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35、粒子の秘密

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 震えが止まらなかった。
 ガクガクと膝を震わせ、四乃宮郁美は凍りついたように立ち尽くしていた。眼前で起こった衝撃の光景と、迫る恐怖とに、脚がすくんで動けなかった。
 
 つい先程まで話をしていた、年上の美女。妖艶な色香と包み込むような優しさを併せ持った、ナンバーワンキャバクラ嬢。
 その藤村絵里奈が、究極戦士であるオメガセイレーンが、泣き叫んでいる。壮絶な痛みと苦しみに襲われているのが、ハッキリとわかる悶絶ぶりで。
 緑色の光線が、ずっと胸の中央に浴びせられている。鮮やかな青のコスチュームは破れ、黄金の『Ω』の紋章は弾け飛んでいた。谷間からふたつの乳房全体へと、露出の部分が広がっていく。
 細い首には、同じく緑色をした縄が巻き付けられていた。ギリギリと背後から締め上げられているのが、遠目からでもわかる。顔面中央を凹ませた女妖化屍が、オメガセイレーンを窒息させて楽しんでいるのだ。
 
 無敵のはずの蒼碧の水天使が、妖化屍に負けるはずのないオメガスレイヤーが、一方的に責められていた。
 オメガスレイヤーと妖化屍との闘いに、これまで何度も郁美は遭遇している。だから、わかる。今回は、今までと違うと。
 かつてない、窮地だと。
 以前とは比較にならない、死に直面した危機にオメガセイレーンは陥っている。心底からの苦痛に、藤村絵里奈は絶叫している。
 
「ああ”ッ・・・うう”ゥッ・・・ア”ッ・・・!!」

 膝立ち状態のオメガセイレーンから、力が抜けていく。悲鳴すらも弱々しくなり、緑縄が咽喉に食い込むのを抑えていた手が、ぐったりと垂れていく。
 
「えッ、絵里奈さッ・・・!! そ、そんなッ・・・? オメガセイレーンが・・・最強のはずのオメガスレイヤーがなぜこんなッ・・・!?」

 〝百識”の骸頭と〝妄執”の縛姫。以前は余裕をもって見下ろしていた妖化屍二体に、蒼碧の水天使は手も足も出せずにいる。彼女の武器となる水は、周囲にたっぷりあるというのに。
 郁美にも、その原因はわかっていた。骸頭が〝オーヴ”と呼んだ、緑色の物質。正式名称〝アンチ・オメガ・ウイルス(A.O.V.)”が登場して以来、両者の力関係は逆転したのだ。
 
「あの〝オーヴ”とかいう緑の光がッ・・・それほどまでに、オメガセイレーンの力を奪っているのッ!?」

「ヒョッヒョッヒョッ! オメガヴィーナスの妹よ、ヌシも知っておくがよいぞォ」

 皺だらけの怪老が、郁美に顏を向けニヤリと笑う。
 バズーカ砲からの、緑の光線照射をやめる。セイレーンの胸元は大きく破れ、黒い煙がシュウシュウと立ち昇った。
 糸の切れたマリオネットのように、ぐしゃりと崩れ落ちるオメガセイレーン。
 長身スレンダーの青き水天使を、縛姫が無理やり立ち上がらせる。絞首刑同様に、首に巻き付けた緑縄をグイと引き上げた。弛緩した身体が、懸命に窒息を逃れようとして爪先立ちになる。
 
「ぐうう”ッ!? ・・・くふぅッ・・・ぅああ”ッ・・・!!」

「ほら、セイレーン。ふらふらしてるんじゃないよ・・・酸素が欲しけりゃ、しっかり立つんだねェッ!」

「い、息がぁ・・・できッ・・・な・・・ッ!!」

 ピンと横一文字に張った緑色の縄により、170㎝を越える藤村絵里奈の肢体のほとんどが支えられていた。
 言い換えれば、それだけの体重が、細首に巻き付いた縄に掛かっていることになる。食い込む縄に、セイレーンが苦しむのも無理はない。
 だが、それだけではなかった。
 縄が緑色をしているのは、もちろん〝オーヴ”が含まれているためだ。巻き付けられているだけで、オメガセイレーンは〝オーヴ”の攻撃を受けることになる。
 
「〝オーヴ”は触れたところから、オメガスレイヤーどもの力を奪うのじゃ。つまり、今のセイレーンは、極端に咽喉や首の力が落ちておる・・・普通に呼吸するのも一苦労、というわけじゃな」

「ごふッ!! ぐぶッ、ぐ、ううう”ッ・・・!! はあ”ァッ・・・!!」

 くっきりした目鼻立ちの美貌が、苦悶に歪む。セイレーンの口から、白い泡がこぼれでる。
 タイトな青のスーツにフレアミニ。ケープまで青で統一した究極戦士が、首を吊られて立たされている。力の抜けた今のセイレーンでは、この絞首刑から脱出する術などなかった。
 
「よいか、四乃宮郁美よ? こやつらが着ているスーツやケープは、特殊繊維で編まれたシロモノに過ぎん。いわゆる、現代科学の技術の結晶というヤツじゃな。『Ω』の紋章についても、それは同じじゃ」

「ッッ!? 『Ω』マークは・・・オメガスレイヤーの弱点じゃないの?」

「ヒョッヒョッヒョッ!! やはりのう! ヌシらは、自分たちの能力の秘密を正確には知らぬようじゃなあ! あるいは、当人たちには教えられていないのか」

 心底愉快そうに、骸頭は笑った。
 限りなく嘲りに近い笑いには、ほんのかすかではあるが憐れんだ様子も含まれている。
 
「『Ω』の紋章に、ヌシらのいうオメガ粒子が集中している、という意味では弱点といえようのう。じゃが、紋章それ自体に、粒子が集積されているわけではない。正しく言えば、紋章のある場所にオメガ粒子は集まっておるのじゃ」

「ど、どういう意味・・・!?」

「実際に見るのがわかりやすかろう。こういうことじゃ!」

 骸頭が取り出したのは、拳ほどの大きさの、緑に光る鉱石だった。
 宝飾品として使うには大きすぎるその岩石に、〝オーブ”が染み込ませてあるのは確認するまでもない。
 鎖に繋がったその〝オーヴ”石を、骸頭はペンダント代わりにセイレーンの首にぶらさげた。
 
「くふう”ゥッ!? んああ”ッ!! あああ”ッ――ッ!!!」

 瞳を見開き、絶叫する蒼碧の水天使。
 首から提げられた〝オーヴ”石はちょうど胸の谷間に埋まり、妖しく緑に発光している。その光に触発されたかのように、セイレーンの胸から黒煙が立ち昇る。
 
 ジュウウ・・・シュウウッ、ジュアアアッ~~ッ・・・!!
 
「あああ”ア”ア”ッ~~~ッ!!! ちからッ・・・がぁッ!! 力がッ、抜けていくゥゥッ――ッ!!!」

「絵里奈さんの胸にッ!! 『Ω』のマークがッ・・・!?」

 スーツの一部ではない。セイレーンの素肌に、刻印したかのように、真っ黒に焦げた『Ω』の印が浮かんでくる。
 『Ω』の刻印からは、激しい勢いで煙と焼け焦げる音色が昇った。
 オメガ粒子はスーツの黄金の紋章に集中しているのではなく・・・その奥。セイレーンの肉体自体に、浸透していたのだ。
 『Ω』の文字状に集まった胸中央のオメガ粒子に、今直接的に反オメガ粒子ともいうべき〝オーヴ”が触れている。セイレーンにとっては、オメガスレイヤーたらしめている根源を、削られているようなものだ。
 
「キィッヒッヒィッ~~ッ!! 儂からのプレゼントは気に入ってくれたかね、オメガセイレーン? ほれ、もっと抱き締めて喜ぶがよい」

 拳大の〝オーヴ”鉱石を掴むと、セイレーンの美乳に押し付けていく。左胸、心臓がある方に。
 
 ジュウウウ・・・シュウウウッ~~ッ・・・
 
「はあうう”ゥッ!!? あ”ッ・・・ぅあ”ッ・・・・・・!!」

 一瞬心臓が止まりかけ、スレンダー美女の肢体がビクンと跳ねた。
 ヒクヒクと動く両手の指が、ゆっくりと緑の鉱石を掴む。だがその指すら、〝オーブ”によって力を奪われていく。掌に収まるはずの鉱石が、数十倍もの質量として感じられる。
 見開いた大きな瞳には、すでに目前の骸頭すらも映ってはいなかった。鼓動を鈍らせていく心臓の苦しみに、セイレーンは生を繋げるので精一杯だった。
 最強であるはずの蒼碧の水天使は、今やただの藤村絵里奈以下の弱さになりかかっていた。
 
「フン・・・これがあのオメガスレイヤーとは・・・呆気ないものねェ」

 腰にまで伸びたストレートの茶髪を掴み、縛姫がセイレーンをカウンターのテーブルに転がした。
 ちょうど胸の高さにあるカウンターは、少し幅は狭いが、〝処置”を施すにはピッタリの手術台だった。自らの店のカウンターに、仰向けで横たわるセイレーン。
 
「うあああ”ッ・・・!! くうゥッ・・・!! あ”ッ、ああア”ッ・・・!!」

 胸中央に乗った緑の鉱石が、重く、重く、スレンダー美女に圧し掛かっていく。
 ゾウにでも踏まれているかのようだった。心臓を潰されそうな激痛に、プライドも忘れて悲鳴をあげる。
 パクパクと口を開閉しながら、絵里奈は自覚していた。ただこうして〝オーヴ”石と接触しているだけで、どんどんと力が・・・生命力と言い換えてもいいであろうエネルギーが、奪われていくことに。
 恐らく、このまま緑の鉱石を乗せられて寝ているだけでも、オメガセイレーンは死を迎えるだろう。ミサイルですら跳ね返す強固な肉体が、直径10㎝にも満たない鉱石に敵わないなんて・・・
 
「キィッヒッヒッ!! せっかくじゃから、この〝百識”の骸頭の研究成果を講義してやろう。そもそもヌシらは、オメガ粒子と呼んでいるものの正体をわかっておらんようじゃからのう!」

「オ、オメガ粒子の・・・正体!?」

 蒼白になりながらも、四乃宮郁美はキャバクラのフロアから逃げ出せなかった。
 恐怖にすくむ、からでもある。藤村絵里奈を放っておけない、からでもある。逃げるのは不可能と悟っている、からでもある。
 複数の要因のひとつに、骸頭が語るオメガスレイヤーの秘密への興味、は紛れもなくあった。
 
「ヌシらのいうオメガ粒子とは・・・菌じゃ」

 怪老が口にした「キン」なるものが、カビやキノコ類を示す「菌」であることに、数瞬郁美は気付けなかった。
 
「わかるかのう、オメガヴィーナスの妹よ。細菌を感染した者が風邪をひくように、あるいは白癬菌に侵された者が水虫となるように、身体に異常状態を引き起こしているのがオメガスレイヤーなのじゃ。副作用が強いのも当然かもしれぬのう」

 得意げに語る皺だらけの妖化屍は、この瞬間に限っては、セイレーンへの復讐よりも己の自慢が勝っているようだった。
 
「菌!? ・・・じゃあ、あの黄金に光るものが・・・?」

 混乱しかけた郁美だが、すぐにオメガスレイヤーたちの変身シーンを思い出していた。
 普段、オメガ粒子はオメガストーンと呼ぶ結晶のなかに封印しているという。郁美の姉・天音ならロザリオ、絵里奈なら涙型のペンダント、甲斐凛香なら3つの六角柱。それぞれ形こそ違うが、どれも黄金に輝いているという点では同じだ。
 ツキヨタケのように発光菌と呼ばれる種類のものもある。オメガ粒子が通常の菌でないのは確かだろうが、仮に異常な速度で繁殖範囲が広がる、あるいは収束するとすれば、普段は結晶内に留め必要時に全身に移す、ということも可能かもしれない。
 
 姉の天音は、オメガスレイヤーとなるには相性こそが大事といった。藤村絵里奈は、オメガ粒子は征門二十七家の間で代々受け継がれてきたといった。
 オメガ粒子が菌であり、副作用が強く伴うものであるなら、相性があるのも合点がいく。
 また、菌であるならば、培養することで長年受け継ぐこともできるだろう。オメガストーンとは、実に高性能な培養庫と捉えればいい。
 絵里奈は一旦オメガ粒子が宿ると、その宿主が〝代替わり”を起こさない限り、他に宿ることはないともいったが・・・その点は菌類の常識からは外れているかもしれない。一度媒体が決まると、その媒体以外には住み着かない、というのは執着にも似た意志を持っているかのようだ。
 
「半信半疑といったところかのう? じゃがオメガヴィーナスが残していった『Ω』の紋章に、オメガ粒子の正体である菌がたっぷり付着しておったわい」

 皺だらけの顏を歪ませ、唇を吊り上げた怪老が透明なビンを取り出す。
 内部に見えるのは緑色のスライム――。もちろんそれは、〝オーヴ”を大量に含ませたゲル状粘液だった。
 
「菌であれば抗生物質・・・つまりは、菌の増殖を抑え、滅殺する物質も生み出せるというもの。無論、研究に時間はかかったがのう。そして抗生物質もまた、やり方によって大量の培養も可能というわけじゃ!」

 骸頭の台詞、そして掌にすくい取った緑の粘液を見て、セイレーンと郁美は悲鳴を漏らしかけた。
 
 妖化屍がいう言葉を、全て信じていいのかは定かではない。だが、これまでの経緯からして、確実なことがふたつある。
 
 1つは、〝A.O.V.=オーヴ”は、オメガスレイヤーの致命的弱点であること。
 そして2つめは、骸頭を代表とする六道妖は、〝オーヴ”の大量生産に成功しているということ。
 
「簡単に殺しはせんぞ、セイレーン・・・オメガヴィーナスの妹に、さんざん恐怖と絶望を与えるのがヌシの役目じゃ・・・」

 緑に光るゲル状粘液が、ドロドロと仰向けの水天使の胸に浴びせられた。
 
「ひあア”ッ!? アア”ッ!! はああア”ア”ァ”ッ――ゥッ!! む、胸があああ”ッ――ッ!!」

 ふたつの乳房が腐食するかのような苦痛に、オメガセイレーンは叫んだ。
 痛切な悲鳴は、ただの二十歳代半ばの乙女のものだった。
 
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