67 / 82
笑う門には福来る
21:時東悠 1月26日8時40分 ①
しおりを挟む
窓の外から響いた高い子どもの声で、時東は目を覚ました。
あれ、ここ、どこだっけ。寝起きのぼんやりとした頭のまま、のっそりと布団から這い出る。畳が冷たい。そうだ。また戻ってきたのだった。足元から感じる冷たさで思い出した。
欠伸ひとつでカーテンを引いた時東は、「うわ」と小さな感嘆をもらした。
「積もってる」
一面銀世界。道理で寒いはずである。その寒さをものともせずに遊ぶ子どもの姿に、ふっと笑みがこぼれた。警報が出ているのかもしれない。
警報が出て学校が休みになると、子どものころはうれしかったんだよな。懐かしい記憶に思いを馳せる。不謹慎とわかっていても、なんとなくわくわくしたものだ。
大人になると、そんなことばかりも言っていられなくなるけれど。引きこもる予定だった本日の時東には関係のない話である。
たぶん、東京に戻る三日後は、交通機関も機能しているだろうし。のんきに結論づけて、時東はゆっくりと身体を伸ばした。なんだか、ひさしぶりによく寝た気分だ。
――普通、自宅のほうが寝やすいと思うんだけどなぁ。
そんないまさらなことを考えながら、軽く身支度を整えて階段を下りる。漂ってきた匂いに、そういえば、実家の朝も和食だったなぁ、と。またしても懐かしいことを思い出してしまった。
母親からは「たまには帰ってきなさいよ」と言われているのだが、もう随分と実家に顔を出していない。両親と仲が悪いわけではないものの、実家に帰ると来客が増えるから嫌なのだ。
実家の近所に住んでいて、特別に自分をかわいがってくれた祖母も、デビューして間もないころに鬼籍に入っている。それもあって、ついつい足が遠のいているのだった。
「おう、おはよう」
台所にふらりと顔を出すと、南が新聞から顔を上げた。台所にあるテーブルに畳んだ新聞を置く仕草が、ひさしく見ていない実家の父親と重なって、苦笑がこぼれそうになる。
どうにかそれを呑み込んで、「おはよう」と時東は挨拶を返した。そうしてから、今日の曜日を思い出す。
「そっか、南さん、今日お休みだ?」
「俺はそうだけど。おまえは大丈夫なのか?」
「え? 大丈夫って仕事?」
「そう。このあいだよりずっと積もってるぞ。当たらねぇな、天気予報も」
「大丈夫、大丈夫。俺、二、三日こっちにいるから」
良いのかどうかは聞いていなかったけれど、決定権を委ねられた身である。まぁ、大丈夫だろう。にこりとほほえむと、南がかすかに眉を寄せた。どことなくもの言いたげな表情。
「おまえさ」
「ん?」
「その顔……、いや、まぁ、いいわ、なんでも」
「ちょっと、なに、南さん。気になる言い方しないでよ。俺のかっこいい顔がどうかした?」
意図的に茶化した自覚はあったが、南も南で必要以上に白けた顔をした。
「はい、はい。なんでもない、なんでもない。かっこいい、かっこいい。春風ほどじゃないけど」
「さらっと容姿比べないで! それもあんな規格外の人と」
「そういうことでもねぇよ」
比べるなという指摘が胸に入ったのか、妙に嫌そうに否定する。だが、それ以上の皮肉は飛んでこなかった。軽く溜息を吐いた南が立ち上がる。壁に面したキッチンスペースと、冷蔵庫。そうして、二人掛けの小さなダイニングテーブル。
夜は炬燵のある居間で食べることも多いが、朝や昼はここで食べることも多い。この家に寝泊まりするようになって知ったことだ。
「時東」
いつまで突っ立ってんだ、と呼び寄せられるかたちで席に座る。
相前後して小鍋を火にかけた南に、食べるよな、とほぼ決定事項で問われたので、うん、と時東は頷いた。
優しい味噌汁の匂い。ひとりで暮らすようになってから――味覚がおかしくなる以前からだ――の時東に朝食を食べる習慣はなかった。それなのに、この家にいると、三食きちんと食べようという気になる。
――食べることは生きること、だっけ。
大昔、祖母が言っていたことだ。聞いた当時はよくわかっていなかった。でも、今は少しわかる気がしている。自分のために食事を用意してくれる人がいることの、ありがたさも。
ありがとう、とかけた声に、ん、と愛想もそっけもない返事。なんでもないことのはずが、なんだかどうにもこそばゆかった。
[21:時東悠 1月26日8時40分]
あれ、ここ、どこだっけ。寝起きのぼんやりとした頭のまま、のっそりと布団から這い出る。畳が冷たい。そうだ。また戻ってきたのだった。足元から感じる冷たさで思い出した。
欠伸ひとつでカーテンを引いた時東は、「うわ」と小さな感嘆をもらした。
「積もってる」
一面銀世界。道理で寒いはずである。その寒さをものともせずに遊ぶ子どもの姿に、ふっと笑みがこぼれた。警報が出ているのかもしれない。
警報が出て学校が休みになると、子どものころはうれしかったんだよな。懐かしい記憶に思いを馳せる。不謹慎とわかっていても、なんとなくわくわくしたものだ。
大人になると、そんなことばかりも言っていられなくなるけれど。引きこもる予定だった本日の時東には関係のない話である。
たぶん、東京に戻る三日後は、交通機関も機能しているだろうし。のんきに結論づけて、時東はゆっくりと身体を伸ばした。なんだか、ひさしぶりによく寝た気分だ。
――普通、自宅のほうが寝やすいと思うんだけどなぁ。
そんないまさらなことを考えながら、軽く身支度を整えて階段を下りる。漂ってきた匂いに、そういえば、実家の朝も和食だったなぁ、と。またしても懐かしいことを思い出してしまった。
母親からは「たまには帰ってきなさいよ」と言われているのだが、もう随分と実家に顔を出していない。両親と仲が悪いわけではないものの、実家に帰ると来客が増えるから嫌なのだ。
実家の近所に住んでいて、特別に自分をかわいがってくれた祖母も、デビューして間もないころに鬼籍に入っている。それもあって、ついつい足が遠のいているのだった。
「おう、おはよう」
台所にふらりと顔を出すと、南が新聞から顔を上げた。台所にあるテーブルに畳んだ新聞を置く仕草が、ひさしく見ていない実家の父親と重なって、苦笑がこぼれそうになる。
どうにかそれを呑み込んで、「おはよう」と時東は挨拶を返した。そうしてから、今日の曜日を思い出す。
「そっか、南さん、今日お休みだ?」
「俺はそうだけど。おまえは大丈夫なのか?」
「え? 大丈夫って仕事?」
「そう。このあいだよりずっと積もってるぞ。当たらねぇな、天気予報も」
「大丈夫、大丈夫。俺、二、三日こっちにいるから」
良いのかどうかは聞いていなかったけれど、決定権を委ねられた身である。まぁ、大丈夫だろう。にこりとほほえむと、南がかすかに眉を寄せた。どことなくもの言いたげな表情。
「おまえさ」
「ん?」
「その顔……、いや、まぁ、いいわ、なんでも」
「ちょっと、なに、南さん。気になる言い方しないでよ。俺のかっこいい顔がどうかした?」
意図的に茶化した自覚はあったが、南も南で必要以上に白けた顔をした。
「はい、はい。なんでもない、なんでもない。かっこいい、かっこいい。春風ほどじゃないけど」
「さらっと容姿比べないで! それもあんな規格外の人と」
「そういうことでもねぇよ」
比べるなという指摘が胸に入ったのか、妙に嫌そうに否定する。だが、それ以上の皮肉は飛んでこなかった。軽く溜息を吐いた南が立ち上がる。壁に面したキッチンスペースと、冷蔵庫。そうして、二人掛けの小さなダイニングテーブル。
夜は炬燵のある居間で食べることも多いが、朝や昼はここで食べることも多い。この家に寝泊まりするようになって知ったことだ。
「時東」
いつまで突っ立ってんだ、と呼び寄せられるかたちで席に座る。
相前後して小鍋を火にかけた南に、食べるよな、とほぼ決定事項で問われたので、うん、と時東は頷いた。
優しい味噌汁の匂い。ひとりで暮らすようになってから――味覚がおかしくなる以前からだ――の時東に朝食を食べる習慣はなかった。それなのに、この家にいると、三食きちんと食べようという気になる。
――食べることは生きること、だっけ。
大昔、祖母が言っていたことだ。聞いた当時はよくわかっていなかった。でも、今は少しわかる気がしている。自分のために食事を用意してくれる人がいることの、ありがたさも。
ありがとう、とかけた声に、ん、と愛想もそっけもない返事。なんでもないことのはずが、なんだかどうにもこそばゆかった。
[21:時東悠 1月26日8時40分]
21
お気に入りに追加
51
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


転生令嬢の食いしん坊万罪!
ねこたま本店
ファンタジー
訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシャリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる