オメガスレイヤーズ ~カウント5~ 【究極の破妖師、最後の闘い】

草宗

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58、突入

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 ひっそりと佇む洋館の前に、四乃宮天音は立っていた。
 広い敷地を赤レンガの壁が囲っている。明治初期に建てられたと思われる旧き豪邸は、住む者がいなくなっても往時の隆盛を偲ばせた。屋根や壁に施された装飾の跡には、歴史と家格を思わせるのに十分な荘厳さがある。
 その住宅街の一角はかつて、こぞって華族が豪奢な持ち家を誇ったのだろう。
 閑静な街並みの多くは、昔ながらの広大な屋敷で占められていた。生活臭には乏しく、時間がゆっくりと流れていくのを感じる。まだ陽光眩い昼下がりというのに、通りに人影はまるで見当たらなかった。
 
 遠くで、ヒバリがさえずっている。
 
 春らしい、ホワイトの半袖ブラウスとピンクのフレアスカート。洋館を見上げる美乙女の姿は絵になった。やわらかに波打ったセミロングの黒髪は、肩にまで届いている。大きく、少し切れ上がったアーモンド型の瞳。高い鼻梁と厚めの唇が、仄かな色香を漂わせる。楚々とした装いのなかで、盛り上がった胸の膨らみがやけに生々しかった。容姿の好みは十人十色というが、何百人の男女に問いても彼女の美貌とスタイルの良さを、否定できるものなどあるまい。
 20km以上を走破したにも関わらず、天音の息はわずかも乱れていなかった。
 強い眼差しで、じっと屋敷の奥を見詰めている。変身前の姿であろうと、白銀の光女神たる戦士の眼には、これから起こる激闘の予兆が見えているようであった。
 
「いつでも入って来い、というわけね」

 数時間前、ふたりの『水辺の者』が侵入した時には閉ざされていた鉄扉は、大きく開かれていた。
 正門からそのまま真っ直ぐ50m先に、邸内への入り口が見えている。芝生の庭は荒れ放題で、そこかしこに雑草が伸びていた。他に見えるものはない。
 
 不意に、洋館の敷地全体が薄いヴェールに包まれる。
 本当に包まれたわけではない。そのように、天音に感じられただけだ。薄暗い膜が、レンガ壁に囲まれた区画全体をこの世から隔絶させたような。
 
 『異境結界』、と呼ぶものだった。
 
 周囲に潜んだ『水辺の者』の精鋭が、闘うためのフィールドを創り出したのだ。物理的にはこの世界に存在しながら、『結界』内の空間は切り離される。わかりやすくいえば、〝死後の世界の土地となる”と表現すればよいだろうか。心霊スポットなどに指定される場所には、立ち寄りがたい場所、悪寒のする場所、というものがある。『結界』内に平然と踏み入れられるのは、破妖師と元々死者である妖魔のみだ。
 一方で『異境結界』の対象者となった者は、容易に外部には出られなくなる。元々の『結界』の役割は、周囲に被害を及ばさぬこと。一般人が入るのは難しいのとは逆に、妖の類いは閉じ込められるのが『異境結界』の特色であった。
 戦闘の終了が確認できるまで、『水辺の者』が『結界』を解くことはない。そのように命令されている。
 つまり、オメガヴィーナスと妖化屍、そのどちらかが斃れるまで闘いは続くことになる。この洋館はデスマッチのリングと化したのだ。
 
「・・・いくわよ」

 誰に伝えるともなく、天音は戦闘開始を宣言した。『結界』内に踏み込んだが最後、後戻りできないのはよくわかっている。
 
 ボゴオオオォォッ!!
 
 硬いものが、砕ける音がした。天音の足元。アスファルトの地面。
 大地を蹴った24歳の乙女は、十数mを一気に跳んで敷地内へと飛び込んだ。
 一瞬、ぐにゃりと周囲の空間が歪曲した。気温がグッと下がった、気がする。『異境結界』に入った証。
 
「ンオオオ”オ”オ”ッ・・・!!」

 芝生に亀裂が走る。と見えた次の瞬間、大地から影が飛び出す。無数の黒い影。かろうじて人の形はしているが、皮膚は半ば腐り、泥まみれの衣服はボロボロに破れている。
 ゾンビ。アンデッド。蘇った死者。
 いや、妖化屍に操られた彼らは、ケガレと呼ぶのが正解か。
 
「可哀想に」

 ボツリと呟くのと同時。
 清楚なコーデに身を包んだ美乙女が、拳を突き出す。華麗なフォームの右ストレート。ボクシングや空手ではなく、拳法家のそれを彷彿とさせる一撃だった。
 
 ボンッッ!! と破裂音が響いて、動く死体が粉塵と化した。
 
 ひるむことなく、天音の背後をケガレが襲う。ボコボコと、地中からおびただしい死者が這い出てくる。美しきエビルスレイヤーが飛び込んでくるのを、ゾンビの群れは待ち構えていたのだ。
 
 ンオオオオ”オ”オ”ッ・・・ォォオ”オ”オ”ッ・・・!!
 
 庭を埋め尽くす、腐乱死体の群れ。群れ。群れ。
 生前と同じ知能を持つ妖化屍に対し、ケガレは己の意志を持たない。ただ支配者である妖魔に従い、食欲、性欲などの本能に衝き動かされるのみだ。そのぶん野生に近く、動きに制限をかけない。己の筋力を最大限に引き出す彼らは、生前の3倍から5倍のパワーを持つと言われている。
 
 勘違いしてはいけないのは、そのスピードだった。筋力が数倍なのだから、当然比例してスピードもあがる。映画でお馴染みの、緩慢な動きを想定してはならない。
 地面から飛び出した2体のケガレは、天音が振り返るより速くその肢体に抱きつく。細首に腕を回し、動きを抑えにかかった。
 
「くッ!」

 拳を握った右手に負荷がかかるのを天音は感じた。新たに組み付いてきた片目の死者が、手首に噛みついている。あっ! と驚いている間にも、さらに別のケガレが右腕一本に何体もしがみついてくる。
 足元の地中からは4・5対の手が伸びて、フラットシューズや足首を掴んでいた。一体どれほどのゾンビ兵士をこの地に潜ませていたのか。気がつけば50体ほどの動く死体が、天音を囲んで押し寄せている。
 
 ケガレたちの動きは速かった。天音の反撃態勢が整う前に、その全身に腐ったゾンビが組み付く。歯のあるものは噛みつき、指のあるものは爪を立てる。清楚で可憐な美乙女が、腐臭漂う死体の渦に飲み込まれる悪夢。
 
 ガブッ! ガブッ! と牙が柔肉に食い込む音色が響く。
 
 50体ものケガレを一度に相手するだけでなく、今の天音は変身前なのだ。オメガ粒子を胸元のロザリオ=オメガストーンに封入している今は、光女神の実力は10分の1ほどしか発揮できない。
 わざわざ骸頭がオメガヴィーナスとなるのを禁じたのは、どんな手を使っても四乃宮天音を抹殺する決意の表れだろう。本気を出す前に殺せるなら、それで構わない。遊ぶつもりなどなかった。オメガヴィーナスの姿でなかろうと、邪魔者を消すことが六道妖の狙いの全てだ。
 
 1対50。常人の5倍の能力を誇るケガレ。本来の10分の1しか力の出せない天音。
 どう考えても美しき破妖師の窮地・・・と、オメガヴィーナスを知らない者なら思ったかもしれない。
 
 ボボボボンンンンッッ!!!
 
 閃光が奔った。と見えた瞬間、天音の周囲のリビングデッドが粉々に砕け散った。
 光と見間違えたのは、速過ぎる美戦士の拳の残像だった。
 
「無駄よ。あなたたちでは、私を抑えることなんてできないわ」

 首筋や手首。うっすらピンク色に残った歯型の跡だけが、ケガレが残したわずかな戦果。
 四乃宮天音の姿のままでも、ゾンビ兵士程度では光女神の敵にはならない。あまりに地力に差がありすぎた。
 恐れを知らず、次々と飛び掛かってくる死体に天音は拳を振るう。子ども扱いだった。後ろからタックルしようと、横から殴ろうと美戦士はビクともしない。独自に学んだ拳法の腕前を披露するかのように、華麗なパンチやキックでゾンビを塵芥に変えていく。
 
「ウゴオオオ”オ”ッ――ッ!!」

 一体のケガレが背後から美戦士に迫る。速い。他とは一線を画す、抜群のスピード。
 振り返った天音が、咄嗟に攻撃を避けた。跳んで距離を開ける。甘んじて攻撃を受けていた破妖師が、初めて見せる防御。見開く瞳の下で、頬にスッと一筋の朱線が走る。
 
「・・・八坂・・・さんッ!?」

 明らかに格闘経験のある動きではなく、その手に握られた『水辺の者』御用達のアーミーナイフでなく、見覚えある死者の顏に天音は驚愕していた。
 〝五大老”の子息であるその若者とは面識があった。自信過剰気味だが、妖化屍退治への情熱にウソはない青年。オレと付き合え。いきなり迫られたときは驚いたが、彼なりの精一杯の愛情表現だったのかもしれない。
 
 八坂慶。『征門二十七家』のなかでも名門とされる家柄を誇り、未来の〝五大老”候補と言われていた男。
 この屋敷に潜入し、殺されていたのか。
 ケガレとなった姿を見れば、『水辺の者』のエリートを襲った悲劇は容易に想像がついた。
 痩身のゾンビの頭部は、右半分が削り取られていた。
 鋭いドリルか杭のようなものを、何度も打ち込まれたのか。傷口が妙にギザギザになっている。半分になった大脳の断面からプシュプシュと脳漿が噴き出ていた。
 
「・・・なんて・・・酷いことを・・・ッ!!」

 血が滲むほどに、天音は己の下唇を噛んだ。
 尊大な面を否定できない八坂は好感の持てる異性とは言い難いが、妖化屍を憎む心には確かな義憤があった。将来を嘱望された彼の無念は、察するにあまりある。
 『水辺の者』の幹部候補生が、妖化屍の下僕と化して操られるなんて。
 
「ンゴオオオ”オ”オ”ッ――ッ!!」

 真正面から飛び込んできた元『水辺の者』を、天音は両腕を広げて受け止めた。
 心臓に突き立てられる、アーミーナイフ。
 ドスッ!! という重い響きとともに、ナイフの先端がブラウスの左胸に埋まった。
 
「八坂さん。今・・・ラクにしてあげるわ・・・」

 聖母が幼き子供を包み込むかのように。
 凶刃に構うことなく、右半面のない生ける屍を、天音は優しく抱き締めた。
 
 風船から空気が漏れるような音がして、八坂の肉体が砂塵となる。
 無惨に散った青年に、ようやく訪れる安寧。サラサラと死体が崩れたあとも、天音は仲間の魂を抱擁し続けた。
 その左胸に、ナイフの切っ先が刺さっている。
 やがてポロリとナイフは落ちた。破れたブラウスの穴からは、わずかな赤い雫がぷくりと膨れ上がっただけであった。
 
「・・・私を・・・オメガヴィーナスを倒すのに・・・こんな小細工は無意味よ・・・ッ!」

 地中から這い出たリビングデッドの全ては、灰塵と化していた。
 怒りを抑え、天音は奥歯を噛み締める。本当の闘いはこれからだった。哀しみに、憤怒に、感情を揺さぶられていてはならない。
 
「変身していないからといって・・・甘く見ないことねッ・・・!! 私はこのままでも、あなたたちを滅ぼしてみせるわッ!!」

 ピンクのフレアスカートを翻し。
 洋館の邸内へ、四乃宮天音は踏み込んだ。
 
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