好きになれない

木原あざみ

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好きになれない2

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 雪人と晴日を送り届けてつぼみに戻ってくるころには、雨脚はかなり強くなっていた。真木に借りていた鍵で開錠して、玄関先で水滴を弾く。
 真木が送ると言っていた少女二人のほうが、家までの距離は遠い。

 ――大丈夫かな、真木さん。

 日和が学生のボランティアだから、楽なほうを回してくれたのだろうが、それはそれとして。心配だと感じるのは、別の問題だ。

 ――まぁ、真木さんからしたら、俺のほうがよっぽど心配なんだろうけど。

 せめて早く帰れるように、真木が戻る前にブログと日誌くらいは書き終えてしまおうと、日和はスタッフルームに足を向けた。

 台風が近付いている影響で、雨風もきつくなってきました。なので、今日はいつもより少し早めに解散になりました。危ないので、お家でゆっくり過ごしてください。

 ブログを下書きの状態で保存したところで、がらりと玄関の戸が開く音がした。窓を叩く雨音は、自分が帰ってきたときよりも更に強くなっている。

「大丈夫でした……って、うわ」

 顔を出した先で、全身濡れ鼠の真木が玄関でシャツの裾を思い切り絞っていた。

「うわ、って。ぶっ壊れたんだよ、傘」
「あのいつ壊れるかわからなかったビニール傘ですか、もしかして。仕方ないと思いますよ、そうなっても」

 誰のものか分からない状態でつぼみの傘立てに放置され続けていたそれだ。この強風の最中、なにもそれを選ばなくてもよかったのではないかと傘立てに視線を送ったところで、日和は納得した。華奢な花柄モチーフの傘が残されていたからだ。初美のものだ。そういえば、出掛けにこんな強風じゃ傘の骨が折れちゃいそうだと渋っていた。
 仕方ない。溜息を呑んで笑う。

「タオル持ってきますね」

 九月も下旬。まだ三十度を超える日もあるが、今日は肌寒いほどだ。風邪でも引きかねないと、踵を返す。洗面所の脇の棚からタオルを引っ張り出そうとして、なぜかはじめてここを訪れた日を思い出した。
 あの日は、あきくんがこの廊下から飛び出してきたんだっけ。
 緊張しながら自転車を押して、つぼみでこの人に出逢った。

 ――って言っても、まだ半年も経ってないんだよな。

 そして、次の半年が経てば、自分はここからいなくなる。

「日和? 場所、わかんない?」
「あ、すみません。大丈夫です、ありました」

 我に返って、日和は籠の中からタオルを引っ張り出した。玄関に戻って差し出す。
 框がある分、いつもより低いところに頭がある。濡れた前髪の隙間から見上げてくる瞳にドキリとして、また視線を反らしてしまった。

 ――駄目だ。晴日くんのこと、笑えねぇ、俺。

 どんな思春期だ。おまけに晴日と違い、二十歳を超えているのだから大問題だ。

「日和、さぁ」

 わしゃわしゃとタオルで髪を拭っていた真木におもむろに声をかけられて焦る。もしかして、バレただろうか。いや、そんな、まさか。

「最近、どうかした?」
「どうかって、え……と。あの」

 声がドモリ気味なのはいつものことにしても、いつも以上に視線が泳いでいる気がしてならない。
 だって、この半年弱の間、何度、真木に心の内を読まれたかわかったものではないのだ。おまけに、と日和は思う。

 ――もう、思春期でもなんでもいいけど。なんか、アレなんだって。濡れた髪とか肌とか服とか。なんか、とにかくエロく見えるんだって。

「どうもしない、ですけど。……なんか、変ですか。俺」

 言えるわけもないあれやらこれを呑み込んで答えた日和を、推し量るように真木の瞳がじっと見上げてくる。
 凛音の言うところの「まきちゃんは嘘は吐かない」は、もしかすると「この人を前にして嘘を吐けない」という意だったのかもしれない。

「うん。変か変じゃないかっていうと、変」

 そこは「ならいいけど」と流してくれるのが優しさじゃないのだろうか。

 ――でも、真木さんだもんな。そうだよな。

 流すくらいなら、聞いて来なかったはずだ。そうかと言って、どう答えればいいのかわからない。というか、その答えが出ないから、真木が言う「ちょっと変」な状態に陥っているのだ。

「キャンプが終わったあたりから、眼も合わなくなったし」
「はぁ」
「そのくせ、もの言いたげに見てくるし。距離を測りかねているというか、なんというか」

 そこまでわかっていたら、日和の挙動不審の理由の答えは、真木の中で出ているのではないだろうか。もしかして、俺の口から言えっていう最終通告なのかな。思い当たった現状に倒れそうになった日和を他所に、真木の口調は淡々としている。上司としての確認に過ぎないのだと言外に教えられているみたいで、日和は小さく唇を噛んだ。

 ――でも、それは、そうだよな。

 この人が言うことは、なにも間違っていない。この人が大事にしている場所を、俺の感情で裏切るようなことをしていいはずがない。

 たとえ、今、生徒たちが気付いていなかったとしても、いつか日和の不自然さに気付くかもしれない。それは、駄目だ。日和だってわかる。

「だから。その、なんだ」

 日和が口を開くよりも先に、真木が続けた。頭を覆うタオルの陰で、顔は見えない。

「もし、俺と一緒に入るのが嫌だとか気持ち悪いとかあったら、言ってくれたらいいし」
「……え?」
「日和は真面目だから、悩むのかもしれないけど。別にその、……なんて言ったらいいかな。受け入れられないものはあって当たり前だと思うんだよね。個人的には、なんでもかんでも平等に受け入れられるべきだ、みたいな観念に縛られている社会って、ちょっと病的だと思うし」

 話の展開に、全く頭が追い付かない。いつもなら日和のペースに自然と合わせてくれるはずの真木は、タオルを被ったまま日和の横をすり抜けていく。木目の廊下に水滴が滴る。

「優海さんもそんなこと気にしないし、適当な理由を付けて俺と優海さんが来る曜日を代わったらいいだけの話だし」
「え、っと、……」
「まぁ、訪問事業の予定もあるから、すぐってわけにはいかないけど、できるだけ早く代われるように動くから――」
「ちょ、ちょっと待って、真木さん」

 どんどんと勝手に進んでいく話に、日和はその腕を掴んでいた。冷たい。やっと合ったと思った瞳は、なにを考えているのかわからない色をしていた。そんなことをこの人に思ったのははじめてで、自分でも制御できない感情が走る。

「俺、そんなこと思ってない」

 けれど、口にできたのは、そんな言葉だけだった。

「俺が変だったのは認めるけど、でも、それは、真木さんが言うような、そんなのじゃなくて」

 そんな、寂しいことじゃなくて。
 言いかけたそれに、日和ははっとした。そうか。悲しいんだ、と思った。こんなに、いい人なのに。こんなに、みんなから好かれていて、俺も好きなのに。
 自分のことを、そんなふうに下に置いて考えているのが、嫌なんだ。この人は、過分を求めない。キャンプの折に感じたことが過った。そのときも悲しいと思ったことも。

「じゃあ、なに」

 胡乱な声だった。けれど、真木は日和の手を振り払おうとはしなかった。俺は。言うべきなのか、言うべきでないのか。判断の付かない言葉がぐるぐると頭の中を巡っている。
 でも、今、嘘を吐きたくない。吐いた言葉を嘘だと思われたくない。戸を打つ雨の音が、二人きりの廊下に響いていた。

「俺も、自分でもよくわからないけど」

 からからに喉が渇いているみたいに、声が出てこない。それでも、必死に絞り出した。誠実でいたいと切実に思っていた。願っていた。格好の良い言葉もなにもでない。それでも、言いたかった。

「俺、男の人が好きだなんて思ったことなかったし、今まで告白されて付き合ったのも全部、女の人ばっかりだったけど」

 まとまりのない言葉が次々に生まれて、肝心な言葉が出てこない。

「でも、なんか、すごく駄目で」
「駄目って」

 困惑を隠し切れていない声に、頭が更に真っ白になった。駄目だ。伝わっていない。でも、なにをどう言うべきなんだろう。自分ですら、よくわかっていない感情を。

「駄目というか、いや、駄目じゃないんですけど。だから、俺もよくわかってなくて」

 言い訳のように、同じ言葉を繰り返していることにも気付いていたけれど、止められなかった。

「でも、気になって、目が行って」

 気が付けば、いつも探していた。ここに来るのが楽しかった要因の一つは、間違いなくこの人の存在だった。失望されてしまいそうで、さすがに言えないけれど。でも。視線が足元に落ちる。廊下に広がる水滴が小さな水たまりを形成し始めていた。早く終わらせないといけない。小さく息を吐いて視線を上げる。変わらず自分を見つめている瞳からは、なんの感情も読み取れなかった。

「だから、俺、……好きなのかもしれない」

 風が、戸を叩いていた。雨を打ち付ける激しい音。それでも、とうとう口から出たそれが、消えてなくなることはなかった。

「俺、真木さんのことが好きになったのかもしれない」

 声は不安に揺れていた。掴んだままの腕が最後の繋がりのように思えて、離すことは終ぞできなかった。雨の音と風の音。指先から滴る水滴。見上げてくる瞳に映り込む自分の顔は、不安や緊張や、そういったものが全く繕えていないみっともないものだった。その瞳がふっと和らぐ。好きだと思った。かもしれない、なんてものじゃない。好きなのだと思い知った。
 雨が降っていた。
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