照らし出す。夏とはいえ、冷え込みはじめた真夜中に浮ぶ、ふたつの影。
 
 五十嵐里美と伊達宗元。
 
 つい数時間前に刃を交えたふたりが、再び殺気を全開にして向き合っている。先と同じように黒づくめの服で身を固めた伊達に対し、里美の格好は完全な戦闘モード。細かい網目の鎖かたびらの上に、忍び衣装を着込んだ姿は、まさしくくノ一。ポニーテールに結んだ白いリボンと、現代風にいうならホットパンツというべき忍び服から生えた細い足が、夜目にも鮮やかに浮んでいる。動きやすさ抜群の衣装は、コスプレ紛いの艶やかさであったが、里美が己の姿を恥ずかしがることはなかった。なぜなら、この姿の里美を、一般人が見ることなど、有り得ないのだから。
 
 「まさか貴様から仕掛けてくるとはな・・・それもついさっき、死の間際まで追い詰められたというのに。体力が回復するまで逃げ回ると思っていたのだが・・・」
 
 口髭を歪ませて、男が笑う。
 額に汗が浮いているのは、里美の襲撃があまりに意外だったためだ。明らかな体調不良に加え、身をもって知ったはずの、忍術の脅威。闘いを仕掛けてくることはおろか、ちゃんと里美が闘おうとするかどうかさえ、伊達には疑問だった。もし、伊達が里美の立場なら、間違いなくしばらく身を潜めるだろう。せめて、きちんと闘える身体に戻るまでは。それがまさか、わずか数時間後に逆襲を狙うとは・・・油断し切っていた伊達が、焚き火の光を見つけられて、里美に居場所を知られたのも、無理からぬことだった。
 
 「一体、なにを考えている? 今、その身体で闘うことは、貴様にとってなんの有利にもならんはずだが?」
 
 「なにも考えてないわ。一刻も早く、あなたを倒したいだけよ」
 
 「嫌われたものだな。だが、貴様からやってきてくれるとは好都合だ。あのやかましい小娘はどうした? 宗家のボディーガードじゃないのか?」
 
 「亜梨沙は関係ないわ! これは私の闘いよ!」
 
 普段は湖の水面のように沈着な里美の声に、荒々しい高波が立っている。伊達の耳は、その変化を逃さなかった。
 
 「おや、どうした? さては仲間割れか? ふはは、五十嵐の血を引くといえど、所詮は年端もいかぬ小娘。くだらない感情をぶつけあって、愛想をつかされた、というところかな。そして、感情の昂ぶりを抑えるために、オレのところに来た、というわけか」
 
 伊達の推理は里美の急所を突いていた。
 痛いところを当てられ、ますます少女の血が沸騰する。切れ長の瞳を吊り上げ、白い歯を食い縛った里美の表情は、怒りに彩られていた。
 
 「黙れッッ!! あなたは私が倒す! それで全てが収まるのよ!」
 
 「ふふん、これはどうやら、絶好のチャンス到来のようだ」
 
 激昂する少女と、余裕の暗殺者。
 だが、次の瞬間、両者の立場はあっという間に逆転していた。
 
 くノ一が動く。バネと化した全身が、霞みとともに伊達の前に。
 里美の瞬発力は、昼間にすでに学習済みだ。確固たる自信が、伊達の薄い唇を吊りあがらせる。しかし、そんな余裕は女忍者の一振りで消滅した。
 里美が眼前に出現したと同時、伊達の顔面が千切れそうに弾き飛ばされる。視線で捉えることができなかった、横殴りの一閃。鼻と口から血風を撒き散らし、5mを飛んだ伊達の身体は、樫の幹にぶつかってようやく止まった。
 
 「ごぶッッ・・・おごごごごッッ・・・ぐぷうッ!」
 
 もし伊達があの豹女と出遭わず、悪魔の能力を授かっていなければ、この時点で勝敗は決まっただろう。
 緑生い茂る雑草の海で這いつくばった伊達が、ひしゃげた顔の左半面を押さえている。ドロリという感触に、たまらず口腔内に溜まった粘液を吐き出す。血反吐の中に2つ3つ混じる白い欠片は・・・歯だ。
 
 反応できなかった。
 里美の身体能力はよく理解していたはずなのに、今の動きは先の対戦時より一段と速くなっている!
 
 垂れ下がった二重の瞳に殺意を込めて、伊達が聖少女を睨みあげる。森林をバックに玲瓏と立つ令嬢戦士の右手には、伊達を殴った白いクラブ。そして左手には、一見飴玉に見える黒い丸薬。
 
 「きッッ・・・貴様ッッ・・・それは『万能丸』かッ!!」
 
 「あなたも元伊賀者なら、秘薬『万能丸』のことは知っているでしょう? あらゆる毒を打ち消し、奇跡の回復力をもたらすと言われる『万能丸』。代謝を高めるビタミン群や、疲労を回復させるクエン酸を、ふんだんに含んだ最強のドーピング薬。大麻樹脂も入っているため、よほどの緊急時でないと使用が許されない禁断のアイテム。本当の五十嵐里美を取り戻すため・・・使わせてもらったわ」
 
 伊達宗元の身体を、暗黒の靄が包んでいく。次の瞬間、黒い稲妻が真夜中の天空を駆けるや、人里離れた山間に巨大生物が出現する。
 
 「トランスフォームッッ!!」
 
 里美の反応は早かった。生身での闘いが不利であると考えた伊達の思考を悟り、呼応して光の力を解放する。白く輝く子宮内の『エデン』。光の粒子が闇夜に渦を巻き、意志を持ったように収斂していく。人型になった光が爆発し、周囲を一瞬昼にしたあと、なだらかな起伏が続く森林には銀の女神が現れていた。
 
 白銀の皮膚にレオタードを彷彿とさせる紫の模様。金色の髪が肩甲骨にまで伸び、切れ長の瞳と、胸中央と下腹部に輝くクリスタルは、この星と同じ色に光る。樹林をはるか下に見下ろす巨大さと、鮮やかな色彩の容姿は、間違いなく人間とは異質なものだが、漂う神秘的なまでの美しさは、女神ということばを自然に連想させる。
 
 対する伊達の変態形は、漆黒の甲冑を装備していた。同色の小手と脛当ては、硬度を保ちながらも軽量化されていることがわかるデザイン。頭からすっぽりと被った頭巾からは深紅の眼光だけが覗き、闇に溶け込みそうな全身の中で、ふたつの火の玉のように異彩を放っている。腕や足から見える素肌は、爬虫類に似た茶色で、ザラザラとした表皮もトカゲのそれを思わせる。
 ファントムガールや久慈、ちゆりらと同じく、キメラではない純粋人間体のミュータント。しかし、その姿は伊達の精神を反映して、不気味な怪物のものになっていた。
 
 「この姿での名は、クサカゲとでも呼んでもらおうか」
 
 トカゲの肌を持つ武装忍者、クサカゲと、銀色の女神が山林地帯で向かい合う。傾斜が続く山間は決して闘いやすい場所ではないが、命の遣り取りを賭けたふたりからは、微塵の動揺も感じられない。
 
 「クサカゲ、御庭番頭領の血を引く者として、あなたは私が滅ぼすわ。宗家に弓引くことがいかなる重罪か、その身をもって知りなさい」
 
 ファントムガールの銀色の唇から、夏を忘れさせる冷酷な響きが浴びせられる。五十嵐里美に燃える炎。血の宿命と、己への憤りを断ち切るために、この闘いは是が非でも勝たねばならなかった。
 
 “守ってもらわなくても、庇ってもらわなくても、私一人の力で勝てる! 勝ってみせる!”
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