出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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森の家の魔術師(1)

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 そういったわけで始まった共同生活は、予想以上につつがないものだった。
 ハルトが生活をする空間は、半ば物置と化していた部屋の片づけで解決を得、寝具や当面の衣服を買うための資金も、「この国で生活をするのなら」と。改めて報奨金を支給されたことで解決を得た。
 入用なものを買ってやるつもりでいたエリアスとのあいだでちょっとした諍いはあったものの、たいした問題ではない。勝手に居候を決め込んでおいて、いまさらな遠慮をする神経がわからない、と。内心で少し呆れたくらいのものである。
 ついでに言えば、こんな田舎でなにをして過ごすつもりなのかという懸念も、「じいちゃんの家が農家でさ、土いじり好きなんだよね」との発言で解決を得ている。今日も今日とてハルトは土いじりの真っ最中だ。
 ひょっとしなくとも、田舎の生活を選んだ理由はこれだったのではなかろうか。
 そんなことを考えつつ、居間の丸テーブルで本を読んでいると、滅多と鳴らないドアがトントンとふたつ鳴った。
 森の家の客人は、変わり者の宮廷騎士か宮廷魔術師の新人に二分されている。鳴らし方で前者と判別したエリアスは、本を置いて立ち上がった。

「よう、エリアス。ひさしぶりだな」
「アルドリック」

 実直な顔に浮かんだ愛嬌のある笑みを迎え入れ、そっと表情をゆるめる。十日ほど前、ハルトと騎士団を訪れた折は遠征で不在とのことだったが、無事に戻ったらしい。

「遠征だったんだろう? いつ戻ってきたんだ」
「お、なんだ。知っていたのか。今朝方な」

 戻ったばかりなのだと明かしたアルドリックから食材の入った袋を受け取る。気を遣わなくていいと何度言っても手土産をやめないので、ありがたく頂戴するだけになってしまった。ふもとの村で買ったのだろうが、金のない引き篭もりと思っている可能性がある。
 騎士団に所属し好き勝手にしている三男坊とは言え、アルドリックは貴族の出だ。そんな男から見ると、慎ましいを通り越した生活であるのかもしれないが。
 通い慣れた気安さでくつろぎ始めたアルドリックを一瞥し、受け取った食材を確認する。牛の塊肉に、赤ワイン。あとは裏の畑では採れない野菜と果物が少々。

 ――それにしても、本当に大概変わり者だな。

 癖のある赤茶色の髪と人好きのする雰囲気を持つアルドリックは、長身の美丈夫だ。
 王都で酒を呑むなり、女を抱くなり。好きに疲れを晴らせばいいだろうに、なぜかいつも森に来てエリアスの料理を食べたがるのだ。
 とは言え、だ。今回も来てしまっているのだから、しかたがない。温かいお茶を出してやることにして、取り出した果物も切って皿に添える。疲れているだろうと思ったからだ。
 そのまま向かいの椅子を引き、ぽろぽろと遠征の話を聞く。南の国境沿いでの魔獣退治だったとの説明をあらかた聞き終えたところで、エリアスはとうとう口を挟んだ。

「それはご苦労だったが、アルドリック。おまえ、早々にこちらに来ただろう。まさかとは思うが、騎士団に顔は出しているだろうな」
「出したに決まっているだろう。まぁ、……酒の場は遠慮をしてきたが」

 文字通り顔を出しただけに違いない。アルドリックは心外という顔を隠さなかったが、エリアスはそう判じた。勇者ハルトの話題がいっさい出ないことが良い証拠である。

 ――あいかわらずというか、なんというか。

 人のことを言えた義理はないと承知していても、この男の人づきあいが心配になる瞬間があるのだが、今が正にそうだった。エリアスよりふたつ年上で、社交性もある。だが、しかし。人の好き嫌いがものすごくはっきりとしているのだ。優先順位があからさまと言ってもいい。

「まぁ、いいが」

 言及したところで、笑い飛ばすだけに違いない。エリアスはさっさと話題を切り替えた。

「それで、今日はなにがいいんだ?」

 夕食の話である。遠征明けに顔を出したとき、アルドリックはたいてい泊まっていく。馴染みの質問に、アルドリックは「そうだな」と腕を組んだ。

「エリアスの作るものはなんでもうまいが、ひさしぶりにあれが食べたい」
「あれ?」
「なんだったか。……そうだ、カレーだ。カレーがいい」
「カレーか」

 この国の料理ではない。ハルトの国の料理だ。切ったシトラスをひとつ摘まみ、エリアスは繰り返した。

「おまえのところでしか食べることはできないからな。勇者殿の故郷の味と言って、食堂でもやれば流行りそうな気もするが」
「それは、まぁ、師匠の作ってくれるごはんはおいしいけど。秘密にしたい気持ちもあるから食堂はちょっと複雑だな」
「勇者殿!? え? 勇者殿ですよね!?」

 突如として会話に乱入したハルトに、アルドリックは飛び上がらんばかりの反応を見せた。家に入ってきたことにまったく気づいていなかったらしい。
 騎士としてはどうなのだろう。やり手のエースのはずなのだが。疑問を覚えたエリアスだったが、ハルトは気に留めた様子もない。首にかけたタオルで汗を拭っている。

「食べるか?」
「あ、食べる。ありがとう」

 差し出した指ごとぱくりと口に入れたハルトが、アルドリックに視線を向け直した。べつにいいが、なんでこういう食べ方だけ雑なんだ。

「それにしても、あいかわらず良い反応しますね、アルドリックさん。勇者です。元ですが」
「いや、ちょっと待て。待ってください。あの、勇者殿は、五年前、ニホンという国に無事に帰られたのでは……。まさかビルモスさまの術式に間違いが」
「アルドリック」

 あの地獄耳に拾われたらえらいことになる。名前を呼んだエリアスに、アルドリックははっとした顔で頭上に目をやった。たしかに良い反応をする男ではある。

「さすがにこんなところまで根は張っていないと思うが」
「だ、だよな」
「だが、まぁ、宮廷にいるあいだは気をつけたほうがいいだろうな」
「……承知した」

 あの人、おっかないんだよ、とぼやいたアルドリックが、自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。座ったままハルトを見上げる横顔には、ありありとした驚愕がにじんでいる。

「お、大きくなられましたね、勇者殿」
「はぁ、まぁ。二十歳になりましたので。アルドリックさんも変わりなくお元気そうで」
「二十歳。……そうか、もう、そんな年なんですね」

 しみじみと唸ったアルドリックに、エリアスは端的に説明を追加した。混乱しているさまが明らかで気の毒になったのである。

「わけあって十日ほど前に戻ってきたんだ」
「わけあって? いや、どんなわけが」
「だが、今回は魔王が出ただとか、宮廷が呼んだだとか、そういった大仰な理由ではない」
「そうです。俺が戻ってきたかったので戻ってきました。よろしくお願いします」
「は? え?」
「当然、宮廷には報告済みだ。騎士団にも挨拶に行ったんだがな。おまえは、ほら、遠征でいなかったろう」
「いや、それはいなかったが」

 その、とエリアスに向かいアルドリックは声を潜めた。

「魔王が生まれる予兆があるだとか、そういう話ではないんだな」
「今のところは」

 誕生の周期は百年以上と言われているものの、なにごとにも例外はつきものだ。誤魔化さずに言おうとするならば、そう評するほかあるまい。

「今のところ。……まぁ、そうだ。そうだよな」

 うつむいたアルドリックは、おのれに言い聞かす調子で繰り返している。
 眉間に刻まれた深いしわは気の毒だったが、正直な反応に違いない。まったくビルモスは宮廷でどんな説明をしたのやら。
 ふぅっと長い息を吐き、アルドリックは顔を上げた。折り合いをつけたようで、ハルトに対する笑みは人あたりの良いものになっている。

「それで、勇者殿は今はなにを」
「今。畑を耕していましたが」
「畑を……」

 再びなんとも言えない顔になった友人が哀れになり、エリアスは言い添えた。言葉が足りないにもほどがある。

「すぐになにかをしなければならないということもないだろう。勇者としての報奨金も改めて支給されたばかりだ。今後のことはゆっくり考えればいい」
「……まぁ、それはそうだと思うが」
「そうだろう」

 もう一度はっきりと頷くと、取り成すようにアルドリックがハルトに笑いかける。

「勇者殿はまだまだなんでもできる年ですからね」
「そんな爺臭いこと言いますけど、アルドリックさんだってまだ二十代じゃないですか」
「いや、二十才の勇者殿とは違いますよ。なぁ」

 同意を求める呼びかけを苦笑で交わし、エリアスは立ち上がった。
 ハルトがなんでもできる年齢であることは事実だ。だからこそ、どこかのタイミングで「帰る」と言い出しても不思議はない。言葉にすると拗ねそうだから言わなかったものの、エリアスはそう思っていた。

「夜はカレーにしようと話していたんだが。ほかに食べたいものはあるか? アルドリックが塊肉を持ってきたんだ。余った分はシンプルに焼いてもいいが」
「塊肉? ありがとう、アルドリックさん。というか、師匠。まだカレーとか作ってたんだね」
「ひとりだと作らないが。食べたいと言われたら、まぁ」

 なにせ、かつて幾度となく作った料理である。ふぅん、とよくわからない調子で相槌を打ったハルトが、調理場に向かったエリアスを追いかけようとする。

「あ、師匠。俺、手伝うよ」
「構わない。アルドリックともひさしぶりだろう。ゆっくり話せばいい」

 アルドリックは、勇者としてハルトが滞在した二年間、ハルトの一番近くで護衛を務めていた男だ。当然、魔王退治にも同行している。
 生活の面倒を見ただけの自分より、よほど信頼し打ち解けている相手ではないだろうか。少しつっけんどんなハルトの口調も、親密さの裏返しに違いない。

「ええ、でも、いいの?」
「いいと言っているだろう。あいかわらず気を遣うやつだな」
「いや、まぁ、そういうわけでも、……いや、そういうわけなのかな」

 ぶつぶつとひとりごちつつ空いた椅子に座ったハルトを見届け、調理台の前に立つ。
 調理場と居間は同じ空間にあるので、耳を澄まさずともふたりの会話はよく届いた。和やかな近況報告を聞きながら具材を切り終え、戸棚からいくつかハーブを取り出す。
 決まった手順と分量でハーブやスパイスを混ぜていく過程は、薬剤の調合に通じるものがある。そのあたりが、自分が料理を面倒と感じない所以のひとつなのだろう。
 ハルトが以前、「カレーに合う」と力説していた平たいパンは手元にないが、まぁ、いいだろう。そう決めて、エリアスはぐるりと鍋の中身を掻き混ぜた。
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