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2巻
2-1
しおりを挟む一章 オルフェンスの娘
オルフェンス公爵領に帰ってきた私たちを出迎えたのは、ロイによってオルフェンス公爵家の管理を任された美しい少女だった。
「メルティア様にはロイ様と私の間に生まれた子の養母となっていただき、次世代のオルフェンス公爵として育てていただきたいのです」
大人びた十七歳のオルフェンス一族の令嬢は、微笑みを浮かべてそう言った。
オルフェンス公爵邸の執務室で主の座にいるのは私なのに、その前に立っている彼女のほうが堂々としている。艶然と笑う彼女は茶色のくせのない髪を後ろで一つにまとめていた。
事務仕事がしやすいようにだろう、袖の短いドレスを身につけているけれど、仕草の優雅さや身についた堂々とした立ち居振る舞いは気品に満ちている。
「無礼だぞ、ヴェラ!」
「マルス様ったら、そういう演技は私の前では必要ありませんよ。あなたがロイ様に仕えたいのに拒まれて、仕方なくメルティア様に剣を捧げたことくらい、私にはわかっているのですからね?」
「うぐ……っ!」
図星を衝かれたからかマルスが言葉に詰まると、カインがこめかみを押さえた。
「ヴェラ様……私は公爵であるメルティア様に挨拶したいと言うからあなたを紹介したのですよ? 笑えない冗談を言わせるためではありません」
「冗談ではなく、本心よ?」
「だったらなおのこと、たちが悪いです」
カインは珍しく苛立ったように顔を歪めた。
私たちがオルフェンス公爵邸を不在にしている間、オルフェンスの全執務を取り扱っていた人物を紹介したい。そう言って、彼が私の執務室に連れてきたのがヴェラだ。
「メルティア様が長い眠りに就いた後、あなた方――リス伯爵家に助けられたのは事実です。……ですが、それはあなたの放言を看過する理由にはならないのですよ」
「私たち、幼馴染みじゃない? つれないわね、カイン」
私が眠っている間、リス伯爵家がロイたちを助けていたのだという。私が前世で読んでいた小説とは違う展開だ。
何しろ小説のロイはベンヤミンだけでなく、親戚たちにも殺されそうになっている。
オルフェンスの家門を名乗る者たちと、小説のロイの間には深い溝があった。ヴェラとこそ個人的な交友があったけれど、彼女以外の親戚とは疎遠という設定だったはずだ。
「この女の発言はオルフェンス公爵であるメルティア様に対する侮辱です。メルティア様、処分を下すべきです」
微笑みかけるヴェラを黙殺してカインは私を見た。
ヴェラ・フォン・リス。
彼女は勿論、小説にも存在する。リス伯爵家の長女であり、私たちが王都シールズにいる間、オルフェンス公爵家の運営の一切を任されていた令嬢。今世でも私が眠っている六年間、ロイたちを助けてきたことですべてを任されるだけの信頼を勝ち得ている。
だからマルスとカインの反応は意外だ。
「ヴェラはオルフェンスをまとめるために提案しただけでしょう? どうして怒っているの?」
「はあ!? 何言ってんだ、お前」
「メルティア様、何故お怒りにならないのですか!?」
確かに私が怒る理由はある。でも、マルスとカインのその反応の理由はわからない。
「怒るようなことではないと、まさかメルティア様にご理解いただけるだなんて驚きです」
ヴェラが切れ長の目を丸くする。
「メルティア様はそもそもオルフェンス公爵位を狙っていなかったのですよね? メルティア様がオルフェンスの精霊を継承してしまったのは、事故のようなもの。命さえかかっていなければ、無償でロイ様に精霊をお返しするつもりがおありとのこと」
「ヴェラの言う通りよ」
「でしたらメルティア様の同意さえあれば、ロイ様に精霊をお返しすることはできなくとも、それが叶った時のように、すべてを元に戻すことはできますよね?」
ヴェラの言葉に間違いはない。頷いてみせると、彼女は安堵した様子で胸に手を当てた。
「ロイ様が公爵となれば、公爵夫人となるはずだったのは私です。ですから私の子をメルティア様の養子にして、次期オルフェンス公爵として育てていただきたいのです」
ちくりと胸が痛むのがそもそも筋違い。ヴェラの言う通り、私は本来オルフェンス公爵の地位に相応しい人物ではないどころか、ロイの伴侶の座すらおこがましい。
小説にも、アリスというヒロインが現れなければロイと結婚するのはヴェラだったろう、と書かれている。
「オルフェンスの者たちがどんなにメルティア様に不満を抱いていても、ロイ様と私の血を引く子が次期公爵だとわかれば、不満を呑み込み付き従うことでしょう」
「勘違いも甚だしいですよ、ヴェラ様」
カインはイライラとしながら首を横に振った。
「ロイ様が公爵となった暁に公爵夫人として娶るつもりだったのは、元よりメルティア様です。ロイ様がそのつもりでいるのを私たちが知ったのは、メルティア様が眠りに就いた後のことでしたが」
「面白い冗談ね、カイン」
ヴェラは馬鹿にするでもなく、困惑した様子で笑う。
「精霊を継承していないメルティア様では、公爵であるロイ様に嫁ぐなんてできないわ」
彼女の言葉は正しい。
「たとえロイ様が強行したとて、オルフェンスの家門の誰もが認めないわ。精霊を継承していてさえ、メルティア様を認めない者たちがいるのよ?」
「だからヴェラ様のほうが公爵夫人として相応しいとでも?」
「公爵はメルティア様なのだから、夫人は難しいでしょう? 由緒正しいリス伯爵家の血筋を引く者として屈辱的ではあるけれど、正式な立場は諦めて、ロイ様の愛妾の座で我慢するつもりよ」
ヴェラが悲しげに眉をひそめる。
彼女は美しく誇り高きオルフェンス一族の娘。オルフェンス本家に最も近い己の血筋に誇りを抱いている。小説にそう描写されていたのだ。
そんな彼女が正式な立場を諦め、表舞台から降りるという選択をした。
彼女にとっては苦渋の選択だろう。
それでも、それがオルフェンスにとって一番よい選択だからこそ、彼女は選んでみせたのだ。
心臓の鼓動が嫌なリズムを刻み始めるけれど、ドレスを掴んで私は静かに黙殺した。
夫が自分以外の女性と関係を持つのが嫌だなんていう私の個人的感情は、大した問題じゃない。
「それがオルフェンスを一つにまとめるための最善の選択なのですもの。私は耐えられます」
ヴェラは痛々しい微笑みを浮かべて耐えている。
彼女こそ、オルフェンスの鑑。そしてオルフェンスの意志を反映する、鏡でもある。
彼女が最善の選択だというのなら、本当にそうなのだろう。
オルフェンスにとって、オルフェンス公爵家にとって――ロイとヴェラの子を次期公爵にすることが、きっと何よりも有益なのだ。
「公爵であるメルティアを認めない奴はオルフェンスから排除すればいいだけだ!」
マルスが吐き捨てるように言った。ヴェラの提案の何かが彼にとって気に食わなかったらしい。
「メルティア! この女は、お前の血筋に問題があると言ったも同然なんだぞ! ……つまりは、お前の母親にッ!」
痛いところを突く。
言葉だけ受け取れば、そういうふうにも聞こえるだろう。私がヴェラのことを知らなかったら、そういう意味にしか受け取れなくて、彼女を嫌っていたかもしれない。
「でも、ヴェラは私のお母様を娼婦と貶めているわけではないのよ。そうよね? ヴェラ」
「勿論です! 酷い言いがかりです、マルス様ったら!」
ヴェラはマルスを睨みつけ、訴えるように私をまっすぐ見つめた。
「私はただ、誇り高きオルフェンスのため、ロイ様のために最善の道を模索しているだけです!」
堂々と言い切り、胸を張る。
そう、彼女はオルフェンスを愛しているだけ。
自分こそがオルフェンスの母として誰よりも相応しいと信じているだけなのだ。
オルフェンスに関する限りヴェラの感覚は常に正しい、と小説には描写されていた。
「ヴェラはマルスとは違うわ」
「……ッ!!」
何かを言いかけたマルスは、堪えるように唇を噛みしめる。
その反応からして、もしかすると、ロイがヴェラを愛妾とするのに乗り気ではないのかもしれない。
ロイは私と結婚するつもりでいた、とカインは言った。
つまりロイはヴェラと結婚するつもりがない。
ヴェラとの結びつきが増すと、リス伯爵家の力が強くなりすぎる?
ヴェラの提案がオルフェンス公爵家にとって利益になるのは間違いないが、ロイ個人にとってなんらかの不利益があるのかもしれなかった。
「ロイが乗り気じゃないなら、ヴェラの提案を呑むつもりなんてないわ。安心しなさい、マルス」
「そういう問題じゃないだろうが!」
顔を真っ赤にして怒るマルスを見上げていた私は、彼がそうなる理由に気づく。
「ロイとヴェラがくっつくと、私に剣を捧げてしまったあなたには不都合だものね?」
「なっ……!?」
その指摘に、マルスはわかりやすく目を白黒させた。
「ロイの一番近くにいる人間が私じゃないと、あなたは困るわよね」
「なるほど、それでマルス様が先程から私に冷たいのですね」
私は呆れた目で、ヴェラはなじるような眼差しで、何も言えずに震えているマルスを見る。すると、カインが溜め息を吐いて口を開いた。
「メルティア様、ヴェラ様を処罰するおつもりは?」
「ないわ。オルフェンスのための提案だもの」
「ご不快にはならなかったのですか?」
彼も不服そうだ。ロイに忠義を尽くすカインがこの反応だということは、やはり何かあるのだろう。
「いい気持ちではないけれど、諫言の一種だと考えるわ」
オルフェンスに関しては、ヴェラは『正解』だ。
私という過失を指摘して、よりよい結果を招くために忠告してくれている。
わざわざ目の前にある正しい道を迂回して、回り道をする必要なんてどこにもない。
「頼むから仲良くしてちょうだい。オルフェンス内で争っている場合じゃないのよ」
公爵就任式が控えている。
これはお茶会と似て非なるもの。お茶会が練習なら、今度は本番だ。
オルフェンス領内の貴族なら、マルスの言う通り私を認めない者は排除すればいいかもしれない。
けれど公爵就任式には他領の高貴な貴族たちを招待しなければならなかった。
私が公爵では、彼らは名代を出すだけで終わらせてしまう可能性は高い。
できるだけそれを防ぎ、高貴な家々出身で爵位を持つまたはそれに近い者たちをオルフェンス公爵就任式に招くことが、延いてはロイの立場の強化に繋がる。
小説に出てきた重要な力を持つ人物たち。彼ら自身が式に来てくれるために必要だというのなら、次期公爵の座をロイとヴェラの子に譲ると宣言することくらい、あまりに容易い。
「メルティア様、今後は私を侍女としてお使いくださいませ」
「わかったわ。よろしくね、ヴェラ」
オルフェンス公爵家だけではなく、シルヴェリア王国東部――オルフェンス領と呼ばれる地域全体を挙げて、公爵就任式の準備を行わなければならなかった。
オルフェンス領と他領との関係を示す重要な式典だ。
誰にも顧みられない、権威のない領主となっても、私は構わない。
けれど私の配偶者になるロイのために、この式典を成功させなくてはならないのだ。
それには、ヴェラは誰よりも心強い味方となってくれるだろう。
* * *
一仕事終えて、休憩がてら温室の花の様子を見るために廊下を歩いていた私のところに、ロイがまっすぐに歩み寄ってきた。
彼を見つけると自然と顔が微笑みの形になるのを不思議に思いながら、労いの言葉をかけようとする。
けれど、ロイは顔を顰めていた。私は言葉を呑み込む。
「まさか彼女の提案を受け入れるおつもりではないでしょう?」
「ロイ――?」
私の腕を、ロイは無遠慮に掴む。
普段触れる時には、私の意思を確かめるように視線を合わせてくるのに。
優しい間がないことが不可解だけれど、不快感はない。
恐怖も嫌悪感もなく、ただロイの気持ちを知りたくてその菫色の瞳を見つめていると、腕を引っ張られて壁際に立たされた。
私を囲うようにロイが壁に手をつく。まるで彼と壁の間に閉じ込めるように。
「逃がしませんよ? メルティア」
「どうした、の?」
耳元に囁くように低い声で名前を呼ばれ、少しくすぐったいなと思いながら、私は用件を尋ねた。
間近で見上げるロイの表情は暗い。
彼はさっき、ヴェラの提案を受け入れるつもりかと聞いてきた。
「ヴェラの提案のことなら、あなたが望まないのであれば受けるつもりはないわ」
「……本当はメルティアとヴェラを会わせることすら嫌だった」
「あなたが望むのなら、そうすればよかったのに」
「オルフェンスの貴族がオルフェンス公爵であるあなたに面会を求めているのに、会わせない権利は、僕にはない」
ロイは独白するように言う。
ヴェラが私に面会を求めているのに会わせない権利がロイにないなんて、どうしてだろう。
やはり彼にはリス伯爵家に強く出られない理由があるのかもしれない。
「ヴェラを侍女になさったそうですね?」
「ええ。彼女は役に立ってくれるでしょうから」
こういう時は小説の知識が心強い。彼女が必ずオルフェンスのためになると、私は知っている。
「オルフェンスの役には立つでしょうが、あなたにとって邪魔な存在では……ないのですか?」
ロイがくしゃりと顔を歪める。苦しみに堪える表情でさえ美しい。
遠目に通りすがったメイドが手にしていた籠を落としたのが見えた。ハラハラと洗濯物が落ちていくのにも気づかないくらい、苦しむロイに見とれている。
彼女から表情を隠すために、ロイの頭をそっと引き寄せて腕に囲う。苦しんでいる姿を欲望に満ちた目で見られるのは、誰だって嫌だろうから。
抵抗はほとんどなく、ロイは私の腕の中に収まってくれる。
顔を見慣れているせいか、精霊のおかげか、彼女たちのように恍惚状態にならずに彼を心配できるのが嬉しかった。
「ロイが嫌なら今からでもヴェラを解雇するわ。だからそんな顔をしないで」
「……もしもヴェラの提案があなたにとって渡りに船だというのなら、僕に止める権利などない」
「渡りに船?」
意外な単語だ。言葉の意味が掴めずに困惑する私に、ロイは低い声で言う。
「あなたに他に好きな男がいるのなら、オルフェンスの後継を作る義務をヴェラに任せ、他の男と添い遂げることもできるのです……そのためにヴェラを受け入れたのではありませんか?」
その言葉に驚いて、思わず体を離してしまった。
「そんなわけないじゃない!?」
「僕以外の男との間に生まれた子を次期オルフェンス公爵にする権利さえ、あなたは持っているのですよ、メルティア」
「ロイ! 変な冗談を言わないで!」
私がオルフェンス公爵になったのは、ロイが私を助けるために精霊を継承させたからだ。
ロイを蔑ろにすることなんて許されない。
からかわれているのだろうと強い口調で言い返したのに、覗き込んだ彼の顔は悲哀に満ちていた。苦渋の滲んだ表情のまま、滔々と話し続ける。
「あなたと僕以外の男との間に生まれた子にオルフェンス公爵の位を継がせようとすれば、大きな反発が待っているでしょう。しかしヴェラに生ませた子を継目の当主にすると見せかければ、時間稼ぎができる。メルティアの代と次世代で念入りな根回しを行い、孫の代であなたの孫に精霊を継承させてしまえばどうとでもなる」
「あなたにそんな不安を抱かせているのなら、すぐにヴェラを遠ざけるわ!」
「不安、とは違います」
菫色の瞳は暗く陰り、まるで星も月もない夜空のよう。
「あなたは優しく高潔だから、僕を蔑ろになどしないでしょう。それを僕は誰よりよく知っている」
「本当にそう思っているなら、どうしてそんな顔をするの?」
「馬鹿げた真似をしていると、我ながら呆れ果てているからでしょうか?」
ロイは額を押さえて弱々しい笑みを浮かべた。
「僕があなたの周りに置いてしまった者たちは、あなたの命を守るという点では一定の信頼が置けますが――誰一人、僕の不利益になる情報をあなたに渡そうとしないでしょう」
「それでいいわ。あなたの情報を渡そうとする人なんて、私だって信用できない!」
「あなたがそう言ってくれても僕は、あなたに対して誠実でありたい」
吐息のような掠れた声で言う。
「だから僕は、僕にとって不利益な情報であっても、あなたに差し出す」
「そんなもの、いらないのに……!」
「必要なのです。誰よりも僕にとって。何故なら僕は、あなたがオルフェンス公爵として認められる瞬間が見たいのです」
それは奇妙に聞き覚えのある言葉だった。
「僕ではなく、メルティアこそがオルフェンス公爵に相応しいと、オルフェンスの家門を含めた万人に認められる、その瞬間を」
ロイのその言葉は――
いつかの私が、ベンヤミンに聞かせるために口にした、ロイを愚弄する言葉をなぞっていた。
「ロイ、それはあなたを愚弄する言葉よ……!?」
「あの男に味方だと思わせたまま僕を守るための、あなたの言葉だ」
すべてを見透かすような目をして、ロイが私を見下ろしている。
私は思わず胸を押さえた。そうすれば胸の奥にある感情を見透かされずに済むかもしれないと、淡い期待を抱きながら。
でも、一体どんな感情を隠したかったのか、隠した自分でもわからない。
「それを聞きながら僕は、本当にその瞬間が来ればいいと思いました」
「憎々しげな目で、私のことを睨んでいたじゃない」
忘れられるはずがない。ベンヤミンの腕に抱かれる悍ましさから助けを乞うために、一縷の希望のように見つめていた、ロイの表情。
顔を真っ赤にして目を赤紫色に染め、燃えるような憎悪を瞳に宿していた。
「睨んでいたとしたら、あなたに触れるあの男を、です」
「そう、なの?」
「あなたを睨む道理がないでしょう? あなたが決死の覚悟であの言葉を紡いでいたことに、僕は気づいていた――気づいていながら、あなたの強さに甘えていたのですから」
「確かにロイが気づいていなかったはずはない、わね」
オルフェンス公爵になりたいだなんて思っていたはずがない。それは言い切れる。
だから言葉の真偽を見抜く能力のあるロイならば、私がその場をしのぐために虚言を吐いたことに気づけただろう。
「その上で僕は夢を見ました……オルフェンスに君臨するあなたの姿を」
「でも、オルフェンスに君臨すべきはあなたなのよ、ロイ」
「オルフェンス公爵であるメルティアまでもがそうおっしゃるので、あなたが頂点に立つことを望んでいるのは僕だけなのでしょう」
ロイの瞳が、ゆらりと揺らぐ。菫色の瞳が熱く蕩けた金を混ぜたように輝いた瞬間、不思議な圧迫感を覚える。後ずさりすると、冷たい壁が背中に触れた。
「どうか僕だけのために、すべての者に認められるオルフェンス公爵になってはいただけませんか? メルティア」
「そんなの、無茶だわ」
「オルフェンス公爵であるあなたに相応しい男である。そう皆に認められるために僕が必死の努力をしなければならないほど、至上高くに君臨していただきたいのです」
「ただでさえ生まれが問題だと言われているのに、無理よ」
「あなたにならきっとできると信じていますし、そのために僕があなたを支えます」
ロイの望みならすべて叶ってほしいのに、おかしなことを望むから混乱する。
「ヴェラの愚かな提案の裏にあって、あなたが選べる選択肢。僕にとっては避けたい未来ですら、あなたが頂点に立つために必要ならば叶えてみせる」
「嫌よ! あなたを蔑ろにするような未来なんて!」
「この件に関してはあなたが嫌がろうと僕は押し通す」
ロイは一体何を言っているの? 私にオルフェンスの頂点に立ってほしいからって、彼以外の男と私が一緒になる未来へ導くというの?
それがロイにとって有益ならば、いい。だが、彼の言う選択肢を採択すれば、ロイはただただオルフェンスの頂から滑り落ちていくだけだ。
「あなたに他に好きな女性がいて、その女性と正式な夫婦になりたいから私との結婚は嫌だとか、そういう話ではないの!?」
「そのような女はいません」
「私と仮面夫婦になるのも嫌だとか、そういう話ならまだわかるのに!」
「僕は早くあなたと夫婦になりたいですよ」
「だったら……!」
「あなたが侮られるのが耐えがたいのですよ、メルティア」
侮られていないとは言えなかった。
ヴェラは間違いなく私を侮っている。そうでなければあんな提案はできない。
幸い、私は彼女をオルフェンスの正解だと知っているからその提案を呑むつもりでいる。
私が冷酷非道な悪役令嬢だったら、ヴェラは命を落としていただろう。
「たとえ不利益を被ろうと、僕はあなたの一番の味方でありたい」
ロイは少し距離を取り、私の足許に跪く。
これは見慣れた構図だった。
六年前、私はよくロイを自分の足許に跪かせたから。
私をまっすぐに見上げる眼差しが、直視を躊躇うほど強い。
「僕はオルフェンス公爵であるメルティアの、一の臣下です」
「私にはもったいない臣下だわ」
「まさか。まだまだあなたの右腕には足りません」
「いいから立ってちょうだい、ロイ。いたたまれないわ」
立ち上がったロイを見上げると溜め息が零れた。
「……私に、あなたを出し抜くつもりがないからよかったものを。なんてことを考えるのよ」
「だから誰もがあなたを甘く見て、警戒すらしていません。その気になれば容易く僕を擁立したい者たちを出し抜いて、オルフェンス公爵家をまるごと奪うことができるでしょうに」
「やらないわよ!」
「メルティアにその気がなくても、あなたが現状に甘んじるつもりなら僕が企みます」
「あなたからオルフェンス公爵家を奪って私を頂点に据える計画を、あなた自身が主導するっていうわけ……!? 意味がわからないわ!!」
抗議をしてもロイは揺るぎなく笑みを浮かべている。
「メルティア、あなたはオルフェンスに波風を立たせることを望んではいないのでしょうね? 僕を盛り立てることができるのならば、自身が蔑ろにされても構わないと思っているでしょう?」
「そうだとしたら、なんだって言うのよ……!」
ロイが何を言わんとしているのか恐ろしくなり思わず身構えると、彼はくすりと笑った。
「メルティアの気持ちを裏切るようで申し訳なく思います。ですが、あなたを蔑ろにするオルフェンスならば、僕自身の手で滅ぼします」
小説では身を守るために力を追い求めていたロイ。オルフェンスの貴族たちを信用していないまでも、分かちがたい利害関係で繋がっていた。切り捨てるだなんて考えもしなかったはずだ。
それなのに今、私の目の前にいるロイは、明らかに小説の彼とは違うものを求めている。
「僕に波風を立てさせたくないなら、蔑ろにされて黙っていてはいけませんよ? メルティア」
「どういう脅しなのよ!?」
「あなたはどういうわけかヴェラを気に入ったようですが、彼女を僕から守りたいのであれば、あのまま増長させてはいけません」
「あなたたち、幼馴染みでしょう!?」
「だからこそ余計に腹立たしい」
苦み走った顔で、彼は歯をぎりりと食いしばった。
「メルティアならどう思います? 幼馴染みがあなたの権威に甘え、〝僕〟を愚弄したとしたら」
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