ファントムガール ~白銀の守護女神~

草宗

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「第五話  正義不屈 ~異端の天使~ 」

12章

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 「早い。早すぎる!」
 
 どんな非常時にもペースを崩さない老紳士の声が切迫していた。深謀遠慮を絵に描いたような執事・安藤が見せる動揺。それ自体が事態の深刻さを示していた。
 
 仕掛けるつもりが、逆に仕掛けられた。
 今日の午後、準備が揃い次第、藤木七菜江ことファントムガール・ナナにユリア救出計画を実行させる予定だった。恐らくユリアを晒したビルの近くに、メフェレスらは隠れているだろう。それでも不意を突くことで、一気にユリアにエナジーを注入して復活させる、というのが作戦だったのだ。
 それが、どうした気まぐれか、こんな早朝から奴らは現れた。
 ユリア死姦は間違いなく、ナナを誘い出す作戦。わかりきった挑発だが、それでも我慢できずに飛び出してしまうのが、藤木七菜江という少女であることを敵はよく理解している。
 
 本来なら飛び出そうとする七菜江を、安藤は拳銃を使っても制止しなければならない。これまでにも似たケースはあったが、今回ばかりは危険度が段違いなのだ。確実な敗北が待ち受ける罠に、みすみす少女を行かせるわけにはいかない。
 しかし、クトルが行っている挑発は、彼らが思っている以上の効果があった。ユリアにエナジーを注げば蘇る、とはいえ、重傷を負った肉体の限界は近いのだ。だからこそ、今日、勝負を掛けることにした。掛けざるを得なかった。クトルは単に挑発で死姦しているのだろうが、これ以上ユリアの肉体を消耗されれば、復活の道は完全に閉ざされてしまう。
 
 「安藤さんッ!!」
 
 朝が苦手なはずの七菜江が、勢い良く扉を開ける。少女の眼には、微塵の揺らぎすらない。怒りと決意のみが色濃くたぎっている。
 
 「藤木様、昨日お話した通りです。西条様救出に全力を傾けなさい!」
 
 「はいッ!!」
 
 疾風となってジェットラインがある地下へと駆けるショートカットの少女。
 やるしか道はなかった。数度の幸運が重ならねば勝てぬ闘いだとわかっていても、人類に残された選択肢はそれしかなかった。
 
 「あとは・・・彼の能力に賭けるだけです」
 
 ひとり呟いた安藤は、非常時でも繋がる政府特製の緊急回線を使い、ある場所へ連絡を取り始めた。
 
 
 
 死者への凄惨な陵辱現場に、眩い閃光が錯綜する。
 朝焼けの白い空が広がる世界。まだ温度が上がる前の、過ごし易い時間帯。住人の多くが去った崩れかけた街で、人類の希望を背負った最後の天使の闘いが始まろうとしている。
 
 「来た来たあ~♪ 苛めがいのあるメスネコちゃんが」
 
 散乱した光が一箇所に集中し、一際明るく輝きを放つ。
 鮮やかな銀に、涼やかな青の模様が施された巨大な少女が、光の化身となって現れる。
 健康的な青髪のショートカット、セーラー服を連想させる模様、瑞々しくも抜群のプロポーション。
 蜘蛛のキメラ・ミュータント、シヴァに惨敗を喫して以来、一般の人々には消息不明と伝えられていたファントムガール・ナナの、久々の勇姿であった。
 
 「お前らッ・・・ふざけるなアッッ――ッッ!!」
 
 空気が、震撼する。
 ナナは吼えていた。勝手にそうしていた。変身の余韻もなく。
 登場と同時にナナが放つ、凄まじい怒気。その闘志は、すでに沸点に達していた。
 
 道具となった美少女を嬲るのに、有頂天になっていた二匹の魔物に緊張が走る。圧倒的優位の中で、彼らは油断していた。ナナが向かってくることすら、どこか懐疑的であった。罠を張っておびき寄せた相手の、湯気となって立ち昇る闘気に、豹と触手はたじろいだ。
 
 貫いていた触手を抜き、ボロボロの黄色の少女を放り捨てる。
 戦闘態勢を整え、迎撃すべき青い少女を見据える。
 歪んでいる。
 ナナの周囲が陽炎のように歪んで見える。
 発する激情で、蜃気楼が発生しているのか?! いや、そんなわけはない。小さな身体には収まりきれない憤怒が、錯覚を催すほどに発散されているのだ。
 
 「ほほう、この状況で、我々と闘うつもりですか? 可愛らしいお嬢さ――」
 
 ドンッッッ!!!
 
 始まった。
 諭すように語る、国語教師の成れの果てに、青い稲妻が突撃する。
 
 「んッッ?!!!」
 
 台詞の途中で、左のストレートがハードヒットする。
 恐るべき超少女のダッシュ力。青い弾丸となって懐に跳び込むや、スピードと勢いを拳に乗せて、クトルの顔面を撃ち抜く。
 口の中を切ったのか、血の霧を吹きながら、8本足の巨体が軽がると大地と平行に吹っ飛んでいく。
 
 「え?!」
 
 横にたっていた濃緑の巨獣が、瞬時に青い戦士に変わったのを、マヴェルは茫然と見ているだけだった。
 スピードに乗ったナナが、続けざまに放った右の裏拳は、無防備な銀豹の右頬に吸い込まれる。
 バキャッッ!! という派手な破壊音。
 180度回転したマヴェルが、頭から地面に撃墜する。
 
 「許さないッ!! 許さないぞオオッッッ――ッッ!!!」
 
 再度ナナが咆哮する。
 ダウンを奪ったぐらいでは晴れない憤怒が、女性らしい全身を駆け巡っている。
 ユリアを陵辱の果てに殺し、なおその遺体を辱めるなんて・・・
 許せるはずが、ない。
 己が最後の希望であることも、勝算がないに等しい苦闘が待っていることも、今のナナには頭になかった。
 ただ、目の前の悪魔たちを、この手でぶちのめさなけりゃ気が済まない。
 
 「こッ、このクソアマぁッッ――ッッ!!!」
 
 這いつくばった地面からすかさず立ち上がり、右頬をひしゃげた女豹が、血で朱色に染まった口を開ける。強烈な一撃にブチ切れたマヴェルは、じっくり嬲れというメフェレスの言葉も忘れて、必殺の超音波で一気にナナ抹殺を狙う。
 
 いなかった。
 
 破壊のメロディーを聞かせるべき相手は、さっきまでいたはずの場所に立っていなかった。
 
 「後ろだぁッ!!」
 
 振り返った瞬間、マヴェルの視界を紺碧が占め尽くす。
 グッシャアアアアッッ・・・!!!
 ナナ怒りの一撃は、豹の顔面中央に、見事なまでにめり込んでいた。
 
 ヌチャリ・・・拳を抜く青い天使。
 鼻と口からの鮮血で、赤く染まったマヴェルの顔が明らかになる。
 2、3歩ヨロヨロと後退った銀豹が、震える両手を顔に持っていく。
 
 グチャリ・・・ベコ・・・ヌチャ・・・
 陥没した鼻を、無理矢理に元の位置に戻す。
 
 「よくも・・・・・・よくも、マヴェルの顔をォォ~~・・・殺してやらあッッ――ッックソガキがあああッッッ―――ッッッ!!!」
 
 満開となる狂気。
 マヴェルの正体・神崎ちゆりにとって、顔を汚されることは最大の屈辱だった。自称ファッションリーダーを気取る彼女にとって、自慢の顔に手を出されることは万死に値する。
 青い爪が鋭利に光る。ナイフと同等の切れ味を誇る10本のそれで、勝気と可憐を併せ持ったナナの容貌を切り刻まねば気が済まない。狂った精神そのままに、しっちゃかめっちゃかに両手を振るう。
 
 「クソ生意気になに睨んでやがんだアアアッッ―――ッッッ!!! 目玉くりぬいて、顔踏み潰して、はらわたぶちまけてやらあアアアッッ――ッッッ!!!」
 
 10本のナイフが煌く。風を巻いて殺到する。
 本物の豹さながらの野獣性と速度。銀の皮膚が裂け、青い髪が舞い飛ぶ。
 だが、ナナが許したのは「かする」までだった。
 
 号砲。
 十二分に豹の攻撃を見切った聖少女が、一発のボディーブローでマヴェルの動きを止める。
 
 「ごッッ・・・ぱあッッ!!」
 
 血反吐が牙の狭間から噴き出す。
 丸太で胴を貫かれたような衝撃。グラマラスな肉体から繰り出されるナナの突きの威力は、完全に少女の枠を逸脱していた。
 内臓を抉られる苦悶を、殺気に彩られた怒りが凌駕する。一瞬後、マヴェルの爪は、旋風となって憎き青い小娘に襲いかかる。
 
 ビュン! ビュン! ビュビュビュン! ビュビュビュビュン!
 よける。よける。よける。
 爪の射程距離内にいながらにして、ナナは無軌道な刃物の嵐を全て避けきる。
 
 友を辱められた怒りに、全能力を覚醒させたスーパーアスリート・藤木七菜江の本気は、自堕落に生きてきた「闇豹」の手に負える代物ではなかった。
 五十嵐里美に成す術なくやられた時以上の実力差を、焦りの中で魔豹は自覚し始めていた。
 
 ドゴンッッッ!!!
 
 ナナの左フックが、脇腹に突き刺さる。
 内臓を貫く衝撃に、再びマヴェルの動きが止まる。血塊がこぼれる。
 白目を剥いた豹の顎に、青い噴火がアッパーとなって突き上がる。
 
 「くうッッ!」
 
 ヒット直前で、守護天使の肢体はトンボを2回切って後方へ飛び退った。
 残像を背後から迫った濃緑の槍が四本、すり抜ける。こめられた濃密な殺気が、少女に危機を回避させた。
 
 「クトル!!」
 
 「ユリアくんとの闘いを見ていなかったのですか? 骨格も関節もない私に、あの程度の攻撃は効きませんよ!」
 
 空中の聖少女に残りの触手が殺到する。一撃めを避けることを予見していた魔獣の、充分な勝算に満ちた追撃。自由の利かない空中で、張りのある肉体が絡め取られる。右手首が、左足が、首が、腰が。なんとか着地した豊満な肢体を、さらに全ての触手が絡んでいく。
 あっという間に両手、両足、胴体までをも封じ込められ、濃緑に包まれた少女戦士が、緊縛にもがく。
 
 ファースト・コンタクトで握った主導権は、2vs1という不利な状況下で、ナナの手元からするりと逃げていった。
 
 「くッ・・・ううぅ・・・くうぅッ・・・」
 
 必死で身を捩るナナ。肉の充満したバストやヒップが存在感を示して揺れるが、絡まった触手は戒めをますます強めてくる。
 
 「ぷ・・・ぐぷぷ・・・・・・おッ、おのれェェェェ~~ッッ・・・クソネコめェェ~~ッッ、ザマアみろ! コナゴナにしてやるううぅぅあああッッ――ッッ!!!」
 
 吐血で真っ赤に染まった顔面で、サファイアの眼が憎悪に燃えている。身動きできない相手への躊躇など、「闇豹」にあろうはずがない。あるのは確実に痛ぶれる愉悦。ノックアウト寸前にまで追い込まれた屈辱が、危険な悪女をさらに獰猛に仕立てていた。
 パカリと口が開く。
 生え揃った牙が覗く。その奥から、魔豹必殺の破壊音波が顔を見せる。ファントムガール・五十嵐里美を悶絶させた、恐怖の旋律が。
 
 「うおおおおおおッッッ―――ッッッ!!!」
 
 少女戦士が雄叫びをあげる。触手で締めあげられたボディーラインが小刻みに震える。
 ズバ抜けた運動能力の持ち主・藤木七菜江の全力が開放される。
 絡め取られた全身を、振るう。
 四肢に、胴体にキツく食い込んだ触手は外れることはない。だが。
 
 「なッ?!! ぐうッ・・・ぐおおおッッ?!!」
 
 捕獲しているクトルの巨体が、小さな少女のパワーに振り回される!
 触手の縛りは強烈でも、そこから引っ張る力が、ナナの方が上なのだ。それはつまり、藤木七菜江の腕力が、中年教師田所の筋力を、単純に上回っているという、信じ難い事実を示していた。
 
 巨大なヘドロの塊が、青い少女を中心に振り回される。ハンマー投げのように。
 驚愕に音波発射のタイミングを逸したマヴェルに、自らの意志では制御不能になったタコの巨獣を激突させる。
 弾かれるように吹っ飛ぶ魔豹。
 もんどりうって倒れたクトルの触手は、意地を見せるかのごとく、青い天使に絡まったまま。
 
 ナナの右手が強引に引かれる。
 再度、少女に引っ張られ、宙を舞う粘液まみれの巨大タコ。
 渾身の力をこめた右拳が、白光を帯びて待ち受ける。
 
 「破アアッッ!!!」
 
 ファントムガール・ナナの、全力の右ストレート。
 水枕が破裂する音が轟き、魔獣の絶叫が木霊する。
 クトルは攻撃が効かないとうそぶいたが・・・骨がなかろうが、関節がなかろうが、ダメージは受ける。痛いものは痛い。クトルの言葉はまやかしに過ぎない。
 ユリアが完膚なきまでに敗れ去ったのは、柔術という技術体系が、軟体生物のキメラ・ミュータントとはあまりに相性が悪過ぎたためだ。完勝のイメージを利用して、己を強大に見せようと目論んだのだが、怒りに駆られ、猪突猛進するナナに対しては無駄な小細工といえた。
 
 超少女の光の一撃に、ズルリと触手から力が抜ける。
 
 「お前はッッ・・・ゼッタイに許さないッッ!!!」
 
 拳を引く。続けて、右の正拳逆突き。
 細腕に隠された無限のパワーが、潮流となって色欲に飲み込まれた魔獣を穿つ。
 
 グッチャアアアアッッッ!!!
 
 濃緑の粘液が弾けとぶ。
 正義の鉄拳に、爆発したようにヘドロを撒き散らして、巨大タコは遥か虚空を飛んでいく。
 長い空の旅を終え、立ち並ぶマンション群に激突したクトルが、土煙に埋もれていく。触手がのたうち、痙攣する。太陽のような少女戦士の、怒りに燃える炎の拳は、2撃にして魔獣を壊滅寸前にまで追いこんだのだ。
 
 数日前に正義が屍れ伏した大地で、青い戦士がひとり立つ。今、地に平伏し、痙攣するのは、聖少女たちに暴虐の限りを尽くした侵略者たち。
 
 「まだだ! ユリちゃんの仇は、あたしが取るッ!!」
 
 立ちあがろうとするマヴェルに、追撃の手を緩めない青い閃光が疾走する。
 
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