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43、トンネル
しおりを挟む妖化屍と生死のやりとりをするオメガスレイヤーや『水辺の者』にとって、負傷は常に纏わりつくものであった。
故に、当然のように破妖師専門の病院というものが存在する。一般社会に知られぬよう、治療するための施設。
『征門二十七家』が運営する医療法人は、深泉会病院と名付けられていた。
四乃宮家で今朝別れてからわずか数時間後、天音と聖司具馬は、集中治療室の扉の前で再会を果たしていた。
「すまない」
ようやくそれだけの言葉を、司具馬は搾り出した。
並んで『面会謝絶』の表札を見詰めたまま、かなりの時間が経っていた。周囲に人影はない。病棟自体が一般の患者とは隔離されている。
天音と視線を合わせることは、どうしてもできなかった。光属性のスーパーヒロインに変身する選ばれし戦士にとって、最悪の事態が起こったことは誰よりも司具馬が理解している。
「天音がどうしても守りたかったあのコのことを・・・オレは守れなかった」
「シグマが悪いんじゃないわ。むしろ、あなたのおかげで絵里奈さんはなんとか一命をとりとめた」
「だが」
「ごめんなさい。私のせいで、あなたの心に重荷を背負わせてしまっている。本当にあなたには感謝しているの。全ては私の見通しが甘かったせい。そして、六道妖のせいよ」
唇を噛む天音の言葉が、心底からのものであることはわかっていた。
だからこそ、司具馬は余計に辛かった。数多くの修羅場を経験している彼は、いい意味でも悪い意味でも仲間の不幸には慣れている。こんな気持ちになるのは、相手が天音だからだろう。
「アンチ・オメガ・ウイルス・・・ヤツらが〝オーヴ”と呼ぶ反オメガ粒子によって、オメガセイレーンは敗れた。六道妖がそこまでの力を得るなんて、誰も想像できるわけがない」
「私があのとき、〝無双”の虎狼に『Ω』マークを奪われていなかったら・・・」
「やめよう、天音。誰よりも危険を冒して妖化屍と闘っている君に、非があるわけがない」
「・・・でも」
「浅間翠蓮の裏切りによって、純血・純真・純潔という重要条件も六道妖にバレていた。オメガスレイヤー抹殺へのヤツらの執念は、オレたちの予想を遥かに上回っていたんだ。『水辺の者』全体が、甘かったと言わざるを得ない」
責任論が今この場において、なんの意味も持たないことを司具馬は悟っていた。
一番の問題点をあげるならば、かつての妖化屍とは比べ物にならないほど、六道妖が恐るべき力を蓄えたことだ。しかしこれは天音や『水辺の者』の現体制に問題があるというより、時代のせいだと思われた。
「発達しすぎた科学と・・・ネット社会が、六道妖という脅威を生み出したのかもしれないな」
〝百識”の骸頭がいかに優れた頭脳を持とうと、数百年前ならオメガ粒子を菌と見抜くことはなかった。その時代には菌という存在自体が見つかっていないからだ。当然、抗生物質という発想からアンチ・ウイルスを研究することもなかっただろう。
個々が簡単に繋がることのできるネットがなければ、全国に散らばる妖化屍が手を組むなど、恐らく考えられなかった。かつてははぐれ者の妖魔を容易く処理できていたのが、近年では妖化屍も多くの情報を手に入れている。
〝大蟇”の我磨が四乃宮天音の特徴を知っていたことがあったが、あれなどはインターネットの恩恵を受けていたのかもしれない。
「天音に責任など、あるわけがない。誰よりも辛く、哀しい想いをしているのは・・・君じゃないか」
セミロングの美乙女に、視線を向ける。ようやくふたりは、互いを見詰めあった。
抱き締めてあげたい、と思った。やや切れ上がった魅惑的な瞳が、怒りと哀しみで揺れている。
だが、24歳の無敵の女神に渦巻く激情は、自分などが癒せるとは到底思えなかった。
「ありがとう、シグマ。でも私は・・・私ひとりででも、郁美を取り返すつもりよ」
司具馬がもっとも危惧していた言葉を、天音は口にしていた。
「ダメだ。〝オーヴ”が開発された今、オメガスレイヤーの優位は絶対ではなくなった」
「骸頭と縛姫の力は、途中からぐっと低下した、と言ったわよね?」
「・・・ああ」
「シグマ。あなたなら、その理由がわかっているんじゃないの?」
真っ直ぐに見詰めてくる澄んだ瞳に、司具馬は己の全てが見透かされている気がした。
「天音は・・・わかってるようだな」
「私だけじゃなく、オメガスレイヤーと妖化屍の真の関係を知るひとならば、誰もがすぐに気付くことよ」
思わず司具馬は溜め息を吐いていた。
「そりゃあ気付くさ。オレも冷静になれば、すぐにわかった」
「反オメガ粒子である〝オーヴ”は、妖化屍に対してもある程度の効果があった。だから骸頭たちの力も落ちたのよ」
扉の奥にいる藤村絵里奈・・・オメガセイレーンがいかに無惨な敗北を遂げたかを聞いても、天音が恐れを見せないのはそのためだった。
〝オーヴ”がオメガスレイヤーの能力だけでなく、妖化屍のパワーも同時に奪うなら・・・なんとかなる。少々のハンデなら乗り越えられる自信が、最強のオメガ戦士にはあるのだろう。
つい数十分前には、あの〝無双”の虎狼をも天音は一蹴したばかりだ。
〝オーヴ”が妖化屍にも効力を発揮するというのは、司具馬も同じ見解だった。まず、そう考えて間違いない。しかも骸頭をはじめとする六道妖は、その事実に恐らく気付いていない。
「だからといって、六道妖を甘く見るのは危険だ」
「甘くなんて見ないわ。でも、危険を恐れていては、郁美を救い出すことなんてできない」
「他のオメガスレイヤーが到着するのを待とう、天音。今、全国に散らばっているオメガカルラやオメガフェアリーに『五大老』が招集令を出している。彼女たちとともに、六道妖を・・・」
病院の廊下を、急ぎ足でひとりの男が近づいてきたのは、その時だった。
見覚えのある男だった。司具馬と同じ、黒のスーツ姿が『水辺の者』であることを教える。
「甲斐凛香さまと、連絡が取れません」
開口一番、慌てた口調で男は言った。
「どうやら凛香さま自身が、通信ツールの電源を切っているようです」
妖化屍のなかには、電波をも鋭く感知するものが多々いる。
戦闘時や隠密行動を取る際、スマホなどの電源を落としておくのは、『水辺の者』の基本行動であった。
「交戦中、ってことか?」
「わかりません。ですが、かなり長く、その状態が続いています。圧倒的な戦闘力を誇るオメガフェニックスとしては異例のことです」
「〝オーヴ”の存在は、凛香には伝えてあるのか?」
司具馬の声に緊張が高まった。
「いえ。その緊急事態を連絡しようにも・・・繋がらないのです」
「私が探してくるわ」
言い終えた時には、すでに四乃宮天音の姿は遥か彼方の廊下にあった。
司具馬が止める間など、なかった。
直径10mはあろうかというトンネルに、ふたつの靴音が響く。
5m間隔で照明があるため、地下のトンネルは思ったより明るかった。薄暗いが、足元はわかる。眼を凝らせば、先の道まで見ることができた。
ふたりが歩いているのは、2mほどの狭い通路だった。中央に水流があり、反対側に同じ幅の通路がある。天井は丸く、巨大な筒のなかを歩いているようだった。
景観は想像よりは悪くないが、臭いが酷かった。
悪臭の元凶は中央の水流にある。緩やかに流れる濃緑色の汚水。時折プカプカと、排泄物らしき灰色の物体が浮かんでは沈む。
地下下水道の通路を、〝無双”の虎狼は色白の美女の肩を借りて進んでいた。
華奢な翠蓮が、虎狼の巨体を支えられるのが、彼女が妖魔化した事実を証明している。
虎狼の右手には戟の長柄が握られたままであった。その穂先は砕けていようとも、長年愛用した得物を、武人は易々と手放すことなどできない。
「止まれ、翠蓮」
通路の途中で、修羅妖は声をかけた。
地上へと出る昇降口はまだ随分と先であった。戻るにしても距離がある。
傍らにヘドロが流れる下水道トンネルの真ん中で、ふたりの妖化屍は立ち止まった。
「ですが、虎狼さま」
「構わん。ここでいい」
弁髪の武人とスーツ姿の美女が、揃って後ろを向き直る。
「いい加減に出てこい。いつまでも尾けられるのは、不愉快だ」
「ふーん。わかってたんだ? 気付いてないと思ったヨ」
闇のなかから、真っ赤なコスチュームの少女が浮かび上がる。
ノースリーブのスーツに、ショートパンツ。両腕に嵌めたグローブも、膝下までのブーツも、背中のケープも・・・全てが真紅で統一された、ショートヘアの破妖師。
紅蓮の炎天使オメガフェニックスこと甲斐凛香は、勝ち気な美貌をニッと綻ばせた。
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