68 / 82
笑う門には福来る
21:時東悠 1月26日8時40分 ②
しおりを挟む
「南さん。今日は仕事お休みなんでしょ? どこか行くの?」
仕事があろうがなかろうが、この家の主の朝は早い。
おじいちゃんみたいだね、と口を滑らせて閉口させた前科があるので言わないだけで、それに近いものがあると時東は思っている。
自分は済ませているにも関わらず、こちらが食べ終わるまで静かに同席してくれることも含めて。
母親に父親に、おじいちゃん。自分はいったい、この人にどんな夢を見ているというのか。内心で呆れつつ、ごはんの残りをさらう。
白米に、大根と玉ねぎの味噌汁。そうして、昨日の残りという煮物と、店でも提供しているお手製のお漬物。はじめて用意してもらったときは、いたく感動したものだ。もちろん、今日も大変ありがたいと思っている。
「まぁ、そうだな。とりあえず雪かきだな」
「雪かき?」
東京生まれ東京育ちの時東には無縁の言葉である。繰り返した時東に、南がわずかに苦笑をこぼした。
「店の前と、あとこの家の周辺。このあたりは道が細いから、除雪車通らないんだよ」
「……手伝おうか?」
断られるだろうなぁとわかっていたものの、一種の様式美というやつである。案の定、湯呑に口をつけた南は、あっさりと首を横に振った。
「あらかた終わってるから。残りもすぐ終わるし、気にしなくて大丈夫」
つまるところ、すでに一仕事は終えているらしい。本当に早起きだね、と言う代わりに、時東はのんびりと呟いた。
「まぁ、俺が手を出したほうが仕事も増えそうだしねぇ」
自慢でもなんでもないけれど、顔の割れている芸能人なので。その時東の本意に、南はたいていの場合、気がつかないふりを押し通す。今日もそうだった。
「慣れてないやつがやると高確率で腰痛めるんだよ」
やらなくて済むならやらないほうがいい、と。なんでもない調子で応じた南が、空いた湯飲みを机に戻す。同じタイミングで、時東も箸を置いた。にこりとほほえむ。
「じゃあ、ありがたくおこもりさせてもらおうかな。南さんも転んで怪我しないでね」
「そこまで年じゃねぇよ」
「それはそうかもしれないけど。――あ、片づけくらいは俺がしておくから。いってらっしゃい」
ごちそうさまでした、と頭も下げれば、好きに過ごしたらいいんだからな、と気遣う言葉が返ってきた。片づけくらいは、去年もしていたはずなのだが。
それとも、春風からなにか聞いたのだろうか。懸念を押し込み、時東は笑った。
「やだな、南さん。ちっちゃい子じゃないんだから、そのくらいやるって。というか、そのくらいやらせてよ」
至れり尽くせりではさすがに落ち着かない。笑ったまま言い切って、食器を手に流しに立つ。
ふと頭の中に「持ちつ持たれつ」という春風の言葉が浮かんだ。今の自分は完全に「持たれて」しかいないのだろう。
でも、せめて「持たれて」いたいと思ってしまう。なにも「持たれない」よりは。
――あ、駄目だ、これ。
あまり考えないほうがいい。昨日の夜、そう決めたことを思い出し、時東は水道のハンドルをひねった。きんとして冷たいけれど、しばらくすれば温かくなるだろう。
冷水のままでやると南が気にするので、きちんとお湯にするようにしているのだ。
注がれる視線に気づかないふりをしていると、「じゃあ、行ってくる」という声が背にかかった。洗い物をしたまま、「行ってらっしゃい」と送り返す。なんだかまるで家族みたいだ。
しばらくすると、玄関のドアを引く音が遠くで聞こえた。そうして「凜ちゃん」と呼ぶ高い女の子の声。ついで聞こえた「だから、その呼び方はやめろって言ってるだろ」という諦め半分の苦言に、時東はふっと笑みをこぼした。「遊ぼう」とゆする声が続くのが、なんともほほえましい。
子どもは本能で「いい人」を嗅ぎ分けるという話をなにかで聞いたことがある。見た目が多少怖かろうが、そういう人には素直に懐くのだ。この人は大丈夫だと本能でわかるから。
どうせ、なんだかんだと言ったところで、折れて遊んでくれる。それを子どもは知っているのだ。俺と同じだな、と思った。
仕事があろうがなかろうが、この家の主の朝は早い。
おじいちゃんみたいだね、と口を滑らせて閉口させた前科があるので言わないだけで、それに近いものがあると時東は思っている。
自分は済ませているにも関わらず、こちらが食べ終わるまで静かに同席してくれることも含めて。
母親に父親に、おじいちゃん。自分はいったい、この人にどんな夢を見ているというのか。内心で呆れつつ、ごはんの残りをさらう。
白米に、大根と玉ねぎの味噌汁。そうして、昨日の残りという煮物と、店でも提供しているお手製のお漬物。はじめて用意してもらったときは、いたく感動したものだ。もちろん、今日も大変ありがたいと思っている。
「まぁ、そうだな。とりあえず雪かきだな」
「雪かき?」
東京生まれ東京育ちの時東には無縁の言葉である。繰り返した時東に、南がわずかに苦笑をこぼした。
「店の前と、あとこの家の周辺。このあたりは道が細いから、除雪車通らないんだよ」
「……手伝おうか?」
断られるだろうなぁとわかっていたものの、一種の様式美というやつである。案の定、湯呑に口をつけた南は、あっさりと首を横に振った。
「あらかた終わってるから。残りもすぐ終わるし、気にしなくて大丈夫」
つまるところ、すでに一仕事は終えているらしい。本当に早起きだね、と言う代わりに、時東はのんびりと呟いた。
「まぁ、俺が手を出したほうが仕事も増えそうだしねぇ」
自慢でもなんでもないけれど、顔の割れている芸能人なので。その時東の本意に、南はたいていの場合、気がつかないふりを押し通す。今日もそうだった。
「慣れてないやつがやると高確率で腰痛めるんだよ」
やらなくて済むならやらないほうがいい、と。なんでもない調子で応じた南が、空いた湯飲みを机に戻す。同じタイミングで、時東も箸を置いた。にこりとほほえむ。
「じゃあ、ありがたくおこもりさせてもらおうかな。南さんも転んで怪我しないでね」
「そこまで年じゃねぇよ」
「それはそうかもしれないけど。――あ、片づけくらいは俺がしておくから。いってらっしゃい」
ごちそうさまでした、と頭も下げれば、好きに過ごしたらいいんだからな、と気遣う言葉が返ってきた。片づけくらいは、去年もしていたはずなのだが。
それとも、春風からなにか聞いたのだろうか。懸念を押し込み、時東は笑った。
「やだな、南さん。ちっちゃい子じゃないんだから、そのくらいやるって。というか、そのくらいやらせてよ」
至れり尽くせりではさすがに落ち着かない。笑ったまま言い切って、食器を手に流しに立つ。
ふと頭の中に「持ちつ持たれつ」という春風の言葉が浮かんだ。今の自分は完全に「持たれて」しかいないのだろう。
でも、せめて「持たれて」いたいと思ってしまう。なにも「持たれない」よりは。
――あ、駄目だ、これ。
あまり考えないほうがいい。昨日の夜、そう決めたことを思い出し、時東は水道のハンドルをひねった。きんとして冷たいけれど、しばらくすれば温かくなるだろう。
冷水のままでやると南が気にするので、きちんとお湯にするようにしているのだ。
注がれる視線に気づかないふりをしていると、「じゃあ、行ってくる」という声が背にかかった。洗い物をしたまま、「行ってらっしゃい」と送り返す。なんだかまるで家族みたいだ。
しばらくすると、玄関のドアを引く音が遠くで聞こえた。そうして「凜ちゃん」と呼ぶ高い女の子の声。ついで聞こえた「だから、その呼び方はやめろって言ってるだろ」という諦め半分の苦言に、時東はふっと笑みをこぼした。「遊ぼう」とゆする声が続くのが、なんともほほえましい。
子どもは本能で「いい人」を嗅ぎ分けるという話をなにかで聞いたことがある。見た目が多少怖かろうが、そういう人には素直に懐くのだ。この人は大丈夫だと本能でわかるから。
どうせ、なんだかんだと言ったところで、折れて遊んでくれる。それを子どもは知っているのだ。俺と同じだな、と思った。
22
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる