出戻り勇者の求婚

木原あざみ

文字の大きさ
上 下
13 / 28

新たなる日々(2)

しおりを挟む
 夏が近づき、また少し太陽の出る時間が長くなったころ。夕飯の席で新人の話題が多く出るようになった。
 正確に言えば、入団試験に受かったばかりの若者たちのことで、本配属は夏の盛りの時期になるのだが、はじめての後輩がかわいくてしかたがないらしい。ハルトが嬉々として話すので、エリアスまで名前を覚えてしまった。

 ――それにしても、後輩か。

 エリアスにとっての騎士団の最年少は、いつもハルトだった。今は違うと承知していても、イメージを払拭することはできていなかったので、後輩という単語が新鮮に響く。
 本当に、あっというまに時間は流れていくな。少し前にしたせんない会話を思い返しつつ、文末に署名を入れる。ビルモスに頼まれた作業も、これで一段落だ。
 正面から控えめな声がかかったのは、エリアスが小さく息を吐いたタイミングだった。

「あのさ、師匠。いまさらだとは思うんだけど、俺が使ってる部屋って、師匠が研究するときに使ってた部屋だったんじゃない?」

 机に置いたランタンに照らされた顔は、真面目と不安が入り混じっている。
 ペンを置き、エリアスは小さく笑った。居間のテーブルを連日占拠していることが気になったのだろうとわかったからだ。
 ハルトの言うとおり、たしかに以前はその部屋を使っていた。だが。

「いまさらご大層な部屋は必要ない。ここで十分だから、気にするな」
「でも、師匠、よくビルモスさまの頼まれごと引き受けてるよね。俺がこっちに戻ってきてからだけでも、結構」

 納得のいっていないハルトの視線が、エリアスの手元に動く。

「それもさ、先週ギャロンさんが持ってきたやつでしょ? 同じ家に帰るんだから、宮廷で俺に渡してくれてもいいのに、みんなしっかりここまで持ってくるよね」

 よく名前まで覚えているものだな。素直に感心しつつ、まとめた書類を封筒に入れる。
 面倒だが、近日中に宮廷に赴かねばならない。そうなると、ハルトがまた「一緒に行こう」と言い出しそうだ。あの距離を往復してけろりとしているハルトの体力には、本当に目を瞠る。そんなことを考えながら、エリアスは苦笑を返した。

「さすがに魔術師殿のものをおまえに持ち運びはさせないだろう」
「危ないってこと?」
「危なくはないが。口頭で伝える事項もあるからな」

 そこで信用がないのかと確認しないあたり、平和にできている。

「ああ、なるほど」

 自分に持ち運びをさせない理由については、納得したらしい。こちらが封をしたことを見とめると、うきうきと問いかけてくる。

「終わったんでしょ? なんか飲む? 最近ずっと夜もやってたもんね」
「おまえが作っていたアイスティーか?」
「そう、そう。けっこうおいしくできたと思うんだよね。桃を大量に入れたのがよかった気がする」

 飲むと言ったつもりはなかったが、ハルトの中では決定事項になっていたようだ。いそいそと準備をする背中がかわいかったので、水を差す発言は控えて挙動を眺める。
 エリアスが居間で作業をしていたせいか、この数日。居座る理由を捻出するように、ハルトも台所で実験――料理とは言いたくない惨状が目立っていた――に勤しんでいたのだ。
 アイスティーはほぼ唯一と言っていい、まともな成功例である。失敗したものもきちんと腹に入れていたので、文句はないのだが。
 どうぞ、と手渡されたグラスに口をつけ、エリアスは苦笑をこぼした。

「甘いな」
「甘いのがいいんじゃん。脳みそ使ったあとって、甘いもの欲しくならない?」

 したり顔で琥珀色の液体を揺らしていたハルトが、窓から入り込む夜風に目を細めた。ハルトの黒い髪を、かすかに温い夜が揺らしていく。

「気持ちの良い暑さだね」
「そうか?」

 エリアスは、四つ変わる季節の中で夏が一番苦手だ。だが、ハルトからすると、このくらいの暑さは「気持ちの良いもの」であるらしい。

 ――夏だけはこちらのほうが過ごしやすいと、そういえば、昔も言っていたな。

「おまえの国はもっと暑いのだったか」
「うん」

 暑かったなぁ、という呟きが、ふたりのあいだの夜に溶ける。

「夏が近づくとさ、クーラー……冷たい風が出る機械なんだけど、がないと過ごせないくらい暑くて。俺の親が子どもだったころはもうちょっと涼しかったらしいんだけど、年々暑くなってるんだって。きっと今ごろ、ヤバいくらい暑いんじゃないかな」

 帰りたいのか、そうでないのか。言葉から感情を読み取ることはできなかった。純粋に故郷を懐かしんだだけなのかもしれない。
 黙ったまま、エリアスはもう一口を喉に流し込んだ。口に含んだ瞬間は甘いものの、喉越しはさっぱりとしている。熱いハーブティーを好むエリアスには慣れない味だが、慣れたらおいしいのかもしれない。

 ……いや、まぁ、べつに、まずいわけではないが。

 単純に慣れない味というだけの話だ。成功したと喜んでいる子どもに余計なことを言うつもりもない。中身の残ったグラスをテーブルに置き、うしろで束ねていた髪を解く。ぐしゃりと雑に掻き上げたところで、エリアスはハルトに視線を向けた。

「なんだ?」

 視線を感じた気がしたのだが、ハルトは目を逸らさなかった。じっとエリアスの髪を見つめたまま、言う。

「なんか、蜘蛛の糸みたいだなって」
「蜘蛛の糸?」
「あ、えっと、悪口じゃないよ。俺のいた国で、こういう話があるんだよ。死んだあとに地獄に送られた男が、天から落ちてきた蜘蛛の糸に救いを見出してしがみつくってやつ」
「その男は助かるのか?」
「ううん。助からない」
「助からないのか」
「えっと、もうちょっと詳しく言うと、地獄に落ちた男は、当然というか、生前に悪いことをしたから地獄行きになってるんだけど、気まぐれに蜘蛛を助けたことがあったんだって。その蜘蛛が天国に行けるように糸を垂らしたんだけど」

 天国とか地獄は、この国の解釈とちょっと違うかもしれないけど、でも、たぶん似たようなものだよ、とあいかわらずの雑な注釈を挟み、でも、とハルトが話を続ける。

「糸を伝って天国に上ろうとしてる最中に、地獄にいたほかの人が真似て糸を掴んだんだよ。当然、細い糸は切れそうになる。男は焦って追いすがるほかの人間を蹴落とそうとする。それを天国から見ていたお釈迦様が、やっぱり悪人は悪人だって見捨てて糸を切っちゃって、男は地獄に逆戻り」

 またよくわからない名称が出てきたな、と思いながらも、エリアスは抱いた感想をそのまま言葉にした。

「酷い話だな。自分の命の瀬戸際であれば、悪人であれ、善人であれ、自分を優先するだろうに」

 悪人の中に勝手に善性を見出し、その善性が勘違いと気づいた途端に手のひらを返す。さすがに悪人が気の毒だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 時々おまけのお話を更新しています。

処理中です...