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「第六話 里美秘抄 ~野望の影~」

5章

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 しなやかでいて、あるべきところは張り出したスタイルの持ち主が、両手を合わせて頭を下げる。あらゆる面で完璧な里美であるが、それでいて年下に対しても決して高慢な態度をとらないのが、彼女の魅力のひとつだ。
 
 「なに?」
 
 「さっきの洞窟でお財布落としてきちゃったみたい。ホントに申し訳ないのだけれど、取ってきてもらえないかしら?」
 
 「え~~! こっからめっちゃ遠いじゃん! じゃあふたりで行こうよ」
 
 「そうしたいけれど・・・まだ身体の調子が良くないみたい。ここで休んで待ってるから、行ってきてくれないかな?」
 
 腰で腕を組んだ亜梨沙は、露骨に不機嫌な顔をしてみせるが、やがて踵を返すと、緑の生い茂った山道を引き返して行った。
 ひとり残された里美は、夏の陽射しが洩れる緑の天井を見上げる。樹々の先には濃い緑の葉が連なり、午後から夕暮れにかけての太陽の光を隙間から地上に落としている。
 土と草と落ちた葉が埋めた山道。傾斜はほとんどないが、細く、周囲を樹木と野草で囲まれた自然の道に、黒のティーシャツとロングスカート姿の美少女は、ひとり立ち尽くしている。胸元の銀のロザリオが時々風に揺れている。
 
 「お望み通り、ひとりになったわ。そろそろ出てきたら?」
 
 自然が広がるばかりで、人影のない景色に美貌の少女は声を掛ける。
 
 「フフン、気付いていたか。五十嵐家の娘というのは本当らしいな」
 
 不意に湧いた低いトーンは、里美の背後から届いてきた。
 こちらも全身を黒で固めた、中年の男。
 さっきまでなにもなかったはずの空間に、男は忽然と現れていた。
 オールバックと口髭が特徴的な男は、ニヒルな雰囲気のなかにも近寄りがたい空気を発散していた。腐敗臭というより、それは闇の匂いに近い。黒いシャツの下には、鋼のように無駄のない肉体が隠されていることがわかる。
 
 「私の命が狙い、のようね」
 
 ゆっくりと振りかえった里美が、黒い男と正対する。距離約8m。隠す必要のなくなった闘気と殺気を、美少女と黒い男は全開にしていく。
 
 「伊賀に来てから、ずっと私を監視していたのはあなたね」
 
 ピクリと男の眉が動く。
 すかさず冷静さを取り戻し、不敵な光を瞳にたたえて男は言った。
 
 「面白いハッタリだな。まるでオレの尾行に勘付いていたかのような――」
 
 「家に入ってこなかったのは正解ね。張り巡らせたトラップは、忍者屋敷の比ではないわ。でも、3日も同じケヤキの上で監視を続けるのは、あまり利口とは言えないわね。それとも私を甘くみたのかしら?」
 
 男の唇の端が吊り上がる。
 里美が現在住む別荘の敷地内、南側に立ったケヤキの木の上で、彼は3日間里美を見張り続けていた。
 
 「その若さで大したものだ、五十嵐の次期頭領よ。名を名乗ることにしよう。御庭番衆の末裔、伊達宗元だ。お前を殺して、現代忍者の頂点に立つ男の名、よく覚えておくがいい」
 
 「・・・自信たっぷりなのね」
 
 里美の姿勢が低くなる。その額には珠のような汗が浮びあがっている。
 
 ”この男・・・強い”
 
 強さを判断する材料はなんであるか? 
 肉体を見ればある程度わかる、というのは言えるだろう。筋肉のつき具合、皮膚の張り・ツヤ、拳ダコ、潰れた耳・・・様々な情報が強さの断片を教えてくれる。また、歩き方や骨格の動かし方など、仕草などからわかる情報もある。
 だが、もっとも判断材料にするのは、里美の場合、雰囲気だ。
 強者はそういう匂いを放っている。オーラと言い換えてもいいかもしれない。蛙が蛇に出遭ったとき、ガゼルがライオンに遭遇したとき、学んでいるわけでもないのに、彼らが死を覚悟するのは同じような理由からなのではないか。
 
 その雰囲気が、伊達宗元という男は圧倒的に、強い。
 負けることなど可能性すら考えていない、自信と自負に満ち溢れた空気が、暴風のように噴き出している。
 闘争に対する、絶対的な自信がこの男にはあるのだ。
 
 「しかし、オレの存在に気付いていながら、あのやかましい小娘を追っ払ったのは失敗だったな。みすみす墓穴を掘ったようなものだ」
 
 「関係ない彼女を、巻き込むわけにはいかないわ」
 
 「クク・・・さすが、ファントムガール。正義感の強さは本物のようだな」
 
 切れ長の里美の瞳が、カッと見開かれる。
 額から頬に流れた汗が3条、透明な跡を残して白い皮膚を這う。尖った顎から落ちる雫が、ポタポタと、静寂に包まれた森に音を奏でる。
 
 「どうしてそれを?」
 
 「派手な小娘に教えてもらった。大層お前のことを憎んでいるぞ。お前を殺すのは、そいつの願いでもある」
 
 金のルージュを歪ませた、闇豹の哄笑が、里美には聞こえてくるようだった。
 神崎ちゆりを知っているということは、まず間違いなく伊達宗元はミュータントであろう。
 となると、安易にトランスフォームはできない。単なる殺し屋相手なら、いざとなったら卑怯かもしれないが巨大化して退散させることができる。だが、相手も『エデン』の寄生者となるとそうはいかない。ファントムガールになれば、敵もミュータントになる。戦闘が目立つだけでなく、被害の拡大は避けられない。
 
 “く・・・ここは、なるべくトランスしないで闘わないと・・・でも、今の私がこの男に勝てるのかしら・・・?”
 
 「おしゃべりはもうよかろう。そろそろ始めるぞ」
 
 あえて戦闘開始の合図を行ったのは、伊達宗元の余裕が成せる技だったか。
 だが、次の瞬間、一気に距離を詰め、突風のごとく懐に潜り込んだのは、華奢な少女の方だった。
 
 「おおおお?!!」
 
 眼前に現れた憂いなる美貌に、伊達の全身が総毛立つ。驚愕の叫びは自然に口を割っていた。
 里美の手が煌き、縦横無尽に黒ずくめの男に襲いかかる。いつのまにか、白魚のような両手には鋭く光る苦無が握られている。重傷が癒えていないはずの少女の動きはあまりに速く、休むことなく斬りかかる太刀筋の確かさに、野望の忍者は戦慄した。
 
 「ふッ!」
 
 伊達が口を尖らせる。奥の手として使うはずだった含み針が、迫る里美に光速で放たれる。
 よけた。
 予期せぬ攻撃。不意をついたはずの毒針は、しかし、あっさりと首を振ってかわされていた。
 一瞬、苦無の嵐が止む。その隙に、伊達は大きくバックステップで飛び、距離を置いた。
 深窓の令嬢とよぶに相応しい容姿の少女の攻撃は、伊達が知る防衛庁の精鋭たちを、遥かに上回るスピードと正確さで彩られていた。決して動きやすいはずがないロングスカート姿は、舞飛ぶアゲハ蝶に似て、華麗で優雅。なのに、素早い。ようやく暗殺者は、彼が葬ろうとしている水仙のような美少女の、外見にそぐわぬ実力を実感する。
 
 “なんというスピード!! 一瞬たりとも気が抜けぬ”
 
 飛びのいた伊達が着地するする地点に、銀色の閃光が疾走する。
 3つの苦無がくノ一の優雅な指先を離れ、黒い男に殺到する。手にした短刀で、身体の中心線めがけて飛来した暗器を、伊達は弾き落とす。
 
 「やるな! 五十嵐の娘!!」
 
 木立の間を稲妻となって駆けながら、伊達が十字手裏剣を放つ。ピストルの弾丸よりも信頼する、暗殺者のエモノは、適度に散らばりながら女忍者を襲撃する。
 
 ブオオオオオッッッ!!!
 
 五十嵐里美の優雅な肢体が、風車のように連続で後方宙返りを切る。新体操で鍛えた、抜群の平行感覚と技のキレが、光速で襲いくる銀光を凌駕する。ザクザクと土に刺さる手裏剣を振りきり、潅木に捕まった里美の身体は、重力を無視するように、枝から枝へと飛んでいく。その身軽さはまるで森の生物だ。あまりの高速に里美の姿は見えず、葉のざわめきだけが次々に移動していく。
 
 「そこだ!」
 
 飛行位置を予測した、伊達の左手が大きく振られる。放たれた無数の手裏剣の嵐が、空中で身動きの取れないくノ一に殺到する。
 
 銀の条線に全身を撃たれ、ハリネズミと化した里美の姿。
 伊達がイメージした光景は、現実にはならなかった。
 直撃の寸前、凶器はバリアを張られたように弾き飛ばされていた。
 驚愕に目を剥く伊達を、諭すかのように蕭然と着地する令嬢戦士。
 その手には、普段は太股に巻いて隠してある、新体操用の白いリボンが渦を巻いて踊っている。スクッと立ち構える美少女の姿は、眩暈を覚えるほどに凛々しい。
 
 「そんなもので手裏剣を弾いたというのか・・・速さ、技術、気構え、どれもが超一流の域に達している。五十嵐の名に恥じぬ強さだ」
 
 「あなたこそ、これほどの腕をもっていながら、欲望に負けてしまったなんて・・・惜しいわね」
 
 “なんという小娘だ。体術だけならこのオレと互角・・・いや、万全の状態ならば恐らく上をいっている。この若さで、一体どんな修行をしてきたのだ?”
 
 日本を代表するセレブとして、上層階級の令嬢を完璧に演じる一方、忍びとしての英才教育を徹底的に叩きこまれてきた少女の奥深さが、同じく厳しい環境で生き抜いてきた伊達ゆえに思い知らされる。
 
 「素晴らしいな。よく鍛えられている。全力を出さねばならないようだ」
 
 リボンをいつでも戦闘用に使えるよう準備しながら、里美は思慮深い紺青の視線を送る。美の神に愛された顔に、珠の汗が浮んでいる。
 全力を出す、という言葉はハッタリではない。先の攻防は確かに伊達の全力ではあったが、本領ではなかった。隠し持っている老練な術こそが、真に恐るべき、この男の実力―――修羅場をくぐり抜けてきた里美の嗅覚が、そう教えてくれている。
 
 「惜しむらくは、オレと相対するには、もう少しマシな体調であるべきだったな、五十嵐里美」
 
 伊達の両手がエックス字に振られる。空間を切り裂き、数え切れない鋭利な刃が、一直線に黒の天使に向かっていく。
 高速回転するリボンが、白い盾となって手裏剣の嵐を防ぎきる。全ての銀光を弾き飛ばしたとき、オールバックの暗殺者の姿は、里美の視界から消えていた。
 
 《どうだ、オレの土遁を破れるかな・・・?》
 
 どこからともなく伊達の声だけが聞こえてくる。切れ長の瞳を凝らす里美だが、黒い姿は見つけられない。土に潜ったか、樹に擬態したか・・・己を隠す伊達の術は、現代忍者の次期総帥たる少女をしても、看破できないものだった。
 ボトボトと額を流れる汗が、大量に足元に滴っていく。
 里美に異常な汗をかかせるのは、見えない敵の恐怖だけではなかった。
 
 “う・・・か、身体が・・・・・・・軋む・・・・・・・目が・・・霞んできた・・・・”
 
 傷んだ肉体に無理をさせたツケは、早くも限界となって現れてきた。
 さらに、麗しき少女戦士を不測の事態が襲う。
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