出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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新たなる日々(3)

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「それはそうなんだけどさ」

 エリアスの感想が想定の斜め上だったのか、ハルトの眉が困ったふうに下がる。話の腰を下りたかったわけではないのだが、さてどうしたものか。ひっそりと悩んでいたものの、ハルトが話をまとめるほうが早かった。

「まぁ、とにかく。話の結末はさておいて、地獄みたいな環境にいるときの一筋の救い、みたいな意味があるの、蜘蛛の糸には」
「そういうものか」
「そういうものなんだよ。少なくとも、俺のところの解釈では」

 もちろん、解釈もいろいろあると思うけど。俺にとってはそのまま救いの糸って感じで、と穏やかな声が説明を紡いでいく。なぜか御伽噺に似ていると思った。聞いたことなど、ほとんどないというのに。

「それで、俺にとっての蜘蛛の糸はこれ」
「これ?」
「師匠の髪。それに、ほら。すごくきれいだし」

 ハルトはにこにことほほえんでいる。なんとも言えない気分で、エリアスは溜息を呑み込んだ。
 本当に、意味のわからないことを言う。だが、指摘をしたところで、理解不能の理屈を掲げるに決まっているのだ。それだけはわかったので、冗談めかした後半部分のみを拾うことにした。

「腐っても魔術師だからな」
「そう言われると、ビルモスさまもきれいだよね、髪。魔力は髪に溜まるんだっけ。そんな話を聞いた気がするな」
「そう言われている。おまえもビルモスから組紐を貰ったろう。あれもそうだ」

 ビルモスの余計なお節介としか言いようのない授けもの。グラスを手に取り、エリアスは苦笑まじりに語った。

「まぁ、あいつは魔力も術式も桁違いだが。ほかの魔術師が自分の髪を織り込んで編んだとしても、同じ効果は見込めないだろうな」

 とは言え、世界を渡るほどの効力を発揮するとは、当人も想定していなかったらしいが。エリアスの報告を受けたときに、ビルモスが明かしたことだ。さすがに驚いたよ、などと笑って。それと、もうひとつ。

 ――特別な勇者殿の願いごとだから、想定した限界値を軽々と超えたのかもしれないね、か。

「ビルモスさまってすごい人なんだね」
「そうだな」

 感嘆する調子に、エリアスは目を伏せた。飛び抜けて優れた魔術師であることは事実である。

「そうでなければ、あの若さで魔術師殿を掌握しないだろう」
「尊敬してるんだ」
「尊敬か」

 あいかわらずの素直な表現だった。首をひねったエリアスの反応に、ハルトは不思議そうに問い重ねる。

「違うの? 師匠は昔からビルモスさまを一番に信頼してるように見えたし、だから、今もビルモスさまのお願いを聞いてるんだと思ってた」

 そこに話が戻るのか。黙ったまま、アイスティーを飲む。
 アイスと表現するには、いささか温い温度。ハルトいわく、ハルトの世界には冷たい飲み物を冷たいままにしておくことのできる装置があるらしい。まったく便利な世界で、だから、そちらに戻ればいいだろうに。

「違うの?」

 もう一度問われ、エリアスはしかたなく口を開いた。

「ビルモスは恩人なんだ」
「恩人?」
「わかりやすい言葉で言えばな。孤児院にいた俺の魔術の才を見出し、魔術学院に入るための推薦状を用意してくれた。あいつが才能を保証したから、魔術学院に入ることができたんだ。あいつがいなければ、今の俺はない」
「……そうだったんだ」

 知らなかった、とハルトが呟く。自分の過去を悼む空気に、エリアスは笑った。

「気にするな。たいした話ではない」

 あの当時、それなりに孤児は多かった。魔王が誕生する数年前から、魔獣の生息地に近いところでは被害が増え始めるとされている。エリアスの家族はそこで死に、残った自分は王都の孤児院で育てられた。よくある話で、ビルモスがいた自分は幸運だったのだ。

「だが、……だから、か。多少の無理は聞くことにしている。気にかけてもらっていることもわかっているからな」
「そっか」

 しんみりと相槌を打ったハルトだったが、すぐに笑みを浮かべ直した。

「ビルモスさまはいい人だね」
「そうだな」

 今回ばかりは、否定しまい。苦笑ひとつでエリアスは認めた。向こうにどういった思惑があろうとも、一時期の自分にとっての救いであったことは事実である。

「最後に、もうひとつだけ聞いてもいい?」
「なんだ」

 最後もなにも、質問ばかりだろう。少し呆れたものの、静かに問い返す。知ったかぶりを選ぶことのないハルトの素直さは、好ましい部分のひとつだ。

「師匠は、魔術の研究は好きじゃないの? あのころは早起きして勉強してたし、夜も遅くまで本を読んだりしてたよね」

 だが、その質問の答えをすぐに出すことはできなかった。

「師匠?」

 窺う声に、「そうだな」と言葉を転がす。
 好きでなかったわけではない。自分を養う手段であったが、やりがいも感じていた。努力が収入に直結することも気に入っていたし、生活に余裕が出ると、自分の得た知識を還元したいと思うこともできるようになった。
 それだけの恩は感じていたからだ。親のいない自分に衣食住を与えた孤児院にも、後見人として知識と職を与えたビルモスにも、自分を一端の魔術師と認めた国にも。
 だが、なにも関係のない子どもの人生をめちゃくちゃにするために、研鑽を積んだわけではない。

「そのころはそうだったとしても、今はそうではない。それだけのことだったということだろう」
「そっか」

 納得しているのか、いないのか。いまひとつ読むことのできない調子で応じたハルトが、空になったグラスをふたつ持って立ち上がった。そろそろ寝る時間なのだ。
 朝の早いハルトの生活リズムは健康で、ともに暮らすうちに、エリアスの生活リズムも変化した。昼過ぎに起き出し「今が朝だ」と嘯いた日々は、過去のものになっている。

「ねぇ、師匠」
「なんだ?」
「俺はさ。味がはっきりしてるほうが好きなんだけど、やっぱりちょっと甘すぎた? もしそうなら次は甘さを控えようと思って」

 台所で片づけをしながら問われたそれに、エリアスは笑みをこぼした。そんなこと、べつに気にしなくともいいだろうに。

「飲めない甘さじゃない。おまえの好きな分量で作ればいい」
「そうは言うけどさぁ。俺は師匠に好きって言ってもらえるものを作りたいの」
「なぜ」
「なぜって……」

 答えに窮したようにハルトは黙り込んだ。カチャカチャと食器を洗う音が響く。窓から入り込む風が夜よりも暗いハルトの後ろ髪を揺らしていた。そうだなぁ、と静かな声が落ちる。

「たぶんだけど。昔の師匠が、俺の望むものを俺に食べさせたいって思ってくれた気持ちと同じなんじゃないかな」

 虚を突かれた気分で、エリアスは目を瞠った。夏の虫の声がする。

「そうか」

 淡々と応じ、ハルトの背中から目を逸らす。外した視界に留まったのは、近々宮廷に持参する予定の封筒であった。

 ――一度、ビルモスに聞いてみるべきなのだろうな。

 ふらりとやってきたというていを、ハルトは崩さない。だが、同じようにふらりと帰ることのできる保証はどこにもないのだ。
 まったく、なにが蜘蛛の糸だ。過った銀色の髪を耳にかけ、エリアスは溜息を呑んだ。うつむいたまま、じっと封筒を見つめる。
 ハルトがこちらに戻ってきて、早数ヶ月。
 王はもとより、宮廷も、国民も、元勇者の帰還を歓迎している。ハルトも騎士団に入り、楽しそうに日々を過ごしている。ハルトのことだ。すっかりと騎士団に馴染んでいるのだろう。この家にすっかり馴染んでしまったこと同じように。
 あのころのように「元の世界に戻りたい」とも言わず、するりするりとハルトはこちら側に染まっていく。ビルモスやアルドリックは素直に喜べばいいと笑うかもしれない。だが、その現実を目の当たりにするたび、エリアスの中の途方もない罪悪感が疼くことがある。
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