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2巻
2-3
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そうですか、と気のない相槌を打ってから、エリーゼは部屋を出た。教会の出口までついてきたシルフローネに見送られて、エリーゼは教会を後にした。
顔に貼りつけていた愛想笑いは、途端に剥がれ落ちる。
「家族が人間じゃないから、そしてタイターリスと近しいから、あの子はそのうち私を殺すかもしれない。そうなる前にあの子を殺したいけど――」
往来で頭を抱えて、エリーゼは溜息を吐いた。
「だめだめ。殺したら教会だけでなく、シーザリア王国まで敵に回しちゃうかもしれないし……まず何よりも、倫理的にだめだって」
波立つ心を鎮めようと、エリーゼは深呼吸を繰り返した。
「でも、いつか……」
白い教会の屋根を見上げながら、エリーゼは呟く。
「私のことを殺したがってる、あの子を殺さなきゃ」
聖女から伝言を聞いたステファンは、薄暗い部屋で一人毒づいた。
「なんでよりによって、またあの子なんだ」
そして机の上の木屑を、乱暴に払いのける。
「あの子以外なら、誰でも良かった。それなら僕は家に戻ったのに」
エリーゼの言葉だけは、素直に聞き入れることができない。ステファンは衝動的に彫刻刀の刃を握る。
卓上が血で赤く濡れていくのをしばし見つめて、ステファンはようやく肩の力を抜いた。
(家族会議……なんだったんだ? ハイワーズ家に何が起きた?)
ステファンは掌を横断する傷を見て項垂れる。感情のままに行動して後悔することが、これまで何度もあった。
持っていたハンカチを細く畳んで掌に巻きつけると、ステファンは怪我をしていない方の手で卓上の神像を持ち上げた。
「兄上に、会いに行こう」
家に戻らずとも、エイブリーに会えば詳細を教えてもらえるはずだ。
そう決めると、ステファンは片手で彫刻刀や鑢などの道具をまとめ始めた。それらを袋に包む動作は、片手とはいえ慣れたものだ。一呼吸もしないうちに終わらせて袋を小脇に抱え、ステファンは部屋を出る。
彼が教会の玄関ホールにたどりついた時、そこには聖女が立っていた。
「聖女様」
「行ってしまうのですね」
「……兄に会いにいくだけです」
エリーゼの言葉に従ったと思われるのが嫌でそう返したが、聖女はさして気に留める様子もなく頷いた。
「今は非常事態ですわ。ご家族が揃っていた方がよろしいかもしれませんわね」
「悪霊は、まだ退治されていないんですか」
「ええ。恐ろしいことに。もう現れないかもしれませんけれど、今すぐここに現れないとも限らないのですわ」
家族会議は、母上の警護について話し合ったのかもしれないと、ステファンは思った。
悪霊は心の弱い人間に憑くという。母は精霊に愛されているが、心を病んで臥せっている弱い人でもあるのだ。悪霊に憑かれた人間が、母を害する可能性もあった。
(僕だって強くない。悪霊が僕に憑いたら、父上はどうするだろう)
その結果を想像するのは簡単だったが、あまりにも辛い。ステファンは顔が歪みそうになるのを堪えつつ、木彫りの神像を聖女に手渡した。
「――精霊神アスピルの像の雛型です。今度お訪ねする時には、細部について話を詰めたいのですが」
「ええ、楽しみにしていますわ」
聖女は目を細め、ステファンの手に巻かれた、血の滲むハンカチに触れる。
「白く涼やかな癒しの風」
魔法でたちどころにステファンの傷を癒した聖女は、にっこりと微笑んだ。
「困ったことがあったら、いつでもわたくしのところへいらしてね」
そして最後に、聖女はつけ加える。
「あなたの妹さんにお会いしたけれど、とても可愛らしい方ですのね。あなたが妹さんと仲良くできるよう、精霊神アスピルにお祈りいたしますわ」
聖女は美しい。エリーゼよりもいくつか年下だが、知識も豊富だ。何より父と相対した時に感じるのと同じ、平伏したくなるような雰囲気をまとっている。カロリーナやエイブリーに対しても感じるが、それとは比べ物にならない。ステファンはそう思った。
欠片も思っていないことを微笑みながら口にするその姿も、父とよく似ていた。
王都アーハザンタスの東南にある旧市街地バターレイは、いわゆる貧民街だ。
アールジス王国勃興期には栄えていたらしいが、今はすっかり落ちぶれ、崩れかけた煉瓦の建物が無秩序に並んでいる。区画整理された美しい王都のつら汚しとして、裕福な平民や貴族に疎まれていた。
ある物を探してバターレイを訪れたエリーゼだが、まさかこれほどあっさり見つかるとは思っていなかった。
「……リール、こんなところで何やってるの」
「姉さん!? どうしてここがわかったんですか? ジュナには嘘の潜伏場所を教えておいたのに」
驚いた顔をして、リールは物陰から出てきた。エリーゼがリールを見つけたのは、廃墟と化した、元はバーだったらしい店の中。まだ日は高いが、店内はだいぶ暗い。日当たりを全く考慮していない街づくりのせいで、バターレイは昼間でも街全体が薄暗いのだ。
「それにしても、女性一人でバターレイに来るなんて。姉さんが来るようなところじゃありません。危ないですから、早く出ていってください」
「危ないのはリールの方だよ」
「確かに、身を隠さなくてはならないのはボクの方ですけど。姉さんにすら見つかってしまうようでは、潜伏場所を早急に変える必要があるでしょうね。偶然とはいえ、こうも早く見つかるとは――」
「いや、偶然じゃないし」
「どこかから情報が入ったんですか? ありえません。ボクはここに隠れることを、誰にも言っていないんですから」
「……うーん。リールが久々に自分より小っちゃく見える。リールは頼りになるけど、やっぱりまだ十四歳の子供なんだね」
むすっとしたリールを見て、エリーゼは苦笑した。
「情報なんてなかったよ。けど私がバターレイに来て、リールを探し始めてから三十分しか経ってない。これがどういう意味だか、リールならわかるよね」
エリーゼはそう言って、バーの外を見回した。
人が住んでいる建物の窓には、壊れた硝子の代わりに銅板が打ちつけられている。銅板には引っかき傷のような模様が付けられていて、その家の主がバターレイのどの派閥に属しているかを表していた。バターレイに住む人間なら、文字を知らない子供でさえ、その意味を知っている。
「――まさか姉さんは、昔から出入りしていたんですか? こんな汚い街に」
「物乞いをするなら、この辺りが一番なんだよね。施しをしようとする人たちは、大体ここにやって来るから」
「危ない目に遭ったことはないんですか?」
「昔は売られそうになったりもしたけど」
こちらを窺う無数の視線を、エリーゼは【気配察知】の恩恵で感じ取っていた。リールは気づいていないようで、ただエリーゼの真意を探るように彼女の顔を見つめている。
エリーゼは肩を竦めた。
「とりあえず、場所を移そう」
そしてリールに荷物を持たせ、エリーゼは彼の手を引く。リールが不機嫌そうな顔をしつつも素直について来るのを見て、その手を強く握った。
建築基準など完全に無視した歪な建物群の間を、エリーゼとリールは歩き続けた。
縄張りに侵入してきた彼らを、ボロを着た子供たちが睨みつけてくる。エリーゼは愛想笑いを浮かべながら左右を見回した。
すると探し人は向こうから姿を現し、エリーゼに痛烈な皮肉を浴びせかけた。
「こんなお貴族様のお目汚しにしかならない貧民窟へ、ようこそいらっしゃいました。ってな」
「……うちの弟が、暴言を吐いてごめん」
「弟の躾がなってないぜ、エリーゼ・アラルド・ハイワーズ」
「ごめんってば」
短く刈り込まれた灰色の髪と、同じ色の瞳を持つ少年。エリーゼよりいくつか歳上だろうが、正確な年齢は本人も知らない。出会った時には黒だった髪は、年月が経つにつれて瞳と似た色合いになっていった。
少年は傲然と顎を反らしながら、エリーゼとリールを交互に見やる。リールが懐から勇者の絵本を取り出そうとしているのに気づいて、エリーゼは彼の手を軽く引っぱった。
「フィン、お願いがあるんだけど。この子を匿ってくれないかな」
「イヤだね。オレ、貴族のことはありがたいカモだと思ってるけど、それ以上にダイキライだから」
「私も貴族なんだけど」
「お前は絶対違うだろ」
エリーゼは少年――フィンから胡乱な眼差しを向けられたが、その遠慮のない言動に親しみを覚えてしまい、反論できなくなる。そんなエリーゼを見て、リールがフィンを強く睨んだ。
「……とりあえず、頼む。お願い!」
「ハイワーズ家って今さ、精霊神教会とごたついてるじゃん。厄介事に巻き込まれんのはゴメンだ」
「古代文字、教えてあげないよ?」
「それは困る」
エリーゼの言葉を聞いて、フィンは少し弱ったように眉尻を下げた。
「あれ、勉強しても勉強してもなかなか覚えらんないんだよなー」
「才能がないんでしょう」
リールが、フィンを睨みつけたまま口を挟んだ。
「古代文字は、ただの文字ではありません。魔法文字であり、世界の規則を記すことのできる文字です。それをマスターすれば、世界の規則を歪めることすら可能になる。だからこそ、選ばれた者にしか理解できないんです。あなたには、その資格がないんですよ。諦めたらどうですか?」
「スゲェ力がある文字なんだよな。もう十年近く勉強してんのにろくに身についてないってことは、ま、才能ないのかもな」
フィンが挑発をあっさり受け流して笑ったので、リールは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「姉さん、ボクはこの男を信用できません。心配してもらえるのは嬉しいですが、こんなところで匿われても、すぐに見つかるのがオチでしょう。今もたくさんの人間に見られているわけですし」
「今周りにいるヤツらのうちの誰かが、告げ口するとでも思ってんのか?」
そう言ってにやりと笑うフィンを完全に無視して、リールはエリーゼを問い詰める。
「そもそも、こんな男といつどこで知り合ったんですか? 何か危ないことをしたんじゃないでしょうね?」
「昔、教会で仲間にならないかって誘われたの」
リールは眉をひそめた。エリーゼがフィンの仲間になるということは、すなわち家を捨てるということだからだ。
エリーゼはいつか家を出ていこうと思っていたので、誘われた時は嬉しかった。だが胃がちくちくと痛み、気分が悪くなったから断った。恐らくはそれも、精霊の意思だろう。
「誘いは断ったけど、関係は続いたんだよね。バターレイでは物乞いするにしても、縄張り争いとか色々あるからフィンにアドバイスしてもらったり、お礼に家庭教師まがいのことをしてみたり」
「協力関係、ってところかな? オレたち、エリーゼには随分助けられたよ」
「じゃあ私の弟を助けて!」
フィンは溜息を吐き、鬱陶しそうに顔を歪めた。
「ソイツを隠すとこまでは請け負うけど、オレだってずっとソイツを見てられるわけじゃない。オレが見てない時にオレの仲間たちと喧嘩でもされて、死なれても責任取れねーよ?」
エリーゼがちらりとリールを見やると、彼は肩を竦める。
「誰かと争うつもりはありませんが」
「お前にそのつもりがなくても、仲間たちはどうかな? 存在自体がウザイからなァ、貴族って」
口を開こうとしたエリーゼを、「お前は例外」と言ってフィンが制した。
「なんでオレらがいとも簡単にお前の居場所を探り出してエリーゼに告げ口できたか、お前、絶対わかってナイだろ?」
「……あなたたちが、姉さんにボクの居場所を教えた? どうしてわかったんです? ボクは隠れるところを誰にも見られなかったはずなのに」
「出たよ。これだから外のヤツらってのは!」
憤慨するフィンを見て、怪訝な顔をするリール。エリーゼは思わず苦笑する。
「フィン、ごめんってば。この子に物事を教えたのは私だから、この子がフィンたちに失礼なことを言ったら、それは私のせいだよ。っていうか、フィンに物事を教えたのも私だし、フィンが貴族に対して不信感を持つようになったのも、私のせいかな」
エリーゼは二人の間に割り込んだ。視線が四方八方から注がれている。その大半はエリーゼに対して好意的だが、リールに対しては刺すように鋭い。
二人の顔を交互に見ながら、エリーゼは説明した。
「はっきり言うとね、リールがあの場所に隠れるのを、見ていた人がいるんだよ。多分、その人はちゃんとリールの視界に入ってたんじゃないかな」
驚いて目を見開くリールに、フィンは吐き捨てるように言う。
「なんでお前には見えてなかったか教えてやろうか? ――お前らみたいな貴族は、オレたちを道端に落ちてるゴミくらいにしか思ってないからだ」
「捻くれた解説をありがとう、フィン。そしてごめん。そもそも空気みたいに無視される存在だってことを利用して、集めた情報を売ったらお金になるんじゃないかって提案したのは私だよね」
「道楽で慈善活動してる貴族なんかよりよっぽど、お前には感謝してるさ。自分で自分の食いぶちをまかなえるってのは、何物にも代えがたい。それに、お前がオレたちにそう提案したのは、オレたちがゴミなんかじゃなくて、ちゃんと考えて行動できる人間だってことを理解してるからだ」
テレビもインターネットもないこの世界では、最新の情報を手に入れる方法は限られている。情報屋から得るのが確実だが、そんなものを利用するのは冒険者や各分野の専門家くらいだ。
エリーゼが偶然知り合ったフィンと、その仲間の子供たち。彼らにも思想や知能があるということを、わかっていない人は驚くほど多い。彼らを当然のように無視する貴族たちの姿を見て、エリーゼは軽い気持ちで情報収集の話を持ちかけた。何か面白いことや変わったことがあったら教えてほしいな、くらいにしか考えていなかったのだが……
フィンは仕事の規模をどんどん大きくしていき、いつしか裏社会において重要な役割を担うまでになっていた。
「貴族特有の考え方、オレたちに対する認識と偏見、オレたち自身の甘さ、金の流れ、物の動き、人の心の移り変わり……全部、お前が教えてくれた」
「でもフィンが道を踏み外したのは私のせいじゃないかって、今は後悔してるよ」
気づけばフィンは、犯罪者になっていた。だが後悔したところで、もう取り返しがつかない。それに、今は家族のことを考えないといけない。
「……とにかく、ボクは油断していたということですね」
「ああ、そうだよ坊ちゃん」
「坊ちゃんですか。そう呼ばれることを甘んじて受け入れましょう。ボクは本当に、まだまだ子供だ」
その言葉を聞いて、フィンは虚をつかれたような顔をした。一方のリールは、淡々と続ける。
「もう油断はしないし、貴方を侮りもしない。ボクは姉さんの言うことを聞いて、ここに残ります。貴方たちと上手くやれるよう、ボクの方が貴方たちに合わせる努力をします。貴方たちを理解し、自分の至らないところを改善すれば、ボクはまた一歩姉さんに近づける」
フィンは顔を引きつらせ、リールから若干距離を取った。
「……エリーゼ、お前の弟ちょっと怖い」
「そうだね、好かれすぎてちょっとね」
「思い上がらないでください、姉さん。好きと言った覚えはありません」
「今の流れで好きじゃなかったら、逆に何なの!」
言い合う二人を見て、フィンは毒気を抜かれた顔をして笑った。
「もしかして、コイツはただ追いつめられて余裕がないガキってだけで、オレたちを蔑ろにするクソみたいな貴族とは違うのか?」
「フィン、リールは育ちが良さそうに見えるけど、私と同じ家で育ったんだからね?」
その言葉を聞いて納得顔をするフィンと、フィンへの態度を改めたリールを見て、エリーゼはほっと息を吐いた。
「……二人とも、それなりに上手くやれそうだね」
「他のヤツらも、エリーゼの弟だって言っときゃ殺しはしないだろ」
「ボクは魔法使いです。もし襲われても返り討ちにしますよ」
「バカ。お前が優秀な冒険者だってことぐらい、ココのヤツらはみんな知ってるよ。だからお前を殺そうと思ったら、毒を呑ませるとか、罠にかけるとかするさ」
「へえ。それはいい勉強になりそうですね」
「……エリーゼ、コイツ変わってる」
酸っぱいものを食べたような顔で、フィンが言う。エリーゼは笑って頷いた。
「変わった子だけど、優秀なのは確かだよ。それにリールは古代語ペラペラだから、機会があったら教えてもらうといいよ」
「なんでボクが教えてやらなきゃいけないんですか」
「そいつはありがたい。タダでとは言わないぜ。教会とハイワーズ家に関する情報と引き換えにってのはどうだ?」
「それならいいですよ」
フィンの仲間の子供たちは、施し目当てで教会に出入りすることが多い。だがリールがフィンの――ひいては自分たちの役に立つ存在だと理解すれば、リールを教会に売ったりはしないだろう。エリーゼはそう考え、安心してその場を後にした。
リールは隠せた。あとはステファンだ。
「もう一回教会に行くか……うわあ憂鬱。聖女様、お出かけしててくれないかな」
エリーゼが乗った乗合馬車が教会についた時には、日が暮れ始めていた。夕日で茜色に染まった教会を訪ねると、そこにステファンはもういなかった。
第二章 夜のはじまり
アーハザンタスの街の南北を結ぶ、王の道。ステファンはその道を北に向かって進み、大聖堂のある広場を通りすぎた後、右に曲がった。
そして王宮から放射状に伸びたいくつかの大通りのうちの一つを目指して、細い横道を進んでいく。すると、大聖堂のある広場よりも少し狭い広場にたどりついた。
その広場には、王宮の方を向くように建てられた四角い大きな建物がある。アーハザンタス騎士団の兵舎だ。門の前には鈍い銀色の鎧に身を包む騎士が、常時立っていた。
「ステファン殿、エイブリー様にご用ですか?」
二人の門番のうちの一人が、ステファンに気づいて声をかけてきた。ステファンはぎこちなく微笑む。
近衛騎士であるエイブリーを呼び出してもらうなら、近衛騎士団の下位組織にあたる、アーハザンタス騎士団を介すると早い。
大抵の騎士は、竜殺しの称号を持つエイブリーに敬意を抱いている。ゆえにエイブリーの弟であるステファンを蔑ろにすることはなかった。
「今は危険ですから、あまり出歩かれない方がいいですよ」
「悪霊のことですか」
「ええ。クエスト達成の報は、まだ届いておりません」
「騎士団は悪霊退治に参加しないんですか?」
ステファンが素朴な疑問を口にすると、もう一人の門番がぴくりと反応した。彼は苛立ったような視線をステファンに向けてくる。
(失敗した)
ステファンは唇を引き結んだ。そして内心の動揺を悟られないよう、顔を俯かせる。
「……一般の方からは、そう思われることが多いんですよ。実際、俺たちも通りすがりの人たちに、ここで何をしてるんだという目で見られますしね」
最初にステファンに声をかけた、人の良さそうな騎士がやんわりと言った。
「悪霊が迷宮の中にいるうちは、俺たちは出動しません。市民を守るのが最優先ですから。俺たちは剣というより、どちらかというと盾なんです」
そう言いながら、騎士は門の上に高々と掲げられている二本の旗を見上げた。
片方は国旗だ。金の縁取りがある赤い布地に、永遠を意味する輪が金糸で、永遠を守るための力を意味する剣が銀糸で刺繍されている。
もう片方は騎士団の旗。金の縁取りがある黒い布地に、盾が金糸で、その盾の中には大鷲が羽根を広げた姿が銀糸で刺繍されている。
「悪霊が街中で暴れ出したら、いよいよ出動です。アーハザンタスの街中で起きた問題の解決は、酔っ払い同士の喧嘩の仲裁から殺人犯の逮捕まで、全て俺たちの仕事ですからね」
「そう、ですか」
ステファンが言葉少なに答えると、もう一人の騎士が溜息を吐いた。また何か失敗したのかと考えて落ち込むステファンに、人の良さそうな騎士が優しく言う。
「すぐエイブリー様に連絡しますね。申し訳ありませんが、俺たちが使っている休憩所でお待ちください」
「応接室は……」
「悪霊討伐クエストが出されてから身分の高い方がひっきりなしにいらっしゃるので、空いていないんですよ。不安なのはわかりますが、ここにいられても守れるものではないんですけどね。王宮と違って精霊の守護があるわけでもないですし。いやあ、追い返すのが大変で」
悪戯っぽく笑う騎士に頭を下げ、ステファンはその横を通って門の中に入った。
薄暗い休憩所には、誰もいなかった。ひとまずステファンは、ソファに腰を落ち着ける。
時間を置かずに現れたエイブリーは、ステファンを見ると表情を険しくした。ステファンは思わず怯み、開きかけた口を閉じる。
「やっと出てきたか」
「……ごめんなさい」
「謝罪の言葉など必要ない。それで、お前はどんな結論を出したんだ?」
「結論?」
「そうだ。お前はハイワーズ家と精霊神教会、どちらにつく?」
「……兄上、どうして急にそんなことを?」
「お前がありえないと言っていたことが、現実になったからだ」
――父上が、精霊神教会に敵対するわけがない。以前、屋敷でエイブリーと口論した時の記憶がまざまざと蘇る。エイブリーは周囲に人がいないことを確認してから、ステファンの向かいの肘掛椅子に腰を下ろした。
「正確に言うと、まだ完全に敵対したわけではない。が……いずれはそうなるだろう。父上にご相談したところ、対策を講じていただけることになった。そして父上は、俺たちにこう命じられた。『精霊神教会に隙を見せるな』と」
「一体、何があったんだ?」
「リールが人間ではないかもしれない。そのことを精霊神教会に知られるのは、時間の問題だ」
「確か、リールはまだ十四歳だ。ギルドカードは作れないはず。何かの間違いじゃないのか? どうせ、あの子が何か言ったんだろう?」
「エリーゼは関係ない。特殊な恩恵をお持ちの第一王子殿下が、リールは人間ではないと断じたらしい。俺も姉上も、ほぼ間違いないと考えている」
「どうして」
「――俺も姉上も、人間ではないからだ」
がたん、と音を立てて立ち上がり、ステファンは後ずさった。そして、エイブリーからじりじりと距離をとる。それを咎めることもなく、ただじっと自分を見すえる兄の赤い瞳を前にして、ステファンは息を呑んだ。
顔に貼りつけていた愛想笑いは、途端に剥がれ落ちる。
「家族が人間じゃないから、そしてタイターリスと近しいから、あの子はそのうち私を殺すかもしれない。そうなる前にあの子を殺したいけど――」
往来で頭を抱えて、エリーゼは溜息を吐いた。
「だめだめ。殺したら教会だけでなく、シーザリア王国まで敵に回しちゃうかもしれないし……まず何よりも、倫理的にだめだって」
波立つ心を鎮めようと、エリーゼは深呼吸を繰り返した。
「でも、いつか……」
白い教会の屋根を見上げながら、エリーゼは呟く。
「私のことを殺したがってる、あの子を殺さなきゃ」
聖女から伝言を聞いたステファンは、薄暗い部屋で一人毒づいた。
「なんでよりによって、またあの子なんだ」
そして机の上の木屑を、乱暴に払いのける。
「あの子以外なら、誰でも良かった。それなら僕は家に戻ったのに」
エリーゼの言葉だけは、素直に聞き入れることができない。ステファンは衝動的に彫刻刀の刃を握る。
卓上が血で赤く濡れていくのをしばし見つめて、ステファンはようやく肩の力を抜いた。
(家族会議……なんだったんだ? ハイワーズ家に何が起きた?)
ステファンは掌を横断する傷を見て項垂れる。感情のままに行動して後悔することが、これまで何度もあった。
持っていたハンカチを細く畳んで掌に巻きつけると、ステファンは怪我をしていない方の手で卓上の神像を持ち上げた。
「兄上に、会いに行こう」
家に戻らずとも、エイブリーに会えば詳細を教えてもらえるはずだ。
そう決めると、ステファンは片手で彫刻刀や鑢などの道具をまとめ始めた。それらを袋に包む動作は、片手とはいえ慣れたものだ。一呼吸もしないうちに終わらせて袋を小脇に抱え、ステファンは部屋を出る。
彼が教会の玄関ホールにたどりついた時、そこには聖女が立っていた。
「聖女様」
「行ってしまうのですね」
「……兄に会いにいくだけです」
エリーゼの言葉に従ったと思われるのが嫌でそう返したが、聖女はさして気に留める様子もなく頷いた。
「今は非常事態ですわ。ご家族が揃っていた方がよろしいかもしれませんわね」
「悪霊は、まだ退治されていないんですか」
「ええ。恐ろしいことに。もう現れないかもしれませんけれど、今すぐここに現れないとも限らないのですわ」
家族会議は、母上の警護について話し合ったのかもしれないと、ステファンは思った。
悪霊は心の弱い人間に憑くという。母は精霊に愛されているが、心を病んで臥せっている弱い人でもあるのだ。悪霊に憑かれた人間が、母を害する可能性もあった。
(僕だって強くない。悪霊が僕に憑いたら、父上はどうするだろう)
その結果を想像するのは簡単だったが、あまりにも辛い。ステファンは顔が歪みそうになるのを堪えつつ、木彫りの神像を聖女に手渡した。
「――精霊神アスピルの像の雛型です。今度お訪ねする時には、細部について話を詰めたいのですが」
「ええ、楽しみにしていますわ」
聖女は目を細め、ステファンの手に巻かれた、血の滲むハンカチに触れる。
「白く涼やかな癒しの風」
魔法でたちどころにステファンの傷を癒した聖女は、にっこりと微笑んだ。
「困ったことがあったら、いつでもわたくしのところへいらしてね」
そして最後に、聖女はつけ加える。
「あなたの妹さんにお会いしたけれど、とても可愛らしい方ですのね。あなたが妹さんと仲良くできるよう、精霊神アスピルにお祈りいたしますわ」
聖女は美しい。エリーゼよりもいくつか年下だが、知識も豊富だ。何より父と相対した時に感じるのと同じ、平伏したくなるような雰囲気をまとっている。カロリーナやエイブリーに対しても感じるが、それとは比べ物にならない。ステファンはそう思った。
欠片も思っていないことを微笑みながら口にするその姿も、父とよく似ていた。
王都アーハザンタスの東南にある旧市街地バターレイは、いわゆる貧民街だ。
アールジス王国勃興期には栄えていたらしいが、今はすっかり落ちぶれ、崩れかけた煉瓦の建物が無秩序に並んでいる。区画整理された美しい王都のつら汚しとして、裕福な平民や貴族に疎まれていた。
ある物を探してバターレイを訪れたエリーゼだが、まさかこれほどあっさり見つかるとは思っていなかった。
「……リール、こんなところで何やってるの」
「姉さん!? どうしてここがわかったんですか? ジュナには嘘の潜伏場所を教えておいたのに」
驚いた顔をして、リールは物陰から出てきた。エリーゼがリールを見つけたのは、廃墟と化した、元はバーだったらしい店の中。まだ日は高いが、店内はだいぶ暗い。日当たりを全く考慮していない街づくりのせいで、バターレイは昼間でも街全体が薄暗いのだ。
「それにしても、女性一人でバターレイに来るなんて。姉さんが来るようなところじゃありません。危ないですから、早く出ていってください」
「危ないのはリールの方だよ」
「確かに、身を隠さなくてはならないのはボクの方ですけど。姉さんにすら見つかってしまうようでは、潜伏場所を早急に変える必要があるでしょうね。偶然とはいえ、こうも早く見つかるとは――」
「いや、偶然じゃないし」
「どこかから情報が入ったんですか? ありえません。ボクはここに隠れることを、誰にも言っていないんですから」
「……うーん。リールが久々に自分より小っちゃく見える。リールは頼りになるけど、やっぱりまだ十四歳の子供なんだね」
むすっとしたリールを見て、エリーゼは苦笑した。
「情報なんてなかったよ。けど私がバターレイに来て、リールを探し始めてから三十分しか経ってない。これがどういう意味だか、リールならわかるよね」
エリーゼはそう言って、バーの外を見回した。
人が住んでいる建物の窓には、壊れた硝子の代わりに銅板が打ちつけられている。銅板には引っかき傷のような模様が付けられていて、その家の主がバターレイのどの派閥に属しているかを表していた。バターレイに住む人間なら、文字を知らない子供でさえ、その意味を知っている。
「――まさか姉さんは、昔から出入りしていたんですか? こんな汚い街に」
「物乞いをするなら、この辺りが一番なんだよね。施しをしようとする人たちは、大体ここにやって来るから」
「危ない目に遭ったことはないんですか?」
「昔は売られそうになったりもしたけど」
こちらを窺う無数の視線を、エリーゼは【気配察知】の恩恵で感じ取っていた。リールは気づいていないようで、ただエリーゼの真意を探るように彼女の顔を見つめている。
エリーゼは肩を竦めた。
「とりあえず、場所を移そう」
そしてリールに荷物を持たせ、エリーゼは彼の手を引く。リールが不機嫌そうな顔をしつつも素直について来るのを見て、その手を強く握った。
建築基準など完全に無視した歪な建物群の間を、エリーゼとリールは歩き続けた。
縄張りに侵入してきた彼らを、ボロを着た子供たちが睨みつけてくる。エリーゼは愛想笑いを浮かべながら左右を見回した。
すると探し人は向こうから姿を現し、エリーゼに痛烈な皮肉を浴びせかけた。
「こんなお貴族様のお目汚しにしかならない貧民窟へ、ようこそいらっしゃいました。ってな」
「……うちの弟が、暴言を吐いてごめん」
「弟の躾がなってないぜ、エリーゼ・アラルド・ハイワーズ」
「ごめんってば」
短く刈り込まれた灰色の髪と、同じ色の瞳を持つ少年。エリーゼよりいくつか歳上だろうが、正確な年齢は本人も知らない。出会った時には黒だった髪は、年月が経つにつれて瞳と似た色合いになっていった。
少年は傲然と顎を反らしながら、エリーゼとリールを交互に見やる。リールが懐から勇者の絵本を取り出そうとしているのに気づいて、エリーゼは彼の手を軽く引っぱった。
「フィン、お願いがあるんだけど。この子を匿ってくれないかな」
「イヤだね。オレ、貴族のことはありがたいカモだと思ってるけど、それ以上にダイキライだから」
「私も貴族なんだけど」
「お前は絶対違うだろ」
エリーゼは少年――フィンから胡乱な眼差しを向けられたが、その遠慮のない言動に親しみを覚えてしまい、反論できなくなる。そんなエリーゼを見て、リールがフィンを強く睨んだ。
「……とりあえず、頼む。お願い!」
「ハイワーズ家って今さ、精霊神教会とごたついてるじゃん。厄介事に巻き込まれんのはゴメンだ」
「古代文字、教えてあげないよ?」
「それは困る」
エリーゼの言葉を聞いて、フィンは少し弱ったように眉尻を下げた。
「あれ、勉強しても勉強してもなかなか覚えらんないんだよなー」
「才能がないんでしょう」
リールが、フィンを睨みつけたまま口を挟んだ。
「古代文字は、ただの文字ではありません。魔法文字であり、世界の規則を記すことのできる文字です。それをマスターすれば、世界の規則を歪めることすら可能になる。だからこそ、選ばれた者にしか理解できないんです。あなたには、その資格がないんですよ。諦めたらどうですか?」
「スゲェ力がある文字なんだよな。もう十年近く勉強してんのにろくに身についてないってことは、ま、才能ないのかもな」
フィンが挑発をあっさり受け流して笑ったので、リールは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「姉さん、ボクはこの男を信用できません。心配してもらえるのは嬉しいですが、こんなところで匿われても、すぐに見つかるのがオチでしょう。今もたくさんの人間に見られているわけですし」
「今周りにいるヤツらのうちの誰かが、告げ口するとでも思ってんのか?」
そう言ってにやりと笑うフィンを完全に無視して、リールはエリーゼを問い詰める。
「そもそも、こんな男といつどこで知り合ったんですか? 何か危ないことをしたんじゃないでしょうね?」
「昔、教会で仲間にならないかって誘われたの」
リールは眉をひそめた。エリーゼがフィンの仲間になるということは、すなわち家を捨てるということだからだ。
エリーゼはいつか家を出ていこうと思っていたので、誘われた時は嬉しかった。だが胃がちくちくと痛み、気分が悪くなったから断った。恐らくはそれも、精霊の意思だろう。
「誘いは断ったけど、関係は続いたんだよね。バターレイでは物乞いするにしても、縄張り争いとか色々あるからフィンにアドバイスしてもらったり、お礼に家庭教師まがいのことをしてみたり」
「協力関係、ってところかな? オレたち、エリーゼには随分助けられたよ」
「じゃあ私の弟を助けて!」
フィンは溜息を吐き、鬱陶しそうに顔を歪めた。
「ソイツを隠すとこまでは請け負うけど、オレだってずっとソイツを見てられるわけじゃない。オレが見てない時にオレの仲間たちと喧嘩でもされて、死なれても責任取れねーよ?」
エリーゼがちらりとリールを見やると、彼は肩を竦める。
「誰かと争うつもりはありませんが」
「お前にそのつもりがなくても、仲間たちはどうかな? 存在自体がウザイからなァ、貴族って」
口を開こうとしたエリーゼを、「お前は例外」と言ってフィンが制した。
「なんでオレらがいとも簡単にお前の居場所を探り出してエリーゼに告げ口できたか、お前、絶対わかってナイだろ?」
「……あなたたちが、姉さんにボクの居場所を教えた? どうしてわかったんです? ボクは隠れるところを誰にも見られなかったはずなのに」
「出たよ。これだから外のヤツらってのは!」
憤慨するフィンを見て、怪訝な顔をするリール。エリーゼは思わず苦笑する。
「フィン、ごめんってば。この子に物事を教えたのは私だから、この子がフィンたちに失礼なことを言ったら、それは私のせいだよ。っていうか、フィンに物事を教えたのも私だし、フィンが貴族に対して不信感を持つようになったのも、私のせいかな」
エリーゼは二人の間に割り込んだ。視線が四方八方から注がれている。その大半はエリーゼに対して好意的だが、リールに対しては刺すように鋭い。
二人の顔を交互に見ながら、エリーゼは説明した。
「はっきり言うとね、リールがあの場所に隠れるのを、見ていた人がいるんだよ。多分、その人はちゃんとリールの視界に入ってたんじゃないかな」
驚いて目を見開くリールに、フィンは吐き捨てるように言う。
「なんでお前には見えてなかったか教えてやろうか? ――お前らみたいな貴族は、オレたちを道端に落ちてるゴミくらいにしか思ってないからだ」
「捻くれた解説をありがとう、フィン。そしてごめん。そもそも空気みたいに無視される存在だってことを利用して、集めた情報を売ったらお金になるんじゃないかって提案したのは私だよね」
「道楽で慈善活動してる貴族なんかよりよっぽど、お前には感謝してるさ。自分で自分の食いぶちをまかなえるってのは、何物にも代えがたい。それに、お前がオレたちにそう提案したのは、オレたちがゴミなんかじゃなくて、ちゃんと考えて行動できる人間だってことを理解してるからだ」
テレビもインターネットもないこの世界では、最新の情報を手に入れる方法は限られている。情報屋から得るのが確実だが、そんなものを利用するのは冒険者や各分野の専門家くらいだ。
エリーゼが偶然知り合ったフィンと、その仲間の子供たち。彼らにも思想や知能があるということを、わかっていない人は驚くほど多い。彼らを当然のように無視する貴族たちの姿を見て、エリーゼは軽い気持ちで情報収集の話を持ちかけた。何か面白いことや変わったことがあったら教えてほしいな、くらいにしか考えていなかったのだが……
フィンは仕事の規模をどんどん大きくしていき、いつしか裏社会において重要な役割を担うまでになっていた。
「貴族特有の考え方、オレたちに対する認識と偏見、オレたち自身の甘さ、金の流れ、物の動き、人の心の移り変わり……全部、お前が教えてくれた」
「でもフィンが道を踏み外したのは私のせいじゃないかって、今は後悔してるよ」
気づけばフィンは、犯罪者になっていた。だが後悔したところで、もう取り返しがつかない。それに、今は家族のことを考えないといけない。
「……とにかく、ボクは油断していたということですね」
「ああ、そうだよ坊ちゃん」
「坊ちゃんですか。そう呼ばれることを甘んじて受け入れましょう。ボクは本当に、まだまだ子供だ」
その言葉を聞いて、フィンは虚をつかれたような顔をした。一方のリールは、淡々と続ける。
「もう油断はしないし、貴方を侮りもしない。ボクは姉さんの言うことを聞いて、ここに残ります。貴方たちと上手くやれるよう、ボクの方が貴方たちに合わせる努力をします。貴方たちを理解し、自分の至らないところを改善すれば、ボクはまた一歩姉さんに近づける」
フィンは顔を引きつらせ、リールから若干距離を取った。
「……エリーゼ、お前の弟ちょっと怖い」
「そうだね、好かれすぎてちょっとね」
「思い上がらないでください、姉さん。好きと言った覚えはありません」
「今の流れで好きじゃなかったら、逆に何なの!」
言い合う二人を見て、フィンは毒気を抜かれた顔をして笑った。
「もしかして、コイツはただ追いつめられて余裕がないガキってだけで、オレたちを蔑ろにするクソみたいな貴族とは違うのか?」
「フィン、リールは育ちが良さそうに見えるけど、私と同じ家で育ったんだからね?」
その言葉を聞いて納得顔をするフィンと、フィンへの態度を改めたリールを見て、エリーゼはほっと息を吐いた。
「……二人とも、それなりに上手くやれそうだね」
「他のヤツらも、エリーゼの弟だって言っときゃ殺しはしないだろ」
「ボクは魔法使いです。もし襲われても返り討ちにしますよ」
「バカ。お前が優秀な冒険者だってことぐらい、ココのヤツらはみんな知ってるよ。だからお前を殺そうと思ったら、毒を呑ませるとか、罠にかけるとかするさ」
「へえ。それはいい勉強になりそうですね」
「……エリーゼ、コイツ変わってる」
酸っぱいものを食べたような顔で、フィンが言う。エリーゼは笑って頷いた。
「変わった子だけど、優秀なのは確かだよ。それにリールは古代語ペラペラだから、機会があったら教えてもらうといいよ」
「なんでボクが教えてやらなきゃいけないんですか」
「そいつはありがたい。タダでとは言わないぜ。教会とハイワーズ家に関する情報と引き換えにってのはどうだ?」
「それならいいですよ」
フィンの仲間の子供たちは、施し目当てで教会に出入りすることが多い。だがリールがフィンの――ひいては自分たちの役に立つ存在だと理解すれば、リールを教会に売ったりはしないだろう。エリーゼはそう考え、安心してその場を後にした。
リールは隠せた。あとはステファンだ。
「もう一回教会に行くか……うわあ憂鬱。聖女様、お出かけしててくれないかな」
エリーゼが乗った乗合馬車が教会についた時には、日が暮れ始めていた。夕日で茜色に染まった教会を訪ねると、そこにステファンはもういなかった。
第二章 夜のはじまり
アーハザンタスの街の南北を結ぶ、王の道。ステファンはその道を北に向かって進み、大聖堂のある広場を通りすぎた後、右に曲がった。
そして王宮から放射状に伸びたいくつかの大通りのうちの一つを目指して、細い横道を進んでいく。すると、大聖堂のある広場よりも少し狭い広場にたどりついた。
その広場には、王宮の方を向くように建てられた四角い大きな建物がある。アーハザンタス騎士団の兵舎だ。門の前には鈍い銀色の鎧に身を包む騎士が、常時立っていた。
「ステファン殿、エイブリー様にご用ですか?」
二人の門番のうちの一人が、ステファンに気づいて声をかけてきた。ステファンはぎこちなく微笑む。
近衛騎士であるエイブリーを呼び出してもらうなら、近衛騎士団の下位組織にあたる、アーハザンタス騎士団を介すると早い。
大抵の騎士は、竜殺しの称号を持つエイブリーに敬意を抱いている。ゆえにエイブリーの弟であるステファンを蔑ろにすることはなかった。
「今は危険ですから、あまり出歩かれない方がいいですよ」
「悪霊のことですか」
「ええ。クエスト達成の報は、まだ届いておりません」
「騎士団は悪霊退治に参加しないんですか?」
ステファンが素朴な疑問を口にすると、もう一人の門番がぴくりと反応した。彼は苛立ったような視線をステファンに向けてくる。
(失敗した)
ステファンは唇を引き結んだ。そして内心の動揺を悟られないよう、顔を俯かせる。
「……一般の方からは、そう思われることが多いんですよ。実際、俺たちも通りすがりの人たちに、ここで何をしてるんだという目で見られますしね」
最初にステファンに声をかけた、人の良さそうな騎士がやんわりと言った。
「悪霊が迷宮の中にいるうちは、俺たちは出動しません。市民を守るのが最優先ですから。俺たちは剣というより、どちらかというと盾なんです」
そう言いながら、騎士は門の上に高々と掲げられている二本の旗を見上げた。
片方は国旗だ。金の縁取りがある赤い布地に、永遠を意味する輪が金糸で、永遠を守るための力を意味する剣が銀糸で刺繍されている。
もう片方は騎士団の旗。金の縁取りがある黒い布地に、盾が金糸で、その盾の中には大鷲が羽根を広げた姿が銀糸で刺繍されている。
「悪霊が街中で暴れ出したら、いよいよ出動です。アーハザンタスの街中で起きた問題の解決は、酔っ払い同士の喧嘩の仲裁から殺人犯の逮捕まで、全て俺たちの仕事ですからね」
「そう、ですか」
ステファンが言葉少なに答えると、もう一人の騎士が溜息を吐いた。また何か失敗したのかと考えて落ち込むステファンに、人の良さそうな騎士が優しく言う。
「すぐエイブリー様に連絡しますね。申し訳ありませんが、俺たちが使っている休憩所でお待ちください」
「応接室は……」
「悪霊討伐クエストが出されてから身分の高い方がひっきりなしにいらっしゃるので、空いていないんですよ。不安なのはわかりますが、ここにいられても守れるものではないんですけどね。王宮と違って精霊の守護があるわけでもないですし。いやあ、追い返すのが大変で」
悪戯っぽく笑う騎士に頭を下げ、ステファンはその横を通って門の中に入った。
薄暗い休憩所には、誰もいなかった。ひとまずステファンは、ソファに腰を落ち着ける。
時間を置かずに現れたエイブリーは、ステファンを見ると表情を険しくした。ステファンは思わず怯み、開きかけた口を閉じる。
「やっと出てきたか」
「……ごめんなさい」
「謝罪の言葉など必要ない。それで、お前はどんな結論を出したんだ?」
「結論?」
「そうだ。お前はハイワーズ家と精霊神教会、どちらにつく?」
「……兄上、どうして急にそんなことを?」
「お前がありえないと言っていたことが、現実になったからだ」
――父上が、精霊神教会に敵対するわけがない。以前、屋敷でエイブリーと口論した時の記憶がまざまざと蘇る。エイブリーは周囲に人がいないことを確認してから、ステファンの向かいの肘掛椅子に腰を下ろした。
「正確に言うと、まだ完全に敵対したわけではない。が……いずれはそうなるだろう。父上にご相談したところ、対策を講じていただけることになった。そして父上は、俺たちにこう命じられた。『精霊神教会に隙を見せるな』と」
「一体、何があったんだ?」
「リールが人間ではないかもしれない。そのことを精霊神教会に知られるのは、時間の問題だ」
「確か、リールはまだ十四歳だ。ギルドカードは作れないはず。何かの間違いじゃないのか? どうせ、あの子が何か言ったんだろう?」
「エリーゼは関係ない。特殊な恩恵をお持ちの第一王子殿下が、リールは人間ではないと断じたらしい。俺も姉上も、ほぼ間違いないと考えている」
「どうして」
「――俺も姉上も、人間ではないからだ」
がたん、と音を立てて立ち上がり、ステファンは後ずさった。そして、エイブリーからじりじりと距離をとる。それを咎めることもなく、ただじっと自分を見すえる兄の赤い瞳を前にして、ステファンは息を呑んだ。
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