19 / 72
第一章:ようこそ「あやかしよろず相談課」
河童の川探し⑦
しおりを挟む
あたしたち以外に誰もいない河川敷を歩く。前を向いたまま、先輩が言った。
「おまえ、うちに来る前、国保だったんだろ」
「え? はい、そうですけど」
「ろくでもねぇ窓口、多かっただろ」
「はは、まぁ、癖の強い方もいらっしゃいましたねぇ」
配属された当初は、すわクレームかと電話が鳴るたびにビクついていたものだ。あたしだって、最初から強心臓だったわけではないし、怒鳴られたら心のどこかがすり減る。
それが自分の仕事だとわかっていても、理不尽なことで罵声を浴び続けるのはつらい。
「嫌にならなかったのか、人間」
「そのくらいで嫌になんてなりませんよ。それに、仲良くなれないなって感じる人がいたとしても、その人とあたしにご縁がなかったというだけの話です。その人と親しくできる人も当然いるんでしょうし。ひとくくりに人間を嫌いになったりだとか、窓口対応が嫌になったりはしないですよ」
怒鳴られるのはつらいけど、仕事のうちだ。いつしかそう思うようになった。
心身を削られる対応もあるけれど、窓口でとびきりの笑顔をいただくこともある。心からのありがとうをもらえることがある。
嫌だったことが帳消しにはならないけれど、心のHPは回復する。その繰り返しで強くなった。
課内の人間関係にも恵まれていたし、なによりあたしは人と接する仕事が好きだった。
だから、どんな悪質なクレーマーにあたっても、窓口業務はごめんだと思ったことはない。
そういったところが、心臓が強いと評される所以なのかもしれない。けれど、この町に携わる仕事が天職だと信じて頑張ってきたのだ。
――そのはずだったのに、いつのまにか夢守市のためにっていうのが抜け落ちかけてたんだから駄目だよなぁ。
そのことを思い出させてくれた人の背中を見つめる。まっすぐに伸びた背が、なんだか眩しかった。
「たまにいるんだよ、おまえみたいな鈍感な人間が」
「え?」
「鈍感すぎて見えないのに見えるというか、見えるのに見えないというか」
「ちょっと意味がわからないです、先輩」
かろうじて理解できたのは、先輩はその逆なのだろうなということだけだ。
つまり、繊細すぎて人間性をこじらせているのだ。最初に七海さんが言っていた言葉を、最近になってあたしはしみじみと噛み締めている。
「だから、褒めてんだよ、馬鹿」
絶対に褒めていないと言いたくなったが、あたしは言わなかった。
意味がわからないし不器用な人だけど、悪い人ではないと思うようになったからだ。素直に人を褒めた瞬間に死ぬと思っている可能性も捨てきれないけれど。
「おまえみたいに、境界の薄い人間はふつう危ねぇんだけど。なんというか、おまえはものすごい無害なんだよな。人間からも、向こうからも」
「はぁ」
妖怪と人間の境界が薄いということなのだろうか。
やっぱり先輩の言うことはよくわからない。でも、徐々にわかるようになっていくのかもしれない。
しばらくは真晴くんの仕事を見ていたらいいよ。そう言ってくれたのは七海さんだ。だから、そういうことなのかもしれない。
あたしはここで仕事をしていく。そのなかで、きっと、いろいろな大切なことを学んでいく。
「だから、どっちにも寄り添える」
前を向いている先輩がどんな顔をしているのかは、わからない。けれどその声は、今までに聞いた先輩の声のなかで一番優しかった。
「おまえはうちに向いてるよ」
その言葉は、胸のまんなかにすとんと落ちてきた。
行政の隙間から零れ落ちてしまう、あやかしたちの相談を受け付ける唯一の課。なんでも屋。面倒な要件を押し付けられる雑用係。問題児ばかりが集まった掃き溜め。
そんなふうに馬鹿にされても、この人は、この仕事が好きなんだ。
「帰るぞ」
「っ、はい!」
知らず声が大きくなった。帰る。よろず相談課に。そこが今のあたしの帰る場所なんだ。そう思うと、心がほっとあたたかくなる。
あたしたちの歩いたあとには、水たまりができあがっている。なんだかそれが、妖怪と人間を繋ぐ道しるべみたいに見えた。
「おまえ、うちに来る前、国保だったんだろ」
「え? はい、そうですけど」
「ろくでもねぇ窓口、多かっただろ」
「はは、まぁ、癖の強い方もいらっしゃいましたねぇ」
配属された当初は、すわクレームかと電話が鳴るたびにビクついていたものだ。あたしだって、最初から強心臓だったわけではないし、怒鳴られたら心のどこかがすり減る。
それが自分の仕事だとわかっていても、理不尽なことで罵声を浴び続けるのはつらい。
「嫌にならなかったのか、人間」
「そのくらいで嫌になんてなりませんよ。それに、仲良くなれないなって感じる人がいたとしても、その人とあたしにご縁がなかったというだけの話です。その人と親しくできる人も当然いるんでしょうし。ひとくくりに人間を嫌いになったりだとか、窓口対応が嫌になったりはしないですよ」
怒鳴られるのはつらいけど、仕事のうちだ。いつしかそう思うようになった。
心身を削られる対応もあるけれど、窓口でとびきりの笑顔をいただくこともある。心からのありがとうをもらえることがある。
嫌だったことが帳消しにはならないけれど、心のHPは回復する。その繰り返しで強くなった。
課内の人間関係にも恵まれていたし、なによりあたしは人と接する仕事が好きだった。
だから、どんな悪質なクレーマーにあたっても、窓口業務はごめんだと思ったことはない。
そういったところが、心臓が強いと評される所以なのかもしれない。けれど、この町に携わる仕事が天職だと信じて頑張ってきたのだ。
――そのはずだったのに、いつのまにか夢守市のためにっていうのが抜け落ちかけてたんだから駄目だよなぁ。
そのことを思い出させてくれた人の背中を見つめる。まっすぐに伸びた背が、なんだか眩しかった。
「たまにいるんだよ、おまえみたいな鈍感な人間が」
「え?」
「鈍感すぎて見えないのに見えるというか、見えるのに見えないというか」
「ちょっと意味がわからないです、先輩」
かろうじて理解できたのは、先輩はその逆なのだろうなということだけだ。
つまり、繊細すぎて人間性をこじらせているのだ。最初に七海さんが言っていた言葉を、最近になってあたしはしみじみと噛み締めている。
「だから、褒めてんだよ、馬鹿」
絶対に褒めていないと言いたくなったが、あたしは言わなかった。
意味がわからないし不器用な人だけど、悪い人ではないと思うようになったからだ。素直に人を褒めた瞬間に死ぬと思っている可能性も捨てきれないけれど。
「おまえみたいに、境界の薄い人間はふつう危ねぇんだけど。なんというか、おまえはものすごい無害なんだよな。人間からも、向こうからも」
「はぁ」
妖怪と人間の境界が薄いということなのだろうか。
やっぱり先輩の言うことはよくわからない。でも、徐々にわかるようになっていくのかもしれない。
しばらくは真晴くんの仕事を見ていたらいいよ。そう言ってくれたのは七海さんだ。だから、そういうことなのかもしれない。
あたしはここで仕事をしていく。そのなかで、きっと、いろいろな大切なことを学んでいく。
「だから、どっちにも寄り添える」
前を向いている先輩がどんな顔をしているのかは、わからない。けれどその声は、今までに聞いた先輩の声のなかで一番優しかった。
「おまえはうちに向いてるよ」
その言葉は、胸のまんなかにすとんと落ちてきた。
行政の隙間から零れ落ちてしまう、あやかしたちの相談を受け付ける唯一の課。なんでも屋。面倒な要件を押し付けられる雑用係。問題児ばかりが集まった掃き溜め。
そんなふうに馬鹿にされても、この人は、この仕事が好きなんだ。
「帰るぞ」
「っ、はい!」
知らず声が大きくなった。帰る。よろず相談課に。そこが今のあたしの帰る場所なんだ。そう思うと、心がほっとあたたかくなる。
あたしたちの歩いたあとには、水たまりができあがっている。なんだかそれが、妖怪と人間を繋ぐ道しるべみたいに見えた。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。


愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる