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案件1.月の女王
03:呪いと少女
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この世には、呪いが溢れているのだそうだ。
信じがたい言葉なのに、「呪殺屋」などという怪しげ極まりない商売を繁盛させている人間が口にすると、不思議と真実味を帯びてしまう。
普通が一番と心の底から思っている行平にとっては一蹴したい話であるのだが、世間一般では違うのかもしれないと思う瞬間もある。
たとえば、こんなふうに。平日の昼間に因果な商売を求められたときなどは。
「呪殺屋を探してほしいの」
半月ぶりの来客は、たしかに「珍しい客」だった。
探偵事務所には似つかわしくない年頃の少女が、じっと睨むように行平を見つめている。雨に降られた制服姿でドアを開けたまま。事務所内に立ち入らないぎりぎりの境界で、彼女は繰り返した。
「呪殺屋を探してるの」
応じない行平に焦れたのか、勝気なアーモンド形の瞳に苛立ちがにじむ。
高校生だろうか。慣れた化粧に軽く脱色された長い髪。あと数年もすれば美女と評していい容姿の少女だ。けれど、そこから判ずる性格と、彼女の探し人は、いささか不似合いにも思えた。
――他力本願に他人を呪うようなタイプには、見えないけどな。
だが、彼女から感じる差し迫った雰囲気は本物である。さて、どうしたものか、と。行平は街で噂の呪殺屋であるところの若者に視線を流した。
視線が合うと、入口に背を向けた状態でソファに腰かけていた呪殺屋が、かすかに唇を吊り上げる。
「ここに来たんだから、俺の客じゃなくて、あんたの客だと思うんだけどな」
場を明け渡そうとした行平にそう釘を刺すと、呪殺屋は錫杖を掴んで立ち上がった。その手の中で、また錫杖が音を立てる。
しゃらんという音色と呪殺屋の姿格好に、少女ははっと息を呑んだ。
「運が良くてよかったね。俺がきみのお探しの呪殺屋だ。……と言っても、正確には呪殺屋じゃなくて、みんなのお願いを叶えてあげる善意のなんでも屋さんなんだけど」
それなのに世間はこぞって俺を呪殺屋呼ばわりするんだから、ひどいよね。
後半は、頑なに「呪殺屋」と称し続ける自分への当てこすりに違いない。覚えた居た堪れなさに、行平は口を挟んだ。
「そんなこと言って、俺はおまえの善行なんて聞いたことねぇぞ」
「それは滝川さんが片側の耳を閉じてるからでしょ。ついでに言えば、依頼人が望むのが、負の方向性の願いごとばかりだからだよ。つまり、俺のせいじゃない」
しれっと言い放った呪殺屋は、少女を一瞥するなり、似非くさい笑みを張りつけた。
「なにを頼みたいのと訊こうと思ったけど、訊くまでもないね。呪殺屋なんて藁を探すだけはある。なかなかすごいものが憑いている」
その台詞に、華奢な肩が大仰に跳ね上がる。
すごいものが、憑いている。呪殺屋の台詞を脳内で繰り返した行平は、思わず目を凝らした。なにも視えないのだが、少女には視えずとも心当たりはあるらしい。
「あぁ、なるほど。駄目だね、きみ。相当、恨まれてるよ。いったい、その子になにをしたの?」
「あ、あたしは……」
少女の視線が、呪殺屋のそれを辿って忙しなく動く。けれど恐らくはなにも視えていまい。嘲笑うように呪殺屋が目を細めた。
「まぁ、でも、ラッキーにも一発で俺を探し当てたんだ。訊くだけ訊いておこうか。呪われるに至った自分の行いを棚上げして、きみは呪殺屋になにを頼みたかったのかな?」
「呪殺屋」
顔を強張らせた少女がさすがに気の毒になって、もう一度口を挟む。自分の事務所であるはずなのに、まるでカオスだ。
「なんでもかんでも頭ごなしに決めつけてやるな。なんでも屋だっていうんなら、もうちょっとらしい……」
「あたしは、あたしはっ、なにも悪くない!」
怒りで顔を赤くした少女が、行平の取成しを遮って叫んだ。スクールバックの肩ひもを握りしめて、呪殺屋を射殺さんばかりに睨んでいる。
「あんたにあたしのなにがわかるのよ! あたしのせいじゃない! あたしはなにも悪くない!」
「ほらね。滝川さん。『らしく』しようにも、ろくでもない人間ばかりだろう」
わざとらしく肩をすくめた呪殺屋をもう一度睨みつけると、少女は鞄からなにかを取り出した。そうしてそれを呪殺屋に向かって投げつける。
「あたしのせいじゃない! あいつが悪いのよ、絶対にあたしのせいじゃない!」
言い捨てると、彼女はくるりと背を向けた。勢いよく階段を下ろうとする背中に、呪殺屋の場違いなほど爽やかな声が飛ぶ。
「大丈夫。安心したらいい。自戒さえすれば、きみは救われる」
少女の足音が止まって、けれど、すぐに倍以上の大きさに跳ね上がった。ビル全体を揺るがしているのではないかと思うほどの音だ。
それが聞こえなくなったところで、行平は胡乱な視線を呪殺屋に向けた。少女を追いかけるタイミングは、完全に脱してしまっていた。
「どこの似非祈祷師だ、おまえは」
「あれ。呪殺屋なんじゃなかったっけ、俺」
飄々と応じた呪殺屋が、顔の前になにかを掲げた。手のひらの中にすっぽりと納まっているそれは、行平から視認することはできない。
「ふぅん。鳴沢英佳だって。高校二年生らしいよ?」
「……なにを投げたんだ、あの子」
まさか学生証ではないだろうな。面倒事になりそうな予感に声の調子が自ずと下がる。呪殺屋は不謹慎にも楽しそうに手の内を反転させた。
「呪いの藁人形ならぬ、呪いの人型ってところかな」
行平の眼前に突き出されたのは、黒い厚紙で模られた人型だった。胴体と思しき部分には白抜きで梵字が記されていて、呪殺屋が少女の名前を知った経緯に見当がついた。
少女の名前が記された呪いの人型。これは、あの少女を呪ったものなのだ。行平は背に嫌な汗が流れ落ちたのを知った。呪殺屋は平然と微笑っている。
「ごめんね。滝川さん。折角のお客さん、逃がしちゃって。お詫び代わりに手伝おうか」
「俺の客じゃねぇ。それに、もう帰ったんだから、関係ないだろう」
「そういうこと言うんだ。あんたを訪ねてきたのに、かわいそうに」
嘯いた呪殺屋が、転がっていたリモコンを手に取った。ぴ、と短い電子音とともに、行平の仕事机の脇にある小型テレビが映像を映し出す。
「今はやりの、連続自殺だ」
呪殺屋が指したリモコンの先では、女性記者が下校中とみられる生徒にインタビューを試みているところだった。顔が見えないようにズームアップされた制服は、先程の少女が身に着けていたものとまったくの同じ。
つい数日前、とある週刊誌に暴かれて以来、ワイドショーに引っ張りだこの高校。そこで頻発している生徒の自殺。視聴者の興味を引くよう『名門私立女子高、謎の連続自殺』と報じられているそれであった。
信じがたい言葉なのに、「呪殺屋」などという怪しげ極まりない商売を繁盛させている人間が口にすると、不思議と真実味を帯びてしまう。
普通が一番と心の底から思っている行平にとっては一蹴したい話であるのだが、世間一般では違うのかもしれないと思う瞬間もある。
たとえば、こんなふうに。平日の昼間に因果な商売を求められたときなどは。
「呪殺屋を探してほしいの」
半月ぶりの来客は、たしかに「珍しい客」だった。
探偵事務所には似つかわしくない年頃の少女が、じっと睨むように行平を見つめている。雨に降られた制服姿でドアを開けたまま。事務所内に立ち入らないぎりぎりの境界で、彼女は繰り返した。
「呪殺屋を探してるの」
応じない行平に焦れたのか、勝気なアーモンド形の瞳に苛立ちがにじむ。
高校生だろうか。慣れた化粧に軽く脱色された長い髪。あと数年もすれば美女と評していい容姿の少女だ。けれど、そこから判ずる性格と、彼女の探し人は、いささか不似合いにも思えた。
――他力本願に他人を呪うようなタイプには、見えないけどな。
だが、彼女から感じる差し迫った雰囲気は本物である。さて、どうしたものか、と。行平は街で噂の呪殺屋であるところの若者に視線を流した。
視線が合うと、入口に背を向けた状態でソファに腰かけていた呪殺屋が、かすかに唇を吊り上げる。
「ここに来たんだから、俺の客じゃなくて、あんたの客だと思うんだけどな」
場を明け渡そうとした行平にそう釘を刺すと、呪殺屋は錫杖を掴んで立ち上がった。その手の中で、また錫杖が音を立てる。
しゃらんという音色と呪殺屋の姿格好に、少女ははっと息を呑んだ。
「運が良くてよかったね。俺がきみのお探しの呪殺屋だ。……と言っても、正確には呪殺屋じゃなくて、みんなのお願いを叶えてあげる善意のなんでも屋さんなんだけど」
それなのに世間はこぞって俺を呪殺屋呼ばわりするんだから、ひどいよね。
後半は、頑なに「呪殺屋」と称し続ける自分への当てこすりに違いない。覚えた居た堪れなさに、行平は口を挟んだ。
「そんなこと言って、俺はおまえの善行なんて聞いたことねぇぞ」
「それは滝川さんが片側の耳を閉じてるからでしょ。ついでに言えば、依頼人が望むのが、負の方向性の願いごとばかりだからだよ。つまり、俺のせいじゃない」
しれっと言い放った呪殺屋は、少女を一瞥するなり、似非くさい笑みを張りつけた。
「なにを頼みたいのと訊こうと思ったけど、訊くまでもないね。呪殺屋なんて藁を探すだけはある。なかなかすごいものが憑いている」
その台詞に、華奢な肩が大仰に跳ね上がる。
すごいものが、憑いている。呪殺屋の台詞を脳内で繰り返した行平は、思わず目を凝らした。なにも視えないのだが、少女には視えずとも心当たりはあるらしい。
「あぁ、なるほど。駄目だね、きみ。相当、恨まれてるよ。いったい、その子になにをしたの?」
「あ、あたしは……」
少女の視線が、呪殺屋のそれを辿って忙しなく動く。けれど恐らくはなにも視えていまい。嘲笑うように呪殺屋が目を細めた。
「まぁ、でも、ラッキーにも一発で俺を探し当てたんだ。訊くだけ訊いておこうか。呪われるに至った自分の行いを棚上げして、きみは呪殺屋になにを頼みたかったのかな?」
「呪殺屋」
顔を強張らせた少女がさすがに気の毒になって、もう一度口を挟む。自分の事務所であるはずなのに、まるでカオスだ。
「なんでもかんでも頭ごなしに決めつけてやるな。なんでも屋だっていうんなら、もうちょっとらしい……」
「あたしは、あたしはっ、なにも悪くない!」
怒りで顔を赤くした少女が、行平の取成しを遮って叫んだ。スクールバックの肩ひもを握りしめて、呪殺屋を射殺さんばかりに睨んでいる。
「あんたにあたしのなにがわかるのよ! あたしのせいじゃない! あたしはなにも悪くない!」
「ほらね。滝川さん。『らしく』しようにも、ろくでもない人間ばかりだろう」
わざとらしく肩をすくめた呪殺屋をもう一度睨みつけると、少女は鞄からなにかを取り出した。そうしてそれを呪殺屋に向かって投げつける。
「あたしのせいじゃない! あいつが悪いのよ、絶対にあたしのせいじゃない!」
言い捨てると、彼女はくるりと背を向けた。勢いよく階段を下ろうとする背中に、呪殺屋の場違いなほど爽やかな声が飛ぶ。
「大丈夫。安心したらいい。自戒さえすれば、きみは救われる」
少女の足音が止まって、けれど、すぐに倍以上の大きさに跳ね上がった。ビル全体を揺るがしているのではないかと思うほどの音だ。
それが聞こえなくなったところで、行平は胡乱な視線を呪殺屋に向けた。少女を追いかけるタイミングは、完全に脱してしまっていた。
「どこの似非祈祷師だ、おまえは」
「あれ。呪殺屋なんじゃなかったっけ、俺」
飄々と応じた呪殺屋が、顔の前になにかを掲げた。手のひらの中にすっぽりと納まっているそれは、行平から視認することはできない。
「ふぅん。鳴沢英佳だって。高校二年生らしいよ?」
「……なにを投げたんだ、あの子」
まさか学生証ではないだろうな。面倒事になりそうな予感に声の調子が自ずと下がる。呪殺屋は不謹慎にも楽しそうに手の内を反転させた。
「呪いの藁人形ならぬ、呪いの人型ってところかな」
行平の眼前に突き出されたのは、黒い厚紙で模られた人型だった。胴体と思しき部分には白抜きで梵字が記されていて、呪殺屋が少女の名前を知った経緯に見当がついた。
少女の名前が記された呪いの人型。これは、あの少女を呪ったものなのだ。行平は背に嫌な汗が流れ落ちたのを知った。呪殺屋は平然と微笑っている。
「ごめんね。滝川さん。折角のお客さん、逃がしちゃって。お詫び代わりに手伝おうか」
「俺の客じゃねぇ。それに、もう帰ったんだから、関係ないだろう」
「そういうこと言うんだ。あんたを訪ねてきたのに、かわいそうに」
嘯いた呪殺屋が、転がっていたリモコンを手に取った。ぴ、と短い電子音とともに、行平の仕事机の脇にある小型テレビが映像を映し出す。
「今はやりの、連続自殺だ」
呪殺屋が指したリモコンの先では、女性記者が下校中とみられる生徒にインタビューを試みているところだった。顔が見えないようにズームアップされた制服は、先程の少女が身に着けていたものとまったくの同じ。
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