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2巻
2-2
しおりを挟む「本当にわかっていないんだなぁ、ナノハ。いや、俺もまぎらわしい色をしているのは理解しているし、それを利用して人間に溶け込んだりもしているんだが」
オルガの不自然な言い回しに私は引っかかりを覚えた。
「人間に、溶け込む?」
「普通の神族はもっと薄い色合いをしているものだからな。耳さえ隠してしまえば、俺を一目で神族と看破する者はそういないんだ。しかし、耳を見せてもわからない人間はおまえが初めてだな」
「…………あれ? オルガの耳、尖ってた」
「ああ。神族の大半はそうだぞ」
「神族!? オルガ、神族!?」
「おお、急に語彙力が死んだな」
神族とはこの世界で人間の上に君臨している種族のことだ。そういえば、ユージンが以前教えてくれた神族の特徴の一つに、尖った耳、というのがあった気がする。ひえええ、と驚いて後ずさりしたら、火の気のない火鉢に足を引っかけて転んだ。
「いたた……!」
「まあ、落ち着くといい」
「私、処刑される!?」
「されない、されない。おまえは神族をなんだと思っているんだ」
すごく怖い人たち、というイメージができあがっていた。
神族が白と言えば黒いものでも白くなると聞いている。
魔物の襲撃が原因だろうと神殿に傷がついたら領主様は処分されてしまうし、その町の人間は住まいを追われてしまう。以前ファイアーバードが攻めてきた時、クリスチャンさんたちはそんな懸念を抱いていた。そんな恐ろしい人たちが神族だ。
「おまえに頼みがあると言っただろう? だからついてきたんだ」
「は、はい! なんでも言ってくださいです!」
テンパりすぎて、意味のわからない口調になった。床に正座する私を見てオルガはさらに苦笑する。
「いやいや、先ほどまでの態度でちょうどいい。敬語もいらないし……そら、立ってくれ。楽にしていい」
「後でオルガの親御さんに怒られない?」
「ないない。そもそも親などとうに死んだからな」
ごめんなさいすぎてその場に土下座したら、オルガが「やめてくれ」と言いながら軽く笑った。
「知人と会う約束をしているんだが、約束まで日数があってな。しばらく匿ってくれないか」
「はあ……」
「聖なる気を垂れ流したりしないし、ここを不必要に浄化しないと約束する」
「はぁ……?」
「おっと、おまえは神殿に普通に出入りしているからわからないか。しかし、人間にとって俺の発する気は非常に居心地の悪いものらしいな。先ほどは久しぶりに眠ったので、つい聖なる気を垂れ流しにしてしまい、あそこにいた女には迷惑をかけた」
つまり、神殿にいつもより聖なる気が満ちていたのは、オルガが垂れ流していたからだという。
「うわ、本当にここではやめてね? 普通の人よりもっと聖なる気に弱い人たちがいるんだから!」
「ああ、そのようだな……ここは魔法使いの溜まり場だろ」
オルガはほろ苦い笑みを見せる。
その言葉に私は心の底からぎょっとした。普通の人たちは、ユージンたちを魔法使いだといって、蔑んでいる。なぜなら、魔法は使えれば使えるほど穢れていることを示すからだ。
神族ならさらに変な目で見たっておかしくない。
「み、みんな、好きで魔法使いになっちゃったわけじゃないんだからね!」
私は自発的に魔法使いになりたいと思っているけれども、それは言わずにおこう。
「ああ、わかっている。その力がなければ倒せない魔物もいる。俺たちとは相反する性質のため長く共には過ごせないが、積極的に害するつもりはない」
「絶対だよ?」
すごく面倒なことになってしまった。
これは断れないお願いというやつだ。神族だというオルガのご機嫌を損ねないように、本人の希望を最大限尊重しなくてはならない。けれど、あまりユージンたちに近づけたくもない。
「……魔物を飼ってるせいで斬り捨てごめんとか、しない?」
「しない、しない。従魔だろう? 俺も飼ってるぞ。従魔がいないと町の移動が難しいからな」
「……おいで、ウリボンヌ」
私がウリボンヌを抱いて立ち上がると、当然のようにオルガもついてきた。
オカメインコみたいにはねた髪の毛も相まって、まるで小鳥に懐かれたような気分だ。
「どこに行くんだ、ナノハ?」
「ここの団長のクリスチャンさんに、オルガのことを話しに行こうね」
クリスチャンさんなら、きっといいようにしてくれるだろう。部屋も用意してもらえるに違いない。
「うん? 他のやつに俺が神族だと言ってはいけないぞ?」
「ええっ、なんで!?」
「普通の人間は、楽にしろと言ったところでナノハのように自然な態度で神族に接することはできないものなんだ。おまえはすごい。本当にすごいことだぞ、ナノハ」
何がすごいんだろう。一応褒められている?
照れてみせたら、オルガは微苦笑を浮かべた。私の反応は間違っていたのかもしれないけれど、正しい反応とやらがわからない。
「ともかく、他の人間に話すのは禁止だ! 俺は難民の子、オルガだ! いいな?」
「えー、後でバレた時、私が怒られるんだけど……」
「俺の不興を買うほうが、もっともっとまずいことになると普通の人間は考えるぞ」
そういうものなのだろうか。オルガを怒らせたら私は何をされるんだろう。
「まあ、いいじゃないか。本当にどうしようもなくなったら、俺がどうにかしてやるさ」
「その言葉、忘れないでね!」
はっはっは、と笑っているオルガに念押ししていると、騎士団長の部屋からクリスチャンさんが出てくる。彼は私を見て呼び止めた。
「ナノハ様、ただいま少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「うーんと」
私はオルガを見下ろして逡巡した。オルガは気安い子だけれど、神族だから蔑ろにしちゃいけないかもしれない。オルガを放ってクリスチャンさんについていっていいものか。
でも、オルガは難民の子のふりをしているし、どうしよっか。
視線を投げかけると、オルガが「構わないぞ!」と私の代わりに答えた。
神族だってバレないようにか、外套を深めに被り直している。
クリスチャンさんの部屋に入ると、ソファに座るように促された。オルガも当たり前の顔をして私の隣に座る。クリスチャンさんは何か言いたげな顔をしたけれど、結局口にしなかった。難民の子がいても別にいいか、と思ったみたいだ。
向かい側に座ったクリスチャンさんは、さっそく口火を切る。
「ナノハ様にお頼み申し上げたい儀があるのです」
「私にできることだったら」
「はい。これはナノハ様にしかできないことでしょう」
どこか苦しげな口調でクリスチャンさんは続けた。
「もうそろそろ神族がこの町を訪れます」
「……あ、はい」
もうここにいるよ、と思ったけれど、オルガが笑顔で見上げてくるから言えなかった。
「十月になったため、地域を浄化しようとこの地を担当している方々が来るのです。その際、我々黒魔騎士団は神族の方々に敬意を表し、出迎えねばなりません。その出迎えに、私やユージンと共に赴いてほしいのです」
「お出迎えすればいいだけですか?」
観光客を出迎え、その首にレイをかけるハワイの賑やかな風景が一瞬頭をよぎった。けれど、多分私の想像力は羽ばたきすぎている。
すぐにクリスチャンさんは私の妄想を否定した。
「私やユージンは神族の前で、使い物にならなくなる可能性があります」
神族が聖なる気を垂れ流し、クリスチャンさんたちは苦しくて行動不能になるというような状況になるということみたいだ。
今、オルガは意識してそうならないようにしてくれているようだけれど、他の神族も同じ配慮をしてくれるというわけじゃないらしい。
「私が神族に、聖なる気を出すのをやめてくださいって言えばいいんですか?」
「いいえ!」
クリスチャンさんは少し怒気まじりの声で言う。
「そうではありません。神族のやることなすこと、それがたとえどれほど理不尽であろうとも、異を唱えてはなりません」
「えっと……」
「それが我々人間と神族の関係なのです。ナノハ様のご記憶が混乱されているのは重々承知の上でお願い申し上げます。どうか無謀な真似はされませぬよう。我々の生命がかかっていると考え、ご自重ください」
厳しい顔をしてゆっくりと頭を下げるクリスチャンさんに、息を呑む。
そんな私を見て、クリスチャンさんは「ナノハ様はまだ人間と神族との関係を思い出せないようですね」と仕方なさそうに溜息をついた。
「一年の始まりから、我々人間は神族によって管理されています」
一月一日から一月十五日。
この間に町や村出身の七歳から十五歳の子どもたちは近隣の神殿に入り、該当地区の住民であることを証明するための戸籍を作ってもらうのだという。
「でも、神殿に入れない子もいるんじゃないですか?」
「十五歳までに入ることのできなかった子どもは町の住人とは見なされず、まともな仕事に就くことも、町の中に家を建てることもできません。親兄弟の庇護の下で生きるか、流民としてナノハ様のご友人――マトたちのように神族の管理外で生活をする必要があります」
「……それって、すごく大変なことなんじゃ」
東京に生まれたけれど、十五歳になるまでに富士登山して山頂にある神社まで行かないと都民と認められないみたいな感じかな? 神殿は山じゃないけど、入ると息苦しそうにするユージンとかを見ていると、そんな印象を受けるから……
やり遂げないと東京都には住めません、仕事もできませんとか、すごい大変!
「ええ。ですから子どもが穢れぬようにと、登録式を終えるまで親は子どもを必死に守るのです。ナノハ様も、この町で難民以外の子どもをほとんど見かけたことがないでしょう?」
「そういえば……」
マトたちがこの町の子どもと遊んでいるところはおろか、小さな子が親と一緒に歩いているところすらほぼ見たことがないかもしれない。
「二月になれば、一月の契約更新時に仕事にあぶれた者たちが一斉に仕事を探し始めます。また彼らを雇用する仕事の募集も始まりますが、この時、雇い主は優先順位をつけています。まずはこの町に登録のある住人。次に他の町に登録のある住人。最後が、登録のない人間です。登録のない人間は穢れている者が大半のため、よほど嫌厭される仕事でもなければ、雇いたがる者はいないでしょう」
だから魔物の解体が難民の人たちの臨時仕事になっているのだろう。
なるほどなるほど、と頷きながら、とんでもないことに気がついた。
「……えっと、そういえば私も登録がないかもなんですが」
普通に暮らしてきたけれど、もしかして結構ヤバイ状況?
冷や汗が出てきて袖で顔を覆ったら、クリスチャンさんは笑った。
「あはは、今さらですね、ナノハ様。ご安心ください。我ら黒魔騎士団の団員として登録しておりますので、ナノハ様の滞在は正式に認められておりますよ」
「よ、よかった……!」
「――ナノハ様のご友人の方々すべてを登録することは不可能ですが、彼らも不法滞在者として罰せられることはないでしょう。我々から神族に話をいたしますので」
「わっ、安心しました……」
マトたちも大丈夫と聞いて胸を撫で下ろす私を見て、クリスチャンさんは微笑みを浮かべる。
難民の子でも、該当年齢の内に神殿での登録式に参加できれば、その町の子になれるようだ。
先ほど、ユージンが難民の子を自称するオルガに微笑んでいたのはこういうことだったのだろう。
「さて、次に大きな神族とのかかわりが、六月と十月の『清めの儀』になります」
「ここで問題があると、精霊祭がなしになるよな」
「精霊祭?」
オルガの言葉に楽しげな雰囲気を感じて反応した私に、クリスチャンさんは苦笑した。
「清めの儀の翌月に執り行われる精霊を祀る祭りですが、それよりも……もし儀式に問題があった場合、それどころではなくなるのですよ。最悪、町が滅ぼされてしまうかもしれません」
「それは、よほどのことがあった時だろう」
オルガの指摘に、クリスチャンさんは頷いた。
「そうだな。けれど神族の神官であるルーチェに絡んだよそ者の酔漢のせいで、一つの町が打ち捨てられた。清めの儀を行ってもらえず五年が経過した町は、穢れを溜め込み町の中ですら大型の魔物が生まれるようになる。ある夜、凶悪な毒蛇獅子が生まれ、その町は一夜にして無人となった――そんなこともある」
クリスチャンさんのたとえ話に、オルガは微妙な顔をした。
「……極端な例だと思うがなぁ」
「問題は、そうした行動をしても神族が罰せられることはなく、人間には訴える先もないということだ」
オルガはよくわかっていない顔をしている。私もよく理解できないけれど、クリスチャンさんの青い目に鋭い光が浮かんだのは見て取れた。
「ナノハ様。神族が事を起こすと決めた時、私たちには抗う術がないのです。だからそうならないよう、あらゆる危険を排除する必要があるのです」
「偉くておっかない人たちだけど、来てくれないと困るのが、神族なんですねえ」
私がうんうんと頷くと、オルガとクリスチャンさんが揃って微妙な顔で私を見た。
えっ? なんで?
「まあ……そういうことなんですが……」
「ナノハ、本当にわかっているのか? 大丈夫か? 俺も心配になってくるぞ」
「わかってると思うよ! 多分ね!」
私が胸を張って答えると、オルガとクリスチャンさんが目配せし合って肩をすくめた。
なんでそこ、わかり合ってるの! 私を除け者にしないで!
「えー、話を戻させていただきますね。神族の気の前で私とユージンは会話さえままならない可能性があります。したがって代わりにナノハ様に表に立って口上を述べていただきたいのです。相応しい身分と口上の内容は私のほうでご用意いたします」
「はあ……」
「私とユージンは立場上席を外すことができませんので、ナノハ様の邪魔にしかならないと承知ではありますが同席させていただきます。その際は死ぬ気で粗相をせぬよう耐えてみせます。ですのでどうか、お力添えいただけないでしょうか。我ら黒魔騎士団の今後の活動のため、そして、穢れているというただそれだけの理由で我らが殺されることのないように」
クリスチャンさんの口にする神族像は、まるで暴君のようだった。
丁寧な口調ではあるけれど、その言いようは神族に対して失礼に思える。私は横に座っているオルガが嫌な気持ちになっていないかなと顔を覗き込んでみた。
オルガは肩をすくめると私に笑顔を見せてくれる。
ホッとして、今度は強張った顔つきのクリスチャンさんに視線を戻した。
「私にはこの町の礼儀作法なんてものはわからないんですけれど」
「それも、お教えいたします。神族の方々が何より憎むのは穢れであり、ナノハ様のように無垢な方であれば、その若さも考慮しある程度の拙さはお許しいただけるでしょう」
頑なに私が十六歳ぐらいであると信じて疑わないクリスチャンさんたちである。
「……わかりました、クリスチャンさん。やってみます」
「ありがとうございます、ナノハ様」
クリスチャンさんはあからさまに安堵の息を吐いた。
本当に神族の来訪に怯えているようだ。今ここに神族の子がいると知ったら彼はひっくり返ってしまうかもしれない。
「心から……ナノハ様のご協力に感謝いたします」
真情の籠もった声音に、震える吐息。お世話になっているクリスチャンさんたちの役に立てることがあってよかった。
浄化された空気が大丈夫というだけである程度は務まる仕事らしいけれど、黒魔騎士団のみんなのためにも私はより一層頑張りたいと思う。
「記憶が混乱してるのか?」
クリスチャンさんの部屋を出てしばらく廊下を歩いていると、オルガに問われた。
「うーん、そういうことにしてるっていうか」
私の要領を得ない答えにオルガは可愛らしく小首を傾げた。
小鳥が首を傾げたみたいで可愛くて、思わずその頭を撫でる。そして、そのまま私は目的地へ向かった。
「ねえ、お腹減ってない? 私は減ってるよ!」
「腹は減ってるが、俺の分は用意しなくていい。人間の飯には穢れが混入していることが多いからな」
「そうなの?」
「うむ。こうして穢れた場所で呼吸するだけなら、俺みたいに丈夫な神族はなんとか大丈夫なんだけれどな……さすがに直接取り込むと具合が悪くなる」
「そうなんだ。神族も大変なんだね」
クリスチャンさんの言葉から、人間が神族を恐れ、隔意を抱いているのがわかった。
確かに神族は穢れを忌み嫌うあまり黒魔騎士団の人たちにつらく当たる可能性がある。けれどそれには、理由があるみたいだ。
「おまえら人間が大変なのも、それなりにわかっているつもりだ」
「ありがとう、オルガ。さっきのお兄さんのことは許してあげてね? みんなを引っ張るのが大変で、責任が重いからピリピリしてるんだよ」
「上に立つってのは難しいものだよな」
知った顔で言うオルガのほっぺをつつきながら厨房へ行くと、ユージンが先回りしていた。
「待ちくたびれたぞ、ナノハ」
「なんで待ってるの? ユージンたちは一日二食でしょ?」
昼食を食べるのはこの騎士団で私だけのはずだったんだけど、そこには、ユージンの他にも三人の団員がニコニコとして佇んでいた。
「おまえは昼も食うだろう? つまり美味い食事があるということだ」
ユージンは堂々と言った。食べたいってことなんだよね。最近ずっとこの調子だから、私もユージンの分を当たり前に用意しているけどさ。
……ユージンの毎日に私の存在があるって実感してすごく安心する。
「あと、こいつらにも作ってやってくれ。午前の訓練で特に目立った成績を残したやつらだ」
「ご褒美に私のご飯? それってなんだか嬉しいなあ」
団員の人たちがニコニコしているのは、私の料理が楽しみだかららしい。つられてニコニコしてしまう。私は精霊の御守を脱いで、袖をたすき掛けした。
今日の昼食は、魔物肉のソテーだ。
肉が上質なので手間暇かけなくてもそれなりに美味しい。問題は、それ以外の食材である。
私はカトラリー部屋の隅にある地下に続く階段を下りた。
そこは氷室と呼ばれる涼しい部屋で、厨房に入りきらない食材はそこに置かれている。
「はぁ……今日こそ美味しくできるかな」
私が溜息をつきつつ持ち上げたのは、ブウラという名の大きな赤豆の入ったボウルだ。それを、茹でて一日置いておいたのだ。
ブウラは五百円玉サイズの豆で、皮はものすごく固く中身はボソボソで強いえぐみがある。
野菜が高いので、何か安く手に入るものを食べられないかと思ったところ、この豆が登場したのだ。
ユージンたち騎士団の団員は、これまでパヴェという魚や肉の細切れが浮いた小麦粉スープと、この豆を焼いたものを一日に二食とって生活していた。私が魔物肉の美味しい食べ方を見つけたことで魔物肉を食べるようになったけれど、パヴェやこの豆も引き続き食べ続けている。
なぜなら、それらを食べれば健康体でいられるからだという。
「栄養はあると思うんだよね……」
けれど、まずくてできたら食べたくなかった。
「でも、口内炎ができちゃったし……」
異世界で病気になりたくなかったので、ここ数日、泣く泣くこの豆を美味しく食べるための実験を続けている。
実験一日目は、まずこの豆のえぐみについて考えた。
日本の豆だって水に浸けたり下茹でしたりして使うというのに、ユージンたち騎士団の料理においては、そういう下準備は一切していない。なので、私は茹でて灰汁を取ればこのえぐみがなくなるんじゃないだろうかと予想した。
そんなわけで下茹でしてみたら、大量の灰汁が出てきて悲鳴を上げることになったのだ。
いくら灰汁を取っても取っても終わらない。そんな私を見てユージンは「そういうことになるから、ブウラは煮ずに焼くんだよ」とボヤいていた。
私は仕方なくその日は小一時間ほどで一旦諦めることにした。茹でたブウラの豆を冷まし、水に浸けて、涼しい場所に置いておく。
実験二日目、茹でて水に浸けておいた豆を試食してみたけど、まだえぐい。
ただし焼いたのを食べさせられた時ほどじゃなかった。
二日目も私は引き続きブウラを煮続けた。灰汁が出てきたけれど、今度は十分ほどで収まる。
一日目の時点であと十分ぐらい粘れば灰汁は止まったのだろうか。それとも、一晩寝かせたのがよかったのだろうか。その時点で味見をしてみると、えぐみは微かになっていた。
そこで水から上げ、皮を付けたまま焼いて塩で味付けをしてみたけど、失敗だった。
どういう作用なのか、皮が死ぬほど固くなりユージンですら噛み砕けないほどになってしまっていたのだ。トンカチで皮を叩き割って中身を取り出してみたら、中身は恐ろしいほどの吸水力を発揮するスポンジみたいな代物になっていた。えぐみはほぼないけれど、脱脂綿を食べているような感じがする。
それでも、ユージンは健げに食べてくれた……食べられない私の代わりに。目を白黒させながらも食べ物を粗末にしないユージンの姿勢には胸がときめく。
二日目で茹でたブウラ豆を使い切ってしまったので、三日目に新たに煮てみる。一時間以上煮込んでも灰汁が止まらなかったので、灰汁を取り除くためには一日水に浸けて寝かす必要があるのだとわかった。ということで、一晩寝かして、四日目の実験が今日ということになる。
「オルガ、火が危ないから、ウリボンヌを抱いて見ていてくれる?」
「ああ……構わないぞ」
ウリボンヌを膝に置いて椅子に座るオルガを見て、ユージンはまだいたのか、みたいな顔をしたけれど、それ以上特に気にする様子もなく私を見る。
「……ナノハ、また今日もそいつを使うのか」
ユージンが私の持っているブウラ豆を見て苦笑を浮かべた。味のないブウラは食べ物感すらなくなるので、えぐみはむしろあったほうがいいというのが彼の考えだ。
「今日は味付けをしてみたいの」
「はぁ。しかしなんの味を付けるんだ?」
「ジャジャーン!」
私は先日トッポさんから購入した、塩に続く新たな調味料を懐から取り出す。
それを見たユージンが、よろりと後ずさった。
「それは……砂糖か!? まさか、そんな高価な調味料を無駄にする気か!」
「この一袋の量で金貨一枚とか信じられないよね……でも私は使うよ!」
「正気か!?」
今度こそ美味しくできる気がするんだよ!
茹でて一日寝かせておいた豆を改めて茹で直したブウラは、焼いて水分を飛ばしてしまったものより数倍食べやすい。味わうと、遠くのほうにえぐみと豆の素朴な味わいを感じる。
ここに味付けをして、豆が煮汁に浸かったままになるような料理なら、美味しく食べられるんじゃないかと思うのだ。ただし皮はどうやってもある一定以上は柔らかくならないみたいなので、水に浸かって柔らかいうちに、取り除くことにした。
湯から豆を上げ、ぬるま湯のボウルに移す。その中に半ば浸したまま豆の皮を指で押し開くと、ボソボソの中身をスプーンで抉って鍋に投入する。
オルガは不思議そうに私の手元を見ていた。
「美味しくできたらみんなにも分けてあげるね!」
ユージンの顔色を窺っていた団員の人たちが真顔になった。拒絶の表情を浮かべる。
失礼な! まずかったらユージンに食べさせるから大丈夫だよ!
「よーし、皮を取ったら、また茹でるよー」
ほんのわずかに浮いてきた灰汁を取り除くと、そこに砂糖を投入する。ここ数日、失敗したブウラの豆料理を食べ続けていたユージンは「ワーッ!」と叫んだ。
「ブウラと砂糖だなんて、ひどい味になるぞ!」
「ええー、そうかなぁ」
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