南食堂ほっこりごはん-ここがきっと幸せの場所-

木原あざみ

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笑う門には福来る

22:時東悠 1月26日12時25分 ③

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「なんて書くの?」
「え?」
「漢字」

 予想外に興味を示され、時東は瞳を瞬かせた。

「えーと、悠久の歴史とかの悠で『はるか』。小さいころは女の子みたいとか言われたけど」
「きれいな名前なのにな」

 話の流れで褒められただけだというのに、なんだか妙に落ち着かない。誤魔化すように「そうかな」と笑ったタイミングで、春風が立ち上がった。

「じゃ、俺、帰るわ」
「あれ。もう帰られるんですか」
「時東くんもいるし、問題ないでしょ。とりあえず、今日一日くらい大人しくしときな。榊のばあちゃん、こともあろうか俺の家に血相変えて飛び込んできたんだから」

 あぁ、それで。一緒に戻ってきた理由に時東は納得した。たまたま場所が近かっただけかもしれないけれど、いいな、と思う。ほんの少し、羨ましい。

「いくつになってもセット扱いが抜けないから嫌なんだ、ばあちゃんたちの認識は」
「そんなこと言って。遠い孫よりなんとやらでかわいがってもらってるくせに」

 呆れたふうに言うくせに、春風の声は優しかった。幼馴染みねぇ。今日だけで幾度になるのか知れないことを、また考えてしまった。
 幼馴染みというものは、そんなに特別に大事で、優しくしたい存在なのだろうか。
 時東にはわからない。先ほど羨ましく感じたのは、あくまで物理的な距離の近さに関してだ。この場所で南になにかあれば春風に連絡が行き、春風になにかあれば南もあたりまえに知ることになる。
 時東になにかあったとしても、南が知るのはテレビを通してになるだろうし、南になにかあったとして、時東が知ることはない。あるいは、知るころにはすべて終わっている。あの一件が良い例だった。

 ――でも、変わる気がないなら、それで納得しなきゃ。

 内心で言い聞かせ、愛想笑いを張り付ける。

「じゃあ、安心して、南さん。いつもやってもらってるけど、こう見えて、俺もひとり暮らし長いから。家事全般一応できるし」
「それだったら、ここにいる意味ないだろ、おまえ」
「え?」

 呆れたように言われてしまい、時東は間の抜けた声を出した。その反応をどう取ったのか、言い聞かせる調子で、南が続ける。

「むしろ東京戻っても大丈夫というか。町道のほうも除雪終わってたから。変な裏道選ばなかったら、道路も問題ないだろ」
「俺、要らない?」

 悶々としそうになった感情を呑み込んで、笑いかける。この手の年下の子どもらしい言動に、南が甘いと知っていたからだ。案の定、少しひるんだような顔になる。

「そういう問題じゃ」
「こら、凜」

 渋る言葉尻に被せて、春風の声が割り込んだ。苦笑としか言いようのない表情で、南の肩にぽんと手を置く。

「かわいげのないことばっかり言ってないで。普段面倒見てあげてるんだから、こういうときくらい返してもらいな」
「返してもらうもなにも、誰もそういうつもりで見てねぇよ」
「凜がそうなのは知ってるけど、してもらってばっかりっていうのも案外落ち着かないもんだよ。ねぇ、時東くん」
「それはそうですね。――だから、お願い。面倒見させて」

 茶化すように手を合わせると、諦めたふうに南が息を吐いた。

「まぁ、おまえがいいなら、それはいいけど」

 物言いたげな雰囲気は残っていたものの、気にしないことにして、うん、と頷く。
 それに、どうせ、ひとりで籠ろうが、家事をしようが、曲作りが進まないことに変わりはないのだ。ある意味で、ちょうどいい気分転換かもしれない。

「おまえがいいならって、助かるでしょ、実際ちょっとは。まぁ、本当は、俺が頼まれたんだけどね、拓海くんから。時東くん代わりにお願いね」
「はぁ」
「あぁ、拓海くんって、このあたりのお医者さんなんだけどね。俺らより五才上の昔なじみでもあるんだけど。捻挫の程度がどうのこうの以前に、この人、じっとできないからさ、悪化させないように見張っとけって仰せつかっちゃって」
「だから。子どもじゃないんだから、大丈夫って言ってるだろうが」

 いかにもうんざりといった調子で切り捨てて、「時東」と南が言う。その呼びかけに、時東は慌てて笑顔をつくった。

「こいつの言うことは話半分で流しといてくれていいからな。本当に大丈夫だし」

 大丈夫なことはわかってるけど、それでも、こんなときくらい役に立ちたいものなの。それに、べつに、俺、南さんにお世話してもらいたくて、ここに来てるわけじゃないんだしさ。
 と、言うことができたら、よかったのだろうか。それとも言わないでいる今が正解なのだろか。わからない。わからないまま、うん、と時東はもう一度頷いた。
 きっとこのふたりは、こんなふうに正解不正解を考えながらの会話なんてしないのだろう。
 けれど、ずっと昔は、自分もそうだったのだ。まっすぐに感情をぶつければ、同じだけの感情が返ってくると信じていた。愚鈍なまでに、素直に。傍迷惑にそう思い込んでいた。親友だから大丈夫なのだと、そんなふうに。
 その親友は、自分のそばにはもういない。
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