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「第五話 正義不屈 ~異端の天使~ 」
2章
しおりを挟むいつからだろう、この力を隠すようになったのは。
物心ついた時には、手や足を動かすのと同じような感覚で、物体を宙に浮かすことができた。強く、そうなるように思い描く。集中力を必要としたが、その労力は「走る」時と感覚的には似ていた。やろうと思えばすぐできるが、疲れるので普通はやらない、そんな感覚。
だから、幼少の頃に力を使っていたとはいえ、頻繁だったわけではない。ごくたまに両親の前で見せていたりした。
封印したのは、幼稚園のとき。
木の枝に引っ掛かった風船のピンク色が、あまりにキレイだったので、つい力を使って取ってしまった。友達の前で。
その瞬間、友達は叫び声をあげて、逃げ出した。
翌日からは化け物と呼ばれ、石を投げられる日々が待っていた。新品のセーターが、家に帰ると靴跡だらけになっていた。
その土地を離れたのは、1週間後だった。
今の街に引っ越して以来、桜宮桃子は普通の人としての生活を続け、2度と人前で力=超能力を使わないことを誓ったのだった。
「桃子」
やさしい、蕩けるような声が、透き通る肌を持つ少女の耳朶を打つ。
俯き加減でパイプ椅子に座っていた少女は、耳元で話しかける恋人に視線を移した。
美しい、少女だった。
化粧もしていないのに、透明感のある肌は綺麗という単語を思い浮かばせる。茶色の長い髪は、真中付近で分けられていた。睫毛の長い潤んだ瞳、高く、形のよい鼻梁、弾力性のありそうな厚めの唇。どのパーツもが完璧で、卵型の輪郭にバランスよく配備されている。美人特有の冷たい感じもなくはないが、口の右下にある黒子が、高2という年齢以上のエロティシズムを醸し出している。
特に目・鼻・口の完成度は、かなりの高水準といえた。
大きな漆黒の瞳、モデル顔負けの高い鼻、赤い唇の中に白く大きな歯がキレイに並んでいる。神崎ちゆりが桃子のことを、「うさぎちゃん」とあだ名しだしたのも、頷けることだった。
その完成された美貌を直視して、彼氏である久慈仁紀は甘い声で話す。
「どうした、暗い顔をして」
「ううん、なんでもないよ」
「昔のことでも思い出したのか?」
頷く代わりに桃子は視線を落とした。
そんな少女の落ち込んだ隙を逃さぬように、しなやかな肉体を持つ男は、両腕で小さな少女を抱きしめていた。
桃子の透明な肌が、虚を突かれて見る見るうちに赤くなる。
「今はオレがいるじゃないか。お前はお前のままでいいんだよ」
抱きしめる腕に力がこもる。自然、桃子も久慈を抱きしめ返していた。
偶然念動力を使ったところを見られた時、この男は拒絶するどころか、逆に受け入れてくれた。素晴らしい力だと言って。
家族以外で生まれて初めて本当の自分を認めてくれた男。その喜びはいつしか違うものに変わっていった。
だが、視線と視線が絡み、久慈が唇を近付けようとしているのを察した桃子は、やんわりと身体を離す。
「今日はどうしたの? こんなところに呼び出して」
話題を変える。
執拗に迫ることはやめて、久慈は桃子が提供した話題に乗ってきた。元々の今日の目的はそちらだった。
久慈の父親が所有しているいくつかの資産、そのうちのひとつである賃貸ビルにふたりはいた。いや、正確にいうと、ふたり以外にも久慈の仲間たちが来ているはずだったが、今は姿を見せていない。
地上5階のビルだが、地下にも同程度の深さがあるらしい。エレベーターに導かれてやってきたのは、地上から遠く離れた灰色の部屋だった。
コンクリート剥き出しの寒々しい部屋には、粗末なパイプ机と椅子があるのみだった。
久慈仁紀が初めて招待するその部屋。彼はそこで、いよいよ今策略の最後の仕上げに入ろうとしていた。ファントムガール抹殺の最終段階へと。
「実は・・・桃子に聞いて欲しいことがある」
「なに?」
「オレたちの仲間になって欲しい」
どことなく軽い感じのする久慈らしくない、真剣な眼差し。一体どんな話かと緊張した桃子にとって、拍子抜けするような久慈の願いだった。
「なんだ、それならとっくに仲間じゃん」
「違う、そういう意味じゃない」
甘いマスクが一旦、言葉をきり、衝撃的な告白を続けた。
「オレは青銅の魔人・メフェレスだ」
桃子の芯の強そうな瞳が丸くなる。
少女はその言葉が、どういう意味か、すぐには理解できなかった。
「メフェレスとは宇宙からの侵略者のように言われているが、そうではない。このオレが変身したものだ」
今、世間で最も恐れられ、国中いや世界中をパニックに陥れている悪鬼。その正体が、目の前の恋人だというのか。
人類を楽しむように殺戮し、街を破壊して喜ぶ侵略者。つい先日、光の戦士ファントムガール・ユリアを殺害し、降伏を迫る悪魔は、見た目からは想像できないほど正義感の強い桃子にとって、許しがたい敵だ。その敵が、彼氏の正体だなんて――
ショックで美少女の視界が暗くなる。
「オレの話をよく聞いてくれ、桃子」
桃子の心に疑念が湧く前に、女性経験の豊富な久慈は先手を打つ。複雑といわれる女心を熟知したつもりで彼はいた。
「オレたちは侵略者だとか、悪の手先のように言われているが、あれはマスコミの情報操作によるものだ。オレたちの真実の姿じゃない」
高校生ともなれば、マスコミというものが信用ならないものであることは、自然に教育されているのがこの国の実状である。比較的素直に物事を受け入れるタイプの桃子でも、情報操作があることぐらいは当然知っていた。
恋人の口からでた言葉は、信じてみたくなるのが普通であろう。動揺する乙女の心を、悪鬼はすかさず突く。
「オレたちには闘わなければいけない理由がある。新しい世界を作るためには、どうしてもしなければいけないことなんだ」
「新しい世界? 人を殺す理由なんて、あたしにはよく・・・」
「今、地球が人間たちの勝手な行動のせいで、死にかかっているのは桃子もしっているだろう」
久慈の口から、自分たちの行動の正当性を主張する言葉がでてくる。信用したい少女は、つい恋人の論理を聞いてしまう。
「オゾン層の破壊、砂漠化、二酸化炭素による温暖化・・・全ては人間たちの勝手な都合による自然破壊のせいだ。多くの生物が住む、この美しい星を、人間は自分たちの利益のために死滅させようとしている。それが本当に正しいことだと、桃子は思うのか?」
藤村女学園という、遊びが仕事のような学校にいることと、ちょっと格好が派手なせいで、桜宮桃子という少女はよく誤解されるが、その実、心優しい女のコであることを久慈は見抜いていた。なにしろ、彼女の夢は介護士になっておじいちゃん・おばあちゃんの面倒を見る、ということだったのだから。桃子が念動力を久慈の前で使ったのも、道路を横断しようとしていた老婆に、ダンプカーが突っ込んできたためだった。
正義の論理にこの女は弱い。
それが久慈が出した、桃子に対する分析であった。
「そ、それは・・・」
「オレたちだって、誰も傷つけたくはない。だが、人間は自分たちが良ければあとはどうでもいい、というエゴの塊だ。現に人間はどんどん人口を増やし、他の生物を何種類も絶滅させて平気な顔をしているじゃないか。なかには趣味で生物を殺し、笑っている奴もいる。そんな人類を守ることが、本当に正しいことだと言えるのか?」
柳眉が垂れ、苦悩する表情が少女に刻まれる。
人間の勝手な行動と、自然の破壊、このふたつを比べて教育されるのも、高校生までには必ず習うことである。人類のアンチテーゼとして存在する自然。その正論を駆使することで、久慈は己の行為を正当化していく。
無論、彼の本心がそんなところにあるわけはなかったが。
世界制覇の挙句には、やりたい放題をして、好きなように生き、自分が死んだら地球などどうなろうが知ったこっちゃない。
そんな本心のかけらも見せず、久慈はシミュレーション通りに桃子を追い込んでいく。
「ファントムガールも正義の味方といわれているが、正体はとんでもない。あれは政府が開発した秘密兵器のようなものだ。他の外国に対して、これだけの戦闘力があるんだということを誇示しているのだ。その証拠に、巨大生物が現れても、他国から援軍が来ないだろう。この国がどれだけ強大な戦力を持っているか、知らしめるためさ」
普段からのファントムガールとミュータントの会話を桃子が聞いていれば、久慈の言うことがいかに矛盾したものであるかはすぐにわかっただろう。しかし、ここではマスコミ規制をしていることが、悪に利用されてしまっていた。
明らかに混乱した様子の桃子を見て、久慈の内なる心が笑う。
あとひと押し。ひと押しで、この強力な能力を持った女が、手下に加わる。
「一度この世界を破壊して、また人類はやり直すべきなんだ。オレたちの目的達成のために、お前の力を貸して欲しい」
「で、でも・・・」
「ついてきてくれ」
悩める乙女を連れだし、久慈は冷たい部屋を出る。エレベーターに乗り込むと、さらにひとつ下の階へと無言で降りていく。状況を整理できていない少女は、戸惑いを隠せない表情で、素性をカミングアウトした彼氏のあとについていく。
エレベーターの扉が開くと、そこにはさきと同じような灰色の世界が広がっていた。
だが、こちらの方が広い。そして真ん中ほどに透明なガラス板で仕切られている。
桃子は、お気に入りのロックバンドがCDアルバムを作成している風景を思い出していた。ちょうどそこは、録音スタジオのようだった。壁は防音壁ではなく、剥き出しのコンクリートではあるが。
こちら側、スタジオでいえばスタッフが陣取っている方に、見覚えある顔が揃っている。
腰までの長い髪を揺らめかせる女は、動くたびに艶やかな薫りを撒き散らす。
水着かと間違うような豹柄のタンクトップとホットパンツをはいた少女は、爪の手入れに忙しそうだ。
以前、背後から抱き締めてきた頭髪の薄い小太り中年は、えびす顔をよりほころばせている。
片倉響子と、神崎ちゆりと、田所教諭。
久慈が言っていた仲間たちが、この場に集結していた。
そして、ガラスの向こう、冷たいコンクリートの空間の、真ん中にひとつの人影。
やや茶色がかった髪が、まず目についた。
細身にみえるが、出るべきところが張り出した、見事なプロポーション。だが、内股気味に立った姿は、その少女が明らかにダメージを負っていることを窺わせる。
知らず、数歩ガラスに近付いた桃子は、長い髪の少女の顔を見る。
ゾクリ、とするほど美しい。
いかにも大人の女性といった片倉響子に初めて会った時も、その美しさに圧倒されたものだが、ガラスの向こうの少女は年齢が近いだけに、よりその美貌が輝いてみえる。ルックスの良さでは桃子は相当な線をいっているが、桃子が街のオシャレな少女の代表であるのに対して、この少女には宝石が滲ませるような深い気品がある。
そして、今の少女の顔は、滴り落ちる汗で濡れ光っていた。
マジックミラーにでもなっているのだろう、こちらの様子には気付いていないようだが、切れ長の瞳には疲労の色が濃いものの、鋭く視線を八方に飛ばしている。
上品さの中にも、強い意志を感じさせる眼力は、ガラス越しにも桃子に伝わってくる。
「このひと・・・誰・・・?」
「ファントムガールの正体、五十嵐里美よ」
低いトーンにセクシャルな隠し味を混ぜた声で、響子が応える。
ファントムガール・・・テレビで遠距離からの映像は見たことがあったが、こんな自分と同じくらいの少女が、女神と呼ばれた戦士だなんて!
驚愕に言葉を失う桃子に、更なる追い打ちが、久慈の口から発せられる。
「これからオレは、あいつと闘う」
「?!! えッ、な、なんで?!!」
「オレもこれ以上、無駄な犠牲は出したくない。あいつら、政府の犬であるファントムガールどもが降伏すれば、無意味な闘いはせずに、理想郷を創れるんだ。いつの世でも、闘いに巻き込まれて、不幸になるのは罪もない人々。そんな人々を出さないように、1対1で闘って、決着をつけるのだ」
自分以外の人間を、無価値と断じている久慈が、そんな思想を持っているわけはない。
だが、17歳の桃子は、若かった。
愛する久慈の本性を見抜けるわけはなく、偽善の論理に気付くこともなかった。
やめて、と止める桃子の静止も聞かず、久慈は素手のまま、ひとりガラス窓の向こうの部屋に入っていく。
久慈の姿を確認した、長い髪の少女が叫ぶ。
「く、久慈・・・・・いや、メフェレス・・・」
この部屋に連れて来られてから数時間、幾分体力を取り戻した里美は、気丈に言い放つ。
その言葉に恋人の正体が、やはり巷を揺るがす悪党であったことを思い知らされ、桃子の心にさざなみが起こる。しかし、事態はそんな少女の動揺など、弾き飛ばすように加速していく。
「一体・・・・・・・なにを企んでいるのッ・・・・・!」
「五十嵐里美、いや、ファントムガールよ、勝負だ。貴様が勝ったら、この星を自由にするがいい」
ヒトキ、やめてぇぇッッ!!!
絶叫する桃子の願いも届かず、しなやかな男が飛び蹴りで里美を襲う。
反射的に反撃する里美。だが、前回の闘いでエネルギーを極限まで奪われ、全身を砕かれ、暗黒の魔線を浴びせられた肉体では、柳生の剣術を極めた久慈に敵うわけがないことは、誰よりも里美自身が理解している。小学生相手にも、まともに闘えない身体なのだ。
「さあ、来いッ! 誰にも邪魔はさせない、オレと貴様との闘いだ」
無我夢中で振った里美の右手が、久慈の尖った顎に入る。
鈍い音を残して、研ぎ澄まされた肉体が、弾けたように吹っ飛ぶ。
驚いたのは、里美その人。
きゃあああああ!!
厚いマジックミラーの奥で、頭を抱えて叫ぶ桃子の悲鳴は聞こえない。
「そんなものか、貴様の力は?! もっと思いっきりかかってこい!」
両手を広げ、血を唇の両端から吐きながら、久慈が立ち上がる。いつもニヒルを装う気取り屋らしからぬポーズ。避けられるはずの攻撃が当たったり、効かないはずの打撃が効いたり・・・明らかな違和感が里美を包むが、宿敵に捕らわれた身としては、わずかな光明にもすがってしまう。
“どういうつもり?! で、でも、ここでメフェレスを倒せることができれば・・・”
膝立ちになって、ノーガードで両手を広げる久慈に、里美は不審を抱きながらも、ボロボロの身体に鞭打って打撃を重ねていく。
パンチ、キック、肘、膝、掌底・・・くノ一として叩き込まれた体術の全てを、災いの元凶である仇敵に刻み込んでいく。
「誰かッ!! 誰か、ヒトキを助けてよッ!! あんたたち、仲間なんでしょ、なんで誰も助けにいかないのッ?!」
二人の女とひとりの男は、みな俯いて応えない。
マイクが取りつけられているのだろう、ガラス窓の向こうの殴打音が、スピーカーから流れてくる。
勝負だと言った割りに、久慈は無抵抗に、されるがままに里美に殴られ続けている。里美からすれば、敵の首謀を倒せる最大のチャンスであるが、武器を全て奪われた今は、弱った身体で素手で闘うしかない。
頭を抱え、首を横に振り続ける桃子。
やがてその耳に、神崎ちゆりの押し殺した呟きが届く。
「メフェレスはねぇ~・・・ここで死ぬつもりなんだよ」
「!!!そ、そんなッッ!!!」
「今までの罪を償ってねぇ~・・・里美と刺し違える覚悟なんだよ・・・」
突き出した久慈の顎に、容赦ない里見の廻し蹴りが吸い込まれる。
血を噴き出して後方に吹っ飛ぶ恋人の姿を、涙を溜めた桃子の瞳が映す。
俯いたまま、豹柄の女は赤い舌を、桃子に気付かれぬよう、ペロリと出す。
「人間は、勝手な生き物よ」
片倉響子が語り始める。
「自分に都合の悪いものは、全て消そうとする。それは、あなたも経験したことじゃあ、なくって?」
フラッシュバックする、桃子の記憶。
石を投げられ、化け物と蔑まされた、あの日々。“人間”に抹殺されかかった、幼き日の記憶。
ニンゲンヲマモル価値ナンテ、アルノダロウカ?――
「やめてぇぇぇッッッ―――ッッッ!!!」
倒れこんだ久慈に右拳を振り下ろそうとする里美の肉体が、霞む。
ブンッッッ・・・
音だけを残し、床と平行に宙を飛んだ里美の身体が、激しく壁に叩きつけられる。
ボゴオオォォォッッッ!!
大の字の姿勢でコンクリートにめり込む華奢な少女。灰色の破片が毀れる。
桜の花に似た唇から、大量の赤い霧がガハアッッと吐き出される。
完全に白目を剥いた正義の少女は、ゴボゴボと粘着質な血糊を吐きながら、ゆっくりと地面に沈んでいった。
「あたし・・・あたし・・・」
己の超能力ーサイコキネシスーで、ファントムガール五十嵐里美にトドメを刺した少女は、消え入りそうな声で、しかし確かに宣言した。
「仲間に・・・なる・・・・・・・・・」
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