オメガスレイヤーズ ~カウント5~ 【究極の破妖師、最後の闘い】

草宗

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38、水砕龍

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「絵里奈さんッ!!」

 青を基調とした照明と、その光を跳ね返す小型プールの水面。
 薄暗い『キャバクラ シーサイド』のフロアに飛び込んできたのは、上下黒のスーツに身を包んだ青年だった。『水辺の者』のひとり、聖司具馬。店で働くキャバ嬢やスタッフの安否を確認したあと、オメガスレイヤーのサポートを務める彼は、危険地域に戻ってきたのだ。
 本来ならば、破妖師の血族とはいえ常人に過ぎぬ彼らは、戦闘地に近づくべきではない。妖化屍相手の闘いでは、足手まといになるだけだからだ。
 だがこの日、司具馬は不吉な胸騒ぎを覚えていた。
 究極戦士のひとり、蒼碧の水天使オメガセイレーンが負けるはずはない。そうわかっていても、勘違いではすまされぬ悪寒を、拭い去ることができなかった。
 
「むう? 『水辺の者』か、小僧」

「セイレーンの危機を察知したのかい、ぼうや? だが少し・・・遅かったようだねェ」

 人妖へと格上げされた〝妄執”の縛姫が、高らかに笑い出す。
 その足元、緑に変色した、深さわずか50cmほどの邸内プール。
 濁った水の底に、オメガセイレーンこと藤村絵里奈は沈んでいた。
 
「なッ!?」

「ついさっきのことさ! そいつの口や鼻から、気泡があがらなくなったのはねェ! オメガセイレーンの肺は〝オーヴ”入りの水で満たされていることだろうよ!」

 青緑の水中に沈む水天使は、キレイだった。
 棺桶に収められたように、横たわっている。しなやかで長い手足は、ピクリとも動くことはない。
 長い睫毛が特徴的な、大きな瞳を開いたままだった。ストレートの茶髪が、水のなかでゆらゆらと漂っている。
 鮮やかな青のコスチュームに身を包んだ美女は、悠久の時に閉じ込められたかのように、水底で活動を停止していた。
 
「ご覧の通り。オメガセイレーンは・・・死んだわ」

「ヒョッヒョッヒョッ!! 空気がなければ、究極破妖師といえどもお陀仏じゃのう!」

 哄笑する二体の六道妖と、足元のプールに沈む蒼碧の水天使。
 理解しがたい光景だった。しかし、紛れもなく現実であった。
 沈むオメガスレイヤーと、見下ろす妖化屍。それまでの常識では有り得ぬ逆転現象が、司具馬の眼前で展開されていた。
 
「バカな」

「この、絶望を張り付けたセイレーンの死に顏が、ヌシには見えぬのかね?」

「・・・なにが起こった? いや、なにをしたんだ? 〝百識”の骸頭」

 顏を蒼白にしながらも、司具馬の声は冷静に聞こえた。
 じり、とわずかに腰を下ろす。すぐに――退却できるように。
 一般の『水辺の者』では、どう足掻いても妖化屍に勝てるわけがない。せいぜいケガレ・・・妖化屍の操るリビングデッドを、いくつか退治できれば上等だ。まして危険ランクAを越える六道妖二体が相手となれば、生還して逃げのびるのも奇跡に近い。
 
 オメガセイレーンが敗北したのであれば、一刻も早く逃走を図るべきだった。
 死んだ絵里奈の仇を討つ、などと考えることはない。いや、考えないわけがなかった。司具馬にとっても馴染みの深い戦士だ。思い出はひとつやふたつではなかった。しかし、考えてはいけないのだ。
 どれだけオメガセイレーンに、藤村絵里奈に思い入れを抱いていても、敵討ちなど考えてはならなかった。無理だから。オメガスレイヤー以外の者に、妖化屍退治など不可能だから。
 一切の私情を挟まず、息絶えた仲間は切り捨てる。それが『水辺の者』として任務する者の鉄則だった。非情かもしれないが、彼らが赴く場所は戦地そのものなのだ。
 
 だからこそ、オメガセイレーンの死を前にしても、司具馬は動揺を最低限に抑えていた。
 
「オメガスレイヤーの天下は終わり、我ら六道妖の時代が来たということじゃよ」

「・・・〝オーヴ”・・・よ・・・」

 背後から響く弱々しい声に、黒ずくめの青年は振り返る。
 本来、彼が守るべき乙女がそこにはいた。冷たいフロアに、這いつくばって。
 額と太ももから噴き出る己の血で、四乃宮郁美は白黒コーデの衣装を真っ赤に染めていた。
 
「ッッ!! ・・・いくッ・・・・・・みッ・・・!!」

「そいつら・・・は・・・オメガスレイヤーの、弱点を・・・天敵となる〝オーヴ”を・・・絵里奈さん、にッ・・・!」

「てめえええらあああァッ!! なにしてやがんだァァッ――ッッ!!!」

 突然の咆哮に、妖化屍だけでなく、郁美までもがビクリとした。
 司具馬が見せた激情は、それまでの冷静さからは、あまりに意外なものだった。
 
「このコはッ!! 郁美は関係ねえだろうがァァッ!! オメガスレイヤーでもない女の子に、なにしてくれてんだあァッ、クソどもがァッッ!!」

「こ、のッ・・・己がなにをしとるか、わかっておるのかッ、小僧!」

「その娘がオメガヴィーナスの妹だってのはわかってんだよッ! 関係、大アリじゃないか!」

 妖化屍からすれば、並の人間など虫ケラ同然の力しかない。その弱々しい生物からのまさかの反抗に、怒りと驚きが入り混じる。
 少し特殊な能力が使えるといっても、究極の破妖師であるオメガセイレーンさえ葬った二体の妖化屍に、司具馬が敵うわけがなかった。死が待ち受けるのは、火を見るより明らかだ。
 それでも上下黒スーツの青年は、ボクシングに似た構えを取った。
 
「ッッ!! ・・・ダメッ・・・! 私のことは、いいからッ・・・!」

 オメガセイレーンが成す術なく蹂躙される様を見せつけられた郁美は、逼迫した声を出す。
 司具馬はこの闘いで死ぬつもりだ。すぐに直感でわかった。私を助けるために、身代わりとなってこのふたりの相手を――。
 しかし、絶望的すぎる。ただの、1対2の闘いなどではないのだ。郁美の盾となろうとも、本気の妖化屍に襲われれば、数秒と生きていられるかどうか・・・
 
「大丈夫だ。君だけは、必ず生かして天音のもとに送り届ける」

 落ち着いた声を取り戻して、司具馬は背後に語り掛けた。
 
「その〝オーヴ”とやらの情報・・・天音に伝えてやってくれ。頼んだよ」

 郁美の命を救いたいが故か。あるいは、恋人である天音を想うが故か。
 どちらに比重があるのかは、声だけでは判別しようもなかった。
 
「キヒッ・・・ヒヒヒ・・・いやあ~・・・実に不愉快じゃのう」

「私たち六道妖の前でカッコつけるなんて・・・バカは容赦なく、殺すとしようかねェッ・・・!!」

 構えを取る司具馬に、骸頭と縛姫が襲い掛かる。
 挑んでこようが逃げようが、いずれにせよ『水辺の者』は皆殺しにするつもりであった。四乃宮郁美は対オメガヴィーナス用の切り札にする。拉致のジャマをするなら、尚更生かしておくわけにはいかない。
 セイレーンが水没するプールを飛び越えた、瞬間だった。
 
 ドドドオオオオオッッ――ォォッ!!!
 
「ヌウうッ!? なんじゃッ・・・とォッ!!」

「セイレーンッ!! お前ッ・・・生きていたのかいッ!?」

 プールのなかの青緑の水が、とぐろを巻く龍のように天へ昇っていた。
 渦巻く水流の根本。底を覗かせたコンクリの床に、青いスーツを着た美女が肩を揺らして座り込んでいる。
 
「ハアッ!! はアッ!! はァッ・・・!!」

「絵里奈ッ・・・さんッ!!」

「バカなッ!! コイツ、〝オーヴ”の混ざった水中で、なぜ生きてッ!? いや、そもそも〝オーヴ”入りの水をなぜ操れるのじゃあッ!?」

 茶色のロングヘアーから水が滴り落ちている。濡れたスーツとフレアミニが、ピッタリと素肌に密着していた。関節を抜かれたために両腕はぐったりと垂れ下がり、尻餅をついた姿勢のまま立てそうにない。
 胸元を大きく弾き飛ばされ、露出した素肌に黒く『Ω』マークを焦げ付かせた美女。
 水も滴るイイ女、と呼ぶには、セイレーンの姿は無惨すぎた。だが、それでも溺死したと思われた水天使は、確かに生きている。
 
「はァッ、はァッ・・・!! あなたのッ・・・言う通り・・・私には、もう力は残っていないわ・・・でも・・・水を操る能力だけは・・・なんとか、使えた・・・」

 よく見れば、昇り龍のなかの緑色の水は、周囲を青色の水で包まれている。
 〝オーヴ”に触れれば、セイレーンは力を発揮できない。だから〝オーヴ”の混ざった全ての水を、普通の水で包み込んだのだ。
 水属性のオメガスレイヤー。蒼碧の水天使だからこそ、かろうじてできた神業だった。水という、彼女の武器が大量にあるプールに投げ込まれていなければ、迫る死からの脱出は不能であっただろう。
 首からぶら提げられた緑の鉱石も、口や陰唇から塗り込まれた〝オーヴ”の粘液も、水がセイレーンの身体から流し出していた。ほとんど止まりかけていた彼女の生命活動は、反オメガ粒子が洗い出されると同時に、復活へ向かったのだ。
 
「私はね・・・パワーも・・・スピードも・・・他のコたちに比べたら・・・大したこと、ないわ・・・。でもね・・・・・・水は、誰よりも・・・私のことを、愛してくれてるのよ・・・」

 顎先から水滴を垂らしながら、セイレーンは妖艶に微笑んでみせた。
 
「ふふ・・・私たちの愛の結晶・・・魅せてあげるわ・・・〝水砕龍みさいりゅう”ッ!!」

 ギュロオオオッッ!! ドリュリュリュリュウウッッ――ッ!!!

 渦巻く水流が巨大な弾丸と化して、二体の妖化屍を飲み込む。
 抵抗は無意味だった。竜巻に吸い込まれる、木の葉のごとく。骸頭と縛姫の身体が、乱流の渦に消える。
 とぐろを巻いた水龍は、全てを飲み込んだまま壁に激突し、大量の水飛沫となって砕け散った――。
 
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