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案件5.硝子の右手
20:お化けの学校3
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「子どもの声が聞こえましたか」
「子ども……。そうだったわ。小さな女の子の声が聞こえて。なんだかそれが懐かしくて、つい覗きに来ちゃったんだわ」
思い出したのが嬉しいのか、彼女の声が弾む。けれど、その声は耳を通して聞こえるというより、行平の内部に直に響いている感じがした。
「うちの子も女の子なのよ。可愛くて、可愛くて。残していくのはとても心配だったけれど、主人と二人で頑張るって言ってくれたから。だから安心していたのだけど」
弾んでいたはずの声が、次第に萎んでいく。崎野美沙子は、悲しげに眉を寄せた。
「見に行ったら際限が効かなくなるってわかっていたから、行かなかったのに。駄目ねぇ、私」
「あなたのせいじゃないですよ」
本心で慰めて、彼女にそっと手を伸ばす。
幽霊に触ることはできない、と。あたりまえに行平は思っていた。けれど、この瞬間、なぜか触ることができる気がしたのだ。
「呼ばれたから、気になってしまったんですよね。それも、あなたの子どもさんと同じ女の子だったから」
過たず、行平の右手が崎野美沙子の腕に触れる。たしかに肌に触れた感覚があって、不思議なはずなのに、不思議と思わなかった。
彼女の瞳が、一度大きく瞬いた。じっと行平を見下ろしている。
「あなたが来なければ、もっともっと怖いものが現れたかもしれない。そのことを、あなたは危惧されたんじゃないですか」
少女たちは無邪気に「こっくりさん」という名の降霊術を行っていた。どれほど危険な行為なのかも理解しないまま。
この件を知って、付け焼き刃ではあるものの、「こっくりさん」について多くを調べた。
「こっくりさん」を行うと、低級と称される動物霊が現れることがあるのだという。現れたとしても大半は無害だが、「狐憑き」と言われる症状が出ることもあるのだと。
彼女たちは、幸運だったのだ。呼び出した霊が崎野美沙子だったことは。
「そうね」
落ち着いた様子で、崎野美沙子が呟いた。そうして、言い聞かせる調子で繰り返す。
「そうだったのかもしれないわ」
「きっと、そうですよ」
静かな、けれど、力強い声で行平も応じた。その瞳を崎野美沙子がゆっくりと見つめ、口を開いた。
「でも、帰り方がわからなくなっちゃったの」
あんたなら。
呪殺屋は、そう言っていた。霊に共感し、慰めてやることができるのなら。在るべきところに返してやることもできるのかもしれない。
「崎野さん」
呼びかけたところで、行平は口を噤んだ。どうすればいいのかわからなくなったからだ。
慰める。共感する。それはできる。けれど、帰り方は、行平にもわからない。
――返してあげたいのに。
ぐっと唇を噛み締めた瞬間、すぐ近くで錫杖が鳴った。涼やかにリンと鳴るそれは、いつも行平を正しい場所に誘うのだ。
「呪殺屋」
隣に立った男を見上げる。表情のない白い顔は、ただ崎野美沙子を見ていた。
「大丈夫だ。そのままで。迷わなくていい」
その言葉に背を押されるかたちで、彼女に視線を戻す。
幽霊である彼女が、ずっとこの場にいることは、いいことではないのだ。
行きつくところは悪霊だと呪殺屋は言った。帰り方がわからないまま、ここに留まっていたら、彼女は遠くない未来そうなってしまうかもしれない。
悪霊になると、生前の人格を保つことは叶わない。未練や、憎悪。そういった負の感情でがんじがらめになって、人に害を成すようになってしまう。そうなったら、もう除霊するしかないんだ。
小学校に着くまでのあいだに、呪殺屋から、そう聞いた。
この優しい女性を、そんなものにしていいはずがない。
「子ども……。そうだったわ。小さな女の子の声が聞こえて。なんだかそれが懐かしくて、つい覗きに来ちゃったんだわ」
思い出したのが嬉しいのか、彼女の声が弾む。けれど、その声は耳を通して聞こえるというより、行平の内部に直に響いている感じがした。
「うちの子も女の子なのよ。可愛くて、可愛くて。残していくのはとても心配だったけれど、主人と二人で頑張るって言ってくれたから。だから安心していたのだけど」
弾んでいたはずの声が、次第に萎んでいく。崎野美沙子は、悲しげに眉を寄せた。
「見に行ったら際限が効かなくなるってわかっていたから、行かなかったのに。駄目ねぇ、私」
「あなたのせいじゃないですよ」
本心で慰めて、彼女にそっと手を伸ばす。
幽霊に触ることはできない、と。あたりまえに行平は思っていた。けれど、この瞬間、なぜか触ることができる気がしたのだ。
「呼ばれたから、気になってしまったんですよね。それも、あなたの子どもさんと同じ女の子だったから」
過たず、行平の右手が崎野美沙子の腕に触れる。たしかに肌に触れた感覚があって、不思議なはずなのに、不思議と思わなかった。
彼女の瞳が、一度大きく瞬いた。じっと行平を見下ろしている。
「あなたが来なければ、もっともっと怖いものが現れたかもしれない。そのことを、あなたは危惧されたんじゃないですか」
少女たちは無邪気に「こっくりさん」という名の降霊術を行っていた。どれほど危険な行為なのかも理解しないまま。
この件を知って、付け焼き刃ではあるものの、「こっくりさん」について多くを調べた。
「こっくりさん」を行うと、低級と称される動物霊が現れることがあるのだという。現れたとしても大半は無害だが、「狐憑き」と言われる症状が出ることもあるのだと。
彼女たちは、幸運だったのだ。呼び出した霊が崎野美沙子だったことは。
「そうね」
落ち着いた様子で、崎野美沙子が呟いた。そうして、言い聞かせる調子で繰り返す。
「そうだったのかもしれないわ」
「きっと、そうですよ」
静かな、けれど、力強い声で行平も応じた。その瞳を崎野美沙子がゆっくりと見つめ、口を開いた。
「でも、帰り方がわからなくなっちゃったの」
あんたなら。
呪殺屋は、そう言っていた。霊に共感し、慰めてやることができるのなら。在るべきところに返してやることもできるのかもしれない。
「崎野さん」
呼びかけたところで、行平は口を噤んだ。どうすればいいのかわからなくなったからだ。
慰める。共感する。それはできる。けれど、帰り方は、行平にもわからない。
――返してあげたいのに。
ぐっと唇を噛み締めた瞬間、すぐ近くで錫杖が鳴った。涼やかにリンと鳴るそれは、いつも行平を正しい場所に誘うのだ。
「呪殺屋」
隣に立った男を見上げる。表情のない白い顔は、ただ崎野美沙子を見ていた。
「大丈夫だ。そのままで。迷わなくていい」
その言葉に背を押されるかたちで、彼女に視線を戻す。
幽霊である彼女が、ずっとこの場にいることは、いいことではないのだ。
行きつくところは悪霊だと呪殺屋は言った。帰り方がわからないまま、ここに留まっていたら、彼女は遠くない未来そうなってしまうかもしれない。
悪霊になると、生前の人格を保つことは叶わない。未練や、憎悪。そういった負の感情でがんじがらめになって、人に害を成すようになってしまう。そうなったら、もう除霊するしかないんだ。
小学校に着くまでのあいだに、呪殺屋から、そう聞いた。
この優しい女性を、そんなものにしていいはずがない。
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