20 / 28
親愛と深愛 (1)
しおりを挟む
――だが、命を懸けた行動を、自分の意志ではないように言われたら、腹も立つか。
煙草から立ち上る紫煙を見つめたまま、エリアスは小さく息を吐いた。その音がやたらと大きく居間に響いた気がして、首を傾げる。
なんというか、太陽のような男だからな。もはや、そう思うほか道はなかった。
またひとつ、エリアスは溜息を吐く。ハルトが騎士団の寮に入ると言って出て行ってから、約十日。森の家は静かなままで、ハルトが帰る気配はないままだった。
だが、元を正せば、自分の勧めた選択である。ほとんど吸わないままに短くなった煙草をエリアスは灰皿に押しつけた。窓から差し込む光が、気づけば随分と色濃くなっている。
騎士団の勤務もそろそろ終わるころか。ごく自然とハルトの顔が浮かんだところで、二回家のドアが鳴った。ドアを開けたエリアスは、立っていた人物を見とめ、軽く目を瞠った。
「……アルドリック」
「なんだ。誰だと思ったんだ?」
苦笑まじりの顔を向けられ、いや、と頭を振る。そうだ。もともとこの家にはアルドリックと魔術師殿の使いくらいしか現れなかったというのに。
この数ヶ月で、すっかりと日常は覆ってしまった。「行ってきます」と家を出て、必ず「ただいま」と帰ってくるハルトの笑顔が過ったのだから笑えない。エリアスはどうにからしい言葉を継いだ。
「この家を尋ねてくる奇特な人間は少ないと知っているだろう。おまえか魔術師殿の新入りくらいだ」
「おまえの家に行くことが通過儀礼になっているとの噂も聞くぞ。なんでも、おまえが才能がないと判断をすればビルモス魔術師長に連絡が行くだとか、なんだとか」
「俺にそんな権限があると思う意味がわからん。そもそも、宮廷の試験に受かっている時点で一級であるべきではないのか」
「そう言ってやるな。それだけおまえの名前を知る人間が残っているということだ。ビルモスさまもあいかわらずだな」
「騎士団は変わらず忙しくしているのか」
指摘には応じず、エリアスは騎士団に話を変えた。連絡がないのは無事の証拠とわかっていても、どうにも気になったのだ。
「ああ。俺は今日の午前まで外に出向いていてな。騎士団に戻ってきて、そこからこちらに来た。勇者殿はまだ騎士団にいるのではないか?」
「そうか」
ハルトのことを聞いたわけではないと弁明をするのは、さすがに無理がある。頷くことを選んだエリアスに、アルドリックはいつもの顔で笑った。
「ほら、土産だ。うまい酒と聞いたんでついな。帰ったら勇者殿にも呑ませてやってくれ。あの子は見た目の割に酒が強いな。うちの酒豪と良い勝負だぞ」
見ていて気持ちが良い、と言いながら、アルドリックが椅子を引く。酒を入れずに話をしたいとの意を汲み、受け取った瓶をキッチン台に置くと、エリアスも向かいの椅子に腰をかけた。
そういえば、アルドリックと顔を合わせるのはあの日以来だ。いまさらながら思い至ったものの、アルドリックは変わりのないままだった。先ほどの続きというていで世間話を振る。
「勇者殿は元気にしているぞ。筋が良くできているし、素直で協調性もある。おまえが心配するまでもなく、すっかり騎士団に馴染んでいる」
「そうか」
「まぁ、おまえのことを気にしている様子ではあったが。いったいなにを嗅ぎつけたのか、俺が訪ねるとわかったようでな。騎士団を出る前に、師匠によろしくと釘を刺されたよ」
なぜ、それを釘だと思うのだ、だとか。そもそもとして、ハルトによろしくと言われる道理はない、だとか。さまざまな文句が浮かんだものの、言葉になることはなかった。
黙り込んだエリアスとは逆に、アルドリックは愉快そうに肩をすくめた。
「なにせ勇者殿だ。恐ろしくて敵に回すこともできないな」
「アルドリック」
「なぁ、エリアス」
返ってきた声は思いのほか穏やかで、アルドリックを見上げる。
「まだ楽隠居に飽きは来ないか?」
それはやはり穏やかな問いだった。即答することは躊躇され、黙ってアルドリックを見つめる。そのエリアスをまっすぐに見返し、アルドリックは続けた。
「俺はおまえのような人間こそ、中央に残るべきだと思っている」
「なぜだ」
「青臭い理想論かもしれないが、心があるからだ」
心がある。まったくもって自分に似合わない言葉だった。エリアスは笑ったが、アルドリックは真面目な顔を崩さなかった。「それに」と淡々と説得を重ねる。
「これは俺の憶測だが、ビルモスさまも望んでいらっしゃるのではないか」
「……」
「だから、おまえに仕事を頼み、宮廷との縁を切れないようにされているのだろう。おまえのあとに入った新人とも縁を繋いでいる」
「仮にそうだとしても、ビルモスにとって俺の利用価値があるあいだだけのことだと思うが」
「なら、まだ、おまえに、ビルモスさまにとっての利用価値はあるということだ。それを利用して戻ることできるというのであれば、問題はなにもない」
ざっくばらんと言い切ったアルドリックだったが、ふっと表情をゆるめた。どこかからかうように。
「それとも、ビルモスさまに本心でかわいがられ、打算なく重宝されたいと願っているのか。そうだとすれば、おまえもなかなかに青いところがある」
そんなことはない、と反射で言い返そうとした言葉を留め、エリアスは息を吐いた。あまり認めたいことではないが、そういった願望がまったくなかったと言えば嘘になる。だが、すべて昔のことなのだ。頑なな部分が顔を出すことはあっても、それだけのこと。
煙草から立ち上る紫煙を見つめたまま、エリアスは小さく息を吐いた。その音がやたらと大きく居間に響いた気がして、首を傾げる。
なんというか、太陽のような男だからな。もはや、そう思うほか道はなかった。
またひとつ、エリアスは溜息を吐く。ハルトが騎士団の寮に入ると言って出て行ってから、約十日。森の家は静かなままで、ハルトが帰る気配はないままだった。
だが、元を正せば、自分の勧めた選択である。ほとんど吸わないままに短くなった煙草をエリアスは灰皿に押しつけた。窓から差し込む光が、気づけば随分と色濃くなっている。
騎士団の勤務もそろそろ終わるころか。ごく自然とハルトの顔が浮かんだところで、二回家のドアが鳴った。ドアを開けたエリアスは、立っていた人物を見とめ、軽く目を瞠った。
「……アルドリック」
「なんだ。誰だと思ったんだ?」
苦笑まじりの顔を向けられ、いや、と頭を振る。そうだ。もともとこの家にはアルドリックと魔術師殿の使いくらいしか現れなかったというのに。
この数ヶ月で、すっかりと日常は覆ってしまった。「行ってきます」と家を出て、必ず「ただいま」と帰ってくるハルトの笑顔が過ったのだから笑えない。エリアスはどうにからしい言葉を継いだ。
「この家を尋ねてくる奇特な人間は少ないと知っているだろう。おまえか魔術師殿の新入りくらいだ」
「おまえの家に行くことが通過儀礼になっているとの噂も聞くぞ。なんでも、おまえが才能がないと判断をすればビルモス魔術師長に連絡が行くだとか、なんだとか」
「俺にそんな権限があると思う意味がわからん。そもそも、宮廷の試験に受かっている時点で一級であるべきではないのか」
「そう言ってやるな。それだけおまえの名前を知る人間が残っているということだ。ビルモスさまもあいかわらずだな」
「騎士団は変わらず忙しくしているのか」
指摘には応じず、エリアスは騎士団に話を変えた。連絡がないのは無事の証拠とわかっていても、どうにも気になったのだ。
「ああ。俺は今日の午前まで外に出向いていてな。騎士団に戻ってきて、そこからこちらに来た。勇者殿はまだ騎士団にいるのではないか?」
「そうか」
ハルトのことを聞いたわけではないと弁明をするのは、さすがに無理がある。頷くことを選んだエリアスに、アルドリックはいつもの顔で笑った。
「ほら、土産だ。うまい酒と聞いたんでついな。帰ったら勇者殿にも呑ませてやってくれ。あの子は見た目の割に酒が強いな。うちの酒豪と良い勝負だぞ」
見ていて気持ちが良い、と言いながら、アルドリックが椅子を引く。酒を入れずに話をしたいとの意を汲み、受け取った瓶をキッチン台に置くと、エリアスも向かいの椅子に腰をかけた。
そういえば、アルドリックと顔を合わせるのはあの日以来だ。いまさらながら思い至ったものの、アルドリックは変わりのないままだった。先ほどの続きというていで世間話を振る。
「勇者殿は元気にしているぞ。筋が良くできているし、素直で協調性もある。おまえが心配するまでもなく、すっかり騎士団に馴染んでいる」
「そうか」
「まぁ、おまえのことを気にしている様子ではあったが。いったいなにを嗅ぎつけたのか、俺が訪ねるとわかったようでな。騎士団を出る前に、師匠によろしくと釘を刺されたよ」
なぜ、それを釘だと思うのだ、だとか。そもそもとして、ハルトによろしくと言われる道理はない、だとか。さまざまな文句が浮かんだものの、言葉になることはなかった。
黙り込んだエリアスとは逆に、アルドリックは愉快そうに肩をすくめた。
「なにせ勇者殿だ。恐ろしくて敵に回すこともできないな」
「アルドリック」
「なぁ、エリアス」
返ってきた声は思いのほか穏やかで、アルドリックを見上げる。
「まだ楽隠居に飽きは来ないか?」
それはやはり穏やかな問いだった。即答することは躊躇され、黙ってアルドリックを見つめる。そのエリアスをまっすぐに見返し、アルドリックは続けた。
「俺はおまえのような人間こそ、中央に残るべきだと思っている」
「なぜだ」
「青臭い理想論かもしれないが、心があるからだ」
心がある。まったくもって自分に似合わない言葉だった。エリアスは笑ったが、アルドリックは真面目な顔を崩さなかった。「それに」と淡々と説得を重ねる。
「これは俺の憶測だが、ビルモスさまも望んでいらっしゃるのではないか」
「……」
「だから、おまえに仕事を頼み、宮廷との縁を切れないようにされているのだろう。おまえのあとに入った新人とも縁を繋いでいる」
「仮にそうだとしても、ビルモスにとって俺の利用価値があるあいだだけのことだと思うが」
「なら、まだ、おまえに、ビルモスさまにとっての利用価値はあるということだ。それを利用して戻ることできるというのであれば、問題はなにもない」
ざっくばらんと言い切ったアルドリックだったが、ふっと表情をゆるめた。どこかからかうように。
「それとも、ビルモスさまに本心でかわいがられ、打算なく重宝されたいと願っているのか。そうだとすれば、おまえもなかなかに青いところがある」
そんなことはない、と反射で言い返そうとした言葉を留め、エリアスは息を吐いた。あまり認めたいことではないが、そういった願望がまったくなかったと言えば嘘になる。だが、すべて昔のことなのだ。頑なな部分が顔を出すことはあっても、それだけのこと。
23
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。

30歳まで独身だったので男と結婚することになった
あかべこ
BL
4年前、酒の席で学生時代からの友人のオリヴァーと「30歳まで独身だったら結婚するか?」と持ちかけた冒険者のエドウィン。そして4年後のオリヴァーの誕生日、エドウィンはその約束の履行を求められてしまう。
キラキラしくて頭いいイケメン貴族×ちょっと薄暗い過去持ち平凡冒険者、の予定
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる