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新たなる日々(2)
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夏が近づき、また少し太陽の出る時間が長くなったころ。夕飯の席で新人の話題が多く出るようになった。
正確に言えば、入団試験に受かったばかりの若者たちのことで、本配属は夏の盛りの時期になるのだが、はじめての後輩がかわいくてしかたがないらしい。ハルトが嬉々として話すので、エリアスまで名前を覚えてしまった。
――それにしても、後輩か。
エリアスにとっての騎士団の最年少は、いつもハルトだった。今は違うと承知していても、イメージを払拭することはできていなかったので、後輩という単語が新鮮に響く。
本当に、あっというまに時間は流れていくな。少し前にしたせんない会話を思い返しつつ、文末に署名を入れる。ビルモスに頼まれた作業も、これで一段落だ。
正面から控えめな声がかかったのは、エリアスが小さく息を吐いたタイミングだった。
「あのさ、師匠。いまさらだとは思うんだけど、俺が使ってる部屋って、師匠が研究するときに使ってた部屋だったんじゃない?」
机に置いたランタンに照らされた顔は、真面目と不安が入り混じっている。
ペンを置き、エリアスは小さく笑った。居間のテーブルを連日占拠していることが気になったのだろうとわかったからだ。
ハルトの言うとおり、たしかに以前はその部屋を使っていた。だが。
「いまさらご大層な部屋は必要ない。ここで十分だから、気にするな」
「でも、師匠、よくビルモスさまの頼まれごと引き受けてるよね。俺がこっちに戻ってきてからだけでも、結構」
納得のいっていないハルトの視線が、エリアスの手元に動く。
「それもさ、先週ギャロンさんが持ってきたやつでしょ? 同じ家に帰るんだから、宮廷で俺に渡してくれてもいいのに、みんなしっかりここまで持ってくるよね」
よく名前まで覚えているものだな。素直に感心しつつ、まとめた書類を封筒に入れる。
面倒だが、近日中に宮廷に赴かねばならない。そうなると、ハルトがまた「一緒に行こう」と言い出しそうだ。あの距離を往復してけろりとしているハルトの体力には、本当に目を瞠る。そんなことを考えながら、エリアスは苦笑を返した。
「さすがに魔術師殿のものをおまえに持ち運びはさせないだろう」
「危ないってこと?」
「危なくはないが。口頭で伝える事項もあるからな」
そこで信用がないのかと確認しないあたり、平和にできている。
「ああ、なるほど」
自分に持ち運びをさせない理由については、納得したらしい。こちらが封をしたことを見とめると、うきうきと問いかけてくる。
「終わったんでしょ? なんか飲む? 最近ずっと夜もやってたもんね」
「おまえが作っていたアイスティーか?」
「そう、そう。けっこうおいしくできたと思うんだよね。桃を大量に入れたのがよかった気がする」
飲むと言ったつもりはなかったが、ハルトの中では決定事項になっていたようだ。いそいそと準備をする背中がかわいかったので、水を差す発言は控えて挙動を眺める。
エリアスが居間で作業をしていたせいか、この数日。居座る理由を捻出するように、ハルトも台所で実験――料理とは言いたくない惨状が目立っていた――に勤しんでいたのだ。
アイスティーはほぼ唯一と言っていい、まともな成功例である。失敗したものもきちんと腹に入れていたので、文句はないのだが。
どうぞ、と手渡されたグラスに口をつけ、エリアスは苦笑をこぼした。
「甘いな」
「甘いのがいいんじゃん。脳みそ使ったあとって、甘いもの欲しくならない?」
したり顔で琥珀色の液体を揺らしていたハルトが、窓から入り込む夜風に目を細めた。ハルトの黒い髪を、かすかに温い夜が揺らしていく。
「気持ちの良い暑さだね」
「そうか?」
エリアスは、四つ変わる季節の中で夏が一番苦手だ。だが、ハルトからすると、このくらいの暑さは「気持ちの良いもの」であるらしい。
――夏だけはこちらのほうが過ごしやすいと、そういえば、昔も言っていたな。
「おまえの国はもっと暑いのだったか」
「うん」
暑かったなぁ、という呟きが、ふたりのあいだの夜に溶ける。
「夏が近づくとさ、クーラー……冷たい風が出る機械なんだけど、がないと過ごせないくらい暑くて。俺の親が子どもだったころはもうちょっと涼しかったらしいんだけど、年々暑くなってるんだって。きっと今ごろ、ヤバいくらい暑いんじゃないかな」
帰りたいのか、そうでないのか。言葉から感情を読み取ることはできなかった。純粋に故郷を懐かしんだだけなのかもしれない。
黙ったまま、エリアスはもう一口を喉に流し込んだ。口に含んだ瞬間は甘いものの、喉越しはさっぱりとしている。熱いハーブティーを好むエリアスには慣れない味だが、慣れたらおいしいのかもしれない。
……いや、まぁ、べつに、まずいわけではないが。
単純に慣れない味というだけの話だ。成功したと喜んでいる子どもに余計なことを言うつもりもない。中身の残ったグラスをテーブルに置き、うしろで束ねていた髪を解く。ぐしゃりと雑に掻き上げたところで、エリアスはハルトに視線を向けた。
「なんだ?」
視線を感じた気がしたのだが、ハルトは目を逸らさなかった。じっとエリアスの髪を見つめたまま、言う。
「なんか、蜘蛛の糸みたいだなって」
「蜘蛛の糸?」
「あ、えっと、悪口じゃないよ。俺のいた国で、こういう話があるんだよ。死んだあとに地獄に送られた男が、天から落ちてきた蜘蛛の糸に救いを見出してしがみつくってやつ」
「その男は助かるのか?」
「ううん。助からない」
「助からないのか」
「えっと、もうちょっと詳しく言うと、地獄に落ちた男は、当然というか、生前に悪いことをしたから地獄行きになってるんだけど、気まぐれに蜘蛛を助けたことがあったんだって。その蜘蛛が天国に行けるように糸を垂らしたんだけど」
天国とか地獄は、この国の解釈とちょっと違うかもしれないけど、でも、たぶん似たようなものだよ、とあいかわらずの雑な注釈を挟み、でも、とハルトが話を続ける。
「糸を伝って天国に上ろうとしてる最中に、地獄にいたほかの人が真似て糸を掴んだんだよ。当然、細い糸は切れそうになる。男は焦って追いすがるほかの人間を蹴落とそうとする。それを天国から見ていたお釈迦様が、やっぱり悪人は悪人だって見捨てて糸を切っちゃって、男は地獄に逆戻り」
またよくわからない名称が出てきたな、と思いながらも、エリアスは抱いた感想をそのまま言葉にした。
「酷い話だな。自分の命の瀬戸際であれば、悪人であれ、善人であれ、自分を優先するだろうに」
悪人の中に勝手に善性を見出し、その善性が勘違いと気づいた途端に手のひらを返す。さすがに悪人が気の毒だ。
正確に言えば、入団試験に受かったばかりの若者たちのことで、本配属は夏の盛りの時期になるのだが、はじめての後輩がかわいくてしかたがないらしい。ハルトが嬉々として話すので、エリアスまで名前を覚えてしまった。
――それにしても、後輩か。
エリアスにとっての騎士団の最年少は、いつもハルトだった。今は違うと承知していても、イメージを払拭することはできていなかったので、後輩という単語が新鮮に響く。
本当に、あっというまに時間は流れていくな。少し前にしたせんない会話を思い返しつつ、文末に署名を入れる。ビルモスに頼まれた作業も、これで一段落だ。
正面から控えめな声がかかったのは、エリアスが小さく息を吐いたタイミングだった。
「あのさ、師匠。いまさらだとは思うんだけど、俺が使ってる部屋って、師匠が研究するときに使ってた部屋だったんじゃない?」
机に置いたランタンに照らされた顔は、真面目と不安が入り混じっている。
ペンを置き、エリアスは小さく笑った。居間のテーブルを連日占拠していることが気になったのだろうとわかったからだ。
ハルトの言うとおり、たしかに以前はその部屋を使っていた。だが。
「いまさらご大層な部屋は必要ない。ここで十分だから、気にするな」
「でも、師匠、よくビルモスさまの頼まれごと引き受けてるよね。俺がこっちに戻ってきてからだけでも、結構」
納得のいっていないハルトの視線が、エリアスの手元に動く。
「それもさ、先週ギャロンさんが持ってきたやつでしょ? 同じ家に帰るんだから、宮廷で俺に渡してくれてもいいのに、みんなしっかりここまで持ってくるよね」
よく名前まで覚えているものだな。素直に感心しつつ、まとめた書類を封筒に入れる。
面倒だが、近日中に宮廷に赴かねばならない。そうなると、ハルトがまた「一緒に行こう」と言い出しそうだ。あの距離を往復してけろりとしているハルトの体力には、本当に目を瞠る。そんなことを考えながら、エリアスは苦笑を返した。
「さすがに魔術師殿のものをおまえに持ち運びはさせないだろう」
「危ないってこと?」
「危なくはないが。口頭で伝える事項もあるからな」
そこで信用がないのかと確認しないあたり、平和にできている。
「ああ、なるほど」
自分に持ち運びをさせない理由については、納得したらしい。こちらが封をしたことを見とめると、うきうきと問いかけてくる。
「終わったんでしょ? なんか飲む? 最近ずっと夜もやってたもんね」
「おまえが作っていたアイスティーか?」
「そう、そう。けっこうおいしくできたと思うんだよね。桃を大量に入れたのがよかった気がする」
飲むと言ったつもりはなかったが、ハルトの中では決定事項になっていたようだ。いそいそと準備をする背中がかわいかったので、水を差す発言は控えて挙動を眺める。
エリアスが居間で作業をしていたせいか、この数日。居座る理由を捻出するように、ハルトも台所で実験――料理とは言いたくない惨状が目立っていた――に勤しんでいたのだ。
アイスティーはほぼ唯一と言っていい、まともな成功例である。失敗したものもきちんと腹に入れていたので、文句はないのだが。
どうぞ、と手渡されたグラスに口をつけ、エリアスは苦笑をこぼした。
「甘いな」
「甘いのがいいんじゃん。脳みそ使ったあとって、甘いもの欲しくならない?」
したり顔で琥珀色の液体を揺らしていたハルトが、窓から入り込む夜風に目を細めた。ハルトの黒い髪を、かすかに温い夜が揺らしていく。
「気持ちの良い暑さだね」
「そうか?」
エリアスは、四つ変わる季節の中で夏が一番苦手だ。だが、ハルトからすると、このくらいの暑さは「気持ちの良いもの」であるらしい。
――夏だけはこちらのほうが過ごしやすいと、そういえば、昔も言っていたな。
「おまえの国はもっと暑いのだったか」
「うん」
暑かったなぁ、という呟きが、ふたりのあいだの夜に溶ける。
「夏が近づくとさ、クーラー……冷たい風が出る機械なんだけど、がないと過ごせないくらい暑くて。俺の親が子どもだったころはもうちょっと涼しかったらしいんだけど、年々暑くなってるんだって。きっと今ごろ、ヤバいくらい暑いんじゃないかな」
帰りたいのか、そうでないのか。言葉から感情を読み取ることはできなかった。純粋に故郷を懐かしんだだけなのかもしれない。
黙ったまま、エリアスはもう一口を喉に流し込んだ。口に含んだ瞬間は甘いものの、喉越しはさっぱりとしている。熱いハーブティーを好むエリアスには慣れない味だが、慣れたらおいしいのかもしれない。
……いや、まぁ、べつに、まずいわけではないが。
単純に慣れない味というだけの話だ。成功したと喜んでいる子どもに余計なことを言うつもりもない。中身の残ったグラスをテーブルに置き、うしろで束ねていた髪を解く。ぐしゃりと雑に掻き上げたところで、エリアスはハルトに視線を向けた。
「なんだ?」
視線を感じた気がしたのだが、ハルトは目を逸らさなかった。じっとエリアスの髪を見つめたまま、言う。
「なんか、蜘蛛の糸みたいだなって」
「蜘蛛の糸?」
「あ、えっと、悪口じゃないよ。俺のいた国で、こういう話があるんだよ。死んだあとに地獄に送られた男が、天から落ちてきた蜘蛛の糸に救いを見出してしがみつくってやつ」
「その男は助かるのか?」
「ううん。助からない」
「助からないのか」
「えっと、もうちょっと詳しく言うと、地獄に落ちた男は、当然というか、生前に悪いことをしたから地獄行きになってるんだけど、気まぐれに蜘蛛を助けたことがあったんだって。その蜘蛛が天国に行けるように糸を垂らしたんだけど」
天国とか地獄は、この国の解釈とちょっと違うかもしれないけど、でも、たぶん似たようなものだよ、とあいかわらずの雑な注釈を挟み、でも、とハルトが話を続ける。
「糸を伝って天国に上ろうとしてる最中に、地獄にいたほかの人が真似て糸を掴んだんだよ。当然、細い糸は切れそうになる。男は焦って追いすがるほかの人間を蹴落とそうとする。それを天国から見ていたお釈迦様が、やっぱり悪人は悪人だって見捨てて糸を切っちゃって、男は地獄に逆戻り」
またよくわからない名称が出てきたな、と思いながらも、エリアスは抱いた感想をそのまま言葉にした。
「酷い話だな。自分の命の瀬戸際であれば、悪人であれ、善人であれ、自分を優先するだろうに」
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