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1巻
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しおりを挟む異世界から空腹
二十二歳には見えないとよく言われる童顔を引っ下げて、社会人生活一年目。
私こと御厨ナノハは今とてもお腹が減っている。
定時の五時半になると同時に席を立って、タイムカードを押し、私はお手洗いへ向かった。
すると、すでにドレスアップしている先輩がいる。「定時になったばかりなのに?」なんて言葉が喉元まで出かかったけれど、賢い私は何も言わない。
先輩は肉食系の女子で自称アラウンドサーティーの年齢不詳の美人さんだ。総務職の彼女は、役職とは関係なく、社内の女子の中でかなりの力をお持ちである。
長いものに巻かれる主義の私としては、彼女に逆らうことはできないのだ。
先輩はお手洗いに入ってきた私を見て、ほわんとした笑みを浮かべた。
「ナノハちゃんありがとねー! ホント助かる!」
「いいんです。……ところで美味しいごはんが食べられるってホントですか?」
「もっちろん! ナノハちゃんは会費みんなの半分でいいから! あ、美穂には内緒ね」
本日は彼女主催の合コンだ。どうしても人数が足りないというので、私も出席させていただく運びになった。
正直、食べ物に釣られた感がある。
新入社員の身で一人暮らしをしているため、プチ貧困状態だ。会費半分で半ば食べ放題の合コンに招待してくれた先輩は神様に見える。
「ううう、ありがたいです。久しぶりの外食です……!」
「……ナノハちゃん、ごはん目当てでもいいけどおしゃれはきちんとしてね?」
「かしこまりました!」
ビシッと敬礼したらちょっと不安そうに見られたけれど、安心してほしい。ちゃんと一式用意してきている。
「それじゃ、六時までに駅前に集合だからね!」
「はい!」
入社一年目のペーペーである私が先輩にできる返事は、「はい」か「イエスマム」のみである。
ただし合コンに集まる殿方と、和気あいあいと会話できるかどうかはお約束できない。
もっともそれはそれでいいみたい。先輩たちと競合しないから。美味しそうにごはんを食べていれば十分とのこと。何それ、得意分野じゃん!
「ふふふん、やっきとりー。ビールゥー」
行くのはチェーン店の居酒屋らしい。ならばこの二つは必ずあるはずだ。
串に刺さった一口大のもも、皮! 砂肝も美味しい。
炭火に炙られジュウジュウと音を立てるぼんじり、つくね。滴る脂、香ばしい薫り……
湧きあがる唾を呑み込み、着替え一式と共に会社のお手洗いの個室に入り――
あれ? と首を傾げた。
顔を上げた私の目の前に広がるのは、広大な草原だ。
「夢でも見てるのかな……?」
後ろを振り返ると、お手洗いのドアはない。
見えるのは四方八方、十センチぐらいの高さの黄緑色の草だ。遠くにはうっすらと白い山が見える。
その壮大な風景に圧倒された。
思わず自分の身体を確認すると、スーツ姿。おしゃれなピンクのワンピースの入ったトートバッグと会社用の鞄を持っていた。鞄は就職活動の時から使っているリクルートバッグだ。
「夢なら……ごちそうが食べたいなあ。焼き鳥出てこないかなあ」
しゃがみこんで、足元に生えていた草をむしりながら独りごちる。
あ、この草ノビルかもしれない。食べられる野草で、根っこが小さい玉ねぎみたいになっているやつだ。せっせとノビルを収穫していると、さすがは私の夢。願望が現実になった。
「グギャアアアアアアアアアア!」
空高くから、何かの鳴き声というか咆哮がする。
上を見上げると、ぼうぼうと身体が燃えた鳥がぐるぐると旋回していた。橙色の炎の羽根がパッと空に散る姿がとても美しい。鳳凰みたいなものだろうか?
「いや……そういう意味の焼き鳥じゃないし」
串に刺さっているやつのことだよ、と夢の内容に突っ込みを入れつつ、やっぱり夢だなあと草むしりを再開する。
次の瞬間、馬のいななきが聞こえた。
「そこの者、逃げよ!!」
男性のとてつもなく大きな叫び声がする。
びっくりして立ち上がって声のしたほうを見れば、がっしりとした馬に騎乗している男が二人いた。
さすが夢なだけあり、その格好に現実感はない。
黒い袖のない鎧と腕につけた丸い盾、マントを身にまとい、手には抜き身の長剣を持っている。
どちらも何時代のどこの民族の騎士ですか? と聞きたくなるような格好で、空を飛ぶ燃えている鳥と、これから戦うという雰囲気だ。
二人の男たちは両方ともどこの国の人かよくわからないイケメン。夢ならなんでもありなのかも。
私はぼーっと二人に見とれた。
「仕方ない……ユージン! 私がファイアーバードを引きつける! おまえは市民の保護をせよ!」
「はっ」
あの燃える鳥はそのまんまファイアーバードというらしいけれど、なんとなく違和感があった。
彼らの口の動きと発する言葉が合っていないような感じがする。外国のドラマの吹き替え版を見ているみたいだ。もしかしたら訳すとファイアーバードっていう意味になる別の言語を、あの人たちは話しているのかもしれない。
茶髪の男がファイアーバードに向けて剣を掲げた。
「虫けらにも劣る魔族に操られし哀れなけだものめ! なぜ逃げる? 私の剣が怖いか!?」
ファイアーバードは言われたことがわかったかのように、怒りに満ちた唸り声を上げる。
目を丸くしているうちに、腕を掴まれものすごい力で引っ張られた。肩が外れるかと思った。
「痛い!」
「呆けるな! 掴まっていろ! ――さもないと死ぬぞ!!」
「あ、え?」
気付いたら、馬上で揺られていた。ひっくり返ったような不安定な姿勢だ。口を開いたら舌を噛みそうになったので慌てて黙り、指示通り目の前にいる男の胸にしがみつく。
私を馬に乗せたのは、冷たく鈍い光を反射する黒の鎧を着ている端整な顔をした金髪の男だった。
彼は私の視線に気付いて「なんだ?」と睨むように見下ろしてくる――その右目は青、左目は緑のオッドアイ。
ユージンと呼ばれていた金髪オッドアイ男の威圧感に一瞬、心臓が止まった気がした。
けれどすぐに息を吹き返す。何しろ、もう一方の茶髪の男の剣先に、青く光り蛇のようにうねる水の渦が集まってきたからだ。
何、あれ? 超常現象?
「水を統べる精霊たちよ、我が呼びかけに応え力を貸し与えたまえ――ウォータートルネード!」
若い頃の自分がノートに書き散らしたようなセリフを、恥ずかしげもなく叫ぶ茶髪の男に精神を抉られた気がした。
茶髪の男がその水の剣を振るう。すると、刃から水がすっ飛んでいって、天高くにいるファイアーバードを撃退した。
そこで私の意識は遠のいた――
気を失っていたらしい。目が覚めるとそこは見知らぬ狭い部屋だった。
私は壁際に置かれたベッドに寝ている。状況を確認しようと、のそのそと起き上がった。妙にガサガサ音がする妙なベッドだ。
不思議な香りがすると思って顔を上げると、頭の上に乾燥させた紫色の花のようなものが飾られている。ハーブか何かなのか、見たことのない花だ。
窓は雨戸が閉まっていたけれど、漏れ入る明かりで部屋はぼんやりと明るい。
着たままのスーツの皺を慌てて伸ばして私はベッドから下りる。
そしてベッドの脇に置かれていた黒いパンプスを履き、荷物を探した。
「ト、トイレで倒れたのかな~?」
昨日の記憶がさっぱりない。合コンの準備をしようとトイレに入ったところから先は夢だと思われる。
何か怪しい薬を呑んで幻覚でも見ていたんじゃないかというぐらい、クリアで奇怪な夢――
身体が心配だが、ここが会社ではなさそうである以上、上司に連絡しなくてはならない。あれから一晩は経っていそうだから、急いで遅刻か、欠勤すると伝えなければ!
「携帯! 携帯!?」
ない、なかった。携帯どころか鞄すら見当たらない。
「困る困るヤダー、クビになったら飢え死にしちゃう」
冗談ではなく、クビになるとまずい。
私の両親はすでにこの世を去っており、気軽に頼れるような親戚もいないので、クビになると金銭的な支障が出る。
報告・連絡・相談さえしておけば、突然の欠勤はどうとでもなるだろう。逆にそれを怠るとまずいことになりかねない。
それに、合コンに行った記憶がないのだ。ということは、合コンをドタキャンしているのだろうから、先輩の怒りも怖い。
恐らく体調不良で倒れていたところを保護されたのだと思うので、きちんと説明して、悪感情を持たれないようにしなくては。
今後の会社での立場のためにも、とにかく連絡だけはさせてください~!!
「すみませーん、どなたかいませんかー!」
扉を開けると廊下だ。叫んでみたら、トタトタと音がして、反対側にあった部屋の扉が開いた。
見覚えのある茶髪の男が顔を出す。ゆったりとした丈の長いチュニックのような服を着ている。
「これはこれは、お目覚めになられたようでよかった」
美しい青い目を優しげに細め、男が愛想よく言った。
どう見ても日本人ではないし、何やら日本語を話している様子もない。
翻訳映画を見ているかのような違和感に、背筋にゾゾゾッとうすら寒いものが走った。
え? 何これ、え? え??
「どうされました、お嬢様?」
「……こ、ここはどこですか?」
お嬢様と呼ばれたけれど、執事喫茶ではないとは思う。
柔和な顔立ちなのに、妙に筋肉のついたがたいのいい男は、私の質問に頷いて答えた。
「ここはドローラズ州の騎士宿舎でございます。私はドローラズ州領主フェリクス様より後援を受ける黒魔騎士団の団長を務めております、クリスチャンと申します」
「ど、どろー? くろま……騎士団?」
「はっ、その通りにございます。穢れを身体に帯び力となして戦うこの身ですが、騎士としての誇りを忘れてはおりません。御身のお力になれるかと」
「……も、もう一度初めから説明してもらってもいいですか?」
「はっ、かしこまりました。ここは――」
それから何回も説明してもらったけれど、彼の言っていることはさっぱり理解できなかった。
とりあえず、彼の名前はクリスチャンで団長で偉い。はっきりとわかったのはそれぐらいだ。
それ以外のことについては脳ミソが理解を拒んでいる。何もかも夢だと思いたいのに、現実的なことにお腹が減ってきた。健康的な私のお腹がクーと音を立てる。
それを聞いたクリスチャンさんは驚いた顔をして「申し訳ございません!」と大声を出した。
「下賤の身にございますゆえ、いたらぬこともございますれば、ナノハ様にはご不便をおかけしてしまいました。どうぞお許しくださいませ」
下賤って一体どういうことだろう。
私は、自分の名前と年齢と職業、出身地を正直に告げたのだが、彼は「お辛い目に遭われて記憶が混乱されているのでしょう」ときっぱりとそれを否定した。まったく信じてもらえない。
そのうえ、どうやら私は高貴な身分の人間だと思われているらしい。
理由は、身ぎれいだから。手に労働の痕跡が見られないので、貴族か裕福な家の人間でしょう、とクリスチャンさんは言う。
それは違うんだけど、クリスチャンさんのゴツゴツした、タコや火傷の痕がある手を見て、自分の手がきれいすぎるというのはなんとなく理解できた。
……これ夢じゃないのかなあ。もしかして現実? ここって、異世界?
だとしたらとんでもないことだ。
「ユージンに食事を用意させますゆえ、少々お待ちくださいませ」
「ユ、ユージン?」
「我が騎士団の副団長を務めている男にございます。先ほどナノハ様をお運びさせていただいた――」
「ああ……あの金髪オッドアイさん」
「はい、その男です」
私は日本語を話しているのに、不都合なく通じている。自動翻訳というやつだろうか。
この人、明らかに魔法的なものを使っていたし、この世界では言葉が通じるのが普通のことなのかもしれない。異世界に遭難するという異常事態において、不幸中の幸いである。
「今後、彼がナノハ様のお世話をさせていただきます。私は先ほど出現しましたファイアーバードの討伐の準備をせねばならぬため、これにて失礼させていただきます」
「た、倒せなかったんですか……?」
「はっ、魔法では、足止めが精一杯でございます」
この男、クリスチャンさん、本当に魔法って言った。マジですか……。異世界かあ……意味不明すぎて泣けてくる。
「ナノハ様については領主様に報告させていただきます。ナノハ様が貴族の出であれば、ほどなくご家族の皆様と連絡が取れるかと思います。それまではむさくるしいところではございますが、我らの宿舎にてお身体を休めてくださいませ。何かご不便がございましたらユージンにお申しつけを」
右の指先を左の胸に押し当ててピシッと頭を下げられ、部屋の中へ戻るよう促される。そして、クリスチャンさんは扉を閉めて行ってしまった。
閉められた扉を前に私は熟考する。言葉は丁寧だったけど、たぶん大人しくしていろってことだろう。
私って、はたから見たら不審人物だろうし。
「仕事が終わってトイレに入って、これから焼き鳥って時にこっちに来ちゃったのかな……原因が全然わかんない」
馬の上で寝たせいか、それとも異世界に来てハイになっているせいか、眠気は全然感じない。
ベッドの上に座って頭を捻った。
それにしても、ベッドがゴワゴワする。敷かれているシーツをめくってみると、藁が詰まっていた。この世界の文明の水準が推し量れる。
「ううう、意味がわからなすぎてお腹減るぅ……」
相変わらず、私のお腹はぐーぐー鳴っている。ここで待っていればユージンという人が食事を持ってきてくれるらしいので、それまで自分のおかれた状況を把握することにした。
部屋は六畳ぐらいの広さで、床は汚い。恐らく土足で歩くのが一般的なのだろう。家具はベッドと箪笥、テーブルと机が一脚ずつ。あと火鉢みたいなものが置かれているけれど、火の気はなかった。
なんとなく体感温度から察するに、季節は春か秋って雰囲気だ。
とりあえず周辺の様子を見るために、雨戸を開けようかと私がベッドから腰を浮かせた時、扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
応えると、バシ、と音を立てて勢いよく扉が開かれる。
「オレはおまえを信用していないからな」
金髪に緑と青の瞳を持つ男は、部屋に入るなり不機嫌そうな顔で言った。私はそのいきなりの宣言にポカンとする。
「団長に命令されたから仕方なく従うが……もしオレが団長なら、おまえは今ごろ、魔物の餌だ。それをよく理解しておけ」
「え……まもの?」
「フン、本当におまえ、貴族なのか? 妙な服装をしているし……魔族ではないのか?」
ファンタジーな単語がポンポン出てきて、アワアワしてしまう。
理解しようとフル回転した脳ミソがカロリーを大量に消費したせいで、お腹がものすごく大きな音を立てた。
私をじろりと睨んでいた金髪オッドアイさんがきょとんとする。
私が腹を抱えて沈黙すると、彼は気まずそうに「ほら……飯だ」と机の上にお盆を置いてくれた。
むしろ罵ってくれればいいのに。悪いことしたかな、みたいな顔をされると羞恥を覚える。
「オレは……ユージン。黒魔騎士団の副団長だ。クリスチャンは討伐作戦の指揮を執る関係上、おまえの相手をしている暇がない。何かあればオレに言え」
気まずそうな顔のまま部屋を後にするユージン。
彼のファンタジーイケメン度が高すぎて恥ずかしさが増した。
でも、人間というのはみんなお腹が減るものなのだ。これは自然の摂理である。
「仕方がないよ……人間だもの」
悟りを開いて私は椅子を引いて机に向かう。――けれど、出された食事の内容を見て唖然とした。
「えっと……?」
ドロドロした灰色のスープ状のものと、赤紫色の五百円玉ぐらいの大きさの物体が盛られた皿。
まず私は、付いていた木のスプーンで赤紫色の物体をつついてみる。どうやら豆のようだった。硬い皮の中身はボソボソとしているみたいだ。
皮には焦げがあるから、炒めたか何かしたんだろう。
「……豆、だよね?」
赤紫色の物体――豆を一つつまんで、噛む。予想通り硬い。皮をむいて中身を食べると……口の中の水分があっという間に吸い取られた挙句、謎のえぐみが口一杯に広がった。
「うえ、何これ」
口に入れた分は辛うじて呑み込んだけれど、次の一口を食べる勇気は出ない。
灰色のスープはどうだろうか。粉っぽくて、中にはガビガビの肉が細切れになって浮いている。
見た目が悪いだけだと期待して、スープを一匙飲んでみた。それは見た目以上に酷い味だった。
「粉、だまになって残ってるし……!」
私はぺっぺっと口の中に残った粉を吐き出した。薄味すぎてよくわからないけれど、しいて言えば粉薬のような味がする。舌触りはさながら泥だ。
「……まさかこれ、嫌がらせ?」
せめて味付けぐらいしてくれてもいいのに。
私は何より粉薬が大嫌いなのだ。錠剤しか呑めない。
団長であるクリスチャンは丁寧に接してくれたけれど、副団長であるユージンは違う。得体のしれない人間である私には優しくするべきではないと思っているみたいだった。
「いい人だと思ったのに……!」
私のお腹の音を聞いて気まずそうにしていたし、美味しいごはんの一つでも一緒に食べたら仲良くなれるかもしれないと思ったのに。
私を追い出したくとも団長のクリスチャンさんに命令されているからできなくて、だから、自分から出ていくように仕向けたのだろうか?
迷惑なら、そう言ってくれればいいのに、こんなやり方をするのは最低だ。
「も、文句言ってやる……」
涙目になりつつ、私は立ち上がった。
何より許せないのは、調理次第で美味しくなるはずの食材を、こんな泥とスポンジみたいな物体に変化させたことだ。
嫌がらせはかまわない。いや、かまうけれど、それ以前に食材を無駄にするのが許せない。
髪の毛を整え、ワイシャツのボタンを上まで留めて気合を入れる。上着の皺を伸ばした。
こうなったら説教だ。異世界ファンタジーイケメン相手だろうと関係ない。
肩を怒らせ部屋を出る。廊下の奥に階段を発見。下りるとすぐに外へ出る扉を見つけた。
外から人の声がたくさん聞こえたから、そちらへ向かう。
とても賑やかで、一瞬お祭りかなと思った。けれど、外へ出て私が見た光景は――
「……へ?」
確かにお祭りのような人出だ。けれど、お祭りなわけがなかった。
ボロボロの格好で疲れた顔をしている汚れた人たち。
この建物は小さな部屋がいくつも入っているアパートのようになっているらしく、外に出ると中庭があり、外とは塀で仕切られている。その塀の内側に彼らはいた。
外にも人が一杯いて、塀の向こうにひしめいている。中に入ってきている人の多くは建物の壁を背にぐったりとうずくまり、手には色んな形のお椀を持っていた。
お椀の中には泥みたいな灰色のスープ。私がもらったのよりさらに薄くて、もっとまずそうだ。それを嬉しそうに飲んで、みんな涙を流して喜んでいる。
「生き返るねえ……」
ぼろきれみたいになった細い細いおばあちゃんが、なんの具も浮いていないスープを飲んでそう言ったのを聞いて、私は薄々悟った。
この世界のこの町、すごく貧しいんじゃないかって。
その時、私のお腹がきゅうと音を立てた。慌てて押さえたけれど、近くのポーチの段差に座っていたそのおばあちゃんに聞こえたらしくて、ニコニコしながら教えてくれる。
「あそこで配ってもらえるよ」
配っているのは、ボロボロの人たちよりも身体が大きくしっかりとした男の人たちだった。
クリスチャンさんより布地が少ないけれど、同じ紅葉みたいな模様が描かれた服を着ている。彼らはたぶん、騎士団の人たちなんだろう。大きな鍋から椀にスープをついで、並ぶ人たちに与えている。
騎士団の宿舎の周りは日々の糧に困っていそうな、ボロボロの人たちで溢れかえっていた。
「……何があったんですか?」
「おじょうちゃん、知らないのかい?」
「記憶がないというか、混乱しているみたいで」
クリスチャンさんの中ではそういうことになっているので、言い訳みたいにそう言ったら「魔物の襲撃で、あたしたちは住処を追われたんだよ」とおばあちゃんが丁寧に教えてくれた。
「この町に逃げ込んできたやっかい者のあたしたちに、黒魔騎士団だけが優しくしてくれる」
魔物――あのファイアーバードみたいな大きな鳥や、その仲間みたいなのがこの世界にはたくさんいるらしい。
それが最近、繁殖して活動が活発になった結果、これまではなんとかしのげていた襲撃を防ぎきれなくなり、おばあちゃんたちは村を捨てるしかなくなったそうだ。
ここに集まっている人はそうやって村を追われた難民だという。
私は教えてくれたおばあちゃんにお礼を言って、宿舎の中に逃げ込んだ。
茫然としていると、後ろから「おい」と声をかけられる。
振り返ったらユージンがいた。チュニック姿で、先ほどは持っていなかった剣を佩きマントを着ている。時代がかった格好だけれど、この世界の騎士の標準がこれなんだろう。
「そんなところに突っ立って何をし……おい、どうした!?」
驚いたように彼は叫んだ。その顔が滲み、見えない。
「おいおいおいおい、なんで泣いてるんだ!?」
ダーと流れる涙。ユージンの顔を見たら色々堪えていたものが決壊してしまった。
だって私、この人に見当違いの説教をしようとしていたんだから。
「さ、最低なのは私のほうでした……ごめんなさい、ごめんなさいぃいい」
「は? どうしたんだ? こんなところで泣かれても困る……こっちへ来い!」
玄関からすぐの廊下でうずくまって泣こうとする私を引きずって、ユージンは個室へ移動した。
そこは玄関の左手にある部屋で、一見して私に与えられた部屋より豪華だとわかる。床は寄木細工のモザイクで三角形が連ねられ、壁には絵が描かれていた。赤、青、緑、黄色の服を着た人たちが追いかけっこをして遊んでいるみたいな絵だ。中には机と、タペストリーのかけられた長椅子が置かれている。雰囲気からして、応接間のようなところなのだろう。
「落ち着いて話せ……どうしたんだ?」
ユージンが優しい声で聞く。こんな私を心配してくれていると思うと、ますます涙が込み上げてきた。
「まさか外がこうなっているとは思わなくて……! い、嫌がらせをされているものだと……!」
泣きむせびながら事情を説明すると、ユージンは溜息をついた。
「……団長に丁重に扱うように命じられているんだ。たとえ嫌がらせをしたくとも、そんな私情に流されるわけがあるか」
フンと不満げに鼻を鳴らしながらユージンが言う。
「オレとしては今用意できる最高の料理をおまえに取り分けたつもりだったが、その様子だと口に合わなかったようだな」
消えてなくなりたいぐらい恥ずかしい。
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