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袖振り合うも他生の縁
19:南凛太朗 1月18日21時55分 ②
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「ひさしぶりだなぁ、凛にその顔されるの」
「ひさしぶりって」
「うん。何年か前ね。この店を凛が開けてすぐくらいのころはあったよ、けっこう。入ってきた俺の顔見てさ、失望したような顔すんの、一瞬だったけど」
この幼馴染みが言うのであれば、そうだったのかもしれない。
だが、いまさらどう応じるべきかはわからなかった。迷ったことを誤魔化すように春風の前に酒を置く。そうして、なんでもないふうに苦笑を返した。
「なに考えてるのかわからない顔って言われるほうが多いんだけどな」
「わかるよ。幼馴染みだしね。凜の表情の違いくらい。おまえもそうじゃないの?」
「まぁ、……そうかもな」
仏頂面の自分とは意味合いは違うだろうが、へらへらとした笑顔を常備している春風も表情が読み取りづらいタイプだ。
けれど、なんとなくであればわかるので、逆もまたしかりということなのだろう。
時東は、野生の勘の成せる技か、「なんで」はわからないくせに、「違い」だけを器用に嗅ぎ取っていた。
「それが嫌でさぁ。だからいつも元気な挨拶を心がけてたんだけど、これがついうっかり」
「似非臭い野郎だな」
「凛が言うならそうかもね」
へらりと笑って、春風が酒に口を付けた。
「うん、おいしい。西崎くんは好きじゃないけど、西崎くんのところのお酒はおいしいな」
「おまえ、まだ根に持ってんの」
小学生になるかならないかのころに、散々にからかわれたことを。
呆れたように南が言えば、「まぁねぇ」と意味深長な笑みが浮かぶ。顔が良いだけに腹が立つくらい様になっている。
「根には持ってないけど、まぁ、好きにはならないよね。嫌いでもないけど」
やられた当時に十倍以上の仕返しをしていた記憶があるのだが、それもまた別の問題なのだろうか。
仕入れの関係で西崎の兄に会うことがあるのだが、三回に一回は「春風ちゃん、どう?」と阿られるこちらの身にもなってほしい。そうして、それに。
「というか、おまえ、ほとんどがそうじゃねぇか」
好きでもないが嫌いでもない。それが、春風の対人関係における基本的なスタンスだ。
「まぁ、それもそうかもね」
否定もせずに笑った春風が、もう一口呑んでからグラスをカウンターに置いた。
「これはこれでおいしいけど、次は熱燗がいいな。知ってる? 今も雪降ってんだよ、たぶん積もらないけど」
「熱燗呑ませたら長いから、それにしたんだよ。今日はつまみはないからな」
「えー、なんで。もう閉店なの。凛ちゃん居酒屋」
「そんな展開はしてねぇ」
「時東くんにはしてあげてるくせに。幼馴染みの俺にはもうなしですってか。冷たいなぁ、酒が胃に染みる」
芝居がかった仕草で泣き真似を披露されてもダメージはない。そうか、と呟いて、南は出入口に視線を向けた。
「また雪降ってんのか」
「ね、今年は多いね。また凜ちゃん雪かき大忙しでしょ」
大変だねぇ、と苦笑して、春風がグラスを手に取った。少しの沈黙。なにか言いたいことでもあるのだろうかと思っていると、春風がぽつりと口を開いた。
「というか、凜ちゃんはさ、あんまり恋愛を楽しもうっていう気がないよね。話は変わるけど」
「変わるのかよ」
「いや、実際は変わってないんだけど。その、つまり、なんというか、心配してるわけよ。幼馴染みの智治くんとしては。うちの凛ちゃんは大丈夫なのかな、と」
「大丈夫って」
なにを馬鹿なことを笑い飛ばすには、春風の瞳は優しい色をしていた。黙って、カウンターに肘をつき直す。その態度にか、春風がまた小さく笑った。
「べつにね、十代の女の子じゃあるまいし、凛に恋愛をしろって言ってるわけじゃないんだよ。それは本当にどうでもいいと思うし。まぁ、するなら良い恋愛をするに越したことはないと思うけど。凛、女見る目ないからなぁ」
「おい、そこは放っとけよ」
「だから、放ってたじゃん。あーあ、見る目ねぇなぁ。どうせすぐに別れるよって思ったら、大概すぐに別れてたけど、まぁ、それは凛の自己責任だし」
大学生だったころの話を引っ張り出さないでほしいし、そもそもとして、春風に言われたくない台詞のオンパレードである。なんとも言えない心地で南は再び黙り込んだ。
――というか、おまえも大概だっただろ。
特定の彼女と呼べる存在がいたのかすら疑わしい付き合い方しかしていなかったくせに。じとりとした視線をものともせず、春風は話を続ける。
「なんていうか、凛は手間がかかる系の駄目女が好きだよね。俺が面倒見てやらなきゃって気分になるの? よくないよ、そういうの」
「ヤリモクの女としか遊んでなかったやつに言われたくない」
「だって、本気の相手とか面倒くさいでしょ。俺が本気じゃないのに」
なかなかの言い草だった。人の恋愛の心配をするより自分の心配をしろ。
そう言ってやってもよかったのだが、へらりとした顔を前にするとどうでもよくなってしまった。ある意味で、春風は変わらない。
へらへらと笑って、本音を言わないところも。誰にでも優しいようでいて、無関心なところも。
「まぁでも、べつになんでもいいよ、本当に。凛が若いころのあれやらこれで、もう恋愛なんて懲り懲りだって言うなら、それはそれで」
「……おう」
「俺はずっとここにいるし、凛もずっとここにいるでしょ。たとえば、俺が結婚して子どもが生まれたとしてもさ。嫁とチビ連れて、おまえの店に食いに行くよ。なんなら、おまえの家にも遊びに行くし。近所のおじちゃんポジションも悪くないとは思うけど」
そこで一度言葉を切って、にこりと春風がほほえんだ。
「おまえがそれで本当にいいならね」
この町で。この店で。この先もひとりで切り盛りをして。たまにこうして春風の相手をして。
それは、南が漠然と思い浮かべていた未来だった。
「いいもなにも、正に今がそうだろ」
「まぁ、それに近いものはあるかもしれないけどさ、この先の話だよ?」
「そうだな。おまえが結婚してもいいって思える女を見つけないことには進まない話だな」
飄々とした良い父親をやっている気もすれば、嫁の尻に敷かれている気もする。当たり障りのない未来を想像して笑うと、春風も笑った。
「ひさしぶりって」
「うん。何年か前ね。この店を凛が開けてすぐくらいのころはあったよ、けっこう。入ってきた俺の顔見てさ、失望したような顔すんの、一瞬だったけど」
この幼馴染みが言うのであれば、そうだったのかもしれない。
だが、いまさらどう応じるべきかはわからなかった。迷ったことを誤魔化すように春風の前に酒を置く。そうして、なんでもないふうに苦笑を返した。
「なに考えてるのかわからない顔って言われるほうが多いんだけどな」
「わかるよ。幼馴染みだしね。凜の表情の違いくらい。おまえもそうじゃないの?」
「まぁ、……そうかもな」
仏頂面の自分とは意味合いは違うだろうが、へらへらとした笑顔を常備している春風も表情が読み取りづらいタイプだ。
けれど、なんとなくであればわかるので、逆もまたしかりということなのだろう。
時東は、野生の勘の成せる技か、「なんで」はわからないくせに、「違い」だけを器用に嗅ぎ取っていた。
「それが嫌でさぁ。だからいつも元気な挨拶を心がけてたんだけど、これがついうっかり」
「似非臭い野郎だな」
「凛が言うならそうかもね」
へらりと笑って、春風が酒に口を付けた。
「うん、おいしい。西崎くんは好きじゃないけど、西崎くんのところのお酒はおいしいな」
「おまえ、まだ根に持ってんの」
小学生になるかならないかのころに、散々にからかわれたことを。
呆れたように南が言えば、「まぁねぇ」と意味深長な笑みが浮かぶ。顔が良いだけに腹が立つくらい様になっている。
「根には持ってないけど、まぁ、好きにはならないよね。嫌いでもないけど」
やられた当時に十倍以上の仕返しをしていた記憶があるのだが、それもまた別の問題なのだろうか。
仕入れの関係で西崎の兄に会うことがあるのだが、三回に一回は「春風ちゃん、どう?」と阿られるこちらの身にもなってほしい。そうして、それに。
「というか、おまえ、ほとんどがそうじゃねぇか」
好きでもないが嫌いでもない。それが、春風の対人関係における基本的なスタンスだ。
「まぁ、それもそうかもね」
否定もせずに笑った春風が、もう一口呑んでからグラスをカウンターに置いた。
「これはこれでおいしいけど、次は熱燗がいいな。知ってる? 今も雪降ってんだよ、たぶん積もらないけど」
「熱燗呑ませたら長いから、それにしたんだよ。今日はつまみはないからな」
「えー、なんで。もう閉店なの。凛ちゃん居酒屋」
「そんな展開はしてねぇ」
「時東くんにはしてあげてるくせに。幼馴染みの俺にはもうなしですってか。冷たいなぁ、酒が胃に染みる」
芝居がかった仕草で泣き真似を披露されてもダメージはない。そうか、と呟いて、南は出入口に視線を向けた。
「また雪降ってんのか」
「ね、今年は多いね。また凜ちゃん雪かき大忙しでしょ」
大変だねぇ、と苦笑して、春風がグラスを手に取った。少しの沈黙。なにか言いたいことでもあるのだろうかと思っていると、春風がぽつりと口を開いた。
「というか、凜ちゃんはさ、あんまり恋愛を楽しもうっていう気がないよね。話は変わるけど」
「変わるのかよ」
「いや、実際は変わってないんだけど。その、つまり、なんというか、心配してるわけよ。幼馴染みの智治くんとしては。うちの凛ちゃんは大丈夫なのかな、と」
「大丈夫って」
なにを馬鹿なことを笑い飛ばすには、春風の瞳は優しい色をしていた。黙って、カウンターに肘をつき直す。その態度にか、春風がまた小さく笑った。
「べつにね、十代の女の子じゃあるまいし、凛に恋愛をしろって言ってるわけじゃないんだよ。それは本当にどうでもいいと思うし。まぁ、するなら良い恋愛をするに越したことはないと思うけど。凛、女見る目ないからなぁ」
「おい、そこは放っとけよ」
「だから、放ってたじゃん。あーあ、見る目ねぇなぁ。どうせすぐに別れるよって思ったら、大概すぐに別れてたけど、まぁ、それは凛の自己責任だし」
大学生だったころの話を引っ張り出さないでほしいし、そもそもとして、春風に言われたくない台詞のオンパレードである。なんとも言えない心地で南は再び黙り込んだ。
――というか、おまえも大概だっただろ。
特定の彼女と呼べる存在がいたのかすら疑わしい付き合い方しかしていなかったくせに。じとりとした視線をものともせず、春風は話を続ける。
「なんていうか、凛は手間がかかる系の駄目女が好きだよね。俺が面倒見てやらなきゃって気分になるの? よくないよ、そういうの」
「ヤリモクの女としか遊んでなかったやつに言われたくない」
「だって、本気の相手とか面倒くさいでしょ。俺が本気じゃないのに」
なかなかの言い草だった。人の恋愛の心配をするより自分の心配をしろ。
そう言ってやってもよかったのだが、へらりとした顔を前にするとどうでもよくなってしまった。ある意味で、春風は変わらない。
へらへらと笑って、本音を言わないところも。誰にでも優しいようでいて、無関心なところも。
「まぁでも、べつになんでもいいよ、本当に。凛が若いころのあれやらこれで、もう恋愛なんて懲り懲りだって言うなら、それはそれで」
「……おう」
「俺はずっとここにいるし、凛もずっとここにいるでしょ。たとえば、俺が結婚して子どもが生まれたとしてもさ。嫁とチビ連れて、おまえの店に食いに行くよ。なんなら、おまえの家にも遊びに行くし。近所のおじちゃんポジションも悪くないとは思うけど」
そこで一度言葉を切って、にこりと春風がほほえんだ。
「おまえがそれで本当にいいならね」
この町で。この店で。この先もひとりで切り盛りをして。たまにこうして春風の相手をして。
それは、南が漠然と思い浮かべていた未来だった。
「いいもなにも、正に今がそうだろ」
「まぁ、それに近いものはあるかもしれないけどさ、この先の話だよ?」
「そうだな。おまえが結婚してもいいって思える女を見つけないことには進まない話だな」
飄々とした良い父親をやっている気もすれば、嫁の尻に敷かれている気もする。当たり障りのない未来を想像して笑うと、春風も笑った。
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