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2巻

2-3

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 マルスは本当にあったエルフと人間のこわい話をしてくれる。

傲慢ごうまんなエルフは人間を劣等種だと思っているからな。この真珠がもしも奪われたものだとして、一度報復を決めたら、その人間に悪意があるかどうかなんて細かいことは気にしない。一瞬でも手にした人間は全員皆殺しだ。貴族だろうが国王だろうが関係ない。だが、俺が噛んでいれば、事情を釈明しゃくめいする機会くらいは与えられる」

 国王の話すら黙殺するような組織が、マルスの話なら耳を傾けようとするなんて、改めて聞けばすさまじい話だ。

「……マルスって、意外とすごい人なのね?」
「俺はただ聖木会の奴らにとって意味ある存在ってだけの話だ。聖木会が自分で作った規則上、仕方なくあるじなき騎士の称号を与えざるを得なかった騎士だからな」

 人間を劣等種だと思っているような者たちが称号を与えなければならなくなるほどの実績を、マルスが示したということだ。
 そんな彼が仕える人物だったからこそ、小説のロイは聖木会の次期長老候補者に選ばれた。
 ……小説では男の主要キャラたちはみんな候補者に選ばれていたけれど、おそらく分岐エンディングによって聖木会の長老に選出される者が変わるのだろう。
 この世界でロイが選ばれることはきっとない。
 精霊を継承していないし、マルスを仕えさせてもいないのだ。
 心なしか、私の右肩を止まり木のようにしている炎の小鳥――イグニスが重く感じられた。
 ロイに返せるものなら、全部を返してしまいたい。

「メルティア様、少々よろしいでしょうか」

 あせったような声と共に、了承の言葉をかける前にカインが執務室に入ってくる。その姿を見てマルスがうんざりしたように言う。

「今度はなんだよ」
「カインが慌てるなんて珍しいわね。どうしたの?」

 恐ろしい想像が脳裏をよぎった。
 ヴェラが決起会を前にしてあせって、ロイの説得に致命的な失敗をしたのでは?
 彼を怒らせるだけならまだしも、あの決断をさせたとしたら、カインが慌てるのもわかる。
 焦燥感しょうそうかんに駆られ問う私に、カインが切り出したのは別の話だ。

「客人がいらっしゃいました。今夜のパーティーの招待客ではないのですが……」
「だったら追い返せよ。俺の力が必要か?」
「相手はライン公爵家の次期当主、ロゼリア様です」

 張りつめた面持おももちで言うカインに、マルスも怪訝けげんな顔をする。

「四大公爵家のラインの後継者が? なんでオルフェンスに来るんだよ」

 四大公爵家のうちの一家であり、小説で主要な男キャラの一人を弟に持つ女性。彼女は円満に当主の座を引き継ぐ予定の、有能な人物として描かれていた。

「メルティア様、かの方と親交がおありなのですか?」

 疑念と不審に満ちた顔でカインにただされ、流石さすがに隠しようがなくなる。

「最近、手紙のやりとりをしているわ」
「そんな話は聞いた覚えがありませんが!」

 それはそうだろう。何しろ、カインに手紙の中身が露見ろけんしないよう、慎重に手紙を送っていたのだから。
 ロゼリアは精霊こそ継承していないものの、ライン公爵としての実務をすでに引き継いでいる。
 正式に公爵ではないのは、現当主である父親も、精霊の継承者である祖父も健在だからという理由でしかない。
 どうして、そんな彼女が急にオルフェンスにやってきたのだろう。
 力のある公爵家の実権を握る彼女が公爵就任式に参列してくれれば、どれほど心強いか。

「……公爵就任式にさえ来てくれればよかったのに」

 そうつぶやいた直後、思い描こうとした夢想を、強い声が打ち切った。

「そういうわけにはいかないさ!」

 飛び込むように女性が部屋に入ってくる。その姿に見覚えはない。
 けれど、紅蓮ぐれんの髪をポニーテールにして男性用の乗馬服に身を包んだすらりとカッコイイ女性の姿を、私は小説の描写で知っていた。

「あなたは、ロゼリア様……?」
「お初にお目に掛かる。私はロゼリア・フォン・ライン。ライン小公爵と呼ばれている。オルフェンス公爵メルティア様、どうぞ、お見知りおきを!」

 歯切れよく自己紹介をするやいなや、ロゼリアは私に肉薄する。私の手をすくうように取り、まるで紳士のように口づけた。
 その一連の流れをマルスは間の抜けた顔で眺めている。
 でも流石さすがに、私の身に危険が迫っていたら彼女を止めてくれただろう。

「先日は王都のお茶会にもお誘いいただいたのに、出席できず申し訳ない」
「予定があったのでしょう? 仕方ありません」

 光の精霊の継承者であるアリスが現れたばかりだから、主立った貴族たちは王都に集まっている。
 そこを狙って、四大公爵家の女性にもそれぞれ招待状を送っていた。
 その中でお茶会に参加してくれたのは、ルイラガス家の継承順位の低いカーリンだけだ。
 ライン公爵家には、予定が埋まっていると断られた。でも相手はただの令嬢ではなく、次期当主のロゼリアだったから、多忙なのは仕方ないことだ。そう思っていたのだけれど……

「実は予定などはなく、オルフェンス公爵のお茶会に出席する意義を感じなかったため、出席を見合わせたのだよ」

 ロゼリアがさらりと口にした言葉に緊張が走った。誤魔化ごまかしてくれればよいものを、ちょくせつに言われればこちらとしては抗議せねばならなくなる。
 でも、彼女は私たちに口を挟む隙を与えない。

「不義理を働いたにもかかわらず、オルフェンス公爵が我がライン領にもたらした福音ふくいんに、心より感謝申し上げる」

 ロゼリアは私の足許あしもとに膝をついた。
 オルフェンス公爵である私に、次期ライン公爵がひざまずく。
 本来ならばありえない彼女の行動に、視界の端でカインが息を呑んだ。

「来年の春のオルフェンス公爵就任式にも、無論、敬意をこめて参加する予定だよ。だが、それまでの期間を礼も述べずに過ごすことは私にはできなかったんだ」

 そう言って、ロゼリアはにやりと笑ってみせた。


   * * *


「メルティア様、あの方に一体何をしたのですか!?」

 カインが血相を変えて問うてきた。
 以前はオルフェンス公爵家との交流があったというライン公爵家。
 けれど、復縁を望んで送った親書はやんわりと、しかしはっきりと拒絶されていた。
 縁が切れたのは、前オルフェンス公爵だったお養父とう様の責任だ。ライン公爵家を責めることもできず、忸怩じくじたる思いを抱いてきた相手だった。
 その次期当主であるロゼリアは今、隣の部屋で着替えている。
 感謝の言葉を述べるためだけに、ほんの少数の供とライン公爵領から駆けてきたらしく、身繕みづくろいをしたいと乞われたのだ。忙しいからと追い返すわけにはいかない。

「答える前にカインに聞いてみたいことがあるわ」
「何をですか!?」
「もしも隣の領に原因不明のやまい流行はやっていて、そして私たちだけがそのやまいの原因を知っているとして、よ。私たちだけが治療薬も持っているなら、カインはどうする?」
「なんですか、その突飛な例え話は」

 カインはあきれたように言いつつも、眼鏡に触れながら答えた。

「隣の領がなりふり構わずこちらに泣きついてくるまで被害が広がるのを待ち、助けを求められたら、もったいぶって手を差し伸べるべきかと思います」

 予想通りの答えが返ってきて、ひどい答えなのに笑いそうになる。

「どうして被害が広がる前に、すぐに助けてあげないの?」
「助けを求める前に助けられた時には、人間はそれを恩とは感じにくいものなのですよ」

 カインは淡々と言う。ひどいことをとても冷淡に口にしても憎めないのは、実際に行動に移したら気にむ人なのを知っているからだ。

「自分たちだけでどうにかできたはずだと思い込み、助けたこちらが余計な真似をしたせいで被害が増大したと、言いがかりをつけられても不思議ではありません」

 実際、彼の懸念けねんする事態は起こりうる。前世でもそういうことはよく起きていたし。

「でも、でもね。そういう心配があるとしても、私はすぐ助けたかったのよ」
「……つまり?」
「ライン領で流行はやっているやまいを知ってる?」
「ライン領の平民の間で風邪が流行しているという話を小耳に挟んだような気はしますが、やまい?」

 カインが怪訝けげんな顔をする。
 私自身は今の時点でこの災害がどこまで広がっているのか知らなかったけれど、彼が言うには平民にはすでに広がっているらしい。この時期なら被害はほとんどないと思っていた私は、ヒヤリとした。

「私、その原因と治療法を偶然にも知っていたの。だからロゼリア様に手紙で教えたのよ」

 小説で読んで知っていた。
 小さな魔物が体内に入り込み、風邪に似た症状を引き起こす。この魔物害のいやらしいところは、魔力を持たない平民にとっては軽い風邪と変わらないこと。
 この魔物は、魔力をエサにして強化する。強い魔力を持つ人間、特に貴族を中心に死に至らしめるのだ。
 この魔物害によって、小説のロゼリアは亡くなった。
 だから私は彼女についてはそれほど詳しくは知らない。有能な人物で、生きていれば多くの人にしたわれる理想の領主になっただろう……と、美しく描かれていたのを知るくらいだ。
 来たる悲劇を私が阻止したところで、起こるはずだった未来を知らない人たちは、未然に防がれたわざわいに恩を感じることはないだろう。
 オルフェンスにとってはなんの利益にもならないのは、わかっている。

「原因と治療法を、ですか。ロゼリア様に公爵就任式に出席していただくことを条件に、ですか?」
「いいえ。なんの条件も出さずに」

 カインは怒るだろう。ロイも私の甘さを不快に思うかもしれない。
 でも、これは言い訳でしかないけれど、小説ではカインとロイが人が窮地におちいるまで様子見するような真似をして、色々大変なことになってもいたのだ。
 いずれ隣国に襲われるエレール。
 小説の中で、ロイたちはいち早くエレールへの襲撃に気づいた。けれど救援には向かわない。その時エレールを治めていたルイラガス公爵からの正式な救援要請がなかったからだ。
 早急に動いていれば追い返せていただろう、リファス帝国軍側の援軍。
 初動の遅れによって戦況は悪化し、多くの血が流れた。められたルイラガス公爵に助けを求められてやっと、ロイたちは動き出し、敵を倒す。
 ――ルイラガス公爵は後遺症の残る大怪我を負うことになった。
 勿論もちろん、ロイたちは悪くない。でも、公爵の弟、ランドルフに恨まれることになる。
 客観的に見れば、さっさと救援を要請しなかったルイラガス公爵が悪い。けれど、戦況を理解しながら傍観していたロイを、ランドルフは感情的に憎悪するのだ。
 そんな未来を知らないカインからしてみれば、私が愚かな選択をしたようにしか見えないだろう。

「悪いけど、私が動けば助けられる命を見捨てられなかったの」
「……まあ、構わないでしょう」
「怒らないの?」

 意外な反応に驚く私に、カインは肩をすくめた。

「メルティア様がご存じの治療法なら、どうせそのうちラインの者も知り得ていたでしょう。誰より先にメルティア様が治療法を知らせたという点で、恩を売れるのは悪いことではありません」

 小説ではライン領全体がボロボロになるまで治療法が見つかることはない。
 小説のヒロインアリスが自らの身をかえりみずライン領に慰問いもんに向かい、患者を看病するうちに――偶然にも治療薬となる花を見つけ出す。
 このことで、小説のアリスは聖女としてあがめられることになる。
 つまり私が教えなければ、この世界では治療薬が見つかることはなかったと思う。
 この世界のアリスは『光の王女』の物語を知っているはずなのに、何故なぜかライン領で発生する魔物害について知らなかったから。
 そんなこと、カインが知るはずがない。

「……まあ、そうよね。私が知っているくらいだから、他の誰かも知っていたかもしれないわ」
「ですので、お気になさらず。そんな知識のために過大な要求をなさらなくてよかったですよ。メルティア様があえて要求しなくとも、幸いロゼリア様は恩に着てくださったようですし」

 オルフェンスに帰ってきてから、アリスとは日本語で書いた手紙をやりとりしている。もしも彼女が小説と同じく聖女になりたいのなら、私は協力するつもりだ。
 小説よりはうんと被害を抑えてもらうつもりだったが、条件を呑んでもらえるなら治療薬の花を私が用意し、それが治療薬となることをアリスに発見させてあげてもよかった。
 けれど、ライン領についてどうするつもりなのかたずねた私に、アリスはおかしな手紙を返してくる。
 最初、病人の看病なんてこの世界のアリスはやりそうもないから、慰問いもんに行きたくなくてしらばっくれているのかと考えた。けれど、治療法を教えてほしい、治療薬があるなら一番に自分によこせと、恐慌をきたした手紙が来たのを見るに、本当に彼女は知らないのだ。
 小説を読んでいれば知っているはずなのに。

「――部屋を貸してくれて助かったよ、オルフェンス公爵」

 応接室に戻ってきたロゼリアに声をかけられた私は、はっとして立ち上がった。
 彼女は生成きなりのシャツにズボンという簡素なよそおいで、ポニーテールをほどいた赤い髪を背中にゆるく流している。髪を下ろしていても男装がさまになっているのは身ごなしのためだろうか。

「お茶はいかがですか? ロゼリア様」
「私のことはまったく気にしなくて構わないのだよ。パーティーがあるのだろう? 内々のパーティーとはいえ、オルフェンス公爵の立場を盤石ばんじゃくなものにするために重要な会だと聞いたよ。色々準備があるのではないかな?」

 それをわかっているのであれば、このタイミングで来ないでほしかった。

「私が来なければいいだけだったのかもしれないが、どうしても感謝の気持ちを伝えずにはいられなかったんだ。迷惑かもしれないが、どうか寛大な心で許してくれたまえ」
「……非公式にとはいえ、ロゼリア様をオルフェンスにお迎えできたことを嬉しく思います」

 迷惑なのは確かだけれど、これが喜ばしい出来事なのも本当だ。

「ロゼリア様がお元気そうで何よりです」

 未来を変えると決めてしまえば、死ぬはずだった人がこうしてピンピンしていることは嬉しい。
 私が心からそう思っていることが伝わったかのように、ロゼリアは面映おもはゆそうに微笑ほほえんだ。

「そう言ってもらえて嬉しいよ。よければお茶をもらおうかな。オルフェンス公爵の迷惑にならないのであればね」

 もてなしのために私が手ずからお茶をれる。
 すると、そのにおいにロゼリアが目をみはった。

「これは『メルティア・ティー』だね?」
「定期的に飲んでいらっしゃいますか?」
「オルフェンス公爵に手紙で教えてもらった通り、ちゃんと飲んでいるとも」

 カインが物問いたげに眉をひそめるのに、ロゼリアは目聡めざとく気づいた。

「オルフェンス公爵、もしや治療薬について彼には知らせていないのかい? 私は余計なことを言ってしまっただろうか」
「いいえ。今日話すつもりでしたからお気になさらず」

 ロゼリアが来なくとも、今夜のパーティーでお披露目する用意をしていた。オルフェンスの主流貴族が一堂に会するよい機会だから、その場でライン領の魔物害とその治療法について話すつもりだ。
 その時、カインが「待ってください」と頭を抱えて口を挟む。

「もしや、『メルティア・ティー』が治療薬になるのですか? メルティア様が好んで栽培されている『華麗なるメルティア』の花びらを使いメルティア様が開発したこのお茶が、ライン領で流行はやっているやまいやすと?」
「そうなのよ。不思議な偶然もあるものよね?」

 いけしゃあしゃあとしらばっくれる。少しドキドキしたけれど、カインは特に不審には思わなかったらしい。
 彼は鋭いが、私がオルフェンス公爵家に来てすぐに探し求めさせ温室で栽培させていたこの花が今回のやまいの治療薬になると最初から知っていたとは、流石さすがに思わなかったようだ。
 私がリーリアの花を好きだと知らない人たちは、私がこの花を好んでいると思っている。 
 何故なぜなら私は、仮のオルフェンス公爵になるやいなや、いの一番にこの花を探させたからだ。
 真っ赤な花弁に毒々しい紫色のまだらがあるけばけばしい、名もなき花。
 毒花に見えるために、小説の中でラインの疫病にかかった少女が苦しみから逃れたくて服毒のつもりでこの花を呑み、助かった。
 この花の成分には魔力の流れをよくする働きがあり、その働きが血中の魔物と魔物が魔力で作る巣を、どちらも壊してくれるのだ。
 この名もなき花に最近まで名前を付けていなかったが、アリスにこの件を解決する能力がないと知って、私の名前を付けた。
 小説では、治療薬と判明した後に『聖なるアリス』と名づけられた、花に。

「うーむ。このお茶の苦みが、私にはどうも……」
「甘いお菓子を一緒に食べれば苦みは気にならないですよ、ロゼリア様」
「なるほど?」
「ミルクを入れてもいいと思います」
「ふむふむ」

 メルティア・ティーはお茶でありながら、味はほとんどコーヒーだ。
 お茶菓子をすすめると、ロゼリアは素直に食べ始める。

「お菓子を食べてもミルクを入れても苦いが、飲まないとね。オルフェンス公爵が教えてくれなければ、私はあっという間にライン領にこの小さな魔物を広げる厄災やくさいの運び屋となっていただろう」

 私が手紙に書いたのは魔物害の特徴とその治療薬、予防法だけなのに、ロゼリアは私が何を思って予防法まで教えたのかお見通しだ。
 彼女の洞察通り、小説のロゼリアはその能動的な性分がわざわいして、ライン領全土にやまいをばらまいた挙げ句命を落とす結果となった。
 そのせいで、ライン領の多くの人間が命を落としたのはロゼリアのせいだと糾弾きゅうだんする者もいた。
 ロゼリアを亡くし失意の底にあった弟のヘンリックはその風評に激怒し、それゆえに奮い立って、姉の跡を継いでライン公爵家の当主となる覚悟を固めることになる。

「オルフェンス公爵には感謝してもしきれないよ。何度礼を言っても足りないほどだ」
「……私はたまたま知っていたことをお伝えしただけなのに、そこまで感謝していただけるなんて不思議な心地です」

 小説では甚大じんだいな被害が出た。でも実際にはそうなっていない。
 そうならないよう被害がほとんどない今のうちに助けた。ロゼリアからしてみれば、私の助力なんてなくてもどうにでもなったと考えて、私を軽んじたって仕方ないのに。

「ラインがなりふり構わず助けを求めるほどめられるまで、オルフェンス公爵が座して待つことなく、善意をほどこしてくれたこと。感謝せずにはいられないさ」
「そのように受け止めてもらえてありがたく思います。余計なお世話をしてしまったのではないかと、少々心配もしていましたので」
「余計なお世話なんてとんでもない。ラインの者にこの魔物害の治療薬について知る者はいなかったのだから」
市井しせいの者でしたら、知っていたかもしれませんよ?」

 私も元々は市井しせいの平民。そんな私が知っている程度のことだから、大した知識ではないと思われることこそ普通だ。

「いいや。ラインの市井しせいにもこの情報を知る者はいないだろう。だから、オルフェンス公爵が対策を知っていて、ほとんど無償むしょうで手を差し伸べてくれたことが奇跡のように思えるのさ」

 そう言って、見透みすかすような目で私を見つめながらライン公爵家の次期当主は艶然えんぜん微笑ほほえんだ。


   * * *


 領地に早駆けで帰るにはもう暗いから馬小屋でいいので泊めてほしいと言うロゼリアを言葉通り馬小屋で寝かすはずもなく、客室に案内した後は、思った通りカインにられた。

「メルティア様、あの花を使って作った『メルティア・ティー』と名づけた茶葉を、今回のパーティーの参加者たちへ招待状と共に贈っていませんでしたか?」
「贈ったわよ。招待していないオルフェンス中の貴族にもね」

 招待状に贈り物として『メルティア・ティー』をえて送った。
 それが治療薬であることは書かずに。
 カインは顔をしかめ、自分を落ち着かせるように深呼吸する。

何故なぜです? ラインとはこじれたら困りますが、オルフェンスでなら恩を売るために多少はあせらせてもよかったでしょうに」

 彼がそう言うだろうとわかっていたから、ただの茶葉のように偽装して送ったのだ。
 これが治療薬になると知っていれば、カインが易々やすやすと送らせてはくれなかったと思う。
 人の命がかかっていても、ロイの利益になるように、状況の悪化を傍観しただろう。オルフェンスの貴族たちが助けを乞うてきて初めて、高値で売りつけるつもりで。
 対価はお金か、あるいは絶対の忠誠か。

「オルフェンス中の貴族に送ったから、カインにどんな思惑おもわくがあろうと叶わないわよ。悪いわね!」
「まったく悪いと思っている様子ではありませんが……?」

 私はヴェラが出す船に乗るつもりでいる。
 小説のヴェラはアリスを知り、最終的にはオルフェンスにもっとも相応ふさわしいのは自分ではなくアリスだと考えて身を引いた。
 でも、この世界でそんな展開はどう考えても訪れそうにはない。あのアリスだし。
 私が治療薬を盾にとってオルフェンスの貴族たちに恩を売っても仕方ない。

「しかし、治療薬にメルティア様の名前を付けられたのはいい判断です。かろうじて及第点ですよ」

 ヴェラを盛り立てるなら、治療薬にヴェラの名前を付けるという手もあった。
 けれど物語の流れを変えることで訪れるすべての責任の所在を、誰が見ても明らかなようにしておきたい。小説の展開を変えてしまう、その責任の所在は私にあるのだ、とまだ見ぬ糾弾きゅうだんしゃにもわかりやすいように。
 こうしておけば、もしもアリス以外に『光の王女』の物語を知る人物がいた時に、すべての変化の原因が私にあると気づけるだろう。


   * * *


「ロイ、ヴェラがどこにいるか知らない?」
「さあ? どこぞで道草でも食っているのではありませんか?」

 私の隣に立つロイがにっこりと笑う。

「……危害は加えていないわよね?」
「まだ何もしていないヴェラに僕が危害を加えると思うのですか?」
「ち、違うわよ!」

 悲しそうに眉尻を下げられて慌てて否定したけれど、ロイは次の瞬間けろりとして言った。

「閉じ込めているだけですよ。余計な真似をしないように」
「どこによ!!」
「メルティアが捜しても見つからないところです。捜しに行かないでくださいね」

 流石さすがに自ら捜しに行く気はなかった。すでにパーティーは始まっている。
 オルフェンス公爵である私のパートナーとして、ロイが隣に並んでいた。
 予定では、パーティー開始の挨拶あいさつで次期オルフェンス公爵について、オルフェンスの貴族たちに譲歩の宣言をするはずだったが、これでは無理だ。 
 不慮の事故でオルフェンス公爵になってしまった私に、野心はない。
 オルフェンスのすべてを元に戻すため、次期オルフェンス公爵には、ロイとヴェラの間に生まれる子をえると約束するつもりだった。
 ロイの説得が難航するようなら、私の子でなくてもよい、くらいに表現をやわらげてもいい。
 どちらにせよ、オルフェンスの貴族たちを一つにまとめるための案を提示しておきたかったのに。

「ヴェラはあなたの説得に失敗したのね?」
「成功する可能性があると思っていらっしゃることに驚きます」

 嘲笑ちょうしょうの響きをびた声。菫色すみれいろの目は笑っていない。
 仮面のような笑みを貼り付けている彼の姿を見たことがないわけじゃないけれど、そういう表情、視線を向けられることに慣れていないせいで居心地が悪い。これまでどれほど優しい目で見られていたのかを思い知り、嬉しく思うと同時に鼻の奥がツンとしてくる。
 途端、ロイが慌てた。

「メルティア、この件に関してはたとえ他でもないあなたが涙を流そうとも、僕の気持ちを揺るがせることはできないのですから、どうか泣かないでいただけませんか?」

 彼の意思は私の涙程度では動かないらしい。けど、少し早口で言うロイは私に泣かれるのは嫌みたいだ。私だって、思い通りにならないからと泣いて駄々だだをこねる子どものように振る舞いたいわけじゃない。ロイの腕に抱きついて体重をかけ、仕返ししてやることで涙を呑み込んだ。

「ふんっ、腕が重くて困るでしょう?」
「その、困るといえば困りますが、理由はおそらくあなたの予想とは違っている、と思います」

 珍しくしどろもどろになる彼の腕に全体重をかけながら、私は愚痴を聞かせてやる。

「ロイの馬鹿。あなたの望みとやらは私を尊重しているように見えて、私が一番大変なのよ」


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旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 「番外編 相変わらずな日常」 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

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