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42、再戦
しおりを挟むひとつしかない地下室の出入り口の前に、浅間翠蓮は立った。
丸い瞳が印象的な、愛らしい容貌。全体に纏った、透明感ある淡さ。外見は神の遣いと見紛う麗しさであるにも関わらず、翠蓮は真逆の本性を露わにしていた。
妖化屍〝輔星”の翠蓮。
ダークなスーツに身を包んだ美女は、恐るべき妖魔の秘書役がその本懐であるらしかった。満足げで、嗜虐的な笑みがその美貌に浮かんでいる。
「虎狼さまのお役に立てて・・・翠蓮は嬉しゅう御座います」
ただひとつの電球が照らす下、光り輝く美乙女と、巨漢の武人は対峙していた。
白銀の光女神オメガヴィーナスと、六道妖がひとり、修羅妖・虎狼。
互いを見つめ合う両者は、他の一切が視界には入っていないようだった。
「オメガヴィーナスッ・・・!! 貴様と再びまみえる日を・・・一日千秋の想いで待っていたッ!」
「虎狼・・・あなたがお父さん、お母さんの仇であること・・・一瞬として忘れたことはなかったわ」
睨む。睨む。睨む。
魅惑の瞳と獰猛な視線が交錯する。
天音の瞳は、不思議なほどに澄んでいた。両親の仇に向けるものとは思えぬほど。
虎狼の眼光は熱を帯びていた。飢えた獣にとって、待ちわびた獲物は愛の対象なのかもしれなかった。
「嫉妬いたします。虎狼さまが、そのような眼で私以外をご覧になさるとは・・・」
「翠蓮。決して貴様は、手を出すな」
「承知しております」
「オメガヴィーナスは、お前とは異なる意味で特別なのだ。すぐに終わらせる」
薄く微笑んだ翠蓮は、両手を広げて眼の前の空間に突き出した。
なにも変わらない。と、見えて、女妖魔と激突済みのオメガヴィーナスは変化を悟った。
「壁を作って、出入口を封鎖したのね」
「うふふ・・・さすがは天音さま。私の能力がわかったようですね」
「空気を固めることができる。それが、妖化屍となった引き換えに、あなたが手にしたチカラね」
鋼鉄並の風船で攻撃されたがために、天音は翠蓮の特殊能力を見破ることができた。
触れた範囲の気体を、圧縮できるのだろう。巨大風船を易々と振り回していたのを見ると、重さ自体は自在に調整できるらしい。
見ただけではわからないが、出入口の前には分厚い空気の壁が出来ているはずだった。この地下室を、元『水辺の者』の妖魔は完全決着の場に仕立てあげたのだ。
「・・・翠蓮さん。あなたは、この男を愛しているのね」
「野暮やわぁ。男女の仲のことは、訊かんといてくれます?」
「998名もの破妖師を殺害し、オメガスレイヤーの命を狙う六道妖に名を連ねる。その虎狼に与するということは・・・あなたは完全に『水辺の者』と敵対することになるわ」
「悠長なことを仰るのね。私は今ここで・・・天音さまの死を見届けようというのに」
屈託なく、ハーフアップの美女は笑った。
陰鬱なセリフとは不釣り合いな陽気さが、地下室の暗さと相まって不気味であった。
「それはできないわ。オメガヴィーナスは無敵だもの」
「しばらく会わぬ間に、随分と自信をつけたようだな、オメガヴィーナス」
戟を握る右手に、虎狼は力を込めた。
穂先に刃が取り付けられた長柄の武具は、槍とよく似ているが、十字状に縦横に刃が組み合わせてあるのが特徴的だった。つまり、槍よりも攻撃範囲が広い。
突く、斬る、薙ぐだけでなく、引っ掛けたり、突きから戻す際にも攻撃できるのが戟と言える。しかし、多様に見える反面、中途半端になりがちなのが、実際の戦場では槍に主役を奪われた原因となった。
虎狼がこの珍しい武器を手にするのは、恐らく、戟が活躍した時代に生きた武人なのだろう。
「ええ。この4年半で私は、強くなったわ」
「だがッ! 貴様の命を欲するオレの渇きは・・・その空虚な自信を打ち砕くッ!!」
ゆっくりと、長大な戟を〝無双”が振り上げる。
迎え撃つ白銀の光女神は、両手を腰に当てて仁王立った。
白銀のスーツを纏ったボディは、見事な流線を描いていた。膨らんだ乳房と煽情的なヒップライン。横から見ると「S」の字が浮かんだようなスタイルは、全ての女性が憧れにしよう。
対する虎狼の肉体も美しかった。研ぎ澄まされた筋肉の集合体。力を望む雄獣ならば、鍛え抜かれた結晶に陶酔せざるを得ない。
オメガヴィーナスと虎狼の闘い。それは、究極の肉体美を完成させた、女と男の闘いなのかもしれなかった。
「いくぞ」
ドオオオンンンッッ!!!
踏み込む足音は、両者同時に起こった。
頭上に掲げた戟を、虎狼は一気に振り下ろした。速い。風圧で、天井に亀裂が走る。輝くプラチナブロンドの頭部に、真上から十字の刃が迫る。
もらった。
弁髪の武人は確信した。一刀のもとに、天音を両断するための一撃ではなかった。真の狙いはカウンター。飛び込んでくる白銀のヒロインを叩き落とすためだ。
オメガヴィーナスの光速の超スピードを、虎狼はすでに体験している。
他の妖化屍ならば、対応は不可能。しかし武を極めた虎狼は、かろうじて反応できる。光の女神が距離を詰めるよりは、戟を振り下ろす速度の方がわずかに速い。
穂先は当たらずとも、鋼を束ねた長柄の部分が当たるはずだった。真上から一直線に振り下ろしたのは、突っ込んでくるオメガヴィーナスに対処するためのもの。
ドガアアアッッ・・・!!
戟の穂先が砕いたのは、地下室の床だった。
コンクリートの破片が舞う。その奥に。
わずかに後方に下がっていた、美しき白銀のヴィーナスがいた。
「きさッ・・・!!」
「以前と違うと、言ったわ」
力強く足を踏み込んだのは、オメガヴィーナスのフェイントであった。前に出る、と思わせるための。
今度こそ、突っ込む。青のケープが翻る。
戟を床に食い込ませた虎狼に、白銀の閃光と化したオメガヴィーナスが吸い込まれる。
爆発のような衝撃音が、地下全体を震わせた。
「ゴバアアアッッ!!」
オメガヴィーナスの右アッパーが、虎狼の鳩尾を突き上げていた。
バケツを振り撒いたような鮮血が、武人の口を割る。
胃が破裂した激痛を、虎狼は初めて味わった。
「ッッ・・・!! 虎狼さまッ!?」
「ウゴオオオオッ――ォッ!!」
咆哮を轟かせ、弁髪の武人は懐に飛び込んだ美乙女に抱きつく。左右の腕ごと抱え込み、細腰を怪力で締め上げた。
愛刀の戟を手放すほど、手放さずにおられぬほど、修羅妖・虎狼は追い詰められていた。いや、並の妖化屍ならば今の一撃で爆散していただろう。
反撃できるだけで、虎狼がいかに規格外の怪物であるかは十分実証されている。
「力勝負ならばッ・・・貴様になどッ!!」
「・・・くッ!」
両腕に力を込めても、虎狼のロックは簡単には外れなかった。
古今東西、数多いる妖魔のなかでも、オメガヴィーナスとまともにパワーで張り合えるなど、〝無双”の虎狼以外に存在しないだろう。
「恐るべき、ね。こんな妖化屍が、存在するなんて・・・」
「これが武だッ!! 我が鍛錬を見くびるなよッ、小娘ッ!!」
「それでもあなたは、オメガヴィーナスには勝てないわ」
桜色の唇が、わずかに尖る。美乙女が吐息を吹く。
〝威吹”と呼ぶオメガヴィーナスの技のひとつ。
聖なる豪風が、至近距離から虎狼の顔面に浴びせられる。
「ぐがあッ!? ぬうおおおおオオッ――ッ!!」
妖化屍からすれば、火炎放射を眼前で噴きつけられたも同然だった。
たまらず天音を解放する。顏を押さえてもんどり打つ。
これが、4年半の成果か。
のたうち回りながら、虎狼はオメガヴィーナスの成長を実感していた。
純粋なパワーとスピードに大きな変化はない。というより、4年半前の時点ですでにピークに達していたのだろう。元々、光属性のオメガスレイヤーの能力は、地球上では頂点といっていいのだ。
成長したのは闘い方だった。
ひとりの女子大生に過ぎなかった四乃宮天音は、月日を経て立派な戦士となっていた。以前のような単調な攻撃もなければ、多少攻められても慌てるところがない。
MAXのスペックを持つ者が、経験を得て冷静で的確な戦闘を覚えたのだ。
「バカなッ・・・!? このオレをッ・・・よもやここまで圧倒するとは・・・ッ!!」
「虎狼。私はあなたを斃さなければならない。父母の仇だからではなく・・・オメガヴィーナスだからよ」
後方にさがって距離を取る虎狼と、落ち着いた瞳でそれを見詰める白銀の女神。
わずか4年半の間に、両者の立場は劇的に変化していた。一方的。しかしこれが、本来のオメガスレイヤーと妖化屍の関係。
トドメを刺そうと、プラチナブロンドの美乙女が前に出る。
「させませんわ。オメガヴィーナスッ!」
「翠蓮ッ!! 手を出すなと言ったッ!!」
修羅妖の制止は間に合わなかった。正確にいえば、数瞬早かったものの、〝輔星”の女妖魔は無視をした。
見えない空気の弾丸が、オメガヴィーナスにヒットする。一発、二発ではない。数十発、数百発という弾幕の雨嵐。
ドドドドドオオオオッッ!!!
白銀の光女神の脚は、まるで止まらなかった。
全身に当たる銃弾を、弾き返す。意に介さず、疾走する。
〝無双”の虎狼に一撃を打ち込むべく、オメガヴィーナスが距離を詰める。
「ッ!!」
猛スピードで突進してくる敵に、もっとも有効な回避手段は、なにか?
カウンターの打撃は無理だ。オメガヴィーナスは速過ぎる。タイミングを掴むのは、極限の武人をしても不可能。
退く、跳び避けるのもダメ。光速にも近いスピードに、容易に追いつかれるだろう。
正解は、足元に飛び込む。
身体を丸め、全身を路傍の石と化すかのように。不意に沈む相手への対応は難しく、咄嗟に攻撃は繰り出せない。体積が大きい分、同じカウンターでも打撃と違って確実に決まる。
欠点は、せいぜい敵を転ばせる程度でダメージは与えられないこと。そしてもうひとつ。
地を這って避ける姿は、卑屈で、惨めであることだった。
「この虎狼がッ!! ・・・これほどブザマにッ、なりふり構っていられぬとはッ!!」
屈辱のなかで、武人は地下室の床を転がった。
殺到していたオメガヴィーナスが、膝に飛び込んでくる虎狼につんのめる。宙を浮く天音は、すぐに態勢を整えて着地した。
「くッ!」
「虎狼さまッ!! 今ですッ!!」
「ヌウオオオオッ――ッ!!」
振り返る白銀の女神と、床から戟を拾う武人とは同時だった。
大上段から、オメガヴィーナスの脳天に戟の穂先が振り下ろされる。
一瞬、宙に浮いたぶん、光属性のヒロインが跳び避ける時間は失われた。
ガシャアアッッ――ッ・・・ンンッ!!!
虎狼が振り下ろした戟の穂先は、粉々に砕けて飛び散った。
オメガヴィーナスの拳が、十字状の刃を粉砕していた。
「グウッ・・・!!」
「妖化屍を葬るために、私たちオメガスレイヤーは存在している」
刃を素手で砕かれる。
妖化屍と究極破妖師との力の差を、虎狼はその現実に思い知った。
ボボボボボンンンッッ!!
白銀のスーツから繰り出された連打が、虎狼の全身に叩き込まれた。
巨体が吹っ飛ぶ。真っ赤な鮮血の糸を、幾条も放ちながら。
壁に激突する寸前、空気のクッションが柔らかく、弁髪の武人を包んで受けた。
「・・・翠蓮さん」
「天音さま。あなたにこのまま、虎狼さまを仕留めさせるわけには参りません」
愛おしげに、血まみれの妖化屍を翠蓮は抱いた。ふたりの周囲を、空気の壁が幾重にも包んでいくのが風の動きでわかる。
「決闘に水を差す無粋、ご容赦くださいませ。ですがそれでも、私は虎狼さまを失うことには耐えられません」
「翠蓮さん。なにがあなたをそこまで・・・」
「いずれわかる時は来ましょう。ただひとつ、間違いないことは。私は〝輔星”として虎狼さまと共にあり・・・あなた方『水辺の者』と袂を分かつことです」
意識のない虎狼を抱えたまま、〝輔星”の翠蓮が出入口へと向かう。
ようやく天音は気付いた。翠蓮が地下室の出口を確保したのは、オメガヴィーナスを逃がさぬためと・・・いざという時、脱出に備えるためだと。
「お覚悟ください。次にお会いする折りは、この翠蓮、全力で天音さまを殺しに参ります」
オメガヴィーナスの力を全開にすれば、空気で固めた壁を粉砕するのは、可能かもしれなかった。
だが天音は、遠ざかる妖化屍ふたりの背中を、それ以上追うつもりになれなかった。
妹の郁美が六道妖の手に堕ち、オメガセイレーンが完膚なき敗北を喫したとは、この時点で知る由もなかった。
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