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光あるところ(5)
しおりを挟む「あのさ、師匠。ずっと一緒にいたいっていう話のことなんだけど」
ろくでもない本音というものは、酒か性交に酔っているときに漏らすに限る。そうして、大人であるのなら、素面に戻ったタイミングで聞かなかったことにすべきだろう。
少なくともエリアスはそう思っているのだが、ハルトはどうも違ったらしい。目覚めた瞬間に浴びせられたそれに、黙ったままハルトを凝視する。いったいいつから起きていたのやら、ハルトの目はいたくはっきりとしていた。つまり、考えた末のこれ。考えた末で昨夜のみっともないエリアスの発言をなかったことにする気がない。
素面で聞きたくない話だなと思ったものの、遮らない程度の情緒はあった。それに、まぁ、現時点でなかったことにはしたいけれど、言葉にしたあの瞬間、満ち足りた心地になったことは揺るぎのない事実だったので。
「師匠が心配な気持ちもわからなくはないからさ。この国の法律にふたりで誓おう」
「……つまり?」
どうにか問い返すと、ハルトが立ち上がった。なにをするのかと思いきや、机の引き出しをごそごそとやり始めている。物入れ以外の用途で使用しているところはほとんど見たことはないものの、引っ越すときに買ったハルトのものである。
横着をして下半身しか衣服を纏っていないので、冬の朝だというのに背中が丸見えで、つまるところ、数時間前に自分がつけた爪のあとも丸見えだった。居た堪れない。次の日が休みだからと言って箍を外すことはよくないな。何度目になるのかわからない反省をしているあいだに、ハルトがベッドに戻ってきた。
「ハルト?」
だがしかし。なぜか布団に入り込むことなく正座をするので、エリアスもしかたなく身を起こした。神妙な様子を不審がっていると、ハルトが一枚の紙をあいだに置いた。
「結婚しよう」
ハルトの顔を見、紙面に視線を落とす。ハルトの言うとおりと言うべきか、たしかにそれは婚姻を契る際に宮廷に提出する届出であった。
「このあいだ、たまたまビルモスさまと出会ってさ。最近はどうだって聞かれたから、やっぱり結婚はしたいんだよねって答えたら、誓約書取りに行くの着いてきてくれた」
「……」
自分の知らぬところで後見人兼上司と恋人のあいだで自分の人生に関わる話が進んでいる。とんでもない事実に物を申したくなったものの、エリアスはひとまず続きを待った。
なんというか、いろいろと絆されてしまっている上に、突っ込みどころは多々あれど、嫌だと思うことはどうしたところでできそうになかったので。
「それで、この承認紋? っていうやつも書いてくれるって。証人みたいなやつなのかな? 俺の国でも結婚届出すときに証人欄っていうのがあって」
「待て」
と、思っていたものの、さすがにそれは聞き捨てならない。エリアスは話を遮った。
ハルトの国で言うところの証人が正確にどういったものであるのかは承知しない。だが、たぶん、ハルトは承認紋のことをまったく理解していない。その証拠にきょとんとした顔をしている。
「なに? どうかした?」
「ビルモスに約束をしたのか? 承認紋を貰うと」
そのきょとんとした顔を見つめ、エリアスは繰り返した。
「そうだけど……」
応じる顔は、やはりまったくわかっていない。エリアスはひとつ息を吐いた。
承認紋という制度がある。公的な書類に承認紋を施す下級の魔術師がいるのだ。彼らより階級が上の人間であれば、当然、紋を代わりに押すこともできる。
彼らが行う婚姻の認証に、大きな制約は生まれない。だが、ビルモスとなれば。
「違った場合、最悪死ぬぞ」
「え」
正しく絶句したハルトの反応に、溜息を呑み、銀糸を搔きやった。ついでにもう片方を伸ばし、真っ白の誓約書を手にする。おまけに婚姻を誓う片側が自分である。ハルトからすればもはや呪いに近い代物だ。
とは言え、ビルモスに断れば済む話ではある。そう告げようとしたタイミングで、ハルトが誓約書をひょいと奪い取った。まだなにも記されていないそれを一瞥し、エリアスに向かってにこりとほほえむ。
「まぁ、でも、いいか。よく考えたら結婚ってそういうものだよね」
「……命まで賭けるものではないだろう」
「いや、でも、ほら、死がふたりを分かつまで、とか言わないっけ。聞いたことある。俺の国の話かもしれないけど。こっちも似たようなもんなんじゃないの? 違ったら死ぬレベルなわけだし」
あまりにもあっけらかんというので、さすがに少しエリアスはたじろいだ。たしかに。たしかに、昨夜、うっかりと、今までずっと溜め込んでいた執心をぶちまけたのは自分である。ずっと一緒にいるとも言った。その言葉に嘘偽りはないし、ハルトに否定されなかったことに安堵を覚えたことも事実だ。だが、それはそれとして、いささか思いきりが良すぎやしないだろうか。
「いや、ビルモスでなければそこまでの効力が発揮されることはない。浮気心が疼いたときに後ろ髪を引っ張られる程度のものだ。念のために言っておくが、正式な手順に則れば別れることも当然可能で――」
「師匠」
今度言葉を遮ったのはハルトのほうだった。言い訳がましくさえあった台詞が途切れる。ハルトがエリアスの手を取った。
「結婚してくれますか」
まっすぐに自分を見つめる、だが、緊張を孕んだ瞳。自分のために魔王を倒したのだという元勇者。愛おしんだ束の間の養い子。天真爛漫で人あたりが良く、他人の機微に聡すぎるほど聡い。思いきりだって、不安になるほど昔から良い子どもだった。なにせ、戸惑いながらもあれほど重かった勇者としての使命を受け入れたくらいだ。そうして、一度固めた決意を覆さぬことも、エリアスは知っている。そうして。そうして、勇者の帰りを待つことしかできなかったあのころと違い、今のエリアスはハルトとともに生きていくこと許され、乞われているらしい。
そんなもの、答えはイエスしかないだろう。覚悟を決め、エリアスは口を開いた。
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