93 / 310
「第五話 正義不屈 ~異端の天使~ 」
12章
しおりを挟む「早い。早すぎる!」
どんな非常時にもペースを崩さない老紳士の声が切迫していた。深謀遠慮を絵に描いたような執事・安藤が見せる動揺。それ自体が事態の深刻さを示していた。
仕掛けるつもりが、逆に仕掛けられた。
今日の午後、準備が揃い次第、藤木七菜江ことファントムガール・ナナにユリア救出計画を実行させる予定だった。恐らくユリアを晒したビルの近くに、メフェレスらは隠れているだろう。それでも不意を突くことで、一気にユリアにエナジーを注入して復活させる、というのが作戦だったのだ。
それが、どうした気まぐれか、こんな早朝から奴らは現れた。
ユリア死姦は間違いなく、ナナを誘い出す作戦。わかりきった挑発だが、それでも我慢できずに飛び出してしまうのが、藤木七菜江という少女であることを敵はよく理解している。
本来なら飛び出そうとする七菜江を、安藤は拳銃を使っても制止しなければならない。これまでにも似たケースはあったが、今回ばかりは危険度が段違いなのだ。確実な敗北が待ち受ける罠に、みすみす少女を行かせるわけにはいかない。
しかし、クトルが行っている挑発は、彼らが思っている以上の効果があった。ユリアにエナジーを注げば蘇る、とはいえ、重傷を負った肉体の限界は近いのだ。だからこそ、今日、勝負を掛けることにした。掛けざるを得なかった。クトルは単に挑発で死姦しているのだろうが、これ以上ユリアの肉体を消耗されれば、復活の道は完全に閉ざされてしまう。
「安藤さんッ!!」
朝が苦手なはずの七菜江が、勢い良く扉を開ける。少女の眼には、微塵の揺らぎすらない。怒りと決意のみが色濃くたぎっている。
「藤木様、昨日お話した通りです。西条様救出に全力を傾けなさい!」
「はいッ!!」
疾風となってジェットラインがある地下へと駆けるショートカットの少女。
やるしか道はなかった。数度の幸運が重ならねば勝てぬ闘いだとわかっていても、人類に残された選択肢はそれしかなかった。
「あとは・・・彼の能力に賭けるだけです」
ひとり呟いた安藤は、非常時でも繋がる政府特製の緊急回線を使い、ある場所へ連絡を取り始めた。
死者への凄惨な陵辱現場に、眩い閃光が錯綜する。
朝焼けの白い空が広がる世界。まだ温度が上がる前の、過ごし易い時間帯。住人の多くが去った崩れかけた街で、人類の希望を背負った最後の天使の闘いが始まろうとしている。
「来た来たあ~♪ 苛めがいのあるメスネコちゃんが」
散乱した光が一箇所に集中し、一際明るく輝きを放つ。
鮮やかな銀に、涼やかな青の模様が施された巨大な少女が、光の化身となって現れる。
健康的な青髪のショートカット、セーラー服を連想させる模様、瑞々しくも抜群のプロポーション。
蜘蛛のキメラ・ミュータント、シヴァに惨敗を喫して以来、一般の人々には消息不明と伝えられていたファントムガール・ナナの、久々の勇姿であった。
「お前らッ・・・ふざけるなアッッ――ッッ!!」
空気が、震撼する。
ナナは吼えていた。勝手にそうしていた。変身の余韻もなく。
登場と同時にナナが放つ、凄まじい怒気。その闘志は、すでに沸点に達していた。
道具となった美少女を嬲るのに、有頂天になっていた二匹の魔物に緊張が走る。圧倒的優位の中で、彼らは油断していた。ナナが向かってくることすら、どこか懐疑的であった。罠を張っておびき寄せた相手の、湯気となって立ち昇る闘気に、豹と触手はたじろいだ。
貫いていた触手を抜き、ボロボロの黄色の少女を放り捨てる。
戦闘態勢を整え、迎撃すべき青い少女を見据える。
歪んでいる。
ナナの周囲が陽炎のように歪んで見える。
発する激情で、蜃気楼が発生しているのか?! いや、そんなわけはない。小さな身体には収まりきれない憤怒が、錯覚を催すほどに発散されているのだ。
「ほほう、この状況で、我々と闘うつもりですか? 可愛らしいお嬢さ――」
ドンッッッ!!!
始まった。
諭すように語る、国語教師の成れの果てに、青い稲妻が突撃する。
「んッッ?!!!」
台詞の途中で、左のストレートがハードヒットする。
恐るべき超少女のダッシュ力。青い弾丸となって懐に跳び込むや、スピードと勢いを拳に乗せて、クトルの顔面を撃ち抜く。
口の中を切ったのか、血の霧を吹きながら、8本足の巨体が軽がると大地と平行に吹っ飛んでいく。
「え?!」
横にたっていた濃緑の巨獣が、瞬時に青い戦士に変わったのを、マヴェルは茫然と見ているだけだった。
スピードに乗ったナナが、続けざまに放った右の裏拳は、無防備な銀豹の右頬に吸い込まれる。
バキャッッ!! という派手な破壊音。
180度回転したマヴェルが、頭から地面に撃墜する。
「許さないッ!! 許さないぞオオッッッ――ッッ!!!」
再度ナナが咆哮する。
ダウンを奪ったぐらいでは晴れない憤怒が、女性らしい全身を駆け巡っている。
ユリアを陵辱の果てに殺し、なおその遺体を辱めるなんて・・・
許せるはずが、ない。
己が最後の希望であることも、勝算がないに等しい苦闘が待っていることも、今のナナには頭になかった。
ただ、目の前の悪魔たちを、この手でぶちのめさなけりゃ気が済まない。
「こッ、このクソアマぁッッ――ッッ!!!」
這いつくばった地面からすかさず立ち上がり、右頬をひしゃげた女豹が、血で朱色に染まった口を開ける。強烈な一撃にブチ切れたマヴェルは、じっくり嬲れというメフェレスの言葉も忘れて、必殺の超音波で一気にナナ抹殺を狙う。
いなかった。
破壊のメロディーを聞かせるべき相手は、さっきまでいたはずの場所に立っていなかった。
「後ろだぁッ!!」
振り返った瞬間、マヴェルの視界を紺碧が占め尽くす。
グッシャアアアアッッ・・・!!!
ナナ怒りの一撃は、豹の顔面中央に、見事なまでにめり込んでいた。
ヌチャリ・・・拳を抜く青い天使。
鼻と口からの鮮血で、赤く染まったマヴェルの顔が明らかになる。
2、3歩ヨロヨロと後退った銀豹が、震える両手を顔に持っていく。
グチャリ・・・ベコ・・・ヌチャ・・・
陥没した鼻を、無理矢理に元の位置に戻す。
「よくも・・・・・・よくも、マヴェルの顔をォォ~~・・・殺してやらあッッ――ッックソガキがあああッッッ―――ッッッ!!!」
満開となる狂気。
マヴェルの正体・神崎ちゆりにとって、顔を汚されることは最大の屈辱だった。自称ファッションリーダーを気取る彼女にとって、自慢の顔に手を出されることは万死に値する。
青い爪が鋭利に光る。ナイフと同等の切れ味を誇る10本のそれで、勝気と可憐を併せ持ったナナの容貌を切り刻まねば気が済まない。狂った精神そのままに、しっちゃかめっちゃかに両手を振るう。
「クソ生意気になに睨んでやがんだアアアッッ―――ッッッ!!! 目玉くりぬいて、顔踏み潰して、はらわたぶちまけてやらあアアアッッ――ッッッ!!!」
10本のナイフが煌く。風を巻いて殺到する。
本物の豹さながらの野獣性と速度。銀の皮膚が裂け、青い髪が舞い飛ぶ。
だが、ナナが許したのは「かする」までだった。
号砲。
十二分に豹の攻撃を見切った聖少女が、一発のボディーブローでマヴェルの動きを止める。
「ごッッ・・・ぱあッッ!!」
血反吐が牙の狭間から噴き出す。
丸太で胴を貫かれたような衝撃。グラマラスな肉体から繰り出されるナナの突きの威力は、完全に少女の枠を逸脱していた。
内臓を抉られる苦悶を、殺気に彩られた怒りが凌駕する。一瞬後、マヴェルの爪は、旋風となって憎き青い小娘に襲いかかる。
ビュン! ビュン! ビュビュビュン! ビュビュビュビュン!
よける。よける。よける。
爪の射程距離内にいながらにして、ナナは無軌道な刃物の嵐を全て避けきる。
友を辱められた怒りに、全能力を覚醒させたスーパーアスリート・藤木七菜江の本気は、自堕落に生きてきた「闇豹」の手に負える代物ではなかった。
五十嵐里美に成す術なくやられた時以上の実力差を、焦りの中で魔豹は自覚し始めていた。
ドゴンッッッ!!!
ナナの左フックが、脇腹に突き刺さる。
内臓を貫く衝撃に、再びマヴェルの動きが止まる。血塊がこぼれる。
白目を剥いた豹の顎に、青い噴火がアッパーとなって突き上がる。
「くうッッ!」
ヒット直前で、守護天使の肢体はトンボを2回切って後方へ飛び退った。
残像を背後から迫った濃緑の槍が四本、すり抜ける。こめられた濃密な殺気が、少女に危機を回避させた。
「クトル!!」
「ユリアくんとの闘いを見ていなかったのですか? 骨格も関節もない私に、あの程度の攻撃は効きませんよ!」
空中の聖少女に残りの触手が殺到する。一撃めを避けることを予見していた魔獣の、充分な勝算に満ちた追撃。自由の利かない空中で、張りのある肉体が絡め取られる。右手首が、左足が、首が、腰が。なんとか着地した豊満な肢体を、さらに全ての触手が絡んでいく。
あっという間に両手、両足、胴体までをも封じ込められ、濃緑に包まれた少女戦士が、緊縛にもがく。
ファースト・コンタクトで握った主導権は、2vs1という不利な状況下で、ナナの手元からするりと逃げていった。
「くッ・・・ううぅ・・・くうぅッ・・・」
必死で身を捩るナナ。肉の充満したバストやヒップが存在感を示して揺れるが、絡まった触手は戒めをますます強めてくる。
「ぷ・・・ぐぷぷ・・・・・・おッ、おのれェェェェ~~ッッ・・・クソネコめェェ~~ッッ、ザマアみろ! コナゴナにしてやるううぅぅあああッッ――ッッ!!!」
吐血で真っ赤に染まった顔面で、サファイアの眼が憎悪に燃えている。身動きできない相手への躊躇など、「闇豹」にあろうはずがない。あるのは確実に痛ぶれる愉悦。ノックアウト寸前にまで追い込まれた屈辱が、危険な悪女をさらに獰猛に仕立てていた。
パカリと口が開く。
生え揃った牙が覗く。その奥から、魔豹必殺の破壊音波が顔を見せる。ファントムガール・五十嵐里美を悶絶させた、恐怖の旋律が。
「うおおおおおおッッッ―――ッッッ!!!」
少女戦士が雄叫びをあげる。触手で締めあげられたボディーラインが小刻みに震える。
ズバ抜けた運動能力の持ち主・藤木七菜江の全力が開放される。
絡め取られた全身を、振るう。
四肢に、胴体にキツく食い込んだ触手は外れることはない。だが。
「なッ?!! ぐうッ・・・ぐおおおッッ?!!」
捕獲しているクトルの巨体が、小さな少女のパワーに振り回される!
触手の縛りは強烈でも、そこから引っ張る力が、ナナの方が上なのだ。それはつまり、藤木七菜江の腕力が、中年教師田所の筋力を、単純に上回っているという、信じ難い事実を示していた。
巨大なヘドロの塊が、青い少女を中心に振り回される。ハンマー投げのように。
驚愕に音波発射のタイミングを逸したマヴェルに、自らの意志では制御不能になったタコの巨獣を激突させる。
弾かれるように吹っ飛ぶ魔豹。
もんどりうって倒れたクトルの触手は、意地を見せるかのごとく、青い天使に絡まったまま。
ナナの右手が強引に引かれる。
再度、少女に引っ張られ、宙を舞う粘液まみれの巨大タコ。
渾身の力をこめた右拳が、白光を帯びて待ち受ける。
「破アアッッ!!!」
ファントムガール・ナナの、全力の右ストレート。
水枕が破裂する音が轟き、魔獣の絶叫が木霊する。
クトルは攻撃が効かないとうそぶいたが・・・骨がなかろうが、関節がなかろうが、ダメージは受ける。痛いものは痛い。クトルの言葉はまやかしに過ぎない。
ユリアが完膚なきまでに敗れ去ったのは、柔術という技術体系が、軟体生物のキメラ・ミュータントとはあまりに相性が悪過ぎたためだ。完勝のイメージを利用して、己を強大に見せようと目論んだのだが、怒りに駆られ、猪突猛進するナナに対しては無駄な小細工といえた。
超少女の光の一撃に、ズルリと触手から力が抜ける。
「お前はッッ・・・ゼッタイに許さないッッ!!!」
拳を引く。続けて、右の正拳逆突き。
細腕に隠された無限のパワーが、潮流となって色欲に飲み込まれた魔獣を穿つ。
グッチャアアアアッッッ!!!
濃緑の粘液が弾けとぶ。
正義の鉄拳に、爆発したようにヘドロを撒き散らして、巨大タコは遥か虚空を飛んでいく。
長い空の旅を終え、立ち並ぶマンション群に激突したクトルが、土煙に埋もれていく。触手がのたうち、痙攣する。太陽のような少女戦士の、怒りに燃える炎の拳は、2撃にして魔獣を壊滅寸前にまで追いこんだのだ。
数日前に正義が屍れ伏した大地で、青い戦士がひとり立つ。今、地に平伏し、痙攣するのは、聖少女たちに暴虐の限りを尽くした侵略者たち。
「まだだ! ユリちゃんの仇は、あたしが取るッ!!」
立ちあがろうとするマヴェルに、追撃の手を緩めない青い閃光が疾走する。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる