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10、激戦
しおりを挟む腹から真っ二つにする前に、眼球を潰された美乙女の顔が見られる――。
それが、真っ先に骸頭の脳裏に去来した想いであった。悦び。サディスティックな喜悦。天敵であるオメガスレイヤー、それも強く、美しい乙女の瞳が抉られたとあらば、骸頭の快楽欲求をこれほど満たすものは少ない。
〝慧眼”の右手が、オメガヴィーナスの両目から抜け落ちたとき、怪老は嬉々として美貌を覗き込もうとした。
「気をつけろッ!!」
ローブの男の叫びは、緊張に満ちていた。
圧倒的優位に立っている者の声ではない。消滅の危機と、隣り合わせにある者の切迫。
人妖の座にある男は、骸頭より早く気付いていた。己の指の、ことだったから。
ぬかるんだ地面に落ちた、骨だけの右手。
潰れたのはオメガヴィーナスの眼球ではなく、〝慧眼”の指の方だった。
「この女ッ・・・オメガヴィーナスにさしたるダメージはないッ!! こいつは・・・反撃のチャンスを狙っていたッ!」
警告が届くより先に、骸頭は女神の顔を見た。見てしまった。
「ヒィッ・・・!?」
カエルが蛇に、ガゼルが獅子に、睨まれた時と恐らく同じ。
魂が、凍えた。300年越しの、戦慄。
傷ひとつない澄んだ瞳が、ランと輝き怪老を射抜いていた。
「きッ・・・ききき、貴様ッ・・・!!」
「逃げろッ、骸頭ッッ!!」
オメガヴィーナスの美しい瞳が、強い光を放つ。
両目だけではなかった。まるで十字架に掛けられたかのような、全身。〝ディアボロハンド”に真横に引っ張られ、ピンと爪先まで伸ばした白銀と紺青の肢体が、眩く輝きだす。
オメガヴィーナス自体が、光のロザリオと化したかのようであった。
「〝クロスッ・・・ファイヤー”ァッッ!!」
カッッ!!!
その瞬間、崖下の台地は真昼の明るさに包まれた。
聖なる十字が、闇に輝く。光の奔流が、四囲の不浄を飲み込んでいく。
それはオメガヴィーナス最大の必殺技であった。
GYUUUOOOOOッッ!!!
ボンッ!! ボボボッ!! ボボンッ!!
〝悪魔の掌”が、絶叫を震わせ消滅していく。
女神に触れていたケガレの群れは、一瞬にして蒸発した。塵すら残さず。耳をつんざく阿鼻叫喚、亡者の怨讐の叫びすら、光の炎は燃やし尽くす。
天から降る雨さえもが、〝クロスファイヤー”の光で消し飛んだ。
「っ・・・す・・・ごい・・・」
姉の勇姿に、思わず郁美は見惚れていた。
聖光の残滓が満ちるなか、腰に両腕を添えて佇む姿は、まさに女神の名に相応しい。
四乃宮天音=オメガヴィーナスは、〝ディアボロハンド”を滅ぼし、その拘束から脱していた。
「まッ・・・さか・・・! これまでの攻撃も・・・通じておらなんだのかァッ!?」
よろよろとフラつきながら、皺だらけの老人が地面の下から現れる。
地獄妖・〝百識”の骸頭は、咄嗟に下僕のケガレを盾にし、死者の山に埋もれることで難を逃れていた。聖なる光の十字が、第一のターゲットを巨大な〝悪魔の掌”にしていたことも大きい。
だが、直接オメガヴィーナスの必殺技を浴びていなくても、骸頭の全身からは鮮血が噴き出していた。
黒魔術は、破られれば術者自身にダメージが還る。悪魔が滅んだ代償を、怪老もしっかりと受け取っていた。
「・・・いいえ。あなたたちの攻撃は・・・効いたわ」
素直すぎる回答を、天音は返す。
「負けるとは思わない。けれど・・・覚悟していた以上の、苦しみだったわ。〝クロスファイヤー”の射出体勢に偶然ならなければ、反撃はもっと困難だったでしょう」
「そうやって、あっさり能力の秘密をバラしてしまうのが・・・甘いというのだ。オメガヴィーナス」
一旦姿を消していたローブの男が、ゆらりと現れる。
いち早く場を逃げた〝慧眼”もまた、十字の聖光は浴びていない。それでも、ところどころローブについた焦げ跡が、余波の凄まじさを物語っていた。
「それとも、オレたちふたりを相手にするなら、何をベラベラ喋ろうとも余裕、というわけか」
〝慧眼”の言葉は、決して皮肉などではなかった。
卓越した観察眼と分析力から導き出された、冷静な答え。実際に拳を交えてみれば、二体の妖化屍と白銀の光女神、どちらの実力が高いか容易に推し量れる。恐らくは、オメガヴィーナスも察していよう。
苦しめることはできたが、それまでだ。
六道妖に選ばれし二体には、それなりの自信も自負もある。だが、白銀のスーツを纏ったこの美戦士とは・・・決定的な差があるのを、痛感せざるを得ない。
暗黒のローブによって実態は隠されているが、〝慧眼”の肉体もすでにボロボロであった。致命傷は避けたとはいえ、オメガヴィーナスと正面から殴り合えば当然のことだ。
「余裕だなんて、言わないわ。途中何度も、もうダメかと思ったもの」
「フン。その手の気遣いは、時に相手を傷つけることもあるぞ?」
元からの実力差。そしてダメージの程度を考慮すれば、〝慧眼”と〝百識”に光女神を出し抜く法はない。
怪老が向ける憎悪の視線も軽く受け流し、水溜りに落ちている骨の右手を、オメガヴィーナスは拾った。
「返すわ。あなたのでしょう?」
「・・・両眼を潰されかけたというのに、お優しいことだ」
「ゴミが入った程度の痛みよ。気にすることはないわ。でも・・・私の役目は、妖化屍を葬ることよ」
襲撃を受けたのは天音の方であったが、ただ難を逃れればいい、というわけではない。
眼の前に人々を脅かす妖魔がいるのなら・・・狩る。それがオメガスレイヤーとなった、美戦士の宿命だ。
カチャリ、という音色とともに、骨の右手が持ち主に戻った。
一度〝クロスファイヤー”で放出した聖なる光が、再び白銀と紺青の肢体に満ちていく。
「・・・あんまりノボせあがると・・・命取りになるわよォ・・・お嬢ちゃん」
声は突如として、オメガヴィーナスの背後で湧いた。
女の声。まさか、まだ敵が!?
骸頭が作ったローブには、気配を消す効果があったことを天音は思い出す。
「オホホホッ・・・あれだけ大量の光を放ったあとでは、随分スピードが遅くなるのねェ」
ビシイイィィッ!!
振り返った瞬間、白銀の光女神は緑色の紐で、全身を巻き付けられていた。
女が笑っている。下卑た笑い。緑の紐は、女の両腕から伸びていた。
「くうッ!?」
「2人相手には楽勝でも・・・妖化屍が3人揃ったらどうなるのかねェ?」
両腕ごと胴に巻き付けられた天音が、力を込める。
鋼鉄の鎖も紙のように引き千切るオメガヴィーナスが、緑紐の拘束を解くことができない。
いや、紐ではなかった。ゆったりとした紫のドレスの袖口から伸びているのは、緑色の・・・蛇。
「こ、これはッ!?」
「あら、ごめんあそばせ。自己紹介が遅れたわねェ。私はバクキ。縛姫よ。大した力はないけれど・・・緊縛する能力だけは、妖化屍でも最上のつもりよォ」
紫のルージュを吊り上げて、縛姫は笑った。
人間ならば40代と思しき容姿は、決して醜い部類に入らなかった。むしろ「美魔女」とも言うべきカテゴリーに入るのかもしれない。この場合、本当の意味で「美魔女」に近いが。
オレンジの髪にはソバージュがかかり、指や耳につけたアクセサリー類は高価な気品を感じさせる。アクは強すぎるが、高級住宅街のマダムといっても十分通用するだろう。
だが、その瞳に宿る異様な光が、女の正体が人外であることを示していた。
「ちなみに通り名は、〝妄執”・・・〝妄執”の縛姫よォ。誰がつけたか、知らないけど・・・勝手に評されて迷惑だこと。まったく失礼な話よねェ」
獲物を品定めようなこの眼は・・・蛇だ。
一度狙えば、絶対に逃がさないという執着を眼光から感じる。両腕から放つだけでなく、この妖化屍からは蛇の宿業が漂ってくる。
「うッ・・・うゥッ・・・! ぬ、抜け出せッ・・・ないッ!?」
「ホッホッホホホ! ムダよ、ムダ。最強のオメガスレイヤーでも、そう簡単に我が縛りは破れないわ。油断したわね、バカなお嬢ちゃん」
太腿から胸にまで、幾重にも巻き付いた緑の蛇2匹が、鎌首をもたげる。
緊縛によってより盛り上がった豊乳の先端に、蛇は牙を立てて噛みついた。
「ひぐゥ”ッ!?」
ケガレどもがいくら噛みついても破れなかった白銀のスーツに、ブスリと穴が開く。
蛇どもの毒牙は、オメガヴィーナスの胸の突起に深く埋まり込んだ。
「うああ”ッ・・・!! あああ”ッ――ッ!!」
「あ、天音ッ!? そ、そんな・・・妖化屍が3体も揃うなんて・・・ッ!?」
「キヒッ・・・キヒヒヒッ!! まったく、慌てさせおるわ。縛姫のヤツを仕込ませておいてよかったぞい。これで再び、形勢逆転じゃのう」
怪老とローブの男が、緊縛された光の女神にゆっくり近づいていく。
父親が知る限り、長い歴史のなかでも、破妖師が3体もの妖化屍に襲われた話など聞いたことがない。我欲の強すぎる亡者たちが、連携を組むこと自体が異例なのだ。
それが、よりにもよって我が娘に・・・それも、まだオメガスレイヤーとしての戦闘に慣れていないタイミングで、襲い掛かるとは。
むろん、偶然などではなかった。妖化屍たちはそれだけ躍起になって、白銀の光女神オメガヴィーナスを抹殺しようとしているのだ。
ヂュウウウ”ウ”・・・ズズッ・・・ヂュルルウウ”ウ”ッ・・・
「ちッ・・・力・・・がっ!!」
青のフレアミニから伸びた生脚が、ガクガクと揺れる。
左右の乳首に噛みついた蛇たちが、オメガヴィーナスの光を吸奪している。
両腕も、脚の自由も奪われ、蛇に螺旋に絡まれた女神は、身を捻じらせて悶えるしかなかった。〝クロスファイヤー”を放ったばかりの天音には、光を補充する時間が足りない。
「・・・オレに右手を返したのを、後悔しているか? だが、オレの役目はオメガヴィーナスを始末することだ」
「くッ・・・ううゥ”ッ・・・!!」
「頑丈なその身体、儂ら3人をまとめて相手にしても、無事にいられるかのう?」
骸頭の右手に、先が三又に分かれた漆黒の槍が握られる。
緊縛され、力を吸われていくオメガヴィーナスの前に、槍を持った地獄妖と、武闘派の人妖が立った。
ドボオッ!! ズボッ!! ドガアッ! ドシュッ! ドドドドォッ!!
乳房、そして腹部に、数えきれぬ槍の刺突と打撃が打ち込まれる。
棒立ちのオメガヴィーナスに、面白いように槍が埋まり、拳が刺さった。
表情も変えず、叫び声ひとつあげず、白銀のスーパーヒロインはただ殴打の蹂躙を浴び続ける。
「キヒヒヒッ!! やせ我慢のつもりかね? いかにも効いていないとアピールしたいようじゃが・・・ほりゃあ!」
プラチナブロンドの髪を掴み、骸頭はグイと醒めるような美貌を上向かせた。
グプッ、と反動で唇の端から鮮血が噴き出る。
「隠しても無駄じゃあ! いくらオメガスレイヤーといえ、我ら六道妖の連打・・・それも光の力を消耗した身体で受けて、五体満足とはいくまいて!」
ドボオオオォッ!!
蛇に締め付けられたふたつの乳房に、骸頭の槍と〝慧眼”の拳が左右から同時に埋まる。
「うぐウ”ゥ”ッ――ッ!!」
ドピュウウッ!!
たまらず吐血の塊が、オメガヴィーナスの唇を割って飛び出した。
「ヒョホホホッ!! 死ねッ、オメガヴィーナス! 鋼鉄の身体も、リンチによって削り取ってやるぞえ!」
抵抗しないのをいいことに、3体の妖化屍は白銀の光女神を嬲り続けた。
天を仰ぎ、虚ろな視線を彷徨わせるオメガヴィーナス。
端整な美貌の口から、あるいは鼻から、ドス黒い血が泡立ってゴボゴボと溢れ出る。
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