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番外編.いつかの夜の終わりと始まり
02:『呪殺屋』
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「ほら、ここだ」
大通りから二本細い筋を入ったところにあった五階建ての古めかしいビルの前で、相沢は足を止めた。
「ワンフロアに三部屋ほどしか入っていないが、二階はちょうどどこも空いていてな。事務所と居住用で好きに使って構わない。壁をぶち抜くようなことをしなければ、リフォームも好きにしろ。金は出さないが」
「大家じゃないんすか、相沢さん」
「よっぽどのものが壊れたら大家として金は出してやるが、それ以外は自分でやれ」
甘えるなと暗に言われた気分で、はいはいと行平は頷いた。話の流れとして言ってみただけで、生きることができれば、それで構わないのだ。自分好みにリフォームしようなどという気もさらさらない。水が出て火が使えて電気がつけば、なにも問題はない。そう思い切って、改めて頭を下げる。
「いや、でも、本当助かりました、相沢さん」
「そりゃ、あれだけ隣で死にそうな顔をされてちゃな。手のひとつも差し伸べたくはなる。俺は一応、血肉の通った人間でね」
俺だってそうですよ、とは胸の内だけで行平は反論した。変な右手を持っていようがそれだけで、俺はただの人間だ。せいぜいが軋轢を生むことしかできない、しがない人間。
その行平の沈黙をどう取ったのか、ぽつりと相沢がビルを見上げたまま呟いた。初春の肌寒い風が、頬をなぶっていく。
「警察は、おまえの天職じゃなかったか」
「……」
「俺は、おまえは向いていると買っていたんだがな」
はは、と行平は乾いた笑みをこぼした。買いかぶりですよ、といなそうとした瞬間、しゃりんという涼やかな音が耳に飛び込んできた。
ん、と周囲を見渡そうとした矢先に、もう一度、リンと短い音が鳴った。音の出どころに気がついて、ビルの入り口に目をやる。扉を開いたのは、まだ年若い青年だった。法衣に錫杖。涼しげな音の正体は、その錫杖だったらしい。
けれど、行平の目を射ったのは、年恰好と場に合わない服装ではなく、その瞳だった。天から差し込んだ光に照らされ、黄金色に光っている。その目が固まったままの行平を一瞥して、流れるように相沢で止まった。
「なんだ、あんたか」
「ご挨拶だな、おまえご待望の管理人を連れてきてやったっていうのに」
「管理人って……」
呆れたふうに眉をひそめてから、その男が行平に視線を戻した。改めて見ると、とんでもなく整った顔をしている男だった。その顔が、にこ、とほほえむ。整いすぎているからなのか、どうにも似非くさい。
「ご愁傷様。ここはなかなかの地獄だよ」
「じっ……」
「せいぜいそこの二枚舌に騙されないよう、がんばって」
そう言って青年は行平たちの横を通り過ぎようとする。その手を、なぜか行平は掴んでいた。リン、とまた涼やかな音が鳴る。
「……なに?」
いかにも不審そうに問い返されて、行平ははっと我に返った。彼の反応からもわかる通りで、どう考えても不審なのは自分である。これでは、勘働きと揶揄されていた交番勤務時代の職務質問と変わらない。
そこまで考えたところで、いかにもらしい言い訳が頭に浮かんだ。
「その、きみ」
「だから、なんなの」
「まだ学生じゃないのか。平日のこんな時間に……、と、いや、なんでもない」
らしかったはずの言い訳でさえ、もう自分にはなんの意味もなかったことを思い出したのだ。掴んでいた手を離す。
自分はもう警察官ではない。そもそも義務教育の年齢を過ぎていれば、そこまでの文句を言う義理も必要もないのだが。掴まれていた手首をしげしげと見つめていた(そこまで力は込めていないので、確実に嫌味だ)青年が、ゆっくりと顔を上げる。
「あんた、俺がいくつに見えてるわけ?」
少年と青年の狭間にある美麗な顔が、不機嫌そうに眇められた。テレビで見るそんじょそこらの芸能人よりよほどキラキラとしていて華があった。こういう人間がスカウトされてスターになるのだろうなぁ、と思うような。
……まぁ、さすがに法衣をまとった怪しげな人間に、声をかけることはないかもしれないが。
「十七くらいか?」
前職柄、それなりに人を見る目はあるつもりだ。即答した行平に、青年がにっこりとほほえんだ。
「はい、残念」
「……」
「元おまわりさんってわりには、記憶力も判断力もないんだね。滝川さん」
黙ったまま成り行きを見守っていた相沢に視線を向ける。青年と同列の似非くさい笑顔で、相沢は否定した。
「俺はなにも言ってないぞ」
そんなわけがあるかという無言の訴えは鼻で笑われて終わった。
「だから言っただろう、化け物なんだ」
「あんたにだけは言われたくないけどね」
相性が悪いのか、相沢に対する青年の反応は妙に辛辣である。とはいえ、この先輩と相性の悪い人間を何人も見てきている行平は、まぁそんなものだろうと思うことにした。むしろ相沢と相性の良い人間が希少なのだ。
そうしてそのまま歩き出した青年の背に、相沢がゆったりと声をかける。
「どこに行くんだ、呪殺屋」
その呼び名に、行平はぎょっとした。
「あんたに言う必要あったかな」
呼ばれた当人は、いつものことなのかまったく気にしたそぶりはない。律義に立ち止まって振り返った顔には儀礼的な笑みが張り付いているが、それだけだ。呼び名に対する否定はなにもない。
――「呪殺屋」って……。
法衣に錫杖、有髪僧。それぞれを単体で見ればそこまで奇異ではないのかもしれないが、子どものような年齢の――それも、どこか人間離れした美貌の持ち主が身に着けていると、違和しかない。それが妙にしっくりときているところも含めて。
観察する行平の視線に辟易したのか、「呪殺屋」がにこりと唇を吊り上げた。
「じゃあね、滝川さん。次会ったときはゲームでもして遊んであげるよ。暇そうだしね」
大通りから二本細い筋を入ったところにあった五階建ての古めかしいビルの前で、相沢は足を止めた。
「ワンフロアに三部屋ほどしか入っていないが、二階はちょうどどこも空いていてな。事務所と居住用で好きに使って構わない。壁をぶち抜くようなことをしなければ、リフォームも好きにしろ。金は出さないが」
「大家じゃないんすか、相沢さん」
「よっぽどのものが壊れたら大家として金は出してやるが、それ以外は自分でやれ」
甘えるなと暗に言われた気分で、はいはいと行平は頷いた。話の流れとして言ってみただけで、生きることができれば、それで構わないのだ。自分好みにリフォームしようなどという気もさらさらない。水が出て火が使えて電気がつけば、なにも問題はない。そう思い切って、改めて頭を下げる。
「いや、でも、本当助かりました、相沢さん」
「そりゃ、あれだけ隣で死にそうな顔をされてちゃな。手のひとつも差し伸べたくはなる。俺は一応、血肉の通った人間でね」
俺だってそうですよ、とは胸の内だけで行平は反論した。変な右手を持っていようがそれだけで、俺はただの人間だ。せいぜいが軋轢を生むことしかできない、しがない人間。
その行平の沈黙をどう取ったのか、ぽつりと相沢がビルを見上げたまま呟いた。初春の肌寒い風が、頬をなぶっていく。
「警察は、おまえの天職じゃなかったか」
「……」
「俺は、おまえは向いていると買っていたんだがな」
はは、と行平は乾いた笑みをこぼした。買いかぶりですよ、といなそうとした瞬間、しゃりんという涼やかな音が耳に飛び込んできた。
ん、と周囲を見渡そうとした矢先に、もう一度、リンと短い音が鳴った。音の出どころに気がついて、ビルの入り口に目をやる。扉を開いたのは、まだ年若い青年だった。法衣に錫杖。涼しげな音の正体は、その錫杖だったらしい。
けれど、行平の目を射ったのは、年恰好と場に合わない服装ではなく、その瞳だった。天から差し込んだ光に照らされ、黄金色に光っている。その目が固まったままの行平を一瞥して、流れるように相沢で止まった。
「なんだ、あんたか」
「ご挨拶だな、おまえご待望の管理人を連れてきてやったっていうのに」
「管理人って……」
呆れたふうに眉をひそめてから、その男が行平に視線を戻した。改めて見ると、とんでもなく整った顔をしている男だった。その顔が、にこ、とほほえむ。整いすぎているからなのか、どうにも似非くさい。
「ご愁傷様。ここはなかなかの地獄だよ」
「じっ……」
「せいぜいそこの二枚舌に騙されないよう、がんばって」
そう言って青年は行平たちの横を通り過ぎようとする。その手を、なぜか行平は掴んでいた。リン、とまた涼やかな音が鳴る。
「……なに?」
いかにも不審そうに問い返されて、行平ははっと我に返った。彼の反応からもわかる通りで、どう考えても不審なのは自分である。これでは、勘働きと揶揄されていた交番勤務時代の職務質問と変わらない。
そこまで考えたところで、いかにもらしい言い訳が頭に浮かんだ。
「その、きみ」
「だから、なんなの」
「まだ学生じゃないのか。平日のこんな時間に……、と、いや、なんでもない」
らしかったはずの言い訳でさえ、もう自分にはなんの意味もなかったことを思い出したのだ。掴んでいた手を離す。
自分はもう警察官ではない。そもそも義務教育の年齢を過ぎていれば、そこまでの文句を言う義理も必要もないのだが。掴まれていた手首をしげしげと見つめていた(そこまで力は込めていないので、確実に嫌味だ)青年が、ゆっくりと顔を上げる。
「あんた、俺がいくつに見えてるわけ?」
少年と青年の狭間にある美麗な顔が、不機嫌そうに眇められた。テレビで見るそんじょそこらの芸能人よりよほどキラキラとしていて華があった。こういう人間がスカウトされてスターになるのだろうなぁ、と思うような。
……まぁ、さすがに法衣をまとった怪しげな人間に、声をかけることはないかもしれないが。
「十七くらいか?」
前職柄、それなりに人を見る目はあるつもりだ。即答した行平に、青年がにっこりとほほえんだ。
「はい、残念」
「……」
「元おまわりさんってわりには、記憶力も判断力もないんだね。滝川さん」
黙ったまま成り行きを見守っていた相沢に視線を向ける。青年と同列の似非くさい笑顔で、相沢は否定した。
「俺はなにも言ってないぞ」
そんなわけがあるかという無言の訴えは鼻で笑われて終わった。
「だから言っただろう、化け物なんだ」
「あんたにだけは言われたくないけどね」
相性が悪いのか、相沢に対する青年の反応は妙に辛辣である。とはいえ、この先輩と相性の悪い人間を何人も見てきている行平は、まぁそんなものだろうと思うことにした。むしろ相沢と相性の良い人間が希少なのだ。
そうしてそのまま歩き出した青年の背に、相沢がゆったりと声をかける。
「どこに行くんだ、呪殺屋」
その呼び名に、行平はぎょっとした。
「あんたに言う必要あったかな」
呼ばれた当人は、いつものことなのかまったく気にしたそぶりはない。律義に立ち止まって振り返った顔には儀礼的な笑みが張り付いているが、それだけだ。呼び名に対する否定はなにもない。
――「呪殺屋」って……。
法衣に錫杖、有髪僧。それぞれを単体で見ればそこまで奇異ではないのかもしれないが、子どものような年齢の――それも、どこか人間離れした美貌の持ち主が身に着けていると、違和しかない。それが妙にしっくりときているところも含めて。
観察する行平の視線に辟易したのか、「呪殺屋」がにこりと唇を吊り上げた。
「じゃあね、滝川さん。次会ったときはゲームでもして遊んであげるよ。暇そうだしね」
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