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笑う門には福来る
25:時東悠 1月29日7時1分 ②
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白米に味噌汁に青菜に焼き魚。立派な朝食を前に、時東はもう一度手を合わせた。
味覚というものは、案外といい加減なものらしいとなにかで聞いたことがある。目隠しをした状態で食べた物の名称を当てようとしても、なかなか当たらないといった具合に。つまり、眼で見て「おいしそう」と思うことだとか、「食べたい」と思うことが、味覚を正常に戻すための第一歩なのかもしれない。
――そういう意味で、やっぱり、ここなんだよなぁ。
時東はそっと正面を窺った。ここに来ると、この人といると、食べたいという気持ちになる。この場所が特別になった最初の理由は、間違いなくそれだったのだ。
「なに?」
長く見つめ過ぎたのか、訝しげに問いかけられてしまい、慌てて首を振る。そして味噌汁に口を付けた。じんわりと広がる優しい風味に目元が自然と和らぐ。
「おいしい」
「……本当にわかってんのか、それ」
不信を隠さない声に、時東はへらりと笑った。以前とまったく同じとは言わないものの、それでもちゃんと味はするし、おいしいと感じている。「わかってる、わかってる」
「それに、おいしいって言うと、おいしい気がしてこない? まず気分からでも。それにひとりで食べるより断然ふたりのほうがおいしいし」
「あ、そう」
「ちなみに、あの、本当に、昨日の夜よりはずっとマシだからね? あの、……なんというか、その、あのときは、俺史上最高に落ちてたというか」
なにもあのタイミングで仕掛けてこなくてもいいのに、と。恨みがましく思っているのが正直なところではあるのだけれど。それにしても、いつからバレてたんだろうなぁ、本当に。
隠しごとは得意だったはずなのに、この人に隠しごとをできる気がしない。
「へぇ」
「へぇ、ってなんなの。その気のない返事」
「今はちょっとは回復したんだろ? なら、それでよかったじゃねぇか」
さした興味もなさそうに南が言う。ほっとするのはたしかだけれど、憎たらしいほど通常運転だ。
「南さんはひどいけど、ご飯はおいしい」
歯噛みしたい心境で、焼き鮭を解す。素朴な料理なのに、なんだかすごくおいしく感じる。ここまでくると、これは味覚以外のなにかも影響しているのかもしれない。
……いや、料理を生業としている人が作っているのだから、おいしいのは当然なのか。
新たなことを悶々と考えながら、再び視線を南に向ける。時東がだらだらと食べているうちに済んでしまったらしく、静かに手を合わせているところだった。
前々から思っていたけれど、南は食事の所作が綺麗だ。「いただきます」「ごちそうさま」そういった言葉もそうだが、箸の持ち方やひとつひとつの仕草が。きちんと育てられたのだろうなぁ、と感じる空気がある。
地に足を付けて、この土地で生きてきたのだろうなぁ、というような。この家で育って、そして、――こんなに早くひとりで切り盛りをする未来は本意ではなかったとは思うけれど――、店を継ぎ、隣人たちと関わり合いながら、生きている人。
きちんと食事をとることは、生きることに直結している。ストレスで味を感じなくなって、時東は尚更そう思うようになった。
この人は、自分の足で立って、自分を持って、しっかりと生きている人だ。
自分にはないその力強さにも、惹かれたのかもしれない。
「いいなぁ。南さんの家は、ちゃんと朝ご飯が出てきて」
東京の自分の家にもいてくれたらいいのに。なんて夢みたいなことを考えていたら、ぽろりと願望が漏れてしまった。その時東をなんとも言えない顔で見つめたあと、ぼやくように南が言った。
「あのな。おまえがいなかったら、作らねぇに決まってるだろうが」
「へ? 南さんって料理作るの好きなんじゃないの?」
だから家でもマメに作っているのだと思い込んでいた。瞳を瞬かせた時東に南が首を振る。
「そんなわけあるか。面倒臭い。俺ひとりだったら、朝も夜も適当に店で済ませてる」
「それって……!」
「まぁ、春風が来たら作るけどな」
「ねぇ、なんでそこでわざわざ春風さんの名前を出すの」
輝かんばかりの笑顔を見せてしまった一瞬前の自分が馬鹿みたいだ。トーンの下がった時東の声に、南が小さく肩を震わせる。揶揄われている。わかっていて乗せられる自分も悪いのかもしれないが、カチンと来るのだからしかたがないだろう。
――どうせ、みっともないところしか見せてませんよ、俺は。
拗ねたい気分のまま、ふと思った。こうして自分が春風の名前に過剰反応することを、南はどうしてだと思っているのだろうか。
嫉妬だ思われているのだろうか。仮にそうだとして、誰への、と思われているのだろうか。
春風の才能に嫉妬していると思われていたら嫌だな、と思ったが、もうひとつの理由のほうも口に出しづらいものがある。
悩んでいると、おもむろに南が口を開いた。
「昨日は悪かったな」
「え? なにが?」
本気でわからなくて問いかけると、南が嫌そうに続けた。「塩」
「あぁ」
食物に異物を混入したという一点に置いて罪悪感を抱いているらしい。そういうところは、なんとも「らしい」なぁと思う。
味覚というものは、案外といい加減なものらしいとなにかで聞いたことがある。目隠しをした状態で食べた物の名称を当てようとしても、なかなか当たらないといった具合に。つまり、眼で見て「おいしそう」と思うことだとか、「食べたい」と思うことが、味覚を正常に戻すための第一歩なのかもしれない。
――そういう意味で、やっぱり、ここなんだよなぁ。
時東はそっと正面を窺った。ここに来ると、この人といると、食べたいという気持ちになる。この場所が特別になった最初の理由は、間違いなくそれだったのだ。
「なに?」
長く見つめ過ぎたのか、訝しげに問いかけられてしまい、慌てて首を振る。そして味噌汁に口を付けた。じんわりと広がる優しい風味に目元が自然と和らぐ。
「おいしい」
「……本当にわかってんのか、それ」
不信を隠さない声に、時東はへらりと笑った。以前とまったく同じとは言わないものの、それでもちゃんと味はするし、おいしいと感じている。「わかってる、わかってる」
「それに、おいしいって言うと、おいしい気がしてこない? まず気分からでも。それにひとりで食べるより断然ふたりのほうがおいしいし」
「あ、そう」
「ちなみに、あの、本当に、昨日の夜よりはずっとマシだからね? あの、……なんというか、その、あのときは、俺史上最高に落ちてたというか」
なにもあのタイミングで仕掛けてこなくてもいいのに、と。恨みがましく思っているのが正直なところではあるのだけれど。それにしても、いつからバレてたんだろうなぁ、本当に。
隠しごとは得意だったはずなのに、この人に隠しごとをできる気がしない。
「へぇ」
「へぇ、ってなんなの。その気のない返事」
「今はちょっとは回復したんだろ? なら、それでよかったじゃねぇか」
さした興味もなさそうに南が言う。ほっとするのはたしかだけれど、憎たらしいほど通常運転だ。
「南さんはひどいけど、ご飯はおいしい」
歯噛みしたい心境で、焼き鮭を解す。素朴な料理なのに、なんだかすごくおいしく感じる。ここまでくると、これは味覚以外のなにかも影響しているのかもしれない。
……いや、料理を生業としている人が作っているのだから、おいしいのは当然なのか。
新たなことを悶々と考えながら、再び視線を南に向ける。時東がだらだらと食べているうちに済んでしまったらしく、静かに手を合わせているところだった。
前々から思っていたけれど、南は食事の所作が綺麗だ。「いただきます」「ごちそうさま」そういった言葉もそうだが、箸の持ち方やひとつひとつの仕草が。きちんと育てられたのだろうなぁ、と感じる空気がある。
地に足を付けて、この土地で生きてきたのだろうなぁ、というような。この家で育って、そして、――こんなに早くひとりで切り盛りをする未来は本意ではなかったとは思うけれど――、店を継ぎ、隣人たちと関わり合いながら、生きている人。
きちんと食事をとることは、生きることに直結している。ストレスで味を感じなくなって、時東は尚更そう思うようになった。
この人は、自分の足で立って、自分を持って、しっかりと生きている人だ。
自分にはないその力強さにも、惹かれたのかもしれない。
「いいなぁ。南さんの家は、ちゃんと朝ご飯が出てきて」
東京の自分の家にもいてくれたらいいのに。なんて夢みたいなことを考えていたら、ぽろりと願望が漏れてしまった。その時東をなんとも言えない顔で見つめたあと、ぼやくように南が言った。
「あのな。おまえがいなかったら、作らねぇに決まってるだろうが」
「へ? 南さんって料理作るの好きなんじゃないの?」
だから家でもマメに作っているのだと思い込んでいた。瞳を瞬かせた時東に南が首を振る。
「そんなわけあるか。面倒臭い。俺ひとりだったら、朝も夜も適当に店で済ませてる」
「それって……!」
「まぁ、春風が来たら作るけどな」
「ねぇ、なんでそこでわざわざ春風さんの名前を出すの」
輝かんばかりの笑顔を見せてしまった一瞬前の自分が馬鹿みたいだ。トーンの下がった時東の声に、南が小さく肩を震わせる。揶揄われている。わかっていて乗せられる自分も悪いのかもしれないが、カチンと来るのだからしかたがないだろう。
――どうせ、みっともないところしか見せてませんよ、俺は。
拗ねたい気分のまま、ふと思った。こうして自分が春風の名前に過剰反応することを、南はどうしてだと思っているのだろうか。
嫉妬だ思われているのだろうか。仮にそうだとして、誰への、と思われているのだろうか。
春風の才能に嫉妬していると思われていたら嫌だな、と思ったが、もうひとつの理由のほうも口に出しづらいものがある。
悩んでいると、おもむろに南が口を開いた。
「昨日は悪かったな」
「え? なにが?」
本気でわからなくて問いかけると、南が嫌そうに続けた。「塩」
「あぁ」
食物に異物を混入したという一点に置いて罪悪感を抱いているらしい。そういうところは、なんとも「らしい」なぁと思う。
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