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笑う門には福来る
24:時東悠 1月29日1時14分 ②
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灯りに誘われるように居間に近づいた時東だったが、襖に手をかける寸前でためらってしまった。
けれど、どうせ足音でバレているに違いない。そう言い聞かせて、息を吐く。隙間から漏れる光は、正しく誘蛾灯だった。
「南さん」
小さく声をかけて、襖を引く。やはり気がついていたのだろう。さして驚いたふうでもなく、南がノートパソコンから顔を上げた。珍しいなと思いながら、勝手に正面に座る。そのことに南はなにも言わなかった。静かに時東の存在を容認し、手元に視線を戻す。カチカチという文字を打つ音。
南さんもパソコンなんてするんだなぁ、なんて言えば、おまえは俺をなんだと思っているのかと渋い顔をされるのだろう。そんなことを想像しながら、ぼんやりと口を開く。
「起きてたんだ」
「明日、店は休みにしたし。月末だからいろいろとやっておこうかと」
「帳簿?」
「そう。親父がやってたころは基本的に母親が付けてたらしいんだけど。いざ再開するってなったときに、ぜんぜんわかんねぇし、はじめて確定申告するときは本当に困った」
「南さんにもできないこと、あるんだ」
ぽつりと呟けば、断続的に響いていた音が止まった。
「あたりまえだろうが。今だって面倒だから嫌いだよ。でも、そうも言ってられねぇし。外の先生に頼むとそれはそれで金もかかるし。まぁ、でも、俺が生きて生活していくために必要なことだから」
パソコンを閉じて、南が時東に視線を向けた。邪魔をしていることはわかっていたけれど離れがたくて、「そうなんだ」と相槌を打つ。
生きていくために必要なこと。俺にとって必要なことは、譲れないことは、なんだったのだろう。夢の続きのように、そんなことを考える。だから、南がどんな顔で自分を見ていたのかわかっていなかった。
「時東」
呼ばれて、黙考から覚める。
「なに?」
長年の癖で張り付けた笑顔にか、物言いたそうな雰囲気は感じ取ったものの、気がつかない振りを押し通す。しばらくのあと、南が口にしたのは、取り繕った表情への指摘ではない、だが、予想外のものだった。
「おまえ、夜にギター弾きたかったら弾いてもいいからな」
「え? でも、迷惑でしょ」
「べつに。隣の家までも距離あるし。あそこのばあちゃん、耳遠いし」
「そういう問題なの」
「春風も昔はよくここで弾いてたけど」
なんで、また、その名前が出てくるかなぁ。苛立ちを呑み込んで、「そうなんだ」と同じ相槌を繰り返す。今はとりわけ聞きたくなかった。
「中学かそれくらいのころの話だけどな」
だから聞きたくないんだってば、そんな話。駄々をこねたい衝動を誤魔化して、笑う。
「今も昔も仲良いんだね、想像できる気もするけど」
「うちの親父に明日の朝も早いのに煩いって怒鳴られて、ふたりで河原に移動したら補導されそうになった」
「もっと怒られたんじゃないの、それ。お父さんに」
「その警官も近所のおっちゃんだったからな。次はないからなでお目こぼし貰ったけど」
時東がギターにはじめて触れたのは、中学校に入学したときだ。時東が夢中になった魔法をはじめて見せてくれたのは、「親友」だった。
楽しくて、楽しくて、ずっとそれが続くのだと漠然と信じていた。そんな、馬鹿みたいなことを、ずっと。ずっと。あの日まで。あの瞬間まで。
「もし南さんは春風さんがいなくなったらどうする?」
ぽろりと零れた問いかけが失言だったと悟ったのは、空気が変わった気がしたからだった。
「あぁ、その、死んじゃうとかそういうことじゃなくて。そういうことじゃなくても、人の縁が切れることはあるでしょう」
「想像できねぇな」
慌てて補足した時東の顔をじっと見つめ、南は答えた。いつもどおりの声。
「あいつとはずっと一緒にいる気がする」
「ずっとって」
曖昧なそれに、時東は失笑した。子どもじゃあるまいし。いつまでも一緒だなんて言える年じゃ、もうないくせに。
「あいつも前に半ば冗談で言ってたんだけどな。俺の店でも手伝いながら、一緒に暮らすかって」
「え……?」
「それはないだろって言ったんだけど。まぁ、つまり、そういう感覚なんだろうな。家族というか、なんというか」
失笑すらできなかった。黙り込んだ時東の反応をどう取ったのか、南が小さく息を吐いた。
けれど、どうせ足音でバレているに違いない。そう言い聞かせて、息を吐く。隙間から漏れる光は、正しく誘蛾灯だった。
「南さん」
小さく声をかけて、襖を引く。やはり気がついていたのだろう。さして驚いたふうでもなく、南がノートパソコンから顔を上げた。珍しいなと思いながら、勝手に正面に座る。そのことに南はなにも言わなかった。静かに時東の存在を容認し、手元に視線を戻す。カチカチという文字を打つ音。
南さんもパソコンなんてするんだなぁ、なんて言えば、おまえは俺をなんだと思っているのかと渋い顔をされるのだろう。そんなことを想像しながら、ぼんやりと口を開く。
「起きてたんだ」
「明日、店は休みにしたし。月末だからいろいろとやっておこうかと」
「帳簿?」
「そう。親父がやってたころは基本的に母親が付けてたらしいんだけど。いざ再開するってなったときに、ぜんぜんわかんねぇし、はじめて確定申告するときは本当に困った」
「南さんにもできないこと、あるんだ」
ぽつりと呟けば、断続的に響いていた音が止まった。
「あたりまえだろうが。今だって面倒だから嫌いだよ。でも、そうも言ってられねぇし。外の先生に頼むとそれはそれで金もかかるし。まぁ、でも、俺が生きて生活していくために必要なことだから」
パソコンを閉じて、南が時東に視線を向けた。邪魔をしていることはわかっていたけれど離れがたくて、「そうなんだ」と相槌を打つ。
生きていくために必要なこと。俺にとって必要なことは、譲れないことは、なんだったのだろう。夢の続きのように、そんなことを考える。だから、南がどんな顔で自分を見ていたのかわかっていなかった。
「時東」
呼ばれて、黙考から覚める。
「なに?」
長年の癖で張り付けた笑顔にか、物言いたそうな雰囲気は感じ取ったものの、気がつかない振りを押し通す。しばらくのあと、南が口にしたのは、取り繕った表情への指摘ではない、だが、予想外のものだった。
「おまえ、夜にギター弾きたかったら弾いてもいいからな」
「え? でも、迷惑でしょ」
「べつに。隣の家までも距離あるし。あそこのばあちゃん、耳遠いし」
「そういう問題なの」
「春風も昔はよくここで弾いてたけど」
なんで、また、その名前が出てくるかなぁ。苛立ちを呑み込んで、「そうなんだ」と同じ相槌を繰り返す。今はとりわけ聞きたくなかった。
「中学かそれくらいのころの話だけどな」
だから聞きたくないんだってば、そんな話。駄々をこねたい衝動を誤魔化して、笑う。
「今も昔も仲良いんだね、想像できる気もするけど」
「うちの親父に明日の朝も早いのに煩いって怒鳴られて、ふたりで河原に移動したら補導されそうになった」
「もっと怒られたんじゃないの、それ。お父さんに」
「その警官も近所のおっちゃんだったからな。次はないからなでお目こぼし貰ったけど」
時東がギターにはじめて触れたのは、中学校に入学したときだ。時東が夢中になった魔法をはじめて見せてくれたのは、「親友」だった。
楽しくて、楽しくて、ずっとそれが続くのだと漠然と信じていた。そんな、馬鹿みたいなことを、ずっと。ずっと。あの日まで。あの瞬間まで。
「もし南さんは春風さんがいなくなったらどうする?」
ぽろりと零れた問いかけが失言だったと悟ったのは、空気が変わった気がしたからだった。
「あぁ、その、死んじゃうとかそういうことじゃなくて。そういうことじゃなくても、人の縁が切れることはあるでしょう」
「想像できねぇな」
慌てて補足した時東の顔をじっと見つめ、南は答えた。いつもどおりの声。
「あいつとはずっと一緒にいる気がする」
「ずっとって」
曖昧なそれに、時東は失笑した。子どもじゃあるまいし。いつまでも一緒だなんて言える年じゃ、もうないくせに。
「あいつも前に半ば冗談で言ってたんだけどな。俺の店でも手伝いながら、一緒に暮らすかって」
「え……?」
「それはないだろって言ったんだけど。まぁ、つまり、そういう感覚なんだろうな。家族というか、なんというか」
失笑すらできなかった。黙り込んだ時東の反応をどう取ったのか、南が小さく息を吐いた。
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