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「第五話 正義不屈 ~異端の天使~ 」
3章
しおりを挟むこの地方で最も若者たちが集まる繁華街、それが谷宿だった。
駅前から少し歩いたところにある広場。その中央にそびえる時計台の前に、工藤吼介は立っていた。
白のティーシャツにデニムのパンツという相変わらずのラフな格好。膨大な質量の筋肉が、袖口や襟元から溢れだし、大きめのサイズであるはずのシャツを、随分と窮屈に見せている。
平日であろうが、休日であろうが、常に雑踏で溢れかえる街に、人影はなかった。5mほどの高さの時計台が、素知らぬ顔で時を刻み続けている。
セミが、鳴いている。
閑散とした世界に、けたたましい虫の鳴き声と、照りつける太陽の光だけが射しこんでいる。非常事態宣言が発現されたこの地方に、不安と絶望以外の空気を見つけることは難しかった。テレビでは緊急避難を促す警報が常時流れ、実際に過半数の人々が、すでにこの街から脱出しているとのことだった。
足を肩幅に広げ、適度に力を抜いた姿勢で、吼介は時計台と向かい合う。
声から察するに、二匹以上のセミがこのモニュメントに留まっているようだ。視線を上げると、そのうちの一匹が9の数字の横にいた。
肉の塊の男が、右足を半歩前にだす。つま先を内側に絞り、丁度ハの字の形に。一旦握った両拳を前に突き出すと、右だけを掌を上に向けて、腋の下にまで引く。
やや曲げた膝で腰の捻りを微調整する。半身の態勢。なにごとかをブツクサと呟きながら、細かく身体を揺さぶり続ける。まるでスナイパーが、照準を合わせるかのように。
やがて、ピタリと、筋肉の鎧はその動きを止めた。
いや、固めた。
「覇ッッ!!!」
怒号の如き、裂帛の気合い一閃。
工藤吼介の右の突きが、総重量500kgを越える大理石の塊に叩き込まれる。
ドゴンッッッ!!!
地震が起こる。
短く、重い衝撃音。ボーリングの玉が、フローリングの床に落ちた時の音を何倍にもしたような。
ポトリ、という音が続き、二匹の固まったセミが、地面に落下する。
「せん・・・ぱい・・・・・・」
小さな声に、逆三角形の男は振り返った。
青を基調としたセーラー服に、ホームベース型の小顔が乗っている。耳を隠すタイプのショートカットが、やけに似合う美少女は、本来の明るさを失った俯き加減で、いつのまにかそこにいた。
「七菜江・・・」
「ここにくれば・・・会えると思ってました・・・」
駆け出した七菜江は、弾丸のように工藤吼介の胸に飛び込んでいた。
身長差があるため、鉄板のような胸に顔が埋まる。小さな腕を、引き締まった腰に、少女は必死で回した。
「オレも、必ずここに来てくれると思っていた」
覆い被さるように、吼介は小さな少女を抱き締め返す。温かい鼓動が、胸の奥から届いてくる。
この状況下で学校は当然のように休学となり、ケータイなどの通信手段も混乱するなかで、ふたりが出遭えたのは、偶然を越えるものが必要だった。
「オレは里美ん家には、近付きにくいから」
対外的には里美の遠い親戚であり、居候となっている七菜江は、そんな吼介の心情を悟って、ここに来ていた。目立つように、あえてセーラー服姿で。
「とにかく、無事で良かった。里美も大丈夫なのか?」
抱き締めたまま、七菜江はしばらくの沈黙の後、口を開いた。
「大丈夫、です。少し怪我をしちゃったけど、必ず元気になります。あたしが約束します」
「・・・そうか」
時計台の針だけが進む。
抱き締めあったまま、若いふたりは動かない。
互いの存在を確認するように、その固い肉感を、柔らかな肉感を、それぞれの触感で確かめ合う。
鳴り止んでいたセミが、再び鳴き始める。
小刻みに震える少女に、吼介は気付いた。
「恐い、のか」
「・・・あたし・・・二度と吼介先輩に会えないかもしれません・・・」
厚い胸板の顔を埋めたまま、七菜江はハッキリとした口調で言った。
「諦めるな。こんな状況だけど、諦めちゃダメだ。きっと、なんとかなる。青いファントムガールだっているし・・・」
ファントムガール・ナナは・・・あたしなんです。
喉にまで出かかった言葉を、七菜江は飲み込む。言えるわけはなかった。言えば、この男が、七菜江を戦場に立たせるわけがなかった。
「あたし、恐い・・・恐い・・・すごく恐い・・・でも、絶対に諦めたりなんか、しません」
ギュウウウ・・・細い腕に力が篭り、恐竜じみた男の腰を強く抱き締める。震えながらも、少女の声は明確に響いた。
「あたし、必ず・・・生き残ってみせます」
スッと力が抜け、少女の身体が鎧武者から離れる。
見上げる澄みきった瞳と、猛々しい眼光とが視線を絡ませる。
少女の桜色の唇が、開いた。
「大好きです」
潤んだ瞳と桃色に染まった頬とを、工藤吼介は見ていた。
心臓の音だけが、誰もいない世界に轟く。
開きかけた男の口を、少女の言葉が遮る。
「今は何も言わないで。返事を聞いたら、多分、あたし、負けてしまう」
男の口が、再びきつく結ばれる。どこか遠い眼で、小柄な少女を見つめる。
筋肉の浮きあがった腕から離れ、藤木七菜江は弾けるような笑顔を見せた。
「ありがとう、先輩。今度またデートしてください」
くるりとプリーツスカートの裾をひるがえし、背中を向けた女子高生は駆け出した。
10mを駆けたところで振りかえり、幼さの残る手を振る。
「じゃあッッ・・・・・・またねッッ!!」
真夏の太陽に負けぬ、眩い笑顔を置き土産に、天真爛漫な美少女は二度と振りかえることなく、無人の街を駆けぬけていった。
「また・・・・・会おうな、七菜江」
青い背中が完全に見えなくなるまで、膨大な筋量を誇る男はそこに佇んでいた。
また、ひとりに戻った広場の真ん中で、吼介はギラつく太陽に肌を焼かれるままだった。冗談みたいな熱線が、鋼鉄の皮膚をじりじりと褐色に変化させていく。浮き出した首筋の汗が、背筋の谷間に流れるころ、ようやく男は動き出す。
振りかえり、時を刻み続けるモニュメントを見据える。
「『なんとかなる』か・・・・・・なんで『なんとかする』って言ってやれなかったんだろうな」
大理石でできた高さ5mの建造物は、答えることなく秒針を動かしている。
広場の象徴に背を向け、最強と呼ばれる男は歩き出した。
「弱えな、オレ」
ビッシイイイッッッッ・・・・!!!
突如として、時計台の台座から、漆黒の網の目が入る。
蜘蛛の巣のように広がった亀裂は、あっという間にその影を濃くし、ハンマーで叩いてもビクともしないはずの時計台は、ボコリッッという爆発音とともに、一部分が崩れ落ちていく。芸術品として完成していた大理石は、鉱物としての姿に戻って罅割れた破片となる。
ガラガラと、砂塵とともに半分以上が崩れていくモニュメントの崩壊音を、広い背中で聞きながら、工藤吼介は振り返ることなく、若者の街をあとにした。
失神から覚醒した時、五十嵐里美を出迎えたのは、四肢を拘束する、金属製の枷の痛みだった。
宙に吊られた、X字型の金属板。女神のプロポーションを持つ少女は、それに5cm幅の鋼鉄の枷によって、手首足首を固定されていた。
身を捻ってみる。身体の中心線はいくらか動くが、それ以上は、脱出が不可能であるという冷たい現実に、打ちのめされるだけであった。己の窮地を確認するかのように、身をくねらせる囚われのヒロインは、上気した顔とあいまって、やけにエロティックですらある。
体重を四点だけで支えているため、強い圧力がかかる。食い込む鋼鉄の錠により、里美の白い肌からは赤いものがうっすらと滲んでいる。ギシギシ・・・という圧迫される肉の悲鳴を、里美は凶獣に手足を噛み砕かれる幻想の中で聞いていた。
「オレの芝居はなかなかのものだったろう?」
虜囚の目覚めを待っていた、ニヒルなやさ男が軽やかに話しかける。
コンクリートを剥き出しにした冷たい部屋で、それだけは不似合いな毛皮付きのソファに久慈仁紀は座っていた。あまり趣味がいいとはいえない、椅子。だが、憎まれ口を叩く余裕は、今の里美には残されていなかった。
「本物の戦闘など見たことがない、あの愚かな女は簡単に引っ掛かってくれた。半死人の貴様の攻撃など、効くわけがなかろうに・・・」
クックックッ・・・悪人らしい笑い声をたて、久慈が身を揺する。
己に反抗する者を屈服させる快感は、最高のエクスタシーだが、計画通りに事が運んだときの達成感もまた、格別だ。インチキなどではない、本物の超能力を持った少女を配下に収めた快感に、久慈は酔いしれていた。
「ファントムガール・・・この闘いはもはや、先が見えたな。貴様らに勝利はない。素直にオレに忠誠を誓えば、命だけは助けてやろう。お前たちは抱き心地が良さそうだからな」
言葉の裏に、下卑た発想を隠しもせず、久慈は勝者の余裕を漂わせ、傲慢に磔の少女に迫る。
「・・・たとえ私を殺しても、まだ正義は負けないわ。ナナやユリアもいるし・・・思いあがるのは早いわよ」
普段は心優しい生徒会長も、この悪鬼に対しては、辛辣な台詞を吐く。
常ならそこで逆上するはずの権力者の息子は、代わりに薄い唇の両端を、極端に吊り上がらせた。思わず里美がゾッとする、禍禍しい笑顔。
「ユリア? ククク・・・ユリアがいるだと? どこにいるというのだ?」
「ど・・・・・・どういう意味ッ?!」
心臓が黒い手により握り潰される。
悪意に満ちた久慈の口調が、なにか、とてつもなく恐ろしい予感を里美に抱かせる。不可思議な台詞の意味、邪気に満ちた満面の笑顔・・・聞いてはならない、恐るべき事実を、久慈はこれから告白しようとしているのだ。
「メフェレス! ユリアがどうしたと言うのッ?!」
「ワハハハハハ! 見たいか、五十嵐里美! ファントムガール・ユリアの成れの果てを!」
磔に固定された里美の正面の壁に、プロジェクターが映し出した、一枚の映像が現れる。
「ユッッッ・・・ユリアッッッ――――ッッッ!!!!!」
漆黒のビルに横たわる、光を失った黄色の少女戦士の姿が、大画面で里美の瞳に飛び込んでくる。
血の朱色と、汚濁液の濃緑にまみれた華奢な身体は黒く汚れ、身体中に開いた穴が、天使が敗北したことをわかりやすく教えている。完全に光が途絶えた胸のクリスタルを見るまでもなく、まだ幼さの残る肢体には、塵ほどもエネルギーが残されていないことは容易にわかった。
人々が見守るなか、絶望の象徴として、惨殺された可憐な天使は野晒しにされているのだった。
私の・・・私のせいだ。
私がこんな闘いに巻き込まなければ、あのひたむきで真面目で内気な少女は、きっと幸福を掴んでいたに違いない。
私さえ、しっかりしていれば、他の誰も苦しめることなく、ひとりでこの使命を背負っていけたのに。あの可愛らしい少女を、死なせることなどなかったのに。
全ては、私のせいなのだ。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・・・・」
真っ暗になった里美の視界から、一筋の雫が頬を伝い落ちる。
長い髪を垂らし、ガクリと頭を俯かせる囚われの少女。張り詰めていた糸を切らした宿敵に、全てを手中にせんとする横暴者はさらなる追撃を突き刺す。
持っていたリモコンのスイッチを押す。
重量感ある轟音が木霊し、ユリアの亡骸を映した壁が、真ん中から左右に広がっていく。単純な構造に思われた地下室には、忍者屋敷を想像させる秘密の部屋が隠されていたのだ。殺風景な部屋に施された機械仕掛けが、精神を砕かれた少女戦士にトドメを刺すべく動いていく。
灰色の壁の奥から、青白い光が洩れてくる。コンクリ―トの扉が完全に開ききり、秘密の部屋の全貌が明らかになったとき、深い傷を負った五十嵐里美の心は、死神の息吹により凍りついた。
「そ・・・・・・・・・んな・・・・・・・・・・」
「うわははははは! これが本当の力の差だ! 絶望に平伏せ、ファントムガール!」
コンクリートの壁の向こう。
そこには、直径30cm、長さ50cmほどの巨大な試験管が、壁一面に並べられていた。
ズラリと並んだ無数の試験管。
その中は、青みがかった液体で占め尽くされ、底には白い物体がひとつづつ沈んでいる。
鶏の卵ほどの大きさのそれは、くらげのようにゆるやかに蠕動し、細かい襞を青白い液体の中で揺らめかせている。
「どうだ、オレが集めたコレクションは?! オレたちにはまだこれだけの『エデン』があるのだ! 貴様らファントムガールが何人いようと、オレたちに敵うわけがないのだ。ワハハハハハハ!」
里美の心で、何かが崩壊する音が響く。
全ての体重を、手足の枷に委ねた少女に、悪鬼の哄笑が浴びせられる。垂れ落ちた長い髪の向こう、美しき少女は虚ろな視線を、冷たい床に落とし続けるのだった。
そして、絶望の魔獣に食い破られた少女に、本当の地獄が襲いかかる・・・
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