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光の聖女編

4.ある乙女ゲームシナリオの異変(中編)

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 姿こそ見えなかったものの、彼のそばにいると光の精霊の気配を強く感じることがあった。だが、当然のことであったのだろうとサイラスは思う。
 ブライアント王家は、建国当時から光の精霊の守護を受けている。サイラスの伯爵家が授かったものとはなにもかもが違う、あたたかな守護だ。
 彼の光の庭は、その守護をいっとう感じることができる。その空間で彼と過ごす時間が、幼いサイラスは大好きだった。

「ハロルドさま」

 彼が許した者しか立ち入ることのできない光の庭に飛び込むなり、サイラスは満面の笑みを浮かべた。呼びかけに、本を読んでいたハロルドの顔が上がる。
 足早に近づいて彼の隣に座ると、小さな手のひらがこめかみに触れた。そこになにがあるのかはわかっていて、気まずさに視線が迷う。だが、ハロルドの青い瞳に浮かんだのは、柔らかな苦笑だった。

「なんだ? またローガンに手厳しくされたのか」

 彼が出した次兄の名に、そっと頷く。八つ年の離れた兄は優秀で、家の務めも、剣技も、サイラスはすべて彼から学んでいた。厳しい人だが、理不尽な人ではない。それに、この怪我も自分の未熟で負ったものだ。

「ハロルドさまをお守りできるよう、指導していただいているんです」
「そうか」

 静かに応じ、ハロルドは指を離した。声と同じ静かな横顔をそっと見つめる。座る芝は不思議と柔らかで、淡い光が小さなランプのように浮かぶ、秘密基地に似た空間。それが彼の光の庭だった。
 自国の歴史と精霊の関係を学んだサイラスは、精霊がまれにそういった空間を生み出すことは知っている。けれど、実際に目にしたのは、彼を探すうちに迷い込んだ日がはじめてだった。

 家と契約をした精霊は、多くの力を与えてくれる存在だ。使い方を誤れば、災厄を引き起こすこともあるけれど。だからこそ、ブライアント王国は、精霊と良い関係を築くために心を砕いている。
 その王家の直系である彼が、光の精霊の寵愛を受けることは当然のことだった。だから、ここは、彼のための場所なのだ。
 幼いながらも第一王位継承者であることを誰よりも自覚し、人の目のあるところで弱さを見せることを良しとしない彼が、ひとりになることのできる――皇太子ではなく、ただの彼になることのできる空間。
 迷い込んだことがきっかけではあるものの、彼の父も、母も、実弟であるジェラルドも許されない場所に、ひとり立ち入ることを許された。その事実は、サイラスの誇りだった。
 光の庭で彼と過ごすことを目標にすれば、どんな厳しい修行も耐えることができると思うほどに。
 
 その庭で、自分たちはいっそうの交流を深めた。「ハロルドさまは必ず幸せになられますよ」とサイラスが伝えたのは、そのころのことだ。
 話の脈絡までは覚えていない。だが、おそらくは、皇太子教育に疲弊していた時期だったのだろう。
 あいかわらず人目のあるところで弱さを見せる人ではなかったが、この場所にいるときだけは自分に弱音をこぼすことがあったから。
 
 ハロルドはなんでもできると評判で、「さすがハロルドさまだ」、「皇太子さまがいらっしゃれば、我が国は安泰だ」といつも褒めそやされていた。
 もちろん、サイラスもそのとおりだと思っている。ハロルドはなんでもできる。頭も良いし、剣技だって相当の実力者だ。かすかにほほえまれるだけで、心臓が馬鹿になってしまうくらいの美しい容姿も持っている。
 だが、皇太子だからなんでもできるわけではなく、彼の努力の賜物だと知っていた。頭が良いのは、それだけの勉強をしたからで、剣技の実力は、彼が鍛錬を積んだからだ。容姿の別は生まれ持ったものもあるだろうけれど、所作の美しさは彼が磨いたものに違いない。

 その努力のすべてを、サイラスは一番近くで見ていたという自負があった。彼の婚約者であるふたつ下の幼馴染みよりも、もっと、ずっと、心の近いところで。
 そうして、彼も、生まれたころからそばにいた乳兄弟の自分を信頼していたはずだ。少なくとも、この当時は。
 だから、励ましたい一心で、サイラスは未来を伝えた。二番目の兄に公言するなと厳命されていたけれど、彼のほうがずっとずっと大事だったからだ。
 サイラスは前世のかけらを持っていた。はっきりとすべてを覚えているわけではない。だが、彼が「光の聖女」と呼ばれる少女と結ばれ、幸せになる未来だけは確信を持っていた。

「先の未来ですが、ハロルドさまは精霊に愛される聖女と出逢います。その方があなたの力になります」

 光の精霊の守護を受ける彼と、今やめったといないとされる精霊を視る光の聖女。素晴らしい夫婦になることだろう。祝福の気持ちを込め、サイラスはほほえんだ。

「だから、大丈夫ですよ。ハロルドさまはハロルドさまのまま歩まれたら、それだけで」

 サイラスの黒い瞳を見つめ、ハロルドが口を開く。
 サイラスの瞳も、髪も、この国では珍しい闇の色をしていて、人によってはわずかながら目線を逸らすこともあった。けれど、彼だけは、不吉だと陰口を叩かれることもある色彩をきれいだと慰めてくれた。そういう人だった。

「おまえは俺のそばから消えるのか」
「まさか」

 考えたこともなかったことを問われ、サイラスは慌てて首を横に振った。

「サイラスは、ハロルドさまのおそばにずっとおりますよ」
「それならいい」

 満足したように深い海色の瞳がたゆむ。気鬱そうだった顔に灯った柔らかな色に、サイラスも安堵してほほえんだ。
 彼のために最善を尽くすと決めているのだから、あたりまえのことだった。生涯、彼のそばにいる。ハッピーエンドに関与しない、ただの傍観者として。


 あのころのハロルドは、年相応に幼く柔い部分を持っていて、それが、たまらなく愛おしかった。
 おぼろげながらも前世の記憶があったせいか、当時のサイラスは精神的に大人びていて、だから。自分が守ってやらねばと分不相応なことを考えたのだ。
 それで――あのころは、彼をわかっているつもりでいた。今のサイラスは、彼の考えることが年々わからなくなっている。
 一番親しいなどとは、口が裂けても言えないほどに。
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