好きになれない

木原あざみ

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好きになれない3

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「なんか、かわいそうになっちゃって」

 と、真木は言った。どういう関係の人だったんですかと、悩んだ末に尋ねた日和に。
 昔の話だよ、とも言い置いて。深くなりきる前の夜が、静かに見下ろしている。ゆっくりとした足取りで少し前を歩く真木の横顔もまた静かだった。歩くことが好きなんだよね。いつだったか、そうも言っていた。
 聞いたときは信じられないと思ったが、今はわからなくはないと思っている。静かな空気がゆっくりと流れているのが、好きだ。隣にこの人がいる前提があってこそかもしれないけれど、それでも好きになった。

 最近、いつも二人で抜けるじゃないですか。たまには最後まで付き合ってくださいよ。そう言い募る愛実から逃げ切って、日和は一次会で外に出た。明日も早いからと早々に場を脱していた真木のあとを追った、というほうが正しかったのだろうけれど。

 ――でも、待っていて、くれたし。

 店の外に、その姿があって、ほっとした。日和の行動を見透かした上で仕方なく、だったのかもしれないけれど、構わなかった。

「日和が気にするような話じゃないんだけど、本当に。でも、まぁ、気になるよな、ああいう場面に出くわすと」
「……はぁ」

 だから仕方ないと言わんばかりだった。

「あの情緒不安定そうな先生は、簡単に言えば、高校の同級生で部活仲間。感情が高ぶりやすい割には気が弱くて、それを隠すために悪ぶるっていう。いただろ、学年に一人や二人。そういうタイプ」
「はぁ、まぁ、いたかもしれないですけど」
「夕方にも言ったけど、一人で悶々と考えているうちに爆発しちゃったんじゃないかな。でも、まぁ、もう来ないと思うよ」

 あまりにも淡々とした調子に、日和は「嫌いじゃないんですか」と口走ってしまっていた。嫌いというか、腹が立つというか。そんなふうには思わないのだろうか。
 その問いに、真木がかすかに首を傾げた。それから合点がいったのか、笑う。

「あまり誰かを嫌いだと思わないんだよね、俺。まぁいいかで済ませちゃうというか。怒るエネルギーがもったいないというか。こんな仕事してるくせに、人に興味がないんだろうね、結局」
「そんなことは、ないと思いますけど」
「いや。あるんだと思うよ。昔から、俺、こんな感じだし。なんというか、何事にもこだわりがあまりないというか。周囲から浮いてるとまでは言わないけど、進んで迎合するタイプでもなかったから」

 今の真木のイメージとは少し違う。あるいは、日和の思う「今の彼」が、仕事にあわせて無理をしていたのだろうか。

 ――いや、でも、そんなこともないか。

 真木は、真木だ。

「だから、俺のことを気に喰わないと思うやつがいても、仕方がないかなと思ってたんだけど」
「それが、さっきの人なんですか?」
「まぁ、そうだな。そのうちの一人だった。言ったことあったかな、俺、高校のときはバスケ部だったんだけど」

 自慢じゃないけど、それなりに巧かったから、と真木が言う。感傷の類のない事実を伝える声で。
 巧いって言っても、経験年数が長かったから、それに伴って、っていうレベルだったんだけど。まぁ、そんなこと言っても、入って来たばかりの一年にスタメン獲られたらいい気はしなかっただろうし。

「俺もね、愛想を良くするなり、上に気に入られるように立ち回ったら良かったんだけど。それも性に合わなくて。と言っても、部内全体でどうのこうのってわけではなかったし、べつにいいかなと思ってた」
「俺だったら、絶対、無理です。そんな空間」
「はは、まぁ、日和は体育会系と無縁そうだから、そうかもね。でも、中途半端な強豪だと、そういうところも多いんじゃないかな。体罰とか、いじめとかね。ないところもあるだろうけど」

 嵌められたのかなとも、俺たち後輩は言ってたんだけど。どっちにしろ、あの人、あっさり辞めちゃったから。
 水原が言っていた言葉が回る。あっさり。いとも簡単に話しているけれど。だからと言って、本当に「あっさり」だったはずがないのに。

「それで、――そんな中でも、俺に懐いてた変わり種もいて。一つ年下のやつで、ミニバスのころから一緒で、中学も同じだったから。後輩というよりは、幼馴染みみたいなものだったんだけど」

 ほんのわずか、声に郷愁が交じる。

「そいつが入学して、俺らも二年になって。部活の空気もまたちょっと変わって」
「いじめがなくなった?」
「そうだな、表立っては。ベンチメンバーに入れなかった一部からの当たりはきつかったけど。そのくらい」

 そのくらい、か。俺だったら十分に嫌だなと日和は思った。体育会系は恐ろしい。

「そいつはね、すごくバスケが巧くて。バスケ馬鹿っていうのかな。とにかくバスケが好きなやつだった。あっというまにスタメンになって、あれよあれよと地区大会も勝ち進んじゃってね。創部以来初の全国大会出場。田舎だったから、大騒ぎで」

 気に喰わなかったんだろうね。同じフレーズを真木が繰り返した。どう反応すべきかわからなくなって日和は俯いた。自分で聞いたことなのに。
 気が付けば、真木の家の前だった。日和に確認せず階段を上っていく後姿に許されていることを確認して、日和も足を踏み出した。かつん、かつん、と。コンクリートに音が跳ねる。ぼんやりとした薄明りの中に、声は響かない。

 ――聞いても、いいのかな。

 心の中で思い悩む。聞きたくないわけはない。けれど、聞いたところでなにをできるわけでもない。本当は話したくなかったかもしれない。ただ、日和があの場に姿を出してしまったから。当事者の責任として、話してくれているだけかもしれない。

 ――でも。

 言い訳を断ち切って決める。知りたいし、聞きたい。この人の、心に触れたい。だから、どんな理由であれ、話してもらえるのなら、真摯に受け取りたい。そう、思った。
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