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「第三話 新戦士推参 ~破壊の螺旋~ 」
1章
しおりを挟むふたりのファントムガール、五十嵐里美と藤木七菜江が、彼女たちの学園の教師であり、天才生物学者である片倉響子の化身・シヴァに惨敗を喫してから、10日ほどが経っていた。
いくら宇宙生命体『エデン』によって、常人離れした回復力を得た彼女たちといえど、その傷は完治までにはほど遠い。
外科医の立場からいえば、怪我の具合が酷いのは、里美の方だった。なにしろ、宿敵メフェレスの悪刃に腹を貫かれてしまったのだから。変身が解け、防衛庁直轄の特別医療病棟に運ばれた少女を手術した医師は、なぜ、このか細く儚げな女子高生が生きているのか、己の経験を否定しかけたほどだ。
だが、身体中のあらゆる箇所を破壊された七菜江の事態も深刻だった。特に、少女らしい、青い果実を連想させる性器に、放水のように延々と注入された黄色の毒は、最大限の努力によって除去されたが、完全に払拭するまでにはいかなかった。細胞レベルに浸透した毒を排除するには、日本の最高技術を駆使してもしばらくの時間が必要だった。
七菜江の診断報告を聞いた里美は、安堵する気持ちの方が大きかった。
少々の時間があれば、身体は治ることがわかったからだ。その時間にしても、里美が覚悟していたものと比べたら、遥かに短時間である。
里美が心配なのは、寧ろ、身体についてではなかった。
心について、だ。
出来るなら、記憶から消し去りたい悪夢が、憂いを潜めた瞳の奥底に、あぶくとなって浮んでくる。
里美の眼前で繰り広げられた、水色の蜘蛛女による青い戦士の処刑のパノラマ。それは熾烈を極めた。それが正義と悪との闘いとは思えぬほど、一方的な虐戮。心も身体も、七菜江はビリビリに引き裂かれて、捨てられた。シヴァに全てを奪われたうえで。
身体の傷はいつかは治る。でも、心は―――
『エデン』との融合で、正のエネルギーは増幅しているとはいえ、その程度の心の強化では、あの魔女の蹂躙の前では、何の役にも立ってはいないだろう。
“ナナちゃんは・・・普通の、17歳の女子高生なのよ。私とは・・・・・・違う”
御庭番衆の頭領の血を引く家柄に生まれ、この国を守るために生きていく使命を帯びた私とは違うのだ。ナナちゃんは本当なら、幸せに生きていっていい人間だったのに・・・・・・ただ、類稀な運動神経を持っていたばかりに、あんな酷い目に遭ってしまったのだ。私がこの、血と闘いの道に誘ったために・・・・・・
意識の戻った七菜江は、里美が辛いほどに気丈だった。
平気そうな顔をしているけど、そんなわけはない。
あれほどの仕打ちを受けて、思春期の女のコが・・・いや、男であろうと、誰であろうと、平気でいられるわけはないのだ。
恐らく、七菜江の本音は、悲痛に張り裂けそうでいっぱいのはずだった。ただ、里美の前だから、そんな素振りは微塵も見せない。七菜江という少女は、そういう少女だ。
「安藤・・・・・・・・」
五十嵐家の2階の応接間。20畳はある、赤いカーペットの上には、ライトブルーのパジャマに萌黄色のショールを羽織った、この家の主人と、黒衣に長身を包んだ執事のふたりだけがいた。どんな格好をしても気品さを損なわない少女は、リハビリを兼ねて、少しでも身体を動かすように心掛けたおかげで、前日からベッドを離れることが出来るようになっていた。もうひとりの明朗闊達を絵に描いたような少女は、いまだ身体を起こすことも叶わない日々が続いている。
里美は金細工が細かく施された窓枠に触れ、強化ガラスの向こうに広がる景色を見ていた。初夏の太陽が、広大な庭の緑に反射して眩しい。風が薫る心地がして、美しい少女の瞳は、スッと遠くを見るようなものになる。
「はい、お嬢様」
五十嵐家の執事兼里美の教育係である、初老の紳士が、直立不動の姿勢で応える。彼の瞳は常に、深慮遠謀に縁取られている。
「私は・・・・・・ナナちゃんが辞めるというなら、引き留めないわ」
ふたりが話していたのは、トラウマを負った七菜江が、果たして本当に今後もファントムガールとして闘えるのか? ということだった。正確にいうと、闘わせてもいいのか? を話し合っていたのだ。七菜江が持つ、正義の心とズバ抜けた運動能力に惹かれて、ファントムガールに選んだのだが、七菜江には本来、闘う義務などない。寧ろ、今まで十二分にやってくれたと評価したいほどだった。
七菜江がファントムガールを辞めたいと思っているのなら、快く送り出してやろう。
それが里美がだした結論だった。
「お嬢様のお考えに、この老いぼれが口を挟むことはございません。ただ・・・恐らく藤木様は、辞めるとは言わないような気がします」
「・・・いいえ。多分、本心では・・・辞めたくて仕方ないと思ってる。あのコは、そういうところで我慢しちゃうコなの」
「そうでしょうか」
「だから、本音を言うまで、じっくり話すわ。そうしてあげないと、あのコは背負った重みに潰されてしまうでしょう。ナナちゃんを助けるために、今日はきちんと話し合うわ」
しかし、今、七菜江を、いや、ファントムガール・ナナを失うことは、あなたにとってどれだけの喪失か、わかってらっしゃるのですか?
脳裏に渦巻くことばを、黒のスーツに身を包んだ紳士は飲みこんだ。
言わなくても、当の里美自身が、誰よりもそのことを理解しているからだ。
わかっていて、尚、イバラの道を選ぶ。
五十嵐里美をもっとも身近に感じてきた人物は、里美が里美である所以を、よく知っていた。
藤木様、あなたがノーと言うのなら、別れる覚悟はいたしましょう。
祈るような気持ちで、病室となっている寝室に、里美と執事は入っていく。
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
純羽毛の掛け布団から、首から上だけを覗かせて、藤木七菜江は寝ていた。赤く蒸気した顔は、こちらを見つめている。目の周りが黒ずんでいるのは、シヴァの毒が抜けきっていない証拠だった。
「ううん。起きてました」
弱弱しいが、白い歯を見せて微笑む。その顔には、里美が近くにいるだけで、ホッとできる心境が色濃くでている。
「ちょっと、話せるかな?」
「どんどん話したいです。ずっと寝てるの、退屈なんだもん」
毒に冒されてるのが、嘘のようにニッコリと眩しく笑う七菜江。
百合のような美少女が枕元の丸椅子に座る。白髪混じりの執事は、扉の脇に存在感を薄くして佇んでいる。
「で、今日は何、話しますか? 昨日の続きで、山口屋のイチゴショートについてとか?」
安藤の計らいにより、今は隣同士のベッドで寝ているふたりの少女は、女子高生らしい話題で、よく盛り上がって話していた。ファッションとか、友達の話とか、おいしい店とか。昨夜、ふたりは怪我人であることも忘れて、駅前の洋菓子店のオススメメニューを、夢中で情報交換しあっていたのだ。
「・・・・・・・どうしても、ナナちゃんと話しておきたいことがあるの」
里美の口調に、真剣味を感じ取った七菜江の心が緊張していく。ゴクリと唾を飲む音が、静まった室内に響く。
ふたりの美少女が見詰め合う。お互いがお互いの瞳の美しさを確認する中、里美は潤んだ唇を、重々しく開いた。
「もし・・・ナナちゃんが、もう闘いたくないと思ってるなら、ファントムガールになんて、ならなくていいのよ。元々私が無茶をいってお願いしたんだもの。寄生した『エデン』は離れないけれど、私達が責任を持って、ナナちゃんの一生を保障するわ。どこか遠い街で、もう一回人生をやり直せるよう、最大の努力をさせてもらう。辛い闘いを、無理して続ける必要はないのよ」
一気に里美はことばを紡いだ。
「私に遠慮することはない。ナナちゃんが本心で思ってるように、して欲しいの。あなたには、もう十分助けてもらったのだから」
顔を伏せたまま、じっと聞いていた七菜江は、上目遣いで里美の表情を窺う。捨てられた子猫を思わせる、哀しげな瞳。桜の花びらに似た唇が、少し震えて言葉が出てきた。
「もしかして、あたし・・・弱いから、ファントムガールクビなんですか?」
「え?? ち、違うわ、そういう意味じゃないのよ。ただ、ナナちゃんが闘うことに疲れたなら、辞めてもいいよっていう・・・」
「じゃあ、ファントムガール、やってもいいんですね?」
「ナ、ナナちゃんが、やってもいいのなら、もちろんいいけど・・・」
「やったあ!! 私、絶対やめませんからね! こんな目に遭わされて、このまま引き下がれないよ。あの女、片倉響子と、神崎ちゆりには絶対お返ししてやるんだから! あ、あとメフェレスもやっつけますからね! 私、もっともっと強くなって、二度と里美さんに迷惑かけないようにします!」
里美が扉の執事を振り返る。その麗しい顔には、驚きと、普段滅多に見せない喜びが、自然と溢れていた。
“本心を隠してしまうのは、あなたのほうですよ、お嬢様”
本当の気持ちを曝け出した笑顔につられ、落ちついた紳士の顔にも笑みが浮ぶ。
突然、里美がそのスレンダーな肢体で、布団にくるまった少女に抱きつく。上半身全体で覆い被せられた七菜江が、思わず声をあげる。
「い、痛いよ、里美さん・・・」
「ごめんね、ナナちゃん。でも、もうちょっと抱いていたいの」
この世で唯一人、同じ境遇を、苦しみを、そして喜びを分かち合う仲間を、五十嵐里美は、いつまでも、愛しく、愛しく、抱き締めるのだった。
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