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案件5.硝子の右手

02:滝川『万』探偵事務所

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 滝川万探偵事務所が入る貸しビル「愚者の園」は、朝と夕の二回、郵便の配達がある。
 午後五時。一階に下りて集合ポストを確認した滝川行平は、複数枚の封筒を見つけてにんまりと口角を引き上げた。
 口さがない住人たちに見られた日には馬鹿にされること請け合いなのだが、大事な大事な生活の糧である。

 滝川万探偵事務所と改名して、早一ヶ月。そろそろ大口の依頼が欲しいところだ。願わくば今回の便りの中に混ざっていてほしい。
 足取り軽く事務所に戻った行平は、あたりまえの顔で来客用ソファに寝転がっているアルバイトと、その腹に乗っかっている犬を素通りして、所長机で景気良く封を切った。そして暗転

「またか。また、これか」

 封筒から舞った写真が、頭を抱えた行平の視線の先に過たず着地した。数人の男女が楽しそうに写っている、記念写真。
 その写真を摘まみ上げて、行平は吠えた。もう、なんというか、やってられない。はっきり言って、心境はその一言に尽きていた。

「たしかに。万にはしたよ。滝川万探偵事務所に改名したよ、たしかに! でもだからって、俺はオカルト事務所にしたわけじゃねぇぞ……」
「その文句、依頼人の前で言わなきゃ、なんの意味もないんじゃない?」

 応接ソファから飛んできた呆れを多分に含んだ声に、眦を上げる。

「郵送で来るんだから仕方ねぇだろうが! というか、なにが悲しくて心霊写真の鑑定ばっかり立て続けに十件もやらなきゃいけねぇんだ! 俺は坊主か!」
「もし滝川さんが坊主だったら、相当な生臭坊主だねぇ」

 のんびりとした応えに毒気を抜かれて、行平は摘まみ上げた写真を机上に戻した。送り主曰くの心霊写真である。
 キャンプ場で撮った写真なのですが、真ん中に写っている友人の背後に恐ろしい人の顔が云々かんぬん。
 おわかりいただけただろうかとの某心霊番組のナレーションが脳裏をかすめたが、残念なことかどうかはさておいて、行平に霊視はできないのだ。

「そういうことでもねぇよ。でも、だからって、送り届けられたものを放っとけねぇし、俺がこの一ヶ月で何回、寺のじいさんに世話になったと思ってるんだ」
「間違いなく、相当なオカルトマニアだと思われてるだろうねぇ」
「お祓いまでしてもらったんだぞ、お祓いまで、自費で!」
「それは請求したらいいんじゃないの。必要経費でしょ」
「呪殺屋、おまえな」

 さらりと打ち返されて、忌々しくソファに目を向ける。
 事務所を改名した時期と同じくして雇ったアルバイトが、いかにも大儀そうにソファから身を起こしたところだった。目が合うと、にこりとほほえむ。

「というか、滝川さんの右手で視たらよかったんじゃないの。なにもお寺に頼らなくても。ねぇ、犬?」

 抱き上げたパグに嫌味なことを話しかけている呪殺屋を一瞥して、行平は立ち上がった。まったくもって、腹が立つほどに顔だけは良い男だ。
 わざとらしい溜息をひとつ吐いて、相対するソファに腰を下ろす。

 ――というか、おまえが視たらいいだろうが。

 との文句は、どうにか呑み込む。以前、アルバイトの一環だとやらせようとしたときに、写真技術の講釈ばかりを小一時間垂れ流されて、懲りたからである。
 その点、駆け込み先の和尚は、本心はさておき、優しく行平の話を聞いてくれるので、胃に優しい。

「だから。俺がコントロールできる代物じゃねぇんだって。それに、これはそういうオカルトなものを見るわけじゃ」
「じゃあ、コントロールできるようになったらいいじゃない。努力して。滝川さん、基本がスポ根だから、好きでしょ。努力とか友情とか勝利とか、そういうの」

 努力。友情。呪殺屋にはどちらもまったく似合わない響きであった。
 腹が立つほどに顔は良いが、胡散臭い生き物。それが行平にとっての呪殺屋の評価のすべてである。

「でかいヤマがほしい」
「なに一昔前の刑事ドラマみたいなこと言ってるの。いいじゃない、管理人のほうの収入でこれからも食べていけば。ねぇ、犬?」

 また嫌味なことをやっている。苦虫を噛んだ行平の耳に、細い声が届いたのは、そんな逢魔が時だった。

「あのぅ」

 入口を振り返った行平の目に飛び込んだのは、ひとりの女性だった。大人しそうな雰囲気の、三十代前半といった年恰好。仕事帰りに立ち寄ったのか、大きな鞄を肩からぶら下げている。

「こちらは、滝川万探偵事務所様でよろしかったでしょうか」

 その問いかけに、女性と行平の狭間にいた呪殺屋が、彼女には見えない位置でそっとほくそ笑んだ。

「言霊って怖いでしょう」

 唇の動きで告げられた台詞を無視して、精いっぱいの笑顔で立ち上がる。
 言霊は、たしかに恐ろしいものだ。けれど、こんな成果が転がり込んでくるであれば、実にありがたいものである。
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