好きになれない

木原あざみ

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好きになれない2

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 あと、もう少しかな。
 恵麻たちの小テストの採点を終えて、日和は三人にプリントを返す。正解率は平均して八割五分。ケアレスミスがなければ九割は超えていただろうが、それも現時点での実力だ。どちらにせよ、新たなことをやるだけの時間はない。勉強部屋の時計は、六時四十五分を指していた。
 間違い箇所を直している恵麻たちも、終わりの時間が近づいてきていることはわかっているらしく、ペンを動かすスピードは速い。
 真木が声をかけにくるのと、どちらが早いだろうか。見守っていると、がらりと襖が開いた。

「あ、まきちゃん」
「もうそろそろ帰る時間になるぞ。終わったか?」

 和室内を万遍なく見渡しているようで、その瞳は生徒たちしか見ていない。

「あと、もうちょっと! もうちょっとで終わるから、ちょっと待って!」
「わかった、わかった。紺は? 終わった?」

 その問いかけに頷いた紺は、筆記用具を鞄に片付け始めている。恵麻がまもなく終了。雪はあと二問。二人とも十分もかからずに終わるだろう。急かさないように配慮しながら、日和もそっと机の上を片付け始める。
 様子を見守っていた真木が、大丈夫と判断したのか踵を返す。襖を閉める手前で、日和とようやく視線が合った。

「ごめん、日和。今日も、恵麻たち送りながら帰ってくれる?」
「わかりました」

 いつもどおり。一点の曇りもないスタッフ同士の会話だった。かすかに目を伏せて微笑んだ日和に、ありがとう、と真木も応じて、そして今度こそ襖が閉まる。
 まだ仕事があるらしい真木に、生徒たちと挨拶をしてつぼみを出る。外は暗く、分厚いコートが恋しくなる季節の到来を予言していた。

「いいの? 最近のぴよちゃん、つぼみに残ってないけど」
「もう暗くなってきたからね。夜は危ないから」

 答えになっていないことを返して、日和はゆっくりと自転車を押した。今日の勉強会に最後まで参加していたのは、恵麻と雪人。それから紺の中学三年生の三人だけだ。雪人をまず送って、それから恵麻。最後に紺を駅まで送り届ける。紺の背が改札に消えたのを見送って、日和はそのまま自転車を押して自宅アパートを目指した。なんとなく、乗って漕ごうという気分にはなれなかった。
 もう十一月だ。
 あの告白をしてから、二ヵ月近い時間が流れている。案外、なんとかなるものだな。日和は自身に言い聞かせるように呟いた。案外、なんとかなるものだ。
 あの日。あの、台風の夜。好きかもしれないと告げた日和に、真木はただ「そうか」と言った。断るでも応じるでもない、ただの受容だった。どう応じたらいいのかわからなくなったのは日和のほうだった。そんな日和の指先からするりと腕を抜いて、真木は続けた。

「日和が今のままがいいなら、聞かなかったことにする」

 その声は、生徒たちに向けるものと遜色のない、淡々とした、けれど優しい声だった。

 ――違う。どこが優しいんだよ。

 なけなしの勇気を振り絞って、「好き」だと言ったのに、聞かなかったことにするときた。おまけに「日和がいいなら」だ。

 ――結局、あの人にとって、俺の告白なんて、生徒の告白と変わらないんだろうな。

 いや、それよりも格段に扱いは下かもしれない。例えば、――有り得ないだろうけれど、もし恵麻が言ったとすれば、もっともっと誠実に対応したのではないだろうか。まずはその気持ちを受け取って、それから断って。つまり、自分の告白は子どもの告白にすら勝てないレベルのものだったのだ。
 それでも、嫌になれなかった。その事実が、よりいっそう応えてもらえなかったにも関わらず、自分の恋心が本物だったと伝えてくるようで。
 なにも答えられなかった日和に、真木が続けたのは事務的な言葉だった。

 ――さっきの話に戻るみたいで、申し訳ないんだけど。

 ボランティアだから強制はできないけど、できれば続けて欲しい。それで、俺と一緒が困るんだったら、そこは配慮するから。
 正職員の間で担当の曜日を変えたらいい。それだけのことだ。そう言われたような気がして、日和は気が付けばはっきりと断っていた。ほんのわずか、驚いたように真木の視線が揺れる。

「大丈夫です」

 半ば以上、意地だった。

「そんな理由で、みんなに迷惑かけたくないから」

 そんな理由。少し前の必死だった自分が馬鹿みたいだとは思った。誠実に伝えたい。そうしたらきっと、拒絶されるにせよどうであれ、この人はしっかりと受け止めてくれるはずだ。そう思っていた自分が馬鹿みたいだった。

「そうか」

 先ほどと全く同じ調子で、真木が了承した。そしてふっと視線を逸らして、言う。

「本当に真面目だよな、日和は」

 何度も、何度も言われた言葉だった。その度に、胸の中のどこかが暖かくなるようで嬉しかった。褒められるのが嬉しくて。そのために頑張っている小さな子どものような自分を自覚してもいた。

 ――でも、これは、違う。

 冷たいなにかが走り抜けていく。真木の口から、そんな当てこすりのような台詞を聞くとは思わなかった。
 言わなければよかった。
 心底、そう思った。言わなければ、よかった。

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