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第二章:白狐と初恋
白狐さまと恋の話②
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「どんな人だったんですか?」
「なに?」
「あなたが待っている人です」
あえて、待っていたとは言わなかった。寂しかっただけだ。終わりがくる。わかっていた。
神様の使った言葉はすべて過去形だったけれど、現在進行形の寂しさが隠れている。あたしにはそんなふうに思えたのだ。
どこかで鳥の鳴き声がした。その音を追うように神様の視線が空を向く。そして、ぽつりと呟いた。過去を懐かしむような遠い声で。
「そうだな。かわいい子どもだった。はじめて会ったときは、まだ本当に小さかった。我よりずっと背も低くてな。言葉もどこかたどたどしかった」
「男の子ですか?」
「そうだ。ゆうたという名前だった。聞いてもおらんのに教えてきた。祭りの夜に迷子になって泣いておったのを我が見つけたのだ」
人懐こい子どもだったと神様が目を細める。そうやって何人もの子どもを見守って、見送ってきたのだろうとわかった。
「そのゆうたがな、我と別れるのが寂しいと泣くから、しかたなく約束をしてやったのだ。毎年、祭りの日に会おうぞ、と。この祠の前でおまえを待っておる。だから泣くな、と」
あれはいつの時代だったかな。悩むように神様が手元に視線を落とした。石段に置かれた白い手が成長することはない。その小さな指先を見つめたまま、彼女は頷いた。
「次の年は来た。その次の年も。どんどん大きくなって、いつしか背も我と変わらんようになって。そうして、いつのまにか来なくなった」
「……そうですか」
「もう十回以上だ。途中から数えるのはやめたから正確に何年経ったかはわからんが。ただ、なんだ。ひとりの祭りの夜が増えすぎた」
「……」
「もともと、ここ数十年ほどはそんなものだったんだがな。いかんな、一度、約束をしてしまうと期待をするようになる。そうすると寂しさなんてものを思い出す」
意味もないのになと感情の薄い声が言う。
「人間とは面倒なものだな。理解できない感情を持ち、勝手にどんどんと大きくなって死んでいく」
人間とこの人の時の流れは違う。先輩が言っていたことを、あたしは改めて噛み締めた。
幼い子どもは大きくなれば学校に通うようになる。そうなれば、子どもの世界は一挙に広がる。比例して自由な時間も少なくなっていく。
学校に、友達との約束に、部活に。
目まぐるしく変わっていく環境のなかで、幼いころの約束を忘れてしまうのはしかたがないことなのかもしれない。
大人に近づいていくなかで、神様の記憶が消えてしまったのかもしれない。
覚えていたとしても、引っ越してしまっただとか、そういったやむを得ない事情で来られなくなったのかもしれない。
そのすべてが想像でしかないし、実際にどうだったのかはわからない。
けれど、どんな事情があったとしても、一緒だ。
神様にとっては「約束が破られたこと」、「その子はもう現れないこと」だけが事実なのだ。
「悲しいですね」
「いつものことだ」
あたしの勝手な憐憫を、神様は鼻で笑った。
「よくあることだ。境目を飛び越えてきた子どもを迎え入れて、そのせいで感情を乱す。神としてあってはならんことだ」
「でも」
淡々とした声は、あたしなんかが口を出す問題ではないことを告げていた。それなのに口を出してしまった。
だって、そんなのは悲しい。その感情で窒息してしまいそうだったからだ。
「神様にだって、感情はあるでしょう?」
比べていいのかわからないけれど。日本神話に出てくる神様は、人間みたいに感情豊かに生きているじゃないか。あくまで伝説上の話で、事実はまったく違うのかもしれないけれど。
でも、少なくともあたしには、彼女には感情があるように見える。それがいけないことだとも思えない。
「だって、実際にあなたは寂しいと感じたんでしょう? それを間違いだなんて、あってはならないなんて言うのは、寂しいですよ」
感情の赴くままに捲くし立てていると目の奥が熱くなってきた。同情しているわけではないつもりだ。ただ、ひどく感情移入してしまって悲しかった。
「なに?」
「あなたが待っている人です」
あえて、待っていたとは言わなかった。寂しかっただけだ。終わりがくる。わかっていた。
神様の使った言葉はすべて過去形だったけれど、現在進行形の寂しさが隠れている。あたしにはそんなふうに思えたのだ。
どこかで鳥の鳴き声がした。その音を追うように神様の視線が空を向く。そして、ぽつりと呟いた。過去を懐かしむような遠い声で。
「そうだな。かわいい子どもだった。はじめて会ったときは、まだ本当に小さかった。我よりずっと背も低くてな。言葉もどこかたどたどしかった」
「男の子ですか?」
「そうだ。ゆうたという名前だった。聞いてもおらんのに教えてきた。祭りの夜に迷子になって泣いておったのを我が見つけたのだ」
人懐こい子どもだったと神様が目を細める。そうやって何人もの子どもを見守って、見送ってきたのだろうとわかった。
「そのゆうたがな、我と別れるのが寂しいと泣くから、しかたなく約束をしてやったのだ。毎年、祭りの日に会おうぞ、と。この祠の前でおまえを待っておる。だから泣くな、と」
あれはいつの時代だったかな。悩むように神様が手元に視線を落とした。石段に置かれた白い手が成長することはない。その小さな指先を見つめたまま、彼女は頷いた。
「次の年は来た。その次の年も。どんどん大きくなって、いつしか背も我と変わらんようになって。そうして、いつのまにか来なくなった」
「……そうですか」
「もう十回以上だ。途中から数えるのはやめたから正確に何年経ったかはわからんが。ただ、なんだ。ひとりの祭りの夜が増えすぎた」
「……」
「もともと、ここ数十年ほどはそんなものだったんだがな。いかんな、一度、約束をしてしまうと期待をするようになる。そうすると寂しさなんてものを思い出す」
意味もないのになと感情の薄い声が言う。
「人間とは面倒なものだな。理解できない感情を持ち、勝手にどんどんと大きくなって死んでいく」
人間とこの人の時の流れは違う。先輩が言っていたことを、あたしは改めて噛み締めた。
幼い子どもは大きくなれば学校に通うようになる。そうなれば、子どもの世界は一挙に広がる。比例して自由な時間も少なくなっていく。
学校に、友達との約束に、部活に。
目まぐるしく変わっていく環境のなかで、幼いころの約束を忘れてしまうのはしかたがないことなのかもしれない。
大人に近づいていくなかで、神様の記憶が消えてしまったのかもしれない。
覚えていたとしても、引っ越してしまっただとか、そういったやむを得ない事情で来られなくなったのかもしれない。
そのすべてが想像でしかないし、実際にどうだったのかはわからない。
けれど、どんな事情があったとしても、一緒だ。
神様にとっては「約束が破られたこと」、「その子はもう現れないこと」だけが事実なのだ。
「悲しいですね」
「いつものことだ」
あたしの勝手な憐憫を、神様は鼻で笑った。
「よくあることだ。境目を飛び越えてきた子どもを迎え入れて、そのせいで感情を乱す。神としてあってはならんことだ」
「でも」
淡々とした声は、あたしなんかが口を出す問題ではないことを告げていた。それなのに口を出してしまった。
だって、そんなのは悲しい。その感情で窒息してしまいそうだったからだ。
「神様にだって、感情はあるでしょう?」
比べていいのかわからないけれど。日本神話に出てくる神様は、人間みたいに感情豊かに生きているじゃないか。あくまで伝説上の話で、事実はまったく違うのかもしれないけれど。
でも、少なくともあたしには、彼女には感情があるように見える。それがいけないことだとも思えない。
「だって、実際にあなたは寂しいと感じたんでしょう? それを間違いだなんて、あってはならないなんて言うのは、寂しいですよ」
感情の赴くままに捲くし立てていると目の奥が熱くなってきた。同情しているわけではないつもりだ。ただ、ひどく感情移入してしまって悲しかった。
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