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案件2.永遠の子ども
08:あるひとつの結末
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結局、男児の遺体は、母親の地元の山林で見つかったそうだ。子どもの声を相沢が語り掛けると、母親は落ちたと言う。
愛していなかったわけじゃないと母親は言ったそうだ。でもどうしていいかわからなかったの。なんであたしだけがこんなに苦しいのかわからなくなったの。だから落としたの。なのに、なんで寂しいんだろう、と。
「最近、わんとしか言わなくなってきたねぇ、この犬」
来客用のソファに寝そべった呪殺屋が、つまらなそうに犬の鼻頭をつつく。
「いい加減にしないと噛まれるぞ、そのうち」
呆れ顔で新聞を捲った行平に、呪殺屋は頬を膨らませた。
「俺は滝川さんと違ってそんなに鈍くありません。ねぇ、『犬』」
「おまえ、これからも飼うつもりなら、いい加減に、もうちょっと真面な名前を付けたらどうだ」
「俺の名前を覚えていない滝川さんに言われる筋合いはありません」
じっとりと睨まれて、行平は紙面に顔をうずめた。呪殺屋は「ひどい家主だよね、ねぇ、『犬』?」と犬に話しかけている。犬は相変わらず嬉しそうだ。
犬からは、徐々に『犬』の気配が消えつつあった。満足したんだろうと請け負ったのは呪殺屋だった。
今はまだ、どこかに『犬』の意識は残っているかもしれないけれど、遠くない将来、『犬』はいなくなる。
言っておくけど、俺が消したわけじゃないよ。
そう、言っていた。
「なに、滝川さん。人の顔をジロジロと」
怪訝な声に、行平は新聞を卓上に置いて立ち上がった。犬を腹に乗せて寝そべっている呪殺屋の正面のソファに浅く腰掛ける。
「おまえには、消したいなにかがあったのか?」
あんたの悪夢を消してあげようか。微笑んだ呪殺屋は、どうしようもなく魔物めいていた。
「なぁに。やっぱり消してほしくなった?」
「おまえの話だ」
茶化すように肩をすくめた呪殺屋に問い重ねると、呪殺屋は犬に視線を落とした。白い指で腹の上の犬の背を撫ぜる。
「さぁ、もう忘れちゃったな」
午前中は、クーラーをつけないと決めている。開け放たれた窓からは、子どもの声が夏風に乗って飛び込んできていた。子どもの声を聴くと、否が応にも思い出す記憶がある。いつまで経っても幼いままの妹の顔を。声を。そして、描けない大人の女性になった妹の未来を。
「でも、滝川さんには、知りたいのに押し込み続けて消そうとしているものがあるでしょう」
確信に満ち満ちた声だった。
「呪殺屋」
行平は一度小さく息を吸い込んだ。
「神隠しは存在しうるのか」
それは、何度も何度も。賭けをきっかけに呪殺屋に聞こうと思って、けれど叶わなかった問いだった。
負けたから、質問する権限がなかったから。この男が知っているとは限らないから。どれもすべて言い訳だ。たしかに自分は逃げていた。
行平を見つめる呪殺屋の瞳が、ふわと揺れた気がした。光を集めて作った金色が溶けて、混ざりこんだような色だ。その仕組みも、行平は知らない。
犬を抱えなおして呪殺屋が上体を起こした。ソファにゆったりと腰かけて、長い脚を組む。
「勝負しようか、滝川さん」
行平の事務所にある、見慣れた呪殺屋の姿だ。何度勝負をしても、行平はまだ一度たりとも勝ったことはない。
魔物だと評される唇がゆっくりと吊り上がって、美麗な笑みが浮かぶ。
「俺は基本的に嘘は吐かない主義なんだけど、あんただけの特別だ。これから俺が話をする。その中にひとつだけ嘘がある。その嘘がなにかわかったら、あんたの勝ちだ」
呪殺屋の膝の上で、犬が一声、小さく鳴いた。
愛していなかったわけじゃないと母親は言ったそうだ。でもどうしていいかわからなかったの。なんであたしだけがこんなに苦しいのかわからなくなったの。だから落としたの。なのに、なんで寂しいんだろう、と。
「最近、わんとしか言わなくなってきたねぇ、この犬」
来客用のソファに寝そべった呪殺屋が、つまらなそうに犬の鼻頭をつつく。
「いい加減にしないと噛まれるぞ、そのうち」
呆れ顔で新聞を捲った行平に、呪殺屋は頬を膨らませた。
「俺は滝川さんと違ってそんなに鈍くありません。ねぇ、『犬』」
「おまえ、これからも飼うつもりなら、いい加減に、もうちょっと真面な名前を付けたらどうだ」
「俺の名前を覚えていない滝川さんに言われる筋合いはありません」
じっとりと睨まれて、行平は紙面に顔をうずめた。呪殺屋は「ひどい家主だよね、ねぇ、『犬』?」と犬に話しかけている。犬は相変わらず嬉しそうだ。
犬からは、徐々に『犬』の気配が消えつつあった。満足したんだろうと請け負ったのは呪殺屋だった。
今はまだ、どこかに『犬』の意識は残っているかもしれないけれど、遠くない将来、『犬』はいなくなる。
言っておくけど、俺が消したわけじゃないよ。
そう、言っていた。
「なに、滝川さん。人の顔をジロジロと」
怪訝な声に、行平は新聞を卓上に置いて立ち上がった。犬を腹に乗せて寝そべっている呪殺屋の正面のソファに浅く腰掛ける。
「おまえには、消したいなにかがあったのか?」
あんたの悪夢を消してあげようか。微笑んだ呪殺屋は、どうしようもなく魔物めいていた。
「なぁに。やっぱり消してほしくなった?」
「おまえの話だ」
茶化すように肩をすくめた呪殺屋に問い重ねると、呪殺屋は犬に視線を落とした。白い指で腹の上の犬の背を撫ぜる。
「さぁ、もう忘れちゃったな」
午前中は、クーラーをつけないと決めている。開け放たれた窓からは、子どもの声が夏風に乗って飛び込んできていた。子どもの声を聴くと、否が応にも思い出す記憶がある。いつまで経っても幼いままの妹の顔を。声を。そして、描けない大人の女性になった妹の未来を。
「でも、滝川さんには、知りたいのに押し込み続けて消そうとしているものがあるでしょう」
確信に満ち満ちた声だった。
「呪殺屋」
行平は一度小さく息を吸い込んだ。
「神隠しは存在しうるのか」
それは、何度も何度も。賭けをきっかけに呪殺屋に聞こうと思って、けれど叶わなかった問いだった。
負けたから、質問する権限がなかったから。この男が知っているとは限らないから。どれもすべて言い訳だ。たしかに自分は逃げていた。
行平を見つめる呪殺屋の瞳が、ふわと揺れた気がした。光を集めて作った金色が溶けて、混ざりこんだような色だ。その仕組みも、行平は知らない。
犬を抱えなおして呪殺屋が上体を起こした。ソファにゆったりと腰かけて、長い脚を組む。
「勝負しようか、滝川さん」
行平の事務所にある、見慣れた呪殺屋の姿だ。何度勝負をしても、行平はまだ一度たりとも勝ったことはない。
魔物だと評される唇がゆっくりと吊り上がって、美麗な笑みが浮かぶ。
「俺は基本的に嘘は吐かない主義なんだけど、あんただけの特別だ。これから俺が話をする。その中にひとつだけ嘘がある。その嘘がなにかわかったら、あんたの勝ちだ」
呪殺屋の膝の上で、犬が一声、小さく鳴いた。
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