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70、勝利
しおりを挟む「バ・・・カなぁッ~~ッ!! 儂ら六道妖が・・・こ、こんなことがッ・・・!!」
「・・・郁美は・・・返してもらうわ・・・」
ガクガクと震えながら喚く皺だらけの怪老を無視し、オメガヴィーナスは巨大な十字架の祀られた祭壇へと歩を進めた。
青のケープはほとんどが破れて、白銀のスーツに包まれた背中がよく見えている。右の乳房は露わとなり、黄金の『Ω』マークはいまだシュウシュウとほのかな煙をあげていた。白銀のピッタリ密着したボディスーツには、吐血の飛沫や黒く焦げた跡が、ところどころ点在している。特に左肩から右脇腹にかけて、斜めに刻まれた火傷痕は濃い。
女神の名に相応しい美乙女は、無惨な姿に変わり果てていた。プラチナブロンドの髪も、シルクのように輝く素肌も、心なしか汚れて見える。
それでも。疲弊し切っていても、立っているのは光属性のオメガスレイヤーであった。
オメガヴィーナスを抹殺するために結成された六道妖は、その全てが教会の床に倒れ、あるいは粉々に砕けて消えている。
(・・・苦しい・・・闘いだったわ・・・)
死をこれほどに覚悟した闘いは、天音がオメガヴィーナスになって、初めての経験であった。
未熟であるがゆえに、危機に陥ったことなら4年半前にある。しかし、真っ向からの勝負で、命を削られるような想いをしたのは今回が初めてだった。
本当ならこの恐るべき妖化屍たちに、しっかりトドメを刺すべきだろう。
だが天音は、万一の事態を恐れていた。狡猾な〝百識”の骸頭には、まだ切り札が残されているかもしれない。今のオメガヴィーナスに、残されている余力は少なかった。力が残っているうちに。確実に妹の郁美を救出する必要があった。
妹の安全を確保してから・・・六道妖との真の決着はつければいい。
「・・・郁美ッ・・・!」
慎重に、しかし急ぎながら。
スレンダーだが、盛り上がるべきところは豊満に実った女性らしい肢体が、一段高い祭壇の上に飛び乗る。骸頭の動きに、不穏なものはなかった。床に転がったレーザーキャノンを拾う素振りがあれば、容赦なく瞳の光線で射抜く準備は、天音には出来ている。
「・・・おねえ・・・ちゃん・・・ッ!!」
わずか2mの距離まで近づいた時、ようやく天音は気付いた。
そっくりな美貌を持つ、少し勝ち気な妹が、瞳にいっぱい涙を溜めていることに。
妹は・・・郁美は、普段は4つ上の姉を「天音」と呼んでいた。
それが「お姉ちゃん」と、幼いころと同じように呼ぶのは、彼女が素直になった時だけだ。
「・・・ごめんね、郁美。つらい想いを、させてしまったわね」
妹が泣いている理由は、性的拷問のためではなく、天音が苦しむ姿を見たためだと、姉は悟った。
最強のオメガスレイヤーとされる乙女も、ホッとしたのだろう。不意に愛おしさが、ぐっと胸に迫った。
そう。私がオメガヴィーナスとなったのは・・・このコを守るためだもの。
ふっと唇を綻ばせ、天音は残りの距離を駆け寄る。
祭壇のほぼ中央、仰向けに転がった郁美を、抱き起そうと手を伸ばす――。
ドオオゥゥンンッッ!!
四方から発射音が轟いたのは、その時であった。
罠が張ってあったことを、瞬時にオメガヴィーナスは悟った。赤外線のセンサーを巡らせ、郁美に近付けば作動するようにしておく。現代の防犯技術を利用した、その程度の仕掛けは、〝百識”の骸頭ならば造作もなくできるだろう。やはり地獄妖の怪老は、油断ならない相手であった。
だが、オメガヴィーナスも、決して油断などしていなかった。
天井の隅から飛来する鋭い輝きを、その凛とした瞳は捉えている。ナイフのような、掌サイズの鋭利な結晶。それら小型の刃が、ギラギラと光りながら四周から迫っている。射出されたその速度は、銃弾と変わらぬ速さだった。
刹那。そのわずかな時間に、天音は全ての状況を把握し、決断をした。
飛来する結晶が狙っているのは、自分ではなく、妹の郁美であった。
このままでは、鋭利な刃は郁美を貫く。四つのナイフが妹を切り裂く。
まさしく光に迫る速さで、オメガヴィーナスは動いていた。郁美をかばう。両腕で抱きしめ、上から覆い被さる。
尖った結晶を、白銀の光女神は背中で受けようとしたのだ。頑強なオメガスレイヤーの肉体は、ナイフくらいならば容易く跳ね返す。
まして結晶の色は、天音が瞬時に危惧した、緑などではなかった。弱点である、アンチ・オメガ・ウイルスの色ではない。だからこそ、どこかで安堵した。
撃ち込まれた結晶の色は、紫だった。
ドシュッ!! ドシュッ!! ブシュッ!! ドシュウッ!!
「ふぐう”ぅ”ッッ!!?」
くぐもった、悶絶の呻きが天音の口から漏れていた。無意識のうちに、その芸術的な肢体が大きく仰け反る。
いつもならその背に翻る、紺青のケープがほとんどなくなっていたこともオメガヴィーナスにとっては不運であった。先程、骸頭の放った〝オーヴ”の砲弾を避けたときに、半ば以上が破られたのだ。
白銀のボディスーツが密着した背中に、紫色の四つの結晶が、深々と突き刺さっていた。
紫水晶――アメジストの、刃が。
「う”ッ!! ぐぅ”ッ、ふぐぅ”ッ・・・!? ・・・え”ッ・・・?」
背中に広がる鋭い痛みに、喘ぎながら天音は動揺した。
思わず左手を背中に伸ばす。掌に伝わる、ヌルリとした感触。
慌てて左の掌を見詰めたオメガヴィーナスは、そこに信じられぬ色を見た。
鮮烈なほどの、赤色。深紅。
強靭なオメガスレイヤーの肉体から、最強の破妖師である己の肌から、血が流れている事実を天音は直視した。
「うあ”あ”ッ・・・!! いやあああ”あ”ア”ア”ァ”ッ―――ッ!!!」
「きゃああ”ア”ア”ッ――ッ、お姉ちゃァ”ッ・・・!!」
しまった。
私は、愚かだった。痛恨のミスをしてしまった。
なぜ凛香さんが・・・オメガフェニックスが、あれほど酷い姿に変わり果てていた時に気付けなかったのか。フェニックスの身体には、杭で串刺しにされたような傷穴がいくつも開いていた。あの時に〝オーヴ”以外の危険を察知していたのに・・・どうしてその脅威を軽んじてしまったのか。
思えば、オメガヴィーナスは強すぎたのかもしれなかった。
あまりの超人的な能力に、無敵であることが当たり前すぎた。妖化屍を何十体と葬るうちに、狩る側の視点しか持てなくなっていた。
(六道妖の・・・恐ろしさを・・・肝に銘じていたはずなのに・・・私は、どこかで・・・・・・勝てると思い込んでいた・・・・・・)
「ヒョホッ!! ヒョホホホオォッ~~ッ!! 神よッ、よくぞ儂らを見捨てなんでくれたァッ――ッ!!」
老人の歓声が響く。骸頭は両手を組み合わせ、巨大十字架に向けて感謝を捧げていた。クシャクシャの皺だらけの顔は、悦んでいるようにも、泣いているように見える。
妖魔が神に感謝する。これほど異様な光景も、ないかもしれない。しかし、骸頭にとってもまた、この闘いは存亡を賭けたものなのだ。祈るのに、躊躇いなどなかった。最強のオメガスレイヤーを倒すには、なににでもすがる想いであった。
立場も、宗教も、関係なく。オメガヴィーナスを殺せるならば、六道妖はあらゆるものに頼りたかった。
「勝てるッ!! 勝てるぞおおオォッ~~ッ!! 最後の賭けじゃったッ!! それが最後の賭けなんじゃよォッ、オメガヴィーナスッ!! 紫水晶ッ・・・死=シ水晶こそが、貴様を殺すための儂らの切り札じゃあッ!!」
「紫ッ・・・ま、さかッ・・・そッ・・・んなッ・・・!?」
「そうじゃよォッ、気付いたんじゃあッ、儂ら妖化屍が苦手とする紫水晶が・・・ヌシらオメガスレイヤーにも有効なことにのうッ!! 〝百識”と謳われた儂が、随分迂闊なことじゃったわいッ!!」
バズーカ砲にも似た、特殊兵器・・・〝オーヴ”のレーザーキャノンを、骸頭は拾う。
苦痛に美貌を歪めながらも、オメガヴィーナスは立ち上がった。反動で鮮血が飛び散る。紫水晶の短剣を、4つも背中に埋めているとは思えぬ動き。
「儂ら妖化屍とッ・・・ヌシらオメガスレイヤーの本当の関係に気付けばッ!! なんてことはない、単純な答えだったんじゃあッ!!」
佇む天音の顔が、蒼白となった。
痛恨のダメージを喰らったから、ではない。出血が多量のせい、というわけでもない。
バレようと、している。
妖化屍とオメガスレイヤー、その両者の間にある真の関係が、六道妖にバレかけている。マズい。とてもマズい。これ以上、オメガスレイヤーの秘密を知られることは、致命的な事態に繋がる気がする・・・
「させッ・・・ないッ!! 骸頭ッ!! これ以上はッ・・・これ以上は、あなたにはッ!!」
「思えば、〝オーヴ”で我らが力を失ったときに・・・早々に気付くべきじゃったッ!!」
倒す。
心底から、天音は思った。地獄妖・〝百識”の骸頭をここで滅ぼす、と。全力を振り絞って、千年以上を生きた妖魔を討伐すると。
背中を4か所も抉られている事実を、忘れたかのように。
骸頭がキャノン砲を構えるより早く、オメガヴィーナスの瞳が光った。眩い白光が一直線に発射される。
「〝ホーリー・ヴィジョン”ッ!!」
〝百識”の怪老が気付いた時には、聖なる光は直前まで迫っていた。
心臓と顔。容赦なく撃ち抜く気だった。オメガヴィーナスの全力の前に、奸計を巡らす妖術師はあまりに無力。
逃げることも、防ぐこともできずに、骸頭はその場に立ち尽くした。
バジュウウウウゥッッ!!
「なッ・・・!!」
瞳からのレーザーが着弾する音色と、驚愕の声はほぼ同時に沸き起こった。
動揺を隠しもしない声の主は、オメガヴィーナス。
そして、白光が着弾した先は。
「・・・お前さー、覚悟できてんだろうね?」
骸頭の心臓を貫く寸前、〝ホーリー・ヴィジョン”の前に立ちはだかったのは、おかっぱ頭の少年妖魔だった。
右の掌で、聖なる光線を受け止めている。
〝覇王”絶斗にとっては、この程度の光は恐れる対象ではなかった。
「このボクに、これだけのことをしたんだ。バラバラにしてやる。目ん玉くりぬいて、ベロベロ舐めてやる。妹の前で、これ以上ないってほど、残酷に殺してやるからな」
1mに満たない小さな身体からは、いまだ黒煙がシュウシュウと立ち昇っていた。
オメガヴィーナス必殺の〝クロス・ファイヤー”を浴びて、もう意識を取り戻したというのか。天音にとっては最悪の事態であった。このタイミングで、単純なスペックでは光女神をも凌駕する天妖が立ち上がってくるなんて。
「・・・天妖。〝覇王”絶斗。この尋常ならざる最強妖化屍の存在が、儂がオメガスレイヤーとの関係に気付く、そもそものきっかけじゃった」
ドクン、と天音の鼓動が一際高く鳴った。
真綿で首を絞められる、という言葉がある。それが示す感覚を、白銀の光女神は今、身をもって知っていた。
確実に、かつてない危機が、最強と呼ばれた美しき破妖師を包んでいく。
暴かれようとしている、オメガスレイヤーと妖化屍との秘密。
天妖という、最強の刺客。
オメガスレイヤー抹殺用の〝オーヴ”のレーザー。
そして、ドクドクと背を濡らす鮮血。オメガ粒子と自身を繋ぐ『純血・純真・純潔』の一角が、次々に天音の肉体から流れ出る。
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