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60、着信
しおりを挟む「ッッ!!?」
オメガフェニックスこと甲斐凛香は、ピクリとも動きはしなかった。
仰向けで大の字に転がったまま。胸に穿たれた無数の傷穴が、生々しい。
瞳を閉じた少女の顏は、人形のように美しかった。
聴力、そして視力に優れた天音だから、わかる。
オメガフェニックスの心臓は、もう動いてはいなかった。
「ッッ・・・うわああああッッ―――ッッ!!!」
抵抗をやめたはずの天音に、力が蘇る。
怒り、そして哀しみが衝き動かす。先のことを考えた行動ではなかった。ただ紅蓮の炎天使を、甲斐凛香を殺された激情が、天音の肉体を勝手に動かしている。
「ぐッ!? ・・・このッ・・・抵抗するなと言って・・・!!」
焦る呪露の言葉が、豪風に掻き消される。
風の正体は、旋回する天音。フィギュアスケートの選手のごとく、その場で跳躍した美乙女が独楽のように回る。遠心力で、体内深くまで侵入していた泥が引き剥がされていく。
「グヒッ!? ・・・バ・・・バカなぁ~・・・ッ!?」
「そうだ。それでいい、オメガヴィーナス」
パパパパパンンンンッッ!!!
天音の拳の連打が、剥がれた泥の塊を撃つ。
眼に止まらぬ速さの連撃に、灰色のヘドロは一瞬で粉塵となった。ハラハラと空気中に消えていく、〝流塵”の呪露。変身前の姿でなお、これだけのパワーとスピードが光属性の破妖師にはあった。
「虎狼ォォ”ォ”ッ~~~ッッ!!! あなたはァ”ッ!! あなただけはァ”ッ!!!」
「来い。闘ってこその貴様だ」
〝無双”の武人が不敵に笑う。右手に構えたのは、愛用の戟。その矛先は、不気味な緑色を発光している。
反オメガ粒子〝オーヴ”を、たっぷりと含んだ戟であることは一目でわかった。だからといって、尻込みする天音ではない。オメガヴィーナスの全力をすれば、極限の武芸者とも渡り合えるはずだ。
右手が、首元のロザリオへと伸びる。
十字架の形をした金色の結晶には、白銀の光女神本来のオメガ粒子が封印されている。甲斐凛香を救えなかった今、敵に従う意味は薄い。
スマホの着信音が鳴ったのは、その刹那だった。
「ッッ!!!」
確認するまでもなかった。電話の相手は聖司具馬。
もうひとつのアジト、東へと向かったパートナーが、郁美救出の成否を伝える連絡――。
オメガヴィーナスへの変身を止め、天音は固まった。
郁美を無事に助けることができたのか、否か。そのどちらかで、情勢は一気に変わる。
呼び出し音が、鳴り響く。1回目。ここまでは想定通り。
問題は、さらに鳴るのかどうか。
『1回鳴らせば成功、2回鳴らせば失敗』・・・司具馬の言葉がリフレインする。
切れて。切れて。もう鳴らないで。
美しき乙女は願った。懇願した。妹の安全が確保されれば、オメガヴィーナスは遠慮なく闘うことができる。
・・・続けて2回目のコールが鳴った。
「ッ・・・シグマ・・・ッ!!」
黒い渦が、怒涛となって天音の脳裏を飲み込んだ。
失敗。失敗した。何が起きた? なぜ失敗したのか? 郁美はどうなったのか? いや司具馬自体にも、危険は及んでいるかもしれぬ。
再び恋人の台詞が蘇る。『2度鳴ったら、逃げろ』・・・そうかもしれない。愛する妹を人質に取られたままで、天音が本気で闘うことなど出来るのか。
「・・・逃げ・・・ないわッ・・・!!」
わずかな時間のなかで、天音は結論を出した。
ロザリオが黄金に輝く。眩い光のなかで、美しき破妖師はさらに神々しい姿へと変身を遂げた。
漆黒のセミロングが、プラチナブロンドへと変わる。キラキラと全身が発光しているように見えるのは錯覚なのか。半袖ブラウスは手甲まで伸びた白銀のスーツとなり、ピンクのフレアスカートは紺青のフレアミニとなる。
同じく紺青色の長いケープが、高貴さを象徴するように背中でなびいていた。胸の中央には金の地に青色で『Ω』を模したマークが輝く。
光の女神という名が、似つかわしい美しさだった。
オメガヴィーナス、降臨――。四乃宮天音は闘うことを決意した。彼女は信じた。変身を遂げ、全力を尽くすことだけがこの苦境を乗り切る唯一の方法だと。
バサッ・・・!!
鋭利な風が、出現したばかりの光女神の背中を叩く。
オメガヴィーナスは確かに最強であった。パワーもスピードも五感の鋭さも、他のオメガスレイヤーのさらに上をいく。超戦士の名に恥じぬ、究極の破妖師だ。
しかし、四乃宮天音は、闘い慣れてきたとはいえ、わずか24歳の乙女だった。
隙はある。オメガヴィーナスに変身した直後なら、尚更。
「・・・はッ!」
恐るべき速度を誇るそのバケモノは、一瞬にして飛来し、光女神の背中をとった。
「グギョロロロオオォッ――ッ!!」
巨大な鳥だった。2mはある。漆黒の体毛。赤く爛れた地肌。鋭く大きな嘴。
恐らくは、怪物化したカラス。
今の名前は、畜生妖。〝骸憑”の啄喰。
ドジュウウウッッ!!
オメガヴィーナスが振り返るより速く、黄色の嘴がその背中に突き刺さる。
中心よりやや左。光女神の背筋が抉られ、鮮血が噴き出した。
「ぐあああ”あ”ッ――ッ!! ア”ッ・・・!! なッ・・・!?」
巨鳥の二撃目。後頭部に振り下ろされる嘴を、咄嗟に天音は避けていた。
腕をかする。白銀のスーツがパクリと裂けた。信じがたい嘴の威力と鋭さだった。こんなバケモノが、六道妖の一体だというのか!?
後方に跳んだオメガヴィーナスを、〝無双”の虎狼が待ち受けていた。
緑色の穂先が光る。〝オーヴ”製の戟。反射的に逃げた天音は、バランスを崩している。
態勢を整えようと、振り返った瞬間。
オメガヴィーナスの左胸に、〝オーブ”の戟先は深々と打ち込まれた。
「ッッ・・・ゴブウウウッ!!」
まともに刺突を喰らい、光女神の口から唾液と鮮血が噴き出す。
グボオオッ・・・と柔肉から穂先が引き抜かれる。オメガヴィーナスの左胸から、オメガ粒子の消失を示す黒煙が昇った。心臓にまで響く一撃に、天音の全身がヒクヒクと痙攣する。
事実上、すでに勝負は決まっていた。
瞳を見開き、動きを止めたオメガヴィーナスの鳩尾に、トドメの戟が突き刺さる。
ドボオオオオォ”ォ”ッッ―――ッ!!!
「ぐぼおオ”ア”ア”ア”ァ”ッ―――ッ!!! ・・・」
可憐なはずの天音の声が、獣のような悲鳴をあげた。
腹部に戟が埋まった瞬間、美しき女神は血と大量の吐瀉物を撒き散らした。
まるで串刺しにされたかのように。
お腹から折れ曲がった白銀の光女神が、戟の先端に高々と掲げられる。
脱力した四肢がぐったりと垂れ、プラチナの髪と紺青のケープもまた力無く垂れ下がった。
開いた唇からは、胃液の残滓がポタポタとこぼれ続ける。
〝オーヴ”の戟を打ち込まれたオメガヴィーナスの瞳には、もはや何も映ってはいなかった。
数分後。
洋館を覆っていた『異境結界』が解かれた。なかの闘いに決着がついたことは、術者たちにはわかる。
邸内からでてきたのは、巨大な黒い鳥だった。体毛のあちこちに、鮮血がこびりついている。
黄色の嘴は、白銀と紺青のスーツを着た乙女の首を、無造作に咥えていた。
瞳を閉じ、四肢を力無く垂らしたオメガヴィーナスは、眠っているかのようであった。左胸と腹部とに、焦げたような黒い跡がある。
ピクリとも動かぬ天音を咥えたまま、不気味な怪鳥は夕闇迫る空へと飛んでいった。
オメガヴィーナスが負けた。妖化屍と思しきバケモノに連れ去られた。
夕陽に消えゆく巨大カラスの姿を、『水辺の者』たちは蒼白となって見送るしかなかった。
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