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「第四話 邪悪哄笑 ~魔呪の虜囚~

2章

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 「・・・どうやら、ちゆりの言っていたことは、本当だったようだな」
 
 痩せた体躯からは、想像できぬ迫力を秘めた口調で、久慈仁紀は言葉を吐いた。やや垂れ気味の視線が見つめるのは、「第2物理実験室」の看板が付けられた、部屋の扉。
 ここ、聖愛学院の理事長を祖父に持つ彼にとって、学園内の出来事は、ほぼ全てを掌握しているといって過言ではない。こと敷地内に限っては、さすがのくノ一里美も、情報戦で久慈に一歩譲らざるを得ないというのが現実だった。
 五十嵐里美が、蛇のキメラ・ミュータントと闘った翌日に登校してきたのも、天才と呼ばれる霧澤夕子との距離が近付いているのも、久慈には全てがお見通しであった。
 
 「ファントムガールのお友達にして、ちゆりの爪を素手で弾く女か・・・ククク、響子よ、これはどう考えるべきだろう?」
 
 影のように付き添う、ハーフを思わせる美女は、冷静な口調で言った。
 
 「霧澤夕子がファントムガールと決めつけるのは、どうかしら? 確かに、五十嵐里美と単なる仲良しってわけじゃなさそうだけど」
 
 嘲るように、鼻をフフンと鳴らす久慈。
 
 「危険分子は、ないに越したことはない。ファントムガールどもを処分したら、こいつも始末してやるか」
 
 「自信たっぷりなのね。今に始まったことじゃないけど」
 
 「今度の闘いで、ファントムガールどもとの遊びは終わりだ。奴らは、ひとり残さず嬲り殺しにしてくれる。黒魔術のマリー、偏執的な愛を持つ変態教師、そしてもうひとり、オレには切り札があるからな」
 
 ククク・・・楽しげに軽薄そうな男は笑う。今までさんざん計画を邪魔されてきた怒りは、そこにはない。あるのは、完全なる勝利への確信のみ。
 
 「ファントムガールよ、お前たちに勝ち目は無い。一気に片をつけてやろう。これまでの恨み、まとめて体で払わせてやるからな・・・フハハハハ!」
 
 高らかな笑い声は、いつまでも響いていた。
 これまで、どこか余裕を漂わせていた悪の化身は、地球を守り、彼の世界征服を邪魔する守護天使たちを、全力で葬る決意をしていた。何度も窮地に陥りながら、その度にしぶとく生き残る、銀色の小娘たち。それどころか、闘うたびに強くなっていくような彼女たちに、久慈は漠然とした不安を感じるようになってきていた。
 もはや、遊んでいる余裕はない。
 抹殺せねばばらない。ファントムガールを。どんな汚い手を使っても、恥辱にまみれさせ、人類の目前で公開処刑せねば。
 久慈仁紀が描く、ファントムガール抹殺のシナリオ。
 その実現は、目前に迫っていた。
 
 
 
 「ぐあああッッッ?!!」
 
 突然、悲鳴をあげた藤木七菜江は、愛しそうに両手で締まった腹部を抱き締める。灼熱の痛みは、少女の膝を崩れさせ、内股の姿勢で土の大地に座りこませる。白い道着に、茶色が付着する。
 
 「どうなさいました? 藤木様、大丈夫ですか?」
 
 もしやずっと見ていたのか、どこからともなくすかさず現れた、五十嵐家の執事・安藤が、そっと寄り添う。上気して桃色に染まった頬に、大量の冷たい汗が浮んでいる。チャーミングな美少女は、艶やかなまでに、濡れ光っていた。
 
 「・・・あれ?」
 
 「腹痛ですか?」
 
 「・・・そうだったんだけど・・・もう、痛くないや・・・なんだったんだろ?」
 
 「少し、ハードすぎたのではないですか?」
 
 白髪交じりのオールバックを振り返り、老紳士は道着姿の女子高生が行った、練習の成果を見遣る。
 七菜江が居候している五十嵐家の敷地は、彼女の拳によって造られた穴で、ボコボコになっていた。もぐら叩きのゲームのように。その穴は、どう少なくみても、三ケタはあった。
 
 「でも、しっかり練習しないと、自信もてないもん。せめて、吼介先輩と同じぐらいには打てるようにならないと」
 
 ゲームをヒントに必殺技を思いついた七菜江であったが、ただ形だけできても、その技に威力がないことは悟っていた。ファントムガール・ナナの「スラム・ショット」が超必殺技たりえるのは、七菜江がハンドボールで培った自信と技術が、その裏にあるからだ。七菜江だけではない、里美も、西条ユリも、彼女たちが養ってきたモノがあるからこそ、ファントムガールとして生かせているのだ。新必殺技を完成させるには、それこそ血の滲む努力が必要だった。
 実際に少女の柔らかい拳は、皮が摺り剥けて、血だらけになっていた。孤独な練習の途中、七菜江のつり気味の眼からは、透明な雫がポロポロと零れた。それでも少女は止めなかった。
 
 「体内で創った波を伝える、って吼介先輩は言うんだけど・・・イマイチ実感湧かないんだよね。数打ちゃわかるって、コツを教えてくれないし」
 
 「しかし、そこまで頑張っている藤木様の姿を見れば、工藤様も考えを変えるのでは?」
 
 「ううん、“ぬるい練習してるな”って言われちゃったよ」
 
 返す言葉をなくし、黒スーツの紳士は押し黙る。血と泥で汚れた少女の背中は、やけに小さく見える。地球の運命を背負わせるには、過酷なほどに。
 その時だった。
 
 ゴオオオオオオッッッッ!!!
 天から舞い降りる大音響とともに、彼方の空に、黒い雷が迸る。まるで暗黒の隕石が落下したようなこの現象は、七菜江にとって無視できないものだった。
 
 「ミュータントの出現!! 安藤さん、私、行かなきゃッ!!」
 
 「お待ちなさい。せっかくここまで我慢したのです。あとわずかばかり、辛抱なさいませ」
 
 体内に蓄積されたダメージを取るため、里美により、ファントムガールになることを禁止された七菜江であったが、その期限までのこり1週間を切るところまでこぎつけていた。元気いっぱいな当事者からすれば、すでに万全な状態なのだが、先輩であり、今は保護者の立場でもある生徒会長は、断固として変身を許さなかった。
 
 「ここは、お嬢様に任せましょう」
 
 執事の台詞に追随するように、眩い光が、暗黒流星が落ちた方向で輝く。
 銀の皮膚に紫のライン、そして金がかった茶色の髪。美の女神に愛された戦士が、部分としても、全体としても完璧な姿を現世に披露する。
 五十嵐里美の変身体・ファントムガールが、突如現れた邪悪と闘うため、冷酷な戦地に降臨したのだった。
 

  
 里美たちが住むこの地方の北東には、まだ未開発な茶色の大地が多く残っていた。山岳地帯ばかりの日本には珍しい、広大な平野があるのが、この地方の自慢のひとつだ。
 自然動物と合体したミュータントが現れていた頃は、山間部や海など、生息場所に近いところに巨大生物は出現していたが、あのメフェレス以降、人口比率が高い地域に怪獣は出るようになっていた。理由はもちろん、人間との融合体であるからだ。
 
 そういう意味で、今回のケースは異例といえた。
 民家もまばらな山裾に、ミュータントは現れた。土の大地が広がる舞台は、邪魔するものがない、という意味では決戦場に相応しい。
 
 だが、現れたミュータントは明らかな人型だった。
 西洋の僧侶がかぶるようなフードを、頭からすっぽりと被ったような姿。全身が、黒いフードに覆われている。「怪獣」という言葉が、凶暴な恐竜を意味するのなら、今回のミュータントは怪獣ではない。巨人と呼ぶのが、妥当といえよう。それほどまでに、ハッキリとした人間型であった。ただ、不気味なのは、その顔が、青く光る眼を持った、白いデスマスクのようなものである、という点だ。
 
 “人間のミュータントが、なぜ、わざわざこんなところに現れたの?”
 
 里美の脳裏を、漠然とした不安がよぎる。
 住民がいない場所での戦闘は、むしろ光の戦士たちにとって、望むべきものだった。破壊せんとする者と、守ろうとする者の差だ。純粋に敵との闘いに集中できる、土の平野での闘いは、人類の守護者であるファントムガールにとって、願ってもない状況といえた。そういう場を、あえて選んだ、この敵の真意。黒いフードの中が見えない里美は、鼓動が早まるのを覚える。
 
 “私を倒す・・・自信があるとでも言うの?”
 
 右半身の姿勢で構えるファントムガール。スレンダーな肢体が、より魅力的に映える。ただならぬ雰囲気を持つこの敵に対し、いつも以上の警戒を持って、立ち向かう。
 
 「出たわね・・・・・・・ファントム・・・ガール・・・・・・・・」
 
 それまで立ったまま、微動だにしなかった黒フードのミュータントが喋った。女。低く、地獄から響いてくるような声ではあるが、確かにそれは女の声。
 
 「待ってたわ・・・・・ここがあなたの・・・・・・墓場・・・」
 
 陽炎のように立つ黒い影は、テレパシーのように語りかけてくる。動きがない分、声だけ聞こえてくるのは不気味だった。かつて、多くのミュータントと闘ってきたファントムガールだが、今度の敵は何か、感じが違う。その違和感は、里美の心に警鐘を鳴らす。
 
 「私を倒すために現れた、と言うの」
 
 「その・・・通り・・・お前は・・・・・・・・生贄となる・・・」
 
 生贄、という言葉が、ファントムガールの細い肩を、ピクリと動かす。
 
 「お前は・・・私の“力”の・・・生贄だ・・・・・・この私・・・マリーの・・・黒魔術・・・・・・お前の身体を使って・・・・・思い知らせる・・・・・」
 
 マリー、という名前を聞いて、里美の記憶が扉を開ける。
 聖愛学院のオカルト研究会、ただひとりの会員・黒田真理子。「魔女」を名乗る彼女は、黒魔術の存在を信じ、ひたすら呪文などの研究をしているという。誰一人友達を作らず、妖しげな実験を繰り返しているという彼女は、魔術の存在を信じない世間に対し、怒りを抱いていると噂で聞いたが・・・
 もし、彼女がミュータントになったのなら。
 地球外寄生体『エデン』は、飛躍的に身体能力を高める一方で、光や闇の力を操る術も授ける。その際、ポイントになるのは、思い込む力、信じる力。己の力に自信がある者は、絶大な威力を引き出すことができるのだ。
 黒魔術が本当にあるのか、どうか、もはやそれはどうでもいいことだった。
 重要なのは、黒田真理子が、心底からその力を信じている、ということ。
 つまり、マリーの黒魔術は―――実在する。
 
 黒フードの中から、枯れ木のような腕が出る。両手に握られているのは、白色に紫のラインが入った物体。
 
 「そッ・・・それはッッ!!」
 
 マリーに握られた、己の形をした人形。
 黒魔術、人形。予測される次なる事態に気付いた銀色の天使が、目前の呪術士に殺到する。
 だが、全ては終わっていた。
 
 黒く光る長い針が、ファントムガールの人形を、深深と刺し貫く。

  「ぐッッ?!! きゃああああああ―――ッッッ??!」
 
 絶叫とともに、ダッシュしていた流線型のボディが、ビクンッッと仰け反り、大の字になって立ち往生する。まるで電磁波の網にでも、捕らわれたかのように。
 小刻みに揺れる可憐な指が、ゆっくりと胸の水晶体に伸びる。外見上、なんのトラブルもない最大の弱点箇所を、両手で守るように掻き毟る。
 
 “うぅぅッッ・・・・・・こッ・・・この痛みは・・・・・・まるで、エナジー・クリスタルを・・・・・・・ドリルで貫かれているよう・・な・・・・・・・”
 
 生命の源であるエナジー・クリスタルを攻撃されることは、単に死が近づくだけでなく、激しい苦痛をファントムガールに与える。
 本物そっくりに造られた銀色の戦士の人形。その中央部、クリスタルが埋めこまれた箇所に、魔女の針は突き刺さっていた。どういう原理か、金属に貫かれているガラス体は、割れていなかった。
 
 「効くでしょう・・・ファントムガール・・・・・・呪の痛みは・・・本物の苦痛を遥かに上回る・・・・・・・・」
 
 死神の使いに似た、マリーの言葉は嘘ではない。それは我慢強い里美が、一撃にして絶叫を漏らした事実が、雄弁に物語っている。
 ブルブルと震える紫のグローブに包まれた右手が、魔女に向かって差し向けられる。この苦境を脱出するため、なんとか反撃の一矢を報いようとする里美の思いが、くノ一の気力を振り絞らせる。
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