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第二章:白狐と初恋

稲荷神社の白狐さま①

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 夢守市の北西部に位置する上森地区は、山に囲まれた小さな集落だ。
 市の中心部から車で三十分ほどかかってしまう利便性の悪さも相まって過疎化の進んだ地域ではあるけれど、その代わりに豊かな自然に恵まれているのだそうだ。
 その上森地区の中心にあるのが、今回相談を受けた稲荷神社である。常駐している神主さんもいない小さな神社ではあるものの、地区の皆さんが心を込めて手を入れているきれいな神社であるらしい。

 らしい、というのは、昨日、上森の区長である守井さんに聞いた話だからだ。申し訳ない話ではあるのだけれど、あたしのおばあちゃんの家は市の中心部にあった。そして、このあたりに親せきも友達もいなかった。
 つまり上森地区に足を踏み入れるのは、今日が正真正銘のはじめてなのだ。

「わぁ、なんだかすごく雰囲気のある神社ですねぇ……」

 昼過ぎに市役所を出て早数十分。神社の石段を上ったところで、あたしは背を伸ばした。新緑の匂いがとても気持ちがいい。
 たしかにこぢんまりとしているけれど、空気が澄んでいてきれいだ。守井さんの仰っていた「心を込めて掃除をしている」というのが、よくわかるような、そんなところ。境内にある狛犬ならぬ狐の石像の存在が、いかにも「稲荷神社」という雰囲気だった。

「おい、こっち」

 すたすたと本殿に向かっていた先輩が、振り返ってあたしを呼ぶ。慌てて横に並んで先輩を見上げる。あいかわらずのもっさり具合だ。

「上森の区長さんって、よくああしてうちに来られるんですか?」
「年に一、二度あるかないかだけどな。年始の挨拶だなんだって、茶飲み話がてら来てることはあるか」
「じゃあ、こういう相談はあんまりないってことですか?」
「……まぁ、そうだな」

 面倒そうな声ではあったが、先輩の通常運転だ。だから、あたしも気にせずに問いかける。先輩は言えないことは言えないとはっきり言ってくれるので、そういう意味では変に気を使わなくて済むので尋ねやすい。

「守井さん、神様がいないって、あの……なんというか、当たり前の顔で仰ってましたけど、その、あやかしとかが視える方なんですか?」

 神様と河童をひとくくりに一緒にしていいのかはわからないけれど。この課に来てから、あたしの常識はひっくり返り続けている。なにが正解かだなんてわからないくらいに。
 だからこそ、しっかりと自分で考えて判断しないといけないのだろうが、なかなか難しい。あやかしなんているわけがないという今までの常識が、ここでは偏見になってしまいかねないのだ。

 ――でも、だからこそ真剣に向き合わなきゃ駄目なんだよね、きっと。

 そう、相談内容が、かなり突飛に思えてしまう「もうすぐ年に一度の祭りがあるのに、白狐様が拗ねて参加したがらない」というものだったとしても、だ。
 守井さんの表情は真剣そのものだったし、おまけに藁に縋りに来たというよりは、あやかしよろず相談課を信用して相談に来た、という風情だったのでなおさらである。

「ここは、もともとそういう町だからな」
「……え?」
「もともと、うまいこと共存できてたんだよ、ここは」

 どういう意味なのだろうと聞き返したかったのだけれど、先輩が本殿の後ろにあった小さな祠を指さしたので、口を閉ざす。
 山の斜面を背にした小さな祠。その前には油揚げがお供えしてあった。

「まぁ、どっちにしろ、拗ねてんのかどうかも聞いてみなきゃわかんねぇからな」
「え? 聞いてみる?」

 それはまさか神様に、ということなのだろうか。おばあさんの正体が河童だと知ったときとは別次元の緊張が走る。けれど、走ったのはあたしだけだったようで、先輩はまったくもっていつもどおりの――まかり間違っても神様に話しかけるものではない――口調で、祠に声をかけた。

「おい、来たぞ」
「せ、先輩」
「俺より何百倍も長生きしてるくせに拗ねてんじゃねぇよ、クソ狐」
「先輩ぃ!?」

 留まるところを知らない暴言に、焦って先輩の袖を引く。

 神様です。相手は、神様なんですよね。呪われるというか祟られないかな、これ。その心配を面倒くさそうに振り払った先輩は、わしわしと鳥の巣頭をかき回している。

「べつに間違ったことは言ってねぇ」
「そういうことじゃなくて! 物には伝え方ってものがあるじゃないですか」

 だから、変人扱いされるんですよ。クラッシャーだのなんのって言われるんですよ、とは口が裂けても言えないが。
 ちなみに後者は、先日の若手飲み会で先輩の同期の人から聞いた話だ。
 三崎ちゃん、あいつと同じ課で苦労してない? から始まり、まぁ、ガキだけど悪いやつじゃないんだよ。壊滅的に口が悪いけど、で終わった。
 なんだ、案外かわいがられてるんだな、先輩、とも思ったけれど、そんなことはこの暴挙を前にしたら、本当にどうでもいい。

「世の中なぁ、誰もがおまえみたいに愛想振り撒いて生きてるわけじゃねぇんだよ」
「あ、あたしだって好きで振り撒いてるわけじゃないですよ。生きる術です、生きる術!」
「嘘吐け。おまえのそれ、天然じゃねぇか」
「あれ? もしかして、それ褒めてます?」
「褒めてねぇよ、うぜぇ」

 小学生のような雑言を最後に、いかにも大儀そうに先輩が溜息を吐いた。そして祠に向かって、もう一度呼びかける。

「おい、こら、白狐」

 祠からはなにも反応はない。

「会いに来たぞ」

 呆れたようなのに、ひさしぶりに会う友達に向けているようにも聞こえる声だった。
 本当に神様はいるのだろうか。そのときまであたしは信じ切れていなかった。けれど、祠を見つめる先輩の静かな横顔に、いるんだなとごく自然と思えた。
 ここに、神様がいる。
 その核心は、胸のなかにすとんと落ちてきた。それは不思議な感覚だった。
 あたしは無宗教だ。信仰している神様なんていない。多くの日本人と同じように、八百万――、生活に根付いた神様を無意識に信じているけれど。
 でも、実体として存在しているなんて、想像したこともなかった。
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