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「第三話 新戦士推参 ~破壊の螺旋~ 」
19章
しおりを挟むミュータントが襲撃する、少し前の谷宿―――
きらびやかでファッショナブルな表通りを、少し横道に外れていくと、灰色の壁に囲まれた裏通りに、ほんの数十秒で迷いこむことになる。スラムを知りたい者がいれば、ここに来ればいい。クスリ、売春、強奪、殺人・・・ありとあらゆる犯罪を、剥き出しのコンクリートたちは記憶している。壁や道が無機質に見えるのは、決して気のせいなどではない。
整然とした表の顔と違い、無計画に雑居ビルを建てこんだ皺寄せは、人目につかない裏側に現れていた。ネズミが通るにも苦労する隙間から、突如そびえる袋小路まで、あらゆるタイプの路地が、品評会を催している。そのほとんどが、息苦しさを感じさせる窮屈さであったが、時に無意味なほどに広大な空き地を、奇跡的に創り出すこともあった。
人ひとりがようやく通れるビルの隙間を、50mも閉所の恐怖に打ち克って進むと、そういう開け広がった敷地のひとつに出ることができる。
8m四方もあろうか、灰色の壁に仕切られた、勿体無いほどの空白地は、谷宿を根城とする若者が集まるには、持ってこいの場所と言えた。しかし、その形が最も直接的にインスピレーションさせるものは――
コンクリートのデスマッチ用リング。
言いかえれば、ストリートファイトの決闘場。
死臭漂う、モノクロの舞台に、役者はすでに整っていた。
「ちりのことを嗅ぎ回ってる二人組って、あんたたちのことかぁ~。ふ~~ん。よくみりゃあ、里美と一緒にいた、お嬢ちゃんじゃな~い♪」
猛獣の青い爪を口に当てて、コロコロと軽快に笑う「闇豹」神崎ちゆりを、点対称に挟むのは、同じ顔を持つ姉妹だった。黒髪を左右ふたつに分けた、少女っぽいヘアースタイルにしている方には、顎に小さな黒子がある。纏めずに、そのままセミロングに垂らしている方が妹らしく、どことなくオドオドした様子だ。
立っているのは、女子三名だが、その場には男たちも多数いる。ただし、『想気流柔術』の嫡子・西条エリとユリの流れるような技により、ある者は頭頂から硬い地面に落ち、ある者は関節を外されてうめいていた。谷宿において絶大な支配力を誇るちゆりの兵隊は、どう見てもひ弱そうな双子の美少女によって、壊滅状態に追いやられたのだ。
もちろん、当然のようにちゆりは微塵も動じていない。
挑発的な豹柄のチューブトップとミニスカートは、ティ―シャツ姿のエリ、パーカーを着たユリとは、あまりにも対照的すぎる。何も施していない瑞々しい素肌が、真珠の輝きを放つ姉妹と、毒々しいまでに化粧を塗りたくったコギャルとでは、互いが互いを引き立たせている。身も心も、天を衝き抜ける初夏の風と、ドブ板に巣食うヘドロほどの違いが、両者には隔たっている。
「やっぱさあ~、あんたが新ファントムガールと考えて、いいんだねぇ?」
「・・・私は、『想気流』の看板を背負った者として、傷の借りを返しにきただけです」
言い放つエリの表情は、あどけない素顔に似合わぬ鋭いもの。はにかみ屋の15歳ではなく、武道家の娘としての顔だ。右手を前に軽く広げて出した構えは、力を入れているようには見えないのに、一分の隙もない。
「あはは。この前より、随分勇ましいじゃ~~ん♪ あん時は、突然でぇ、ビビッちゃってたぁ? でもさぁ、こいつらとちりとを、一緒にしない方が、いいと思うんだよねぇ~~」
「ユリ、あなたは手を出さないでいいよ」
「ぷッ! カッコイイ~~! あははははは、ひとりで勝つつもりなんだ? でも、正解かもォ~、妹ちゃんは、ビビってるようだしィ~~」
グルリと後を振り返り、マスカラの濃い大きな眼が、鏡合わせのように構えたユリを射る。狼狽が、素直に瞳に表れる。同じように見えて、姉とは違う内向の差が、ちゆりには把握済みだった。10人以上の悪どもを、優雅とさえ言える動きで叩き伏せていった姉妹だが、容赦のないエリと違い、ユリには最小限のダメージで倒そうとする、甘さが見えたのだ。
妹の抱えた爆弾を見透かされて、エリの心が焦る。
派手な衣装に身を包んだ「闇豹」が、どれだけの実力を持つかは計り知れないが、並の人間ではないことは、太股の傷が知っていた。今のユリでは、普通の者ならともかく、ちゆりに狙われたら、太刀打ちできないかも知れない。ユリの心の「城門」を、エリしか持たない「鍵」で開けようとする。
「ユッ・・・」
「ぶっちゃけて聞きたいんだけどさあッ!」
開きかけたエリの口を、ケバケバしい悪魔がタイミングよく塞ぐ。偶然の賜物だが、危険に生きる女の本能が、エリの行動を止めさせたのかもしれない。
「『新ファントムガール』って、どっちィ? あんた? それともこっちの小鳥ちゃん?」
金のルージュが吊りあがる。鼻にかかる掠れ声は、その裏に、脅迫めいた力強さがあった。
「・・・・・・私です。私が『新ファントムガール』。・・・だから、妹は気にせず、私と闘ってください」
「あは♪ やっぱそうよねぇ~。じゃあ、葛原ぁ~、あとお願いねぇ~」
ちゆりがあの、黒い壊し屋の名を呼んだ瞬間、エリの眼前に2m近い長身の痩せ男が降って湧く。まさに一瞬の出来事。黒い槍が、天空から落ちてきたようだ。
“え? なに? 飛んで。・・・どこから? 屋上? 嘘。まさか。敵。強い。狂気。た、闘わ・・・”
素直に生まれてしまった西条姉妹共通の欠点、それは虚をついた攻撃への対応が、鈍いことだった。
突如現れた、S級ランクの危険人物、壊し屋・葛原修司の猛攻が、身を固くした華奢な少女を襲う。
黒いミサイルの前蹴りが、くびれた腹を射抜く。
ふたつに折れ曲がるエリの白い身体。唾液が霧となって飛び散る。突き出された無防備な顎に、ボクシング部員を一撃でノックアウトしたアッパーカットが吸いこまれる。
グシャリ・・・
何かが潰れる音を残して、エリの細い体は5mを宙に舞い、洋食店が出した青いポリバケツのマットに墜落する。
破壊音と生ゴミが、散りばら撒かれるハーモニー。
「エ・・・エリィッッ!!」
「おっとォ、小鳥ちゃんの相手は、ちりだよォ~」
姉に駆けつけようとする妹を阻む、「闇豹」。
その素早い移動と、単純な恐怖が、幼いユリを強張らせる。
五本の爪が、透明感ある童顔に発射される。
身を捻ってよけるユリ。長年の修行で養った力が、身を助ける。よけると同時に、白鳥の左手は、女豹の右手首を捕まえていた。
「ハッッ!!」
気合い一閃。
グラサンをかけたままのコギャルが、宙を旋回して激しく地面に叩きつけられる。コンクリートと激突した細身が、耐えられるとは思えぬ勢いで。
ズブリ・・・・・
「きゃあああッッ?!!」
甲高い悲鳴をあげ、熱線の痛みに仰け反ったのは、西条ユリの方だった。白いカモシカの太股に、五本の青い棘が埋まっている。寒気のする笑顔で、悠然と立ちあがったちゆりが爪を引きぬくと、かつてない辛さに恥も外聞もなく地面を転がり回る。
「あはははははは! やっぱ、小鳥ちゃんは甘いねぇ! どうしても手加減しちゃうみたいね。・・・けど、意外とあんたがファントムガールじゃないかって、ちりは睨んでるんだけどなぁ~~」
ガラガラとゴミの山から立ちあがってきたのは、姉のエリの方だった。
マシュマロの唇の端からは、朱色の糸が引いている。濡れ光る唇には、まだ子供っぽさが残るだけに、悲哀が濃く漂う。
鼻先には、黒い塔が、獲物が起きるのを待っていた。幅の狭い肩が、小刻みに上下している。笑っているのだ。
「キヒィッ・・・キヒヒヒヒヒッッ・・・なぜ立ってこれたか、わかるか?」
葛原の問いには答えず、エリは自然体の構えを取る。一撃のダメージはあるが、程よい渇となって、普段の自分を取り戻すことに成功していた。
「楽しむためだよ・・・お前の肉を断ち、骨を折り、苦痛の海に沈めて、あられもない悲鳴を聞くために、わざと仕留めなかったのだ」
壊し屋の構えは、ムエタイ戦士のそれに近い。
女のコにしては背が高いとはいえ、30cm以上の身長差がエリにのしかかってくる。むせぶような死臭が、壁となって踏みこみにくくさせている。
『想気流柔術』は組み技が主体のため、打撃系の相手には待つのが基本だ。当て身を見切り、関節に捕える。エリはプロボクサー世界王者のジャブでも、捕える自信があった。つまりそれは、世界一早いパンチを見切れるのと同意。
壊し屋のスピードか、武道家の見切りか。
ビリビリと痺れるような緊迫感が、濃厚な空間を巨人と少女の間に出現させる。
バチンッッッ・・・
乾いた炸裂音がコンクリートのリングに響き、血霞みを吐いたエリの白い喉が晒される。
“あッ・・・・・・?”
白桃の頬がみるみる腫れあがる。黒いストレートが突き刺さったとわかったのは、追撃を食らった時だった。
がら空きの右脇腹に、ミドルキック。空き缶がトラックに轢かれる音がして、横にくの字になって吹き飛ぶエリを、すぐに逆のミドルが襲撃し、細いアバラを粉々に砕く。
ベキベキベキィッッ・・・・
崩れ落ちるエリに、安息は訪れない。大陸間弾道ミサイルとなった黒い拳が、小さな顎を潰す。2度のアッパーに耐え得るほど、少女の骨は丈夫ではない。折れた顎骨が吹き上げる血潮が、一直線に天に伸びる。
宙に舞うエリは、もはや格好の的でしかない。
右ボディが刺さる。ローが足を折る。パンチがあどけない顔を潰す。止むことのない打撃が、未完成な身体を暴風雨に巻き込む。
これが人間の壊れる音なのか。耳を覆いたくなる、肉と骨がミンチにされる曲が、エリという楽器から流れる。白い肌は血と痣に覆われ、片方のゴムが千切れて、束ねた髪がザンバラに垂れる。
「あがアッ!・・・ぐぶッ!・・・ゴボオッ!・・・げぶうッ・・・がはッ・・・あぐうッ・・・アアッッ・・・がふッがぶぶぶぶッッッ!!」
アニメ声と揶揄される高音ボイスが、激痛にむせんで嗄れ声となる。数分前まで白百合のように可憐だった姿は、無惨な肉片に変わりつつあった。
“み・・・・見え・・・・・・・ない・・・・・・・・か、らだ・・・・が・・・・・・壊れて・・・・・い・・・・・く・・・・・・・”
「エリッッッ! エリいいいィィッッ―――ッッ!!!」
泥で茶色に汚れたパーカー姿が、激痛を忘れて立ち上がる。しかし、嘲り笑う女豹が、絶叫する妹に襲いかかる。
右、左。
愛くるしい顔を切り裂こうと、猛獣の爪が空を切る。最小限の動作で捌くユリ。しかし、下からの攻撃が狙ったのは、顔面ではなかった。
チェックのミニがめくられ、純白のパンティが露になる。
予想だにせぬ攻撃目標に、捌きの達人のスカートは、ものの見事にまくられた。「キャッ?!」という少女らしい叫びをあげ、電光石火でスカートを抑えるユリ。
「あんたってさあ~~、ホントに闘いに向いてないよねぇ~~」
女豹の口調には、嘲りよりも呆れの翳が濃い。その十本の爪は、発展途上の膨らみを、揉み包むように突き刺さっていた。じっとりとした紅色が、白のパーカーに沁みを作っていく。
「あ・・・・・・あ・・・・・・・」
「パンツ見られたぐらいで慌てんならさあ、もう、ブドウなんてやめちゃえよ。ちり、なんだか、イライラしてきたなア~」
鋭い爪が、縦横無尽にユリの身体を切り裂く。
お気に入りのパーカーが、布切れとなって乱れ飛ぶ。象牙の肌が、「闇豹」の苛立ちを反映して、ヤスリで砥がれたように切り傷で覆われる。鮮血がユリの前面を朱に染めていく。
見た目無惨なユリだが、実際のダメージは姉とは比較にならない。ちゆりはわざと、浅く切り刻んでいたのだ。血こそ出るが、表面上の傷でしかない。服を切られることで露出を増す、精神的なショックが、ユリを揺さぶっているに過ぎないのだ。
「キャアアアッッ―――ッッ!! もうやめてぇぇぇッッッ!!」
泣き叫ぶ声は闘士のものではない。レイプにあった、女子高生の声だ。
ちゆりの平手が頬を打つと、弾けるようによろけ倒れる。
赤く染まった胸を、高いヒールで踏みつけると、降参したようにポロポロと涙が丸い瞳から零れ落ちた。
「弱いなぁ・・・弱すぎだね・・・おかげでどっちがファントムガールか、確信したよ」
仮にも『エデン』の宿り主なら、こんなに脆い精神のわけがない。
『エデン』は寄生者の思想を助長する働きがある。レイプ願望の持ち主なら、確実にレイプ魔に変えてしまうだろう。ファントムガールになるほどの正義感の持ち主なら、それ相応の強い精神力をもたらさないわけがない。
だが、この西条ユリは・・・弱すぎる。技術ではなく、精神がだ。
一方、姉のエリは、殴打の嵐に壊れかけているというのに、その瞳には強い光が消えていない。うりふたつの見た目からは想像できないほど、精神力の差があるのだ。
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